【完結】致死量の愛と泡沫に

藤香いつき

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Chap.7 君に捧ぐ星あかり

Chap.7 Sec.11

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 大きな手が、私の空になったワイングラスを上から掴み取った。
 
「もうやめとけ。病みあがりだろ」
 
 見上げた先には、ワインよりも深い金の眼。セトが眉を寄せてこちらを見ていた。
 
「やみあがり……?」
「怪我もあるけど、頭の手術しただろ。……忘れてんのか? お前が最新の患者だからな?」
 
 最新の患者。斬新なポジションだ。
 ここ最近、負傷者の多かったハウスで他に気を取られがちだが、セトの言うとおり私がラストの患者ではある。ただし病みあがりではない。病んではいない。
 
 やっと食欲が満たされたのか(ちなみに夕食は普通にとっていたはず)、セトはワゴンに戻ることなく私の横にとどまった。空のグラスはロボットに回収させ、私と同じ方を見遣る。ピアノの方向。
 レッスンはとっくに崩壊していて、ハオロンが次々と出すリクエストを、イシャンが律儀にこなしていた。
 今はロックが演奏され、ロキとハオロンが合わせて歌っている。マイクはない。アリアも誘われて声を合わせると、ピアノの音もあって急におごそかな雰囲気へと変わった。
 メルウィンも最初ハオロンに誘われていたが、ひたすら断り続け、ずっとティアとワインの話をしている。ずっと。
 少し前からサクラもそちらに加わっていて、ティアから、
 
「ヴァシリエフハウスって、なんでこんなに高級ワインがあるの? 本物の流通量は、ごくわずかなんだよね?」
「資産運用だな。先行投資で購入していた物が残っている」
「あぁ、そういうこと……うん、優秀なファンドマネージャー(?)に感謝しよう。……あ、僕にくれたチョーカーの宝石もそういう感じ?」

 アルコールの力もあってか、仲良く話をしている気がする。
 
(……よかった)
 
 私の存在のせいで長らく距離のあった彼らが、元通りになりつつあるのを、安堵の気持ちで見ている……と、視線を感じた。
 ピアノの方向に視線をやっていたはずのセトと、目が合う。
 
「……?」
「いや、べつに」
「…………?」
「…………髪が短けぇな」
 
 無理やりひねり出したような発言。
 本来思っていたことと異なりそうだが、髪型については自分でも気になっていたので、つい髪に手をやっていた。

「やっぱり……へん?」
「やっぱりってなんだよ。似合ってるっつったろ」
「(セトには言われてないような……?)わたしは、〈かがみ〉でみると、とても〈いわかん〉がある」
「見慣れねぇだけだろ。すぐ慣れる」

(鏡の中の自分には、もともと顔も身体も違和感があって——だから、よけい別人みたい)
 
 思うだけで、これは言えなかった。冗談にしては重い。
 セトにこんなことを言えば、私の記憶を捜すため、またハウスから出て行ってしまう——
 
(……?)
 
 自分の発想に、ふと引っ掛かりを覚えた。
 セトが、だろう。
 すこし傲慢ごうまんな思い込みが、当然のように浮かんだのは……なぜ?
 
 疑問に首を捻っていると、こちらの髪の先あたりを見ていたセトが——なんだか近い。
 以前並に戻っている距離感で、私に手を伸ばした。
 
 ——いつもなら、うっかり身を引いていた。
 あるいは脊髄反射のように肩が跳ねたり、震えたり。
 抑え込んでいる恐怖心のせいで、おびえてしまう癖があったのだが……
 
「まあ、これは切りすぎかもな」
 
 大きな手は、ふわりと私の首筋に触れた。
 でる指が皮膚をくすぐって、長髪のころと比べるみたいに髪の先をき、
 
「首が、いつも寒そうに見える」
 
 一段と近くなった距離で、低い声が鼓膜を震わせた。
 ぞわりと戦慄せんりつが走ったのは、怖いと思う気持ちではなく——
 
「ちょっとセト君、アリスちゃんに近づきすぎ」
 
 ベリっと。
 音が立ちそうな勢いで、ティアがセトを引き離した。いつのまに隣にやって来たのか。
 
「あぁ、わりぃ」

 ティアに取られた手を、セトはとくに怒ることなく、むしろ謝罪を交えて下ろした。
 
「セト君、アルコール入ってると油断ならないんだから……」
「いや、酔ってねぇよ」
「余計たち悪い」
「はぁ?」
 
 セトに注意をしてくれているティアの目が落ちて来て、「アリスちゃん、大丈夫?」
 あわてて「だいじょうぶ」と返したが、うまくごまかせただろうか。
 
(なにか、セトに対してもずっと違和感があるような……アトランティスで変な夢を見たせい……?)
 
 首に手を当てて、ティアの目から隠した。
 無防備にさらされた肌に熱がこもったのを、見抜かれていないといいのだけれど。
 
「——つぅか、話そうと思って忘れてたんだけどよ」

 ティアの目線から逃げようとしていたところ、言い訳の枕詞まくらことばが私へと掛けられた。
 ティアと一緒に、セトを見る。
 
「ラグーンに連れ攫われた事件あったろ?」
「……〈あかいくるま〉の?」
「車の色は知らねぇけど、それか? そのこと誰にも言ってねぇよな?」
「はい」
「俺がしたのは軽い報告だけだから、お前も詳細をあげといてくれ。ミヅキにしゃべればまとめてくれるから。ジャッカル迎えに行くついでに、外の拠点のとこからそのときのデータも取ってくる予定だ」
「……じゃっかる、もしかして、ずっとまってる……?」
「そっちかよ。いやまぁ、分かるけど。……心配すんな。あいつは待機なら慣れてる。えさも置いてあるし、狩りもできる。ちゃんと近場で待ってるはずだ」
「じゃっかる、えらいね」
「誰かも見ならってほしいよな」
「……?」
 
 鼻で笑うセトの顔に疑問を返していると、困った顔のティアが私を見つめて、
 
「逃げたから安心かと思ってたのに、アリスちゃんも外でひどい目にあったみたいだね? ほんと無事でよかったよ」
「ティアも、ぶじでよかった」
「今後はハウスに閉じこもってようね。遠征もしばらくやめよう?」
「………………」
「あれ? 同意は……?」
 
 下がるティアの眉じりに答える前に、「まだこっちの話が終わってねぇ」セトが口を挟んだ。
 
「ジャッカルとデータに加えて、ハオロンが“ラグーンにお礼をしに行く”っつってんだよ。ロキと俺は“必要ない”って反対したんだけどな。ウサギを一時保護してくれたことと、アトランティス侵入すんのにジェシーのIDを借りたみてぇだから、アトランティスとトラブルになってねぇか確認したいらしくて……あいつ、反対しても黙って独りで行っちまうだろうし。次の遠征で、俺と……サクラさんも、一緒に行くことになった。……で、お前どうする?」
「……どうする?」
「一緒に来るか?」
「いっしょに、いいの?」
「いや、俺は反対だ」
「???」
 
 思わず、首を思いっきり傾げていた。ティアも同じく「どういうこと?」意味が分からないという顔をしている。
 二重に注がれる疑問の視線に、セトは苦々しい表情で目を逸らし、

「ウサギが行きてぇなら口は出さねぇよ。俺の希望は関係ねぇしな」
「えっ、セト君どうしたの? あんなに過保護だったのに……なんで? どういう心境の変化?」
「なんでもいいだろ」
「よくないよ、すごく気になる」
「うるせぇな……そんで? ウサギ、お前どうする?」

 ティアを鬱陶うっとうしげに払って、セトは私を見返した。
 反対しているのに、私の意思に合わせてくれるらしい。
 
「……すこし、かんがえてもいい?」
「ああ。明日や明後日の話じゃねぇから。来週あたりの話だ」
「はい」
「それと——明日、どっか空いてる時間あるか?」
「?」
「護身術、やるか。随分と先延ばししちまったけど……一緒にって、約束しただろ」

 結ぶ視線の先にある金の眼が、意味したのは。
 サクラによるノルマの提案ではなく、もっと前の、セトが出て行ってしまう前の、
 
——じゃあ、また明日。
——はい。また、あさに。
 
「……はい!」
「ん、よし。初めてだから軽くな? 病みあがりだしな」
「(病みあがりでは、ない……)」
「おいティア、なに逃げようとしてんだ? お前もだからな?」
「えっ!」
 
 そろーっと場を離れようとしていたティアの肩を、セトが強く掴む。ドキリと跳ねるティアの肩を押さえたまま、セトは唇を斜めにして、
 
「お前、今月のノルマ全然クリアしてねぇだろ?」
「やっ……だって、今月ハウスジャックあったし……」
「それは一日で片付いたろ?」
「みんな怪我だらけだったし」
「お前はなんも怪我してねぇよな?」
「いやいや、僕は撃たれかけたんだよ。立派な心の傷があるの。思い出して震えが止まらない。PTSDだね」

(ハオロンみたいなこと言ってる……)
 
 スラスラと言い訳を吐くティアの口を見ながら、三つ編みの彼を重ねていると、
 
「ありす!」
 
 本物が、ぴょこんっと目の前に飛び出して来た。
 
「飲み終わったんなら、ありすも歌おっさ! セトも!」
 
 驚きで息を止めた私の腕を取って、ピアノの方へ。
 
「ハオロン、わたし〈ろっく〉はむりっ……」
「平気やって。ヘドバンさえしとけばぁ、それっぽくなるやろ!」
「(それは歌えないのでは……)」

 ピアノまで連れて来られると、振り返ったロキが私の肩を引き寄せた。
 
「ウサちゃん、オレらの聴いてた?」
「きいてた。(聞いてはいた。ちょっと後半は頭を素通りしてたけれども)」
「アリアの声、ロックになってきてねェ? こっちのが普段よりかっけェよな?」
「(え……)それは……どうかな……?」

 同意できずにいると、ハオロンが新たな楽譜をイシャンの前に映し出して、

「次はこれ歌おっさ!」
「……これはピアノの楽譜スコアではなく、ギタースコアなのだが………」
「いい感じにアレンジして!」
「(これが無茶振りというものだろうか……?)」
 
 真剣な顔をしているイシャンの横から、アリアが、
 
「ミヅキさん、ピアノで弾きやすいように書き換えてくれませんか?」
《はぁい!》
 
 白く浮かんだミヅキの立体投影が、楽しそうに音符を並べた。
 ピアノ前の楽譜は、黒いおたまじゃくしが整列していく。びっしりと。
 
「……イシャンさん、これは弾けますか?」
「支障ない。クラシックと違い、ロックは適当でいいとハオロンが言っていた」
「そういうものですか」
「ああ、そうらしい。困ったときは頭を振って誤魔化せ——とも言われている」
「ヘドバンというものですね? なるほど、あれは失敗を隠すために……」
 
 ……なにか、違う気がする。
 でも、正解を知らないので黙っておく。
 
「ありす、これ歌詞やよ!」
「ウサちゃん、読める?」
 
 私の前に映し出された文字を、目でたどってみる。
 なんとか読めそう。細かい意味までは考えていられないが、読むだけなら。

「はい、よめる」
「ほやったら、やろか! ほら、セトも!」
 
 離れていたセトも、ハオロンの手招きで寄ってくる。その前に、思い出したようにメルウィンの肩もたたいて、
 
「メルウィンも参加するだろ?」
「ぇ……僕は、ワインとか……」
「お前は呑まねぇだろ? 食ってもいねぇし。そろそろ参加しようぜ」
「ぅ……」
 
 うん。では、なかったと思う。
 かすれたうめき声みたいなメルウィンの返事は、セトやハオロンに理解されることなく、半強制的に観客サイドからこちら側へと巻き込まれた。
  
「しかも、ロック……無理だよ……」
 
 意気消沈のメルウィンに、アリアが優しくアドバイスの声を、
 
「大丈夫ですよ、メルウィンさん。うまく歌えないときは、音楽に合わせて頭を振れば解決するそうですから」
「(ぇ……絶対ちがうよ……)」
 
 メルウィンの気持ちは、直感で分かった。
 共感をもって同意するが、逃げ道はない。
 
「ロックは自由で素敵ですね」
 
 にこやかなアリアの笑顔に、激しいピアノの音が被さる。
 高音は少し不穏なメロディ。闇の中で揺らめく炎のような。
 戸惑いの私とメルウィンを残して重なる声は、練習の成果なくバラバラだった。
 
 ロックとは何か、私は理解しきれていない。
 けれども、アリアが言うように“ロックは自由”だというならば。
 
(……これは、すごくロックなのかも?)
 
 歌には乗れず、周りに合わせて唇だけ小さく動かす。
 仲間らしいメルウィンと目を合わせ、苦笑に近いかたちで、こっそりと笑い合っていた。
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