上 下
81 / 101
Chap.6 この心臓を突き刺して

Chap.6 Sec.5

しおりを挟む
 ウサギとユーグがいた部屋は、外部に出るためのドアが開かれたままだった。乗っ取り前の権限で、ユーグによって強制的に開けられ、そのまま。
 開かれたドア横で、身を隠して様子をうかがっていた青年——歓迎会のときにセトを迎えに来た——が、ほっと息をついた。
 
「……ユーグはやられたみたいだから、俺はもういいか?」
 
 青年のささやき声に応えたのは、
 
《——今しばらく待機するように》
 
 つややかな声で、端的な指示。青年を動かしていたのはサクラだった。
 ウサギは気づいていないが、彼女が「やめて」と叫んだ時点から、ハオロンのブレス端末との通信はたれていた。ロキのいるセーフハウスと海上都市を中継していたクルーザーから、サクラが干渉した。
 
 ヴァシリエフハウスのは、他人を護ることを得意としていない。自分の身を護るトレーニングに特化していて、誰かを——とりわけ弱い者を——護る機会を得てこなかった。ハウスで待機するイシャンですら、優先順位を設けて対処する護衛の訓練は受けているが、多数を等しく護ることは意識していない。
 多数を護ることを常に意識して、経験を積み重ねてきたのは、サクラだけになる。
 

「……ここにいるだけで、いいんだな? 誰かが危害を加えたら、システムを破壊すると言っていたが……」
《お前が指示どおり見張っているなら、破壊はしない》
「……ほんとだな?」
《お前は静かに見張れないのか?》
「………………」
 
 青年は、同じフロアに住んでいた。
 ロキがウサギの位置を把握したあとに、サクラは青年を先に向かわせていた。警備ロボは基地局から発信される偽情報に囚われているが、人は遣える。青年が身につけていた端末へ、サクラは直接指示を送りつけていた。
 
 彼女にナイフを突きつけていたユーグを、サクラはだろうに。
 静観していた。
 セトとハオロンの騒動も、しかり。
 
「……あなたは、セトやウサギの仲間じゃないのか」
《………………》
「どうして“今すぐ止めろ”と言わないんだ……?」
《静かに見張れ——と命じなければ黙れないようだな》
 
 冷淡な響きに、青年は口を閉ざした。青年はセトやウサギに対して多少の情があったのだろうが、アトランティスを危機にさらすほどではない。
 サクラの意図が気になったが、それ以上の言及はしなかった。
 
 部屋のなかでは、しびれと痛みから床に伏しているユーグに護身のバトンを向けつつ、彼女がリング端末を操作していた。
 通話が切れていることに気づいて、再発信し、
 
「ハオロン!」
《——ありす?》
「わたし、こっち、だいじょうぶ。そっちは……」
《黒いのは? どぉしたんや?》
「(黒いの?) ユーグ? ……なら、たおした」
《たおした? ……ありすが?》
「はい」
 
 通話の奥で、驚きの間があった。
 
「そっちは……?」
《通話切れたし、攻撃もやめたわ。セトはそっち行ったよ? あとは……ロキがありすのとこ繋がらんみたいやの?》

 ハオロンの声に被せて、《繋がった》ロキの声が短く応えた。
 
《ん? つまり? ……解決したんか?》
 
 疑問だらけの声で尋ねるハオロンに、ウサギが、
 
「かいけつ、まだ。モルガンさんに、かわってほしい」
《モルガンって……あんたやがの? ありすが、あんたと話したいって》
   
 ハオロンの声のあとに、低い声で《なんだ》と返事があった。
 
「……ユーグさんは、つかまえ、ました」
《すげぇなぁ? ウサギもヴァシリエフ教育受けてんのかぁ?》
 
 ハオロンから警戒の意を向けられているだろうに、モルガンは普段の気だるげな声で軽口をたたいた。
 しかし、
 
「……か、かえしてほしければ……セトを、かえしてください」
 
 ウサギの唐突な交換条件を受けて、彼にしては珍しく唖然あぜんとした空気で、
 
《……はぁ?》
「セトは、〈はうす〉に、ひつようなので……ここに、わたせない、です」
《ほぉ……つまり? セトを返すなら、ユーグは返してくれるってことかぁ?》
「そう、です」
《ユーグよりセトが必要だって言ったら、どうすんだ?》
「……〈はうす〉のみんなで、ここを、〈はかい〉するとおもいます」
《あ~交渉になってねぇなぁ~? ……まぁ、本気じゃねぇよ。セトよりユーグが大事だ。交渉に出してくるってことは……当然、生きてんだよな?》
「いきてる……でも、すこし、〈びりびり〉したので……たおれて、ます」
《感電させたのか? 過激な女だなぁ……》
「………………」
 
 なんと返したらいいのか分からずにウサギが困惑していると、部屋に飛び込んできたセトが、
 
「——ウサギ!」

 血だらけの頬をした彼女の姿に衝撃を受けたが、床に倒れ込むユーグとそこに向けられるバトンを見て、「???」混乱におちいる。
 ドアで待機していた青年は、サクラの指示を受けてすでに消えていた。
 
「なんだ? これどういう状況だ?」
「わたしが、ユーグさんを、たおした」

 セトを見上げる彼女の瞳に、かすかだが得意げな輝きがあったことは否めない。
 護られてばかりではないのだ——と、謙虚な主張が見えていた。
 
 そんな主張に気づかないセトは、床に転がるユーグの「スタン攻撃とか……無いっす」小さなうめき声を聞き取って、ようやく状況を把握した。
 把握したが、セトの口が発したのは、彼女が期待する——よくやった! などの——称賛ではなく、
 
「お前! その手どうなってんだ!?」
「……?」
「真っ赤じゃねぇか! 指も手も切れて……耳も切れてねぇかっ?」
「……〈ないふ〉をよけるの、すこし、しっぱいした、かも……?」
「なんで平然としてんだっ? 痛くねぇのか!?」
「……いま、とても……いたくなってきた……」
「治療! 今すぐ治療だろ!」
「……でも、ユーグさんが……」
「こいつはいいから! 縛っとくから早く治療してくれ!」
 
 血まみれの顔と傷まみれの手。恐慌をきたしたセトに激しくき立てられた彼女は、治療のために移動しようとしたが……ドアから医療ロボが入ってきたため、その場で治療をなされることとなった。
 修復の終わった基地局を通して、ロキが派遣したらしい。
 
《ウサちゃん、なんでそんなことになってンの……》
「ロキ! 〈けが〉、だいじょうぶっ?」
《いや大丈夫じゃねェよ……それ神経いってねェ? ……いってるよな。手術が要るじゃん……》
「? ……ロキは、げんき?」
《何言ってンの……? 痛みでおかしくなってンの……?》
 
 医療ロボの診断越しに真っ赤な手の状態を把握したロキと、2日ほど日にち感覚がずれている彼女は、互いにそれぞれの怪我けがを心配していたが……み合っていない。
 
 ユーグを拘束し終えたセトが、彼女の横までやって来て、
 
「……大丈夫か」
「はい」
「いや、大丈夫じゃねぇよな……」
「いえ、もう、だいじょうぶ」
「………………」
「……それよりも、セトに、はなしがある」
「話?」 

 ダイニングのイスに腰掛け、医療ロボに簡易的な治療を施されながら、ウサギはセトを見上げた。
 
「〈はうす〉に、かえろうと、おもう。〈そと〉は……こわい」
「……ああ、そうだな。ハウスで手術したほうが……」 
「——セトも、いっしょに」

 彼女の声が、セトの言葉を遮った。
 
「〈そと〉に、セトだけなんて、のこしていけない。〈はうす〉にいてほしい」
「………………」
「みんな、セトにいてほしいとおもう」
「………………」
「……わたしも、いてほしい」

 無言で眉間を細めたセトは、少しばかり動揺しているように見えた。

「さいごに、ひきとめなかったこと……わたしは、〈こうかい〉してる。……だから、いま、ひきとめようとおもう」

 傷がないほうの手を伸ばして、けれども、血に濡れていることに気づいて、わずかに躊躇ちゅうちょしたが。
 思いきったように、セトの手を掴んだ。
 
「いっしょに、かえってほしい」
 
——いっしょに、いてほしい。
 
 彼女の言葉に、セトの脳裏で重なったのは、
 

「……おねがい、します」
「………………」
「……ちょこれーと、いっぱいつくるので。メルウィンと」

 真面目な顔で提案され、セトは苦笑ぎみに吐息した。
 彼女の希望を、振り払えるわけがない。

——そばにいるだろ。これからもずっと。それは約束する。

 消えたはずの約束は、セトの胸に刺さったまま——。
しおりを挟む
感想 24

あなたにおすすめの小説

月の後宮~孤高の皇帝の寵姫~

真木
恋愛
新皇帝セルヴィウスが即位の日に閨に引きずり込んだのは、まだ十三歳の皇妹セシルだった。大好きだった兄皇帝の突然の行為に混乱し、心を閉ざすセシル。それから十年後、セシルの心が見えないまま、セルヴィウスはある決断をすることになるのだが……。

致死量の愛と泡沫に+

藤香いつき
キャラ文芸
近未来の終末世界。 世間から隔離された森の城館で、ひっそりと暮らす8人の青年たち。 記憶のない“あなた”は彼らに拾われ、共に暮らしていたが——外の世界に攫われたり、囚われたりしながらも、再び城で平穏な日々を取り戻したところ。 泡沫(うたかた)の物語を終えたあとの、日常のお話を中心に。 ※致死量シリーズ 【致死量の愛と泡沫に】その後のエピソード。 表紙はJohn William Waterhous【The Siren】より。

イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?

すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。 翔馬「俺、チャーハン。」 宏斗「俺もー。」 航平「俺、から揚げつけてー。」 優弥「俺はスープ付き。」 みんなガタイがよく、男前。 ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」 慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。 終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。 ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」 保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。 私は子供と一緒に・・・暮らしてる。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 翔馬「おいおい嘘だろ?」 宏斗「子供・・・いたんだ・・。」 航平「いくつん時の子だよ・・・・。」 優弥「マジか・・・。」 消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。 太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。 「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」 「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」 ※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。 ※感想やコメントは受け付けることができません。 メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。 楽しんでいただけたら嬉しく思います。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?

すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。 「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」 家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。 「私は母親じゃない・・・!」 そう言って家を飛び出した。 夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。 「何があった?送ってく。」 それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。 「俺と・・・結婚してほしい。」 「!?」 突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。 かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。 そんな彼に、私は想いを返したい。 「俺に・・・全てを見せて。」 苦手意識の強かった『営み』。 彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。 「いあぁぁぁっ・・!!」 「感じやすいんだな・・・。」 ※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。 ※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。 それではお楽しみください。すずなり。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

イケメン彼氏は警察官!甘い夜に私の体は溶けていく。

すずなり。
恋愛
人数合わせで参加した合コン。 そこで私は一人の男の人と出会う。 「俺には分かる。キミはきっと俺を好きになる。」 そんな言葉をかけてきた彼。 でも私には秘密があった。 「キミ・・・目が・・?」 「気持ち悪いでしょ?ごめんなさい・・・。」 ちゃんと私のことを伝えたのに、彼は食い下がる。 「お願いだから俺を好きになって・・・。」 その言葉を聞いてお付き合いが始まる。 「やぁぁっ・・!」 「どこが『や』なんだよ・・・こんなに蜜を溢れさせて・・・。」 激しくなっていく夜の生活。 私の身はもつの!? ※お話の内容は全て想像のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※表現不足は重々承知しております。まだまだ勉強してまいりますので温かい目で見ていただけたら幸いです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 では、お楽しみください。

モヒート・モスキート・モヒート

片喰 一歌
恋愛
「今度はどんな男の子供なんですか?」 「……どこにでもいる、冴えない男?」 (※本編より抜粋) 主人公・翠には気になるヒトがいた。行きつけのバーでたまに見かけるふくよかで妖艶な美女だ。 毎回別の男性と同伴している彼女だったが、その日はなぜか女性である翠に話しかけてきて……。 紅と名乗った彼女と親しくなり始めた頃、翠は『マダム・ルージュ』なる人物の噂を耳にする。 名前だけでなく、他にも共通点のある二人の関連とは? 途中まで恋と同時に謎が展開しますが、メインはあくまで恋愛です。

処理中です...