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Chap.5 The Bubble-Like Honeymoon
Chap.5 Sec.5
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入浴は、彼女の身体に目を向けないことで乗り越えた。
寝室に期待したが、ひとつしかないベッドに(もちろん悪い意味で)裏切られ、一向に距離を置こうとしない彼女が眠るまで見守った。
眠って起きれば、元どおりになる。
短絡的なセトの考えは、翌日あっさりと否定されていた。
「おはよう!」
しっかりと睡眠をとったウサギの笑顔が、陽光を存分に招いたリビングで、長ソファに座るセトへとまぶしく向けられていた。
「……はよ」
「セト、げんきない? ねむれてない?」
「………………」
(……あのな。俺はお前が風呂入ってるあいだも寝付くまでも地獄だったんだぞ。なんの試練だよ。お前はベッドで健やかに眠ったけどな。こっちはソファに移動してからも全然眠れてねぇんだよ。ほんとは嫌がらせで俺のこと試してねぇか?)
寝不足の思考はすこしダークに傾いている。もやの掛かった頭で細く見返しつつ、「いや、元気だ。なんも問題ねぇよ」投げやりに答えていた。
「セト、いつおきたの?」
「……お前が起きる少し前」
「おこしてくれて、よかったよ」
「……そうか」
「ごはんは? たべた?」
「まだ」
「いっしょに、たべよう」
「おう……」
寝ているあいだ隣にいなかったことを、彼女は知らないらしい。
「セトは、こーひー?」
「ああ」
加工食マシンに朝食セットのオーダーを入れて、棚からカップを取り、直接排出される珈琲を入れている。ロボがいるのに指示しない。本来の彼女にもよくあることなので、今さら気にはならない。
明るいようすの彼女に、ほっとしつつも、
(——いや、なんも解決してなくねぇか?)
疲労で弱くなっているのだと思っていた彼女は、睡眠ばっちりの元気な姿を見せているというのに、変わらずセトに親しげだった。
むしろ、
「きょうも、おしごと?」
「ああ」
「おやすみは、いつ?」
「休みなんてねぇよ」
「やすみが……ない?」
食卓で手にしていたパンを、ピタリと空間に止め、衝撃の顔つきで瞠目する。彼女の表情に(そんな驚くことか?)セトも1秒だけ動きを止めた。
深刻な顔をした彼女は、だんだんと悲しげに。
「セトは、〈まいにち〉いない……」
「……いや、朝と夜はいるからな?」
「………………」
「はっ? お前まさか泣こうとしてねぇか!?」
ぎょっとしたセトの前で、瞳が涙に覆われていく。今にもシクシクと泣き出しそうな彼女に激しく動揺しながら、「べつに俺がいなくても平気だろっ?」もっともな主張を述べてみると、涙は止まったようだが……落ち込む表情は変わらない。
問題が解決するどころか、むしろ悪化している。
悲しげな空気を残してテーブルの上に目を落とした彼女は、
「〈べんきょう〉を、がんばります。セトのてつだいが、できるように……」
肩を落としてはいるが、わずかに前向きの思考でつぶやいた。
止めていたパンをちぎって、口へと運ぶ。セトを困らせるまいと思ったのか、結ばれた唇は静かになった。
広い室内には、食事の音だけが細々と聞こえている。
当惑させられたセトは、しばらく口ごもっていたが、
「……本気で、俺と一緒にいたいと思ってんのか?」
そっと尋ねた声に、彼女の瞳が上がった。セトを見返す目は、「はい」肯定に加え、きょとりと疑問を含んでいる。
「一時の気の迷いじゃねぇか? あとで“やっぱり無し”ってならねぇ?」
「はい」
「……ほんとだな?」
「? はい、ほんとうに」
「………………」
「………………?」
「……なら、ここで仕事できるようにする……ことも、できるけど」
濁すような言い方で提案してみる。
すると、向かいで、ぱっと輝く瞳が、
「ほんとう?」
「……ああ、まぁ。直接は繋げねぇから、あそこの端末を遠隔で操作するっつぅ……多少ややこしいことになるけど、できるだろ」
「すごい。セトは、かしこいね?」
(いや、ロキやサクラさんなら、そもそもとっくに片付いてる)
思ったが、言わずにいた。
ウサギがうっかり思い出して、「ハウスはどうなってるの?」と訊かれても答えられない。
提案してみたものの、半分くらいは流す気でいた。反応が悪かったらすぐにでも取り消すつもりでいた。
しかし、話を聞いたウサギは心から嬉しそうにして、
「ここで〈おしごと〉できたら、ずっといっしょにいられる?」
「そうなるけど。……お前それで、ほんっとうにいいんだな? 取り消すなら今だぞ?」
「どうして、とりけすの?」
「どうしてって……」
言葉に詰まるセトに、彼女は小首をかしげ、
「いっしょにいられるのは、とてもうれしい」
屈託のない笑顔が、迷いを取り払ってセトの背中を押していた。
どういう心境の変化なのか。
ハウスを出て不安なのか、知らない人間ばかりで孤独なのか、それとも——。
「その言葉……頼むから、忘れんなよ」
「? はい、もちろん」
都合よく捉えてしまいそうになる自分を、胸中で叱咤する。
とにもかくにも、一度コントロールタワーに出向いて、さっさと遠隔操作の準備をしてしまおう。
ユーグあたりから、
——そんなに離れたくないんすか。
無表情のからかいを受ける予感がするが、どうでもいい。
——いっしょにいられるのは、とてもうれしい。
こんなことで笑顔にできるなら。
セトにとって、これ以上のことはない。
奇しくも得た時間のなかで、少しでも過去を取り戻せることを願っていた。
寝室に期待したが、ひとつしかないベッドに(もちろん悪い意味で)裏切られ、一向に距離を置こうとしない彼女が眠るまで見守った。
眠って起きれば、元どおりになる。
短絡的なセトの考えは、翌日あっさりと否定されていた。
「おはよう!」
しっかりと睡眠をとったウサギの笑顔が、陽光を存分に招いたリビングで、長ソファに座るセトへとまぶしく向けられていた。
「……はよ」
「セト、げんきない? ねむれてない?」
「………………」
(……あのな。俺はお前が風呂入ってるあいだも寝付くまでも地獄だったんだぞ。なんの試練だよ。お前はベッドで健やかに眠ったけどな。こっちはソファに移動してからも全然眠れてねぇんだよ。ほんとは嫌がらせで俺のこと試してねぇか?)
寝不足の思考はすこしダークに傾いている。もやの掛かった頭で細く見返しつつ、「いや、元気だ。なんも問題ねぇよ」投げやりに答えていた。
「セト、いつおきたの?」
「……お前が起きる少し前」
「おこしてくれて、よかったよ」
「……そうか」
「ごはんは? たべた?」
「まだ」
「いっしょに、たべよう」
「おう……」
寝ているあいだ隣にいなかったことを、彼女は知らないらしい。
「セトは、こーひー?」
「ああ」
加工食マシンに朝食セットのオーダーを入れて、棚からカップを取り、直接排出される珈琲を入れている。ロボがいるのに指示しない。本来の彼女にもよくあることなので、今さら気にはならない。
明るいようすの彼女に、ほっとしつつも、
(——いや、なんも解決してなくねぇか?)
疲労で弱くなっているのだと思っていた彼女は、睡眠ばっちりの元気な姿を見せているというのに、変わらずセトに親しげだった。
むしろ、
「きょうも、おしごと?」
「ああ」
「おやすみは、いつ?」
「休みなんてねぇよ」
「やすみが……ない?」
食卓で手にしていたパンを、ピタリと空間に止め、衝撃の顔つきで瞠目する。彼女の表情に(そんな驚くことか?)セトも1秒だけ動きを止めた。
深刻な顔をした彼女は、だんだんと悲しげに。
「セトは、〈まいにち〉いない……」
「……いや、朝と夜はいるからな?」
「………………」
「はっ? お前まさか泣こうとしてねぇか!?」
ぎょっとしたセトの前で、瞳が涙に覆われていく。今にもシクシクと泣き出しそうな彼女に激しく動揺しながら、「べつに俺がいなくても平気だろっ?」もっともな主張を述べてみると、涙は止まったようだが……落ち込む表情は変わらない。
問題が解決するどころか、むしろ悪化している。
悲しげな空気を残してテーブルの上に目を落とした彼女は、
「〈べんきょう〉を、がんばります。セトのてつだいが、できるように……」
肩を落としてはいるが、わずかに前向きの思考でつぶやいた。
止めていたパンをちぎって、口へと運ぶ。セトを困らせるまいと思ったのか、結ばれた唇は静かになった。
広い室内には、食事の音だけが細々と聞こえている。
当惑させられたセトは、しばらく口ごもっていたが、
「……本気で、俺と一緒にいたいと思ってんのか?」
そっと尋ねた声に、彼女の瞳が上がった。セトを見返す目は、「はい」肯定に加え、きょとりと疑問を含んでいる。
「一時の気の迷いじゃねぇか? あとで“やっぱり無し”ってならねぇ?」
「はい」
「……ほんとだな?」
「? はい、ほんとうに」
「………………」
「………………?」
「……なら、ここで仕事できるようにする……ことも、できるけど」
濁すような言い方で提案してみる。
すると、向かいで、ぱっと輝く瞳が、
「ほんとう?」
「……ああ、まぁ。直接は繋げねぇから、あそこの端末を遠隔で操作するっつぅ……多少ややこしいことになるけど、できるだろ」
「すごい。セトは、かしこいね?」
(いや、ロキやサクラさんなら、そもそもとっくに片付いてる)
思ったが、言わずにいた。
ウサギがうっかり思い出して、「ハウスはどうなってるの?」と訊かれても答えられない。
提案してみたものの、半分くらいは流す気でいた。反応が悪かったらすぐにでも取り消すつもりでいた。
しかし、話を聞いたウサギは心から嬉しそうにして、
「ここで〈おしごと〉できたら、ずっといっしょにいられる?」
「そうなるけど。……お前それで、ほんっとうにいいんだな? 取り消すなら今だぞ?」
「どうして、とりけすの?」
「どうしてって……」
言葉に詰まるセトに、彼女は小首をかしげ、
「いっしょにいられるのは、とてもうれしい」
屈託のない笑顔が、迷いを取り払ってセトの背中を押していた。
どういう心境の変化なのか。
ハウスを出て不安なのか、知らない人間ばかりで孤独なのか、それとも——。
「その言葉……頼むから、忘れんなよ」
「? はい、もちろん」
都合よく捉えてしまいそうになる自分を、胸中で叱咤する。
とにもかくにも、一度コントロールタワーに出向いて、さっさと遠隔操作の準備をしてしまおう。
ユーグあたりから、
——そんなに離れたくないんすか。
無表情のからかいを受ける予感がするが、どうでもいい。
——いっしょにいられるのは、とてもうれしい。
こんなことで笑顔にできるなら。
セトにとって、これ以上のことはない。
奇しくも得た時間のなかで、少しでも過去を取り戻せることを願っていた。
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