【完結】致死量の愛と泡沫に

藤香いつき

文字の大きさ
上 下
60 / 101
Chap.5 The Bubble-Like Honeymoon

Chap.5 Sec.3

しおりを挟む
《いつ、かえってくる?》

 深刻そうなウサギの声でメッセージが届いたのは、21時頃。
 見張りと称したユーグは端末でミニゲームに興じて静かだったため、作業に没頭していたセトは通知によって現実に引き戻された。
 
 心配になって通話してみたところ、奇跡的に家にいるらしい。家はアトランティス中央部のタワーのひとつ、最上階にあたる8階のフロアの一室。ここからすぐ隣のタワーとなるので、近いといえば近い。
 何かあったのかと問えば、何もないと言う。
 
《ゆうしょくの〈じかん〉には、かえってくると……おもってたから……まだかな、と、おもった》

 重々しい声のわりには、とくに問題がないらしい。
 セトは内心で首をひねりつつ、作業効率からみても(もう明日でいいな)と一気にやる気を奪われ、
 
「——そうだな。もう帰るか」
《それなら……ごはん、いっしょにたべられる?》
「ん……? まだ食べてねぇのか?」
《はい。セトと、いっしょにたべようとおもって》
 
(何してんだ、俺のことはいいから先に食べてろよ)
 という意見は、別の気持ちにさらわれて口にできなかった。
 戸惑いから泳がせた視線の先に、ユーグの顔が。
 
「僕も帰りたいっす、疲れたんで」
「(お前はなんもしてねぇだろ)」

 口パクで文句を返してから、
 
「じゃあ、今から帰る」
《はい、まってます》
 
 トーンの上がった声が、まるで嬉しそうに響いた。

——まってます。
 
 幻聴のような余韻に感情を翻弄ほんろうされながらも、セトは家路についた。
 
 タワーを上がるエレベータ内で気持ちを落ち着けて、彼女の待つ家へと。
 平常心を心がけて開いたドアの先から、ふわりと笑う顔が、
 
「セトっ」

 明るい声を鳴らして、セトへと抱きついた。
 
「——!?」
 
 声にならない声が、セトの喉から出ていた。
 「はっ?」なのか「うわっ」なのか。驚きに満ちた気持ちは声にならず、代わりに全身で硬直していた。
 
 セトのあご下に収まった頭が、くっついたまま上を向く。
 硬化したセトを見上げる瞳は、嬉しそうにほころんでいた。
 その、顔で、
 
「あいたかった」
 
 とどめの一言。
 泣きそうにも見えてしまう感情のあふれた顔が、セトに向けて微笑み、固まっていたセトも思わずその身体に手を回そうとして、
 
 ——いや、違うだろ!
 鋭く突っこんで、浅はかな自分自身を全力で制御した。
 
 こちらを見上げたまま、にこにこと笑う顔。
 混乱を極める頭をフル回転させて、
 
「——そうか、俺いま疲れてんだな。空耳だな?」
「? ……ソラミミ?」
「わりぃけど、もっかい言ってくれねぇか? すげぇ聞き違いしちまった」
「もういっかい? セトに、あいたかった?」
「…………あぁ、あれか。外も知らねぇやつらばっかだしな。知り合いは俺しかいねぇしな。っつぅわけじゃなくて、知ってるやつに会うと安心する、みてぇなもんか」
「?」
 
 笑顔のまま首を傾ける彼女。セトの早口は聞き取れていない。
 疲弊した脳で精一杯この状況を捉えようと努力するセトは、ふと室内の様子に目がいった。

 広々とした空間。調理マシンの収納された棚は入り口から見て正面にあって、その前には簡単なカウンターとダイニングテーブル。向かい合うイスがふたつ。左手は空間を仕切ることなくリビングになっていて、長ソファとローテーブルが置かれていた。暖炉を模したインテリアまである。
 空間を豊かに使った室内は、朝のだだっ広い空間とサイズがあまり変わらない。天井は映像によって本来よりも高く見えているにしても、右手の狭まっている分はバスルームを含んであと一部屋分くらいしかない。——個室がまったくない。
 
「……なあ、この部屋、誰がデザインした?」
「〈でざいん〉なら、わたしがしました」
 
 どうかな?
 とばかりに反応を期待する目に、さらなる困惑が。

——俺とお前で住むことになるけど、生活空間分けてくれればいいから。
 
 そう言った手前、がっつり仕切られて当然だと考えていた。
 調理マシンを挟んでそれぞれのプライベートエリアかも知んねぇな、と。だいたいの見当をつけていたのだが……なんだこれ。
 
「……いちおう訊くぞ?」
「?」
「あっちの部屋、なんだ?」
 
 右手の壁に並ぶ、3つのドア。その一番右。
 
「あれは〈といれ〉」
「……真ん中は?」
「あれは、〈しゃわー〉と〈おふろ〉と〈せんめんじょ〉がある」
「……左端は?」
「〈しんしつ〉。〈べっど〉がある」
「……お前、もしかして俺の生活空間いらねぇと思ってんのか?」
「?」
「……いや、俺の……せめて寝る場所は?」
「いっしょに、ねないの?」
「——は?」
 
 見上げる顔が、さも当然と言ったふうに尋ねるものだから、セトの混乱は頂点を極めきって停止した。
 いまだくっついたままの彼女に戸惑いながら、それでも離れるには惜しいのか、動けずにいる。
 
「……そういや、メシは?」
「おなか、すいてます」
「だよな……とりあえず食べるか。俺らどっちも疲労と空腹でおかしいみてぇだから」
「おしごと、たいへん、だった?」
「ああ、まぁ……それなりに」
 
 思考停止した頭は、空腹を覚えていた。
 せっかくおびえることなく寄ってきた彼女を、セトは離したくはなかっただろうが、栄養の摂れていない彼女の身体が案じられた。

 彼女の背後にあたるダイニング空間へ、移動を促そうとすると、
 
「おしごと、おつかれさま。わたしのために、ありがとう」
 
 ふわりと笑う、好意あふれる表情と言葉が胸を打つ。
 小さな唇が、優しくほころび、
 
「——おかえりなさい」
 
 ハウス特有の、『おかえり』。彼女の母国語になるらしい、やわらかで懐かしい響きを耳にした瞬間、
 
 疲労と空腹の混乱にあまえて、片手だけでその身体を抱きしめ返していた。
 
「……ただいま」
 
 親しみのハグと言い訳できる程度に。
 気持ちだけは——いとしさを込めて。
しおりを挟む
感想 24

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

『 ゆりかご 』  ◉諸事情で非公開予定ですが読んでくださる方がいらっしゃるのでもう少しこのままにしておきます。

設樂理沙
ライト文芸
皆さま、ご訪問いただきありがとうございます。 最初2/10に非公開の予告文を書いていたのですが読んで くださる方が増えましたので2/20頃に変更しました。 古い作品ですが、有難いことです。😇       - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - " 揺り篭 " 不倫の後で 2016.02.26 連載開始 の加筆修正有版になります。 2022.7.30 再掲載          ・・・・・・・・・・・  夫の不倫で、信頼もプライドも根こそぎ奪われてしまった・・  その後で私に残されたものは・・。            ・・・・・・・・・・ 💛イラストはAI生成画像自作  

ヤンデレエリートの執愛婚で懐妊させられます

沖田弥子
恋愛
職場の後輩に恋人を略奪された澪。終業後に堪えきれず泣いていたところを、営業部のエリート社員、天王寺明夜に見つかってしまう。彼に優しく慰められながら居酒屋で事の顛末を話していたが、なぜか明夜と一夜を過ごすことに――!? 明夜は傷心した自分を慰めてくれただけだ、と考える澪だったが、翌朝「責任をとってほしい」と明夜に迫られ、婚姻届にサインしてしまった。突如始まった新婚生活。明夜は澪の心と身体を幸せで満たしてくれていたが、徐々に明夜のヤンデレな一面が見えてきて――執着強めな旦那様との極上溺愛ラブストーリー!

サドガシマ作戦、2025年初冬、ロシア共和国は突如として佐渡ヶ島に侵攻した。

セキトネリ
ライト文芸
2025年初冬、ウクライナ戦役が膠着状態の中、ロシア連邦東部軍管区(旧極東軍管区)は突如北海道北部と佐渡ヶ島に侵攻。総責任者は東部軍管区ジトコ大将だった。北海道はダミーで狙いは佐渡ヶ島のガメラレーダーであった。これは中国の南西諸島侵攻と台湾侵攻を援助するための密約のためだった。同時に北朝鮮は38度線を越え、ソウルを占拠した。在韓米軍に対しては戦術核の電磁パルス攻撃で米軍を朝鮮半島から駆逐、日本に退避させた。 その中、欧州ロシアに対して、東部軍管区ジトコ大将はロシア連邦からの離脱を決断、中央軍管区と図ってオビ川以東の領土を東ロシア共和国として独立を宣言、日本との相互安保条約を結んだ。 佐渡ヶ島侵攻(通称サドガシマ作戦、Operation Sadogashima)の副指揮官はジトコ大将の娘エレーナ少佐だ。エレーナ少佐率いる東ロシア共和国軍女性部隊二千人は、北朝鮮のホバークラフトによる上陸作戦を陸自水陸機動団と阻止する。 ※このシリーズはカクヨム版「サドガシマ作戦(https://kakuyomu.jp/works/16818093092605918428)」と重複しています。ただし、カクヨムではできない説明用の軍事地図、武器詳細はこちらで掲載しております。 ※この物語は、法律・法令に反する行為を容認・推奨するものではありません。

日本列島、時震により転移す!

黄昏人
ファンタジー
2023年(現在)、日本列島が後に時震と呼ばれる現象により、500年以上の時を超え1492年(過去)の世界に転移した。移転したのは本州、四国、九州とその周辺の島々であり、現在の日本は過去の時代に飛ばされ、過去の日本は現在の世界に飛ばされた。飛ばされた現在の日本はその文明を支え、国民を食わせるためには早急に莫大な資源と食料が必要である。過去の日本は現在の世界を意識できないが、取り残された北海道と沖縄は国富の大部分を失い、戦国日本を抱え途方にくれる。人々は、政府は何を思いどうふるまうのか。

異世界の貴族に転生できたのに、2歳で父親が殺されました。

克全
ファンタジー
アルファポリスオンリー:ファンタジー世界の仮想戦記です、試し読みとお気に入り登録お願いします。

会社の上司の妻との禁断の関係に溺れた男の物語

六角
恋愛
日本の大都市で働くサラリーマンが、偶然出会った上司の妻に一目惚れしてしまう。彼女に強く引き寄せられるように、彼女との禁断の関係に溺れていく。しかし、会社に知られてしまい、別れを余儀なくされる。彼女との別れに苦しみ、彼女を忘れることができずにいる。彼女との関係は、運命的なものであり、彼女との愛は一生忘れることができない。

処理中です...