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Chap.4 剣戟の宴

Chap.4 Sec.15

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 ある夜、テオドーが私に言った。

——ヴァシリエフハウス、今なら落とせるかも。話せない女に弱いだろうってさ。マガリー、俺とやってみない?

 頭もわるい、力もない、単純作業も遅い。アトランティスで男性の相手をするしか仕事がなかった私を、初めて必要としてくれたひと。
 その彼は今、目の前で——
 
 
「……ひどい」
 
 小さな部屋の中央に、イスがあった。
 座る者の手足を固定する、不自由なイス。
 透明の壁の向こうに見える彼は、マガリーと同じイスに座らせられていた。そばに立つハオロンによって、その手足の、指先が、
 
「それだけのことをした——とは、思えないか?」
 
 傍らから落ちた静かな声に、目を上げる。
 向こうの様子を眺めていても、蒼白なマガリーを見ても、顔色ひとつ変えない人形の顔。サクラの青い眼は、いだ海と同じように平坦へいたんだった。
 まともな人間じゃない。
 絶望のふちにいる者を見下ろす冷淡な顔つきに、マガリーの手脚は震えていた。
 
 ハオロンは気を失ったテオドーの許を離れたかと思うと、こちらの部屋へと入ってきた。
 
「あかんわ、なんも詳細でてこん」
 
 両肩を上げて、ため息をつく。場違いな空気感で残念がる彼に、サクラは「そのようだね」一部始終を眺めていたため短く応えただけだった。
 
「端末は? ミヅキのほう、結果でたんやろか?」
「指示を出していた通信先は特定できたようだね」
「そぉなんか。……うち、現地まで行って見てこよかぁ?」
「そこまでしなくてもいい。罠の可能性もあるからね。ロボに確認させればいいだろう」
「それしたらられるか壊される可能性あるがの?」
「お前に何かあるよりは、ロボを一台失うほうがいい」

 ハオロンの無言の目が、サクラを見上げる。何かを思ったけれど、言葉にはできなかった。そんな顔をしていた。
 ハオロンは、真っ青な顔をしたマガリーに目を流して、
 
「……こっちも、実験に使うんか?」
「何かあるのか?」
「実験は、サクラさんの好きにしてくれていいんやけど……とどめは、うちが刺していい? 裏切り者は、自分の手で始末して……最期を見届けんと、安心できんのやって」
「“解放する”という選択肢は、お前に無いんだね?」

 動きのないサクラの瞳が、そっとハオロンを捉える。
 わずかに黙り込んだハオロンは、その瞳を見返して、ぽつりと。
 
ゆるせん。これを赦したら、うちは……うしなってきたものの価値が、自分のなかで釣り合わんくなる。例外は、認められん」
「——そうか」
 
 自分の処遇を理解したマガリーに、ハオロンが冷たく微笑みをかけた。
 
「命いは無意味やし、せんといての? 最期に言い残すことでもあるかぁ?」
「……あんなに親しく過ごしたのに……私のこと、簡単に殺せるの……?」
「先に裏切ったのはそっちやよ? あと……うち、裏切りは赦さんタイプの人間やから。裏切ったもんはみんなこの手で始末してきたわ——、ぜんぶ」
 
 目が、いとけなく笑う。
 背筋に走る寒気から、マガリーは小さく唱えた。
 
「異常者だわ。あなたたち、みんな……おかしい」

 震える声は、しかしながら、まともなことを訴えるように芯があった。
 水色の眼は確信を帯び、サクラとハオロンのふたりに意識を向け、
 
「私——知ってるわ。あなたたちが、アリスに何をしたか。それなのに、図々しくも家族のように振るまって——なかったかのようにしてる」
「……それは、あんたに関係ないやろ」
「あなたたちが洗脳してるだけでしょう? 何も分からないアリスを都合よく利用して——甘えてるだけなのに。だいたいアリスはどこへ行ったの? 隠れてるの? それとも——目がめて逃げてしまった? あなたたちにされたことのひどさを思い出して——」
 
 ヒュッと、空を切る音が鳴った。
 ハオロンの振り抜いた手の先で、鋭利なナイフが光っている。理解したときには、マガリーの首筋から血が流れていた。
 
「あ、うぁ……」

 切り裂かれた喉を押さえようとしたが、自身の手は動きはしない。痛みよりも、あふれ落ちていく生命の熱が——あついと、感じていた。
 ハオロンは背を向けていた。部屋から廊下へと抜けていく小柄な背に、水色の眼がうらむように向けられていたが、

「——お前は、何も分かっていなかったようだね」
 
 ふと、独り言のような音色が、その脳を揺さぶった。

 にじむ視界は、ハオロンの背から落ちて自分の胸を映していた。流れる血で染まりゆく、赤い身体。声の先に目を上げようとしたけれど、うまく上げられない。
 えわたるような頭に、彼の声はよく響いた。

「お前に優しくしていた者たちは、お前の言葉を信じたいと思っていた者たちだ。あの子たちは、裏切られる可能性をいつも考慮している。それでも、お前に優しくしようとしたのは——仮に、お前に悪意があった場合でも、お前自身があの子たちに信用されることで——親しみが湧くことで——心変わりする可能性を願っていたからだ。……があったから、リスクを負ってまでして、希望を見出そうとしていた。……お前には、無意味だったようだが」
  
 ドクドクと脈打つのは、裂かれた喉なのか、この胸なのか。
 息が苦しい。血を失う頭は、言葉を捉えているのに——理解したくない。
 

——アリス。私、ここにいてもいい?
——はい、もちろん。わたしは、ここにいてほしい。

 
 心にもない質問に、心から答えてくれた彼女の顔が浮かぶ。
 
 利用されて、可哀想だと思った子。
 私と似てる。
 それなのに、大事にされていて——羨ましいと思った子。
 
「……苦しいか?」
 
 なめらかな死神の声は、恐ろしいほど色がない。
 感情の響かない声は、かすかに微笑むような音で最後の言葉を——
 
「いっそ楽にしてあげようか。のことを黙っていてくれたことだけは、感謝しているからね……」
 
 血でおぼれる苦しみに、答えのない問いだけが胸に刺さっていた。


(私が変われば、未来は変えられた?)


 その先は、ただくらい闇へと消えていく…………
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