【完結】致死量の愛と泡沫に

藤香いつき

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Chap.4 剣戟の宴

Chap.4 Sec.10

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「あの……」
 
 話す言葉も分からずに口を開いていた。
 セトはソファから離れてベッドに腰掛けていた。反応はない。聞こえていないはずはないと思うが……
 
 様子をうかがうべく視線を投げると、目がこちらを向いた。その目はわっている。

「だいじょうぶ……?」
「……あちぃ」
 
 見るからに熱っぽい。アルコールを摂取したときの高揚感めいたものが伝わってくるが……表情は辛そうで、風邪で高熱を出しているようにも見える。
 あつい、と訴えたセトは、すでに先ほど革のジャケットを脱いでいた。V字に深く開いたインナーから見える肌もうっすらと赤みを帯びていて、熱はどんどん上がっているように見える。
 苦しそうな姿に、なんとかしてあげたいけれど……
 
——あぁ、襲いたくなる薬、で伝わるか。
 
 モルガンの、見下すような笑い声。
 はじめ、彼らふたりの関係性は良好だと思っていた。セトの声は鋭かったけれど、ティアとするみたいな掛け合いなのだろう、そう思っていたのに、モルガンが最後に残したのは本当にあざけるような笑い方だった。
 
(どうして、こんなこと……)
 
 ここ数日思い知らされているが、の世界は怖い。
 感染者だけではなく——の人間が、怖い。
 
 この世界で目覚めてから、ずっとヴァシリエフハウスのひとたちが——とりわけサクラが——異常なのだと思っていた。私の人権を無視した対応は、であって、出会うひとたちが違ったら、もっとまともに受け入れてもらえたのだろう——と。漠然とではあったが、そのように思っていた。
 
(……でも、)

 遠征中のモーターホームを襲ったひとたち。
 感染者をとして使うラグーンシティ。
 他人に薬を投与して遊んでいるモルガン。
 どこの誰か分からないが、私をラグーンシティの感染者の所へ放り込んだひとも——。
 
 じゃない。
 どこも、倫理観は失われている。
 
 そして、何よりのひとたちは、ヴァシリエフハウスに対して怖い。
 優しいと思ったジゼルたちでさえ……と称してセトを感染者のいるエリアに送り込んでいた。彼が死ぬ可能性を、重く捉えていない。
 
——どうして?
——感染を、止められなかった。
 
 セトの吐き出した答えが、頭に響く。
 
「………………」
 
 きゅっと胸を締めつける、なにか。
 それが何かを考える前に、立ち上がっていた。

 セトの肩が反応する。警戒と動揺の浮かぶ目に、覚悟を決めて近寄った。
 
「セト、わたしは、だいじょうぶ」
「は……?」

 鋭い目つきの印象は、見下ろすと少しだけ緩和する。
 熱のこもる瞳に目じりは赤く、かすれる声がいっそう病人のような弱々しさを——いや、これは違うかも知れない。
 普段の迫力の代わりにまとうのは、熱を帯びた色香。
 
「——どうぞ」
 
 正しい言葉は分からない。
 とりあえず知っている言葉を唱えてみたが、セトは(なに言ってんだ)というように眉を寄せただけだった。
 数秒考えて、着ていたカーディガンのボタンに手を掛ける。外していく途中で、「おいっ」伝わったらしく、セトの手が伸びてきて私の腕を掴んだ。
 
「ばか、何してんだ。襲われてぇのかっ」
「……はい」
「はいっ!? そこは〈はい〉じゃねぇだろっ?」
「……いえ、〈はい〉であってる……」
「はあっ?」
 
 目に見えて慌てるセトに、小さな安堵あんどみたいなものが湧いた。普段の雰囲気が恐怖を払ってくれる。
 掴む手を、そっとどかした。金の眼をまっすぐに見つめて、
 
「……セトは、いつもたすけてくれる。まもってくれる。だから……わたしも、セトをたすけたい」
 
 困惑に染まる顔に手を伸ばして、キスを。
 彼の躊躇ちゅうちょや罪悪感を消すために、唇を重ねようとしたが——
 
「——やめろっ!」
 
 強い声と、手が。
 私の肩を押し返していた。

「……わたしじゃ、だめ?」
「そういうことじゃねぇだろ!」
 
 拒絶されると思っていなかっただけに、気持ちを隠しきれず……表情に、悲しみに似た衝撃が出たのだろうか。私の顔を見たセトのほうが衝撃を受け、焦ったように言いつくろったが——ふいに、思い詰めるような顔をして、
 
「……違うだろ。こんなこと、お前は本当はしたくねぇだろ。やろうとすんな」
「……わたしは、だいじょうぶ」
「やめろ、大丈夫なんて言うな。大丈夫じゃねぇのに——言うなよ。何も分からなくなるだろっ」

 怒ったような顔が、ゆがむ。
 苦しそうな、辛そうなその表情は——薬のせいじゃない。
 
「……俺は、ずっと後悔してんだよ。最初の夜に、手ぇ出さなかったら……お前が泣いたときに、ちゃんと話を聞いてやれてたら……なんか変わったんじゃねぇかって……お前と、もっと——」
 
 言葉の終わりは、かすれて聞こえなかった。
 ただ、気持ちは——痛いくらい伝わっている。

「……頼むから、誘惑すんな。お前を傷付けたり、都合よく利用したり……もう嫌なんだ。お前のために言ってるんじゃねぇ。——俺が、嫌なんだ」
 
 胸に刺さる言葉が、目の奥を熱くする。
 泣きたくなったのは——なぜだろう。
 
——わたしは、ぜんぶ、わすれました。
 
 そう言って、すべてを無かったことにしようとした。
 それでもやっぱり、みんなどこか気を遣うような素振りが消えない。完全に無かったことにはできない。
 罪悪感を与えるだけなら、私が出て行くべきだと思ったけれど——。
 
 
「……わかった」
 
 熱い金の眼に、声を返す。
 はっきりと、しっかりと、その気持ちに応えるように。
 
「いつ〈くすり〉がきえるか……わかる?」
「……たぶん、数時間」
「それは……ながくて、4じかんくらい?」
「……そうだな」
 
 うなずいて、
 
「わたしは、はなれています。なにかあったら、なまえをよんで」
「………………」
「つたわってる?」
「……伝わってる」
「——よし」
 
 セトがよく言う言葉をまねて、笑ってみせた。
 眉間を狭めたセトも、「俺は犬か」短い突っこみのあとに、ふっと笑った気がした。
 
 距離を長めにとるため、ソファを部屋の奥へと動かした。
 そこに腰を下ろすと、

《——ウサギ、冷てぇなぁ?》
 
 揶揄やゆする音が、細く耳に届いた。
 セトの方に目を投げたが、気づいていない。私にしか聞こえないなんて、幻では——などと、もう思わない。どうやっているのかは分からないが、私の耳を狙って音声を届けている。普段のセトなら気づくかも知れないが、今は本調子じゃない。
 
《軽く付き合ってやりゃいいじゃねぇか。散々やってきてんだろ?》
 
 黙っていると、その声は悪魔のささやきをもって低く鼓膜をゆらした。
 
《苦しいだろうになぁ……数時間あれで放置すんのか? 今さら貞操を守って見捨てんのか?》
 
 耳に届く声を、意識から外す。
 塞いでしまいたいけれど、何かあったときのためにも、名前を呼ばれたときのためにも——きっと呼ばれないけれど——塞ぐことはできない。
 
「……せとは、すごい。せとは、つよい。だから、だいじょうぶ」

 言い聞かせるように唱えれば、離れていたセトが「なんだそれ」みたいに口を動かした。
 
「……おまじない、です」
 
——では、とっておきの“おまじない”を。
 
 アリアがくれた言葉と、優しい顔を思い出しながら、セトに向けて笑っておいた。
 ハウスの穏やかな思い出だけで心を満たしておけば、
 
《ハッ……偽善的だな》
 
 悪意の声など、この耳には聞こえない。
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