【完結】致死量の愛と泡沫に

藤香いつき

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Chap.4 剣戟の宴

Chap.4 Sec.5

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 時刻は深夜を過ぎ、未明に移り変わる。
 波瀾はらんの一幕を終えたヴァシリエフハウスには、悲劇の声が高く響いていた。
 
「ロキぃ~っ! うちらをのこしていかんといてぇぇぇ!」

 治療室の台に寝そべる長い身体にすがりつくのは、三つ編みの垂れた背中。
 ロキが治療を終えたのと同時間に帰還したハオロンが、状況を聞いて飛び込んできてしまったため、
 
「うるさ……」
 
 内出血の跡が残る顔をしかめて、ロキはボソリとつぶやいた。あいにく不満の声はハオロンに届いていない。
 
「なんでっ? うちらみんなで長生きしよなって約束したのに……」
「してねェし生きてンだけど」
「ロキだけこんなボロボロにされてもて……昔クズやったから!? ほやで仕返しされたんかっ?」
「なんもしてねェって。あっちのバンドからギターとベース奪ったくらいしか記憶ねェし」
「そんなんで殺されんやろっ?」
「殺されてねェし」
 
 いちいちハオロンのなげきに反論していたロキだったが、治療の疲れも合わさって、

「あのさァ……オレけっこう重傷じゃね? しばらく放っておいてくんねェ?」
 
 ぐったりとしたようすで目と口を閉ざした。
 
 しくしくしく。
 嘘泣きしながら治療室をあとにするハオロンは、ついで隣の治療室にも入り、
 
「イシャン、死なんといて」

 中にいたイシャンは座っていた。治療台の背面が起き上がっていた。
 
「……私は、そこまで重傷ではないが……」
 
 入室そうそう訴えてきたハオロンに困惑しつつ返答したが、イシャンの胸には専用のコルセットが巻かれている。軽傷とは言えない。
 
「撃たれたんやろ? めっちゃ重傷やが……」
「防弾インナーで、ダメージは軽減されている」
「骨折、安静に——って診断でてたよ?」
「……肋骨が折れただけだ」
「ほらぁ! 死にかけてるが!」
「死にかけてはいない……」
「……被害がひどすぎるわ……」
 
 ハオロンが静かに唱えると、ふざけた空気が消え、白い治療室に沈黙が降りた。
 小柄な肩を見つめるイシャンが、そっと目を伏せる。
 
「……すまない」
「なんでイシャンが謝るんやって。うちらが人質にとられたせいやが……」
「………………」
「……、ラボで治療してるんか?」
「それは分からない……サクラさんが情報を秘匿している」
「サクラさんはそっちにいるんやろ?」
「……おそらく。主犯に訊きたいことがある、と……言っていた」
「ふぅん……」

 冷たく響いたハオロンの声に、イシャンの瞳が向けられる。光の消えたオレンジブラウンの眼。普段にはない暗い色。
 
「……ハオロン? どこか痛むのだろうか……?」
 
 心配そうな空気を感じたハオロンは、ニコリと笑った。
 
「ん~ん、うちは平気やよ。……イシャン、ティアを護ってくれてありがとの。身体弱いティアが撃たれてたら、それこそ命に関わったやろぉし……」
「……それについては、ティアから感謝されている。ハオロンが感謝することではないと思うが……?」
「ほぉやろか? ……でも、うちからも感謝させてや。家族の誰かを喪うのは……もうたくさんやから。護ってくれて……よかった。ありがとぉ」

 小さく笑う顔に、イシャンはなんと応えればいいのか分からなかった。
 〈ありがとう〉に呼応する「どういたしまして」だけ、正しくない気がしながらも返していた。
 
 イシャンと別れて、ハオロンは医務室を出ていく。
 廊下に出てすぐ、右に足を向けた。医務室の隣の研究室——ラボ101へ。
 
 ドアはロックされていた。ブレス端末で入室を要請する。
 
「——サクラさん、そこにいるんやろ? 開けてくれんか?」

 ハオロンの呼びかけに、サクラからの返答はない。
 ただ、ドアは開いた。
 
 白が目を刺すほどに光量の強い室内が、ハオロンを迎え入れる。長く広いラボは細かく仕切られていて、それぞれの小部屋は透明の壁に囲まれているはずだが、今はほとんどが遮光モードに設定されていた。入ってすぐの通路から見えたのは、イスに座る薄い黄緑の髪をした男。手首と足首がイスに固定され、目隠しをつけてこうべを垂れている。傍らに立つサクラが振り返っていた。
 通路から小部屋に入る。
 
「——おかえり、ハオロン」
「ん、ただいま」
「ロキに会ったか?」
「会った。傷は浅いけど……数が異常やの」
「ロキは生かす必要があったらしい。だが、ティアに向けて発砲している。そちらは殺す気で狙ったようだね」
「……ほぉやろなって思った。イシャンが庇って撃たれた位置、ティアの心臓らへんやし。——が主犯なんか?」
「ああ」
「なんか吐いた?」
「いいや。丁度よいから自白剤を使ってみたが——言葉が不明瞭だな。酩酊めいていしているのと変わらないね」
「どうするんや?」
「所持していた端末はミヅキが調べているから、こちらは記憶を探ってみようか。生きた人間の脳から直接読み取るとどうなるか——試せるな」
「……いい実験材料?」
「ああ、危害を受けた分のメリットは得られたようだね」
「………………」
 
 目隠しをされた男はぶつぶつと何か小声で話している。誰かに怒っているようにも聞こえる。
 じっと眺めていたハオロンは、「ねぇ、サクラさん」視線を動かすことなく声だけで、

「——うちに、やらせてくれんか?」

 何を?
 その問いは、サクラから出なかった。
 サクラに視線をずらしたハオロンは、とくに感情を見せることなく、
 
「だめやろか?」
「……いや、構わないよ」
「実験は、生きてさえいればいいんやがの? 生きて頭さえあれば——?」

 喜びも悲しみもない。
 ただ淡泊な雰囲気だけのハオロンを、サクラは無言で見下ろしていたが……最終的には、肯定した。
 
「——ああ、好きにしていい」
「ありがとの」
「……ただし、吐かせた情報は他の者に話してはいけないよ?」
「えっ、なんでや?」
「……理由は、情報を吐かせられたら話そうか」

 サクラの返しに、ハオロンがきょとりとする。サクラは微笑むだけでそれ以上の説明はしなかった。
 
「その前に——食堂で、食事にしようか。お前も空腹だろう?」
「ほやの! メルウィン、宴会に出した料理が余ってるって言ってたわ!」

 テンション高くぴょんぴょんと跳ねるハオロン。ほころぶ笑顔で、思い出したように、
 
「ありす、外に逃がしたって聞いたけど……もう戻しても平気やがの? 呼んであげよっさ! 料理いっぱいで喜ぶやろ!」
「それは無理だな」
「えっ?」
 
 あっさりと却下され、跳ねていた身体が停止する。弾んでいた三つ編みも遅れて止まった。
 
「——どこに行ったか、私も知らないからね」
 
 端整な顔で微笑するサクラを、ハオロンのぽかんとした顔が見上げていた。
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