46 / 101
Chap.4 剣戟の宴
Chap.4 Sec.5
しおりを挟む
時刻は深夜を過ぎ、未明に移り変わる。
波瀾の一幕を終えたヴァシリエフハウスには、悲劇の声が高く響いていた。
「ロキぃ~っ! うちらを遺していかんといてぇぇぇ!」
治療室の台に寝そべる長い身体にすがりつくのは、三つ編みの垂れた背中。
ロキが治療を終えたのと同時間に帰還したハオロンが、状況を聞いて飛び込んできてしまったため、
「うるさ……」
内出血の跡が残る顔をしかめて、ロキはボソリとつぶやいた。あいにく不満の声はハオロンに届いていない。
「なんでっ? うちらみんなで長生きしよなって約束したのに……」
「してねェし生きてンだけど」
「ロキだけこんなボロボロにされてもて……昔クズやったから!? ほやで仕返しされたんかっ?」
「なんもしてねェって。あっちのバンドからギターとベース奪ったくらいしか記憶ねェし」
「そんなんで殺されんやろっ?」
「殺されてねェし」
いちいちハオロンの嘆きに反論していたロキだったが、治療の疲れも合わさって、
「あのさァ……オレけっこう重傷じゃね? しばらく放っておいてくんねェ?」
ぐったりとしたようすで目と口を閉ざした。
しくしくしく。
嘘泣きしながら治療室をあとにするハオロンは、ついで隣の治療室にも入り、
「イシャン、死なんといて」
中にいたイシャンは座っていた。治療台の背面が起き上がっていた。
「……私は、そこまで重傷ではないが……」
入室そうそう訴えてきたハオロンに困惑しつつ返答したが、イシャンの胸には専用のコルセットが巻かれている。軽傷とは言えない。
「撃たれたんやろ? めっちゃ重傷やが……」
「防弾インナーで、ダメージは軽減されている」
「骨折、安静に——って診断でてたよ?」
「……肋骨が折れただけだ」
「ほらぁ! 死にかけてるが!」
「死にかけてはいない……」
「……被害がひどすぎるわ……」
ハオロンが静かに唱えると、ふざけた空気が消え、白い治療室に沈黙が降りた。
小柄な肩を見つめるイシャンが、そっと目を伏せる。
「……すまない」
「なんでイシャンが謝るんやって。うちらが人質にとられたせいやが……」
「………………」
「……あいつら、ラボで治療してるんか?」
「それは分からない……サクラさんが情報を秘匿している」
「サクラさんはそっちにいるんやろ?」
「……おそらく。主犯に訊きたいことがある、と……言っていた」
「ふぅん……」
冷たく響いたハオロンの声に、イシャンの瞳が向けられる。光の消えたオレンジブラウンの眼。普段にはない暗い色。
「……ハオロン? どこか痛むのだろうか……?」
心配そうな空気を感じたハオロンは、ニコリと笑った。
「ん~ん、うちは平気やよ。……イシャン、ティアを護ってくれてありがとの。身体弱いティアが撃たれてたら、それこそ命に関わったやろぉし……」
「……それについては、ティアから感謝されている。ハオロンが感謝することではないと思うが……?」
「ほぉやろか? ……でも、うちからも感謝させてや。家族の誰かを喪うのは……もうたくさんやから。護ってくれて……よかった。ありがとぉ」
小さく笑う顔に、イシャンはなんと応えればいいのか分からなかった。
〈ありがとう〉に呼応する「どういたしまして」だけ、正しくない気がしながらも返していた。
イシャンと別れて、ハオロンは医務室を出ていく。
廊下に出てすぐ、右に足を向けた。医務室の隣の研究室——ラボ101へ。
ドアはロックされていた。ブレス端末で入室を要請する。
「——サクラさん、そこにいるんやろ? 開けてくれんか?」
ハオロンの呼びかけに、サクラからの返答はない。
ただ、ドアは開いた。
白が目を刺すほどに光量の強い室内が、ハオロンを迎え入れる。長く広いラボは細かく仕切られていて、それぞれの小部屋は透明の壁に囲まれているはずだが、今はほとんどが遮光モードに設定されていた。入ってすぐの通路から見えたのは、イスに座る薄い黄緑の髪をした男。手首と足首がイスに固定され、目隠しをつけて首を垂れている。傍らに立つサクラが振り返っていた。
通路から小部屋に入る。
「——おかえり、ハオロン」
「ん、ただいま」
「ロキに会ったか?」
「会った。傷は浅いけど……数が異常やの」
「ロキは生かす必要があったらしい。だが、ティアに向けて発砲している。そちらは殺す気で狙ったようだね」
「……ほぉやろなって思った。イシャンが庇って撃たれた位置、ティアの心臓らへんやし。——それが主犯なんか?」
「ああ」
「なんか吐いた?」
「いいや。丁度よいから自白剤を使ってみたが——言葉が不明瞭だな。酩酊しているのと変わらないね」
「どうするんや?」
「所持していた端末はミヅキが調べているから、こちらは記憶を探ってみようか。生きた人間の脳から直接読み取るとどうなるか——試せるな」
「……いい実験材料?」
「ああ、危害を受けた分のメリットは得られたようだね」
「………………」
目隠しをされた男はぶつぶつと何か小声で話している。誰かに怒っているようにも聞こえる。
じっと眺めていたハオロンは、「ねぇ、サクラさん」視線を動かすことなく声だけで、
「——うちに、やらせてくれんか?」
何を?
その問いは、サクラから出なかった。
サクラに視線をずらしたハオロンは、とくに感情を見せることなく、
「だめやろか?」
「……いや、構わないよ」
「実験は、生きてさえいればいいんやがの? 生きて頭さえあれば——どこが欠けててもいい?」
喜びも悲しみもない。
ただ淡泊な雰囲気だけのハオロンを、サクラは無言で見下ろしていたが……最終的には、肯定した。
「——ああ、好きにしていい」
「ありがとの」
「……ただし、吐かせた情報は他の者に話してはいけないよ?」
「えっ、なんでや?」
「……理由は、情報を吐かせられたら話そうか」
サクラの返しに、ハオロンがきょとりとする。サクラは微笑むだけでそれ以上の説明はしなかった。
「その前に——食堂で、食事にしようか。お前も空腹だろう?」
「ほやの! メルウィン、宴会に出した料理が余ってるって言ってたわ!」
テンション高くぴょんぴょんと跳ねるハオロン。ほころぶ笑顔で、思い出したように、
「ありす、外に逃がしたって聞いたけど……もう戻しても平気やがの? 呼んであげよっさ! 料理いっぱいで喜ぶやろ!」
「それは無理だな」
「えっ?」
あっさりと却下され、跳ねていた身体が停止する。弾んでいた三つ編みも遅れて止まった。
「——どこに行ったか、私も知らないからね」
端整な顔で微笑するサクラを、ハオロンのぽかんとした顔が見上げていた。
波瀾の一幕を終えたヴァシリエフハウスには、悲劇の声が高く響いていた。
「ロキぃ~っ! うちらを遺していかんといてぇぇぇ!」
治療室の台に寝そべる長い身体にすがりつくのは、三つ編みの垂れた背中。
ロキが治療を終えたのと同時間に帰還したハオロンが、状況を聞いて飛び込んできてしまったため、
「うるさ……」
内出血の跡が残る顔をしかめて、ロキはボソリとつぶやいた。あいにく不満の声はハオロンに届いていない。
「なんでっ? うちらみんなで長生きしよなって約束したのに……」
「してねェし生きてンだけど」
「ロキだけこんなボロボロにされてもて……昔クズやったから!? ほやで仕返しされたんかっ?」
「なんもしてねェって。あっちのバンドからギターとベース奪ったくらいしか記憶ねェし」
「そんなんで殺されんやろっ?」
「殺されてねェし」
いちいちハオロンの嘆きに反論していたロキだったが、治療の疲れも合わさって、
「あのさァ……オレけっこう重傷じゃね? しばらく放っておいてくんねェ?」
ぐったりとしたようすで目と口を閉ざした。
しくしくしく。
嘘泣きしながら治療室をあとにするハオロンは、ついで隣の治療室にも入り、
「イシャン、死なんといて」
中にいたイシャンは座っていた。治療台の背面が起き上がっていた。
「……私は、そこまで重傷ではないが……」
入室そうそう訴えてきたハオロンに困惑しつつ返答したが、イシャンの胸には専用のコルセットが巻かれている。軽傷とは言えない。
「撃たれたんやろ? めっちゃ重傷やが……」
「防弾インナーで、ダメージは軽減されている」
「骨折、安静に——って診断でてたよ?」
「……肋骨が折れただけだ」
「ほらぁ! 死にかけてるが!」
「死にかけてはいない……」
「……被害がひどすぎるわ……」
ハオロンが静かに唱えると、ふざけた空気が消え、白い治療室に沈黙が降りた。
小柄な肩を見つめるイシャンが、そっと目を伏せる。
「……すまない」
「なんでイシャンが謝るんやって。うちらが人質にとられたせいやが……」
「………………」
「……あいつら、ラボで治療してるんか?」
「それは分からない……サクラさんが情報を秘匿している」
「サクラさんはそっちにいるんやろ?」
「……おそらく。主犯に訊きたいことがある、と……言っていた」
「ふぅん……」
冷たく響いたハオロンの声に、イシャンの瞳が向けられる。光の消えたオレンジブラウンの眼。普段にはない暗い色。
「……ハオロン? どこか痛むのだろうか……?」
心配そうな空気を感じたハオロンは、ニコリと笑った。
「ん~ん、うちは平気やよ。……イシャン、ティアを護ってくれてありがとの。身体弱いティアが撃たれてたら、それこそ命に関わったやろぉし……」
「……それについては、ティアから感謝されている。ハオロンが感謝することではないと思うが……?」
「ほぉやろか? ……でも、うちからも感謝させてや。家族の誰かを喪うのは……もうたくさんやから。護ってくれて……よかった。ありがとぉ」
小さく笑う顔に、イシャンはなんと応えればいいのか分からなかった。
〈ありがとう〉に呼応する「どういたしまして」だけ、正しくない気がしながらも返していた。
イシャンと別れて、ハオロンは医務室を出ていく。
廊下に出てすぐ、右に足を向けた。医務室の隣の研究室——ラボ101へ。
ドアはロックされていた。ブレス端末で入室を要請する。
「——サクラさん、そこにいるんやろ? 開けてくれんか?」
ハオロンの呼びかけに、サクラからの返答はない。
ただ、ドアは開いた。
白が目を刺すほどに光量の強い室内が、ハオロンを迎え入れる。長く広いラボは細かく仕切られていて、それぞれの小部屋は透明の壁に囲まれているはずだが、今はほとんどが遮光モードに設定されていた。入ってすぐの通路から見えたのは、イスに座る薄い黄緑の髪をした男。手首と足首がイスに固定され、目隠しをつけて首を垂れている。傍らに立つサクラが振り返っていた。
通路から小部屋に入る。
「——おかえり、ハオロン」
「ん、ただいま」
「ロキに会ったか?」
「会った。傷は浅いけど……数が異常やの」
「ロキは生かす必要があったらしい。だが、ティアに向けて発砲している。そちらは殺す気で狙ったようだね」
「……ほぉやろなって思った。イシャンが庇って撃たれた位置、ティアの心臓らへんやし。——それが主犯なんか?」
「ああ」
「なんか吐いた?」
「いいや。丁度よいから自白剤を使ってみたが——言葉が不明瞭だな。酩酊しているのと変わらないね」
「どうするんや?」
「所持していた端末はミヅキが調べているから、こちらは記憶を探ってみようか。生きた人間の脳から直接読み取るとどうなるか——試せるな」
「……いい実験材料?」
「ああ、危害を受けた分のメリットは得られたようだね」
「………………」
目隠しをされた男はぶつぶつと何か小声で話している。誰かに怒っているようにも聞こえる。
じっと眺めていたハオロンは、「ねぇ、サクラさん」視線を動かすことなく声だけで、
「——うちに、やらせてくれんか?」
何を?
その問いは、サクラから出なかった。
サクラに視線をずらしたハオロンは、とくに感情を見せることなく、
「だめやろか?」
「……いや、構わないよ」
「実験は、生きてさえいればいいんやがの? 生きて頭さえあれば——どこが欠けててもいい?」
喜びも悲しみもない。
ただ淡泊な雰囲気だけのハオロンを、サクラは無言で見下ろしていたが……最終的には、肯定した。
「——ああ、好きにしていい」
「ありがとの」
「……ただし、吐かせた情報は他の者に話してはいけないよ?」
「えっ、なんでや?」
「……理由は、情報を吐かせられたら話そうか」
サクラの返しに、ハオロンがきょとりとする。サクラは微笑むだけでそれ以上の説明はしなかった。
「その前に——食堂で、食事にしようか。お前も空腹だろう?」
「ほやの! メルウィン、宴会に出した料理が余ってるって言ってたわ!」
テンション高くぴょんぴょんと跳ねるハオロン。ほころぶ笑顔で、思い出したように、
「ありす、外に逃がしたって聞いたけど……もう戻しても平気やがの? 呼んであげよっさ! 料理いっぱいで喜ぶやろ!」
「それは無理だな」
「えっ?」
あっさりと却下され、跳ねていた身体が停止する。弾んでいた三つ編みも遅れて止まった。
「——どこに行ったか、私も知らないからね」
端整な顔で微笑するサクラを、ハオロンのぽかんとした顔が見上げていた。
93
お気に入りに追加
80
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

『 ゆりかご 』 ◉諸事情で非公開予定ですが読んでくださる方がいらっしゃるのでもう少しこのままにしておきます。
設樂理沙
ライト文芸
皆さま、ご訪問いただきありがとうございます。
最初2/10に非公開の予告文を書いていたのですが読んで
くださる方が増えましたので2/20頃に変更しました。
古い作品ですが、有難いことです。😇
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
" 揺り篭 " 不倫の後で 2016.02.26 連載開始
の加筆修正有版になります。
2022.7.30 再掲載
・・・・・・・・・・・
夫の不倫で、信頼もプライドも根こそぎ奪われてしまった・・
その後で私に残されたものは・・。
・・・・・・・・・・
💛イラストはAI生成画像自作
後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~
菱沼あゆ
キャラ文芸
突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。
洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。
天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。
洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。
中華後宮ラブコメディ。
古屋さんバイト辞めるって
四宮 あか
ライト文芸
ライト文芸大賞で奨励賞いただきました~。
読んでくださりありがとうございました。
「古屋さんバイト辞めるって」
おしゃれで、明るくて、話しも面白くて、仕事もすぐに覚えた。これからバイトの中心人物にだんだんなっていくのかな? と思った古屋さんはバイトをやめるらしい。
学部は違うけれど同じ大学に通っているからって理由で、石井ミクは古屋さんにバイトを辞めないように説得してと店長に頼まれてしまった。
バイト先でちょろっとしか話したことがないのに、辞めないように説得を頼まれたことで困ってしまった私は……
こういう嫌なタイプが貴方の職場にもいることがあるのではないでしょうか?
表紙の画像はフリー素材サイトの
https://activephotostyle.biz/さまからお借りしました。

【完結】兄の事を皆が期待していたので僕は離れます
まりぃべる
ファンタジー
一つ年上の兄は、国の為にと言われて意気揚々と村を離れた。お伽話にある、奇跡の聖人だと幼き頃より誰からも言われていた為、それは必然だと。
貧しい村で育った弟は、小さな頃より家の事を兄の分までせねばならず、兄は素晴らしい人物で対して自分は凡人であると思い込まされ、自分は必要ないのだからと弟は村を離れる事にした。
そんな弟が、自分を必要としてくれる人に会い、幸せを掴むお話。
☆まりぃべるの世界観です。緩い設定で、現実世界とは違う部分も多々ありますがそこをあえて楽しんでいただけると幸いです。
☆現実世界にも同じような名前、地名、言葉などがありますが、関係ありません。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる