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Chap.3 My Little Mermaid

Chap.3 Sec.3

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 部屋が狭い。狭すぎる。
 狭すぎるせいでウサギとの距離が近い。常に近い。平常どおり話せているのか怪しい。
 
 今朝未明、仮住まいしている区域への侵入をセンサーが感知した。警戒して映像を確認してみれば、ステルスモードを解除し姿を現したのは見たことのある車両。ヴァシリエフハウスのフライングカーで、まさかと思いつつ地上で目視したところ、
 
——セト?
 
 夢かと思った。
 
 ライフラインの確保や海上都市の情報集めで忙殺されていた脳は、薄闇に浮かんだ白い防寒着にリアリティを感じなかった。
 触れようとして感じた温度に、本物だと——夢であってもいいと——思って、抱きしめてしまった事実を。
 セトは動揺いっぱいで気にしているのに、彼女——ウサギは、それどころではないようす。
 
 
「セト、〈こうたい〉……いい?」

 数時間の仮眠をとって昼に起きてきたウサギは、カウンターのイスで携帯端末に触れていたセトへと腕を見せた。
 セトの目が細まる。

「……あのな、皮下注射で入れてんだよ。そんなすぐ万全にならねぇ……つか1日っつったろ。寝て起きたら1日じゃねぇぞ? 24時間っつぅ意味だからな」
「……ねて、おきたら?」
「違う、24時間。それだけ待てって言ってんだ」
「……24じかん」
「最短で明日の朝まで」
「……あしたのあさ。……ながい」

 衝撃の受けた顔をとがめるように、金の目は細いまま、
 
「感染したらどうなるか、分かってねぇのか」
「……〈かんせんしゃ〉は……〈のう〉が、〈いじょう〉?」
「まともに考えられねぇし、誰かれ構わず攻撃的になる。救えない。もともとがかかりにくい年齢だからって油断すんな」
「……ねんれい?」
「16から20代あたりは感染率低いらしい。……つっても統計の話だからな。保証にならねぇ」
「……〈くるま〉で〈いどう〉しても……だめ?」
「駄目だ」
「……そとでは、〈こきゅう〉を、とめるので」
「駄目だ」
「………………」
「……やめろ、こっち見んな。何言っても認めねぇ」
 
 説得を考える黒い双眸そうぼうから顔をそらしたが、目の端で見つめられている。近い距離で訴えてくる視線に冷静さを欠く。横顔に当たっている視線にちりちりとかれているような。
 
「——珈琲。……でも飲むか。お前も要るか?」

 思いきり話を変えて振り返ったが、黒い瞳は動かず、「いいえ」眉尻をさげて首を振った。視線を振り払って立ち上がり、マシンから珈琲を選択してみるが、
 
「………………」
「………………」

 背中までかれている感覚が。
 
「——あのな、これはお前のために言ってんだぞ」

 耐えられず、半身を回して目を返した。
 
「……わかって、ます。でも、はうすのみんなが……どうしても、きになる……」
「お前が心配するほどやわじゃねぇよ。サクラさんが本気で潰そうと思えば、ハウスの全ロボ——温存されてるのも含めて攻撃すんだから、負けようがねぇ」
「それは……すごい、けど……」

 セトの主張を受け取っても、考え込む表情は変わらない。
 思い悩む顔は瞳を下げて、カウンターのテーブル上を見つめながら、

「だれかが、つかまっていたら……サクラさんは、〈こうげき〉できないと……おもう」

 頼りない声は、自分でも不確かなことを話すようにささやいた。
 そそがれた珈琲のアロマが、空間にゆれる。
 マシンが本物に似せて生み出した香りは——あまりにも浅はかだった。
 
「——お前は、」

 口から発せられた強い音を、セトは自覚して言葉を切った。
 パッと跳ね上がった彼女の目におびえはなかったが……寄せられた不安げな眉に、それ以上の不満を言えなくなる。

「……分かった」
 
 気持ちをみ込んで、吐息まじりに応える。ウサギはきょとりとした。
 理解していない顔に向けて、

「俺が行ってくる。直近のセーフハウスまで……車で1時間くらいか。俺が連絡とって戻ってくるまでのあいだ、ここで待ってられるか?」

 大きく開いた目が、期待に輝いた。
 伝わらなくてもいいことにかぎって、すんなりと伝わってしまう。
 
「はい!」
「……大人しくしてろよ? 何があっても出るなよ? ロックしとくからな」
「はい、もちろん」
「じっとしてろよ、頼むから。……お前、待機に関してほんと信用ねぇからな?」
「? ……どうして、わたしは〈しんよう〉がないの?」
「自分の胸に聞けよ」
「?」
 
 心外な疑問符を頭に浮かべている。あきれの息をついて、外出の用意にかかった。

「念入れて護身のバトン渡しとく。けど、」
「——なにがあっても、ぜったいにでない」
「よし。今回は大丈夫だな」
 
 きりりと応えたウサギに、うっかりジャッカルを褒める感覚で手を伸ばしかけて、ピタリ。でるのはおかしい。
 止めたてのひらをジャケットのポケットに突っ込んで、「行ってくる」短い挨拶を交わし部屋を後にした。
 
 外の建物内に隠しておいたステルスモードの車両に乗って、出発して——ちょうど1時間。
 ハウスが外部に作っているセーフハウスのうちのひとつ。国の南に位置する場所へ到着しかけた空飛ぶ車に、通知が入った。念には念を入れて回線を繋いでおいた地下拠点の、ドアロックが外れたことをしらせた。

「…………冗談だろ」
 
 あれだけ約束したというのに、地下から出たらしい。わざわざロックを解除して……信じられない。信用した自分をり飛ばしたい。
 衝撃的な事実に思わず吐き出した軽い突っこみは、サッと深刻な焦燥感に駆られて、車から降りることなく道を引き返していた。

——なにがあっても、ぜったいにでない。
 
 そう言ったのに、出た。
 つまり、
 
(くそっ、独りにすんじゃなかった!)
 
 背筋を伝う冷たい焦りと、後悔が。
 高速ではない公道に、時速200キロという驚異的な速度の車両を生み出していた。
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