【完結】致死量の愛と泡沫に

藤香いつき

文字の大きさ
上 下
24 / 101
Chap.2 嘘吐きセイレーン

Chap.2 Sec.11

しおりを挟む
「——こんばんは、アリス」
 
 私室への訪問のしらせが鳴って、ドアを開いた。マガリーであることは分かっていたので、セーターを脱いだ白シャツ一枚の入浴前だったが、気にせずに出ていた。
 
「こんばんは。どうしたの?」
「よかったら、寝る前におしゃべりしてもいい?」

 きゅっと上がる口角が可愛く魅力的。大人っぽい顔は笑うと一気にフレンドリーになる。
 
 はい、もちろん。
 アリスは返事をするために口を開いたが、思い出したように止まった。
 
——二人きりになるのは、控えてもらいたい。
 
 頭に浮かんだのは、イシャンの声。
 マガリーが来た初日に受けた忠告が……
 
——私に、貴方の行動を制限する権利は無い。だが……意見を聞いてもらえるなら……あの者の前では、気を緩めずにいてもらえないだろうか。……警戒を、忘れないでほしい。
 
「……まがりー、ちょっと、まっててもらえる?」
「ええ」
「きがえてくるね」
 
 バスルームに移って、セーターを着直すついでに護身アイテムを身につけた。腰のベルトにスタンバトン、常に手を伸ばせる位置を意識する。
 疑うわけではない。それでも——イシャンが、私のことを心配してくれている。それを知っているから、その気持ちには応えたい。
 
「——どうぞ」
 
 用意をととのえてマガリーを迎える。窓のそばに置いたテーブルセットを勧めて、一緒に向かい合うように座った。
 
「なにか、のむ?」
「さっき飲んだばかりだから……あぁ、でもアリスは、私に気にせず飲んでね?」

 ブレス端末から手を離し、メニューを取り消す。つい先ほどみんなでデセールを取ったばかりなので、マガリー同様に不要だった。
 
「いきなりごめんなさい。入浴前だったのよね? 長居はしないから……ちょっとだけ、さっきの話が気になって……」
「……さっきの、はなし?」
「ロキが、私を褒めたから……不愉快じゃなかった?」
「いいえ?」
「……ほんとう? 私のこと、嫌いじゃない?」
「? ……はい、もちろん」

 質問の翻訳は本当に合っているのだろうか。
 いきなり展開された話題に首をかしげて答えると、マガリーは水色の眼を丸くしてから、
 
「……アリスって、女の子……よね?」
 
 唐突に、すこし失礼な確認が。
 しかし、脳移植のことを考えると自分の本来の性別は不確かだ。現在の身体をふまえて、「はい……いちおう」女性であることを自信なさげに主張する。
 向かい合う綺麗な顔が、のぞき込むように傾く。
 
「……もし、私を嫌いに思うことがあったら、言ってね? 私、バカだから……いつも、女の子を怒らせるの。みんなと仲良くなりたいだけなのに……うまくいかないの」

 しゅんっと落ち込む顔が、悲しげに吐息した。綺麗な顔でため息をつくと、それだけで絵になる。ティアのコレクションルームで見た人魚の顔が浮かび、なぜか胸に湧いた罪悪感から何か言わなくては——と。落ち込むマガリーをフォローすべく、口を開き、
 
「まがりーは、〈ばか〉じゃない。わたしよりも、いっぱいしってるから……すごいと、おもう」
「……ううん、私って昔から、テストのスコアもひどいの。子供のときから頭わるいのよ」
「てすと……は、わからないけど……まがりーは、〈はうす〉のみんなのこと、よくわかってるから……かしこいと、おもう、よ?」

 沈んでいた表情が、〈かしこい〉というワードに反応して驚きを浮かべた。
 まん丸の目で何も言わないマガリーに、うまく伝わっていないのかと思い、
 
「〈はうす〉の、みんなと……すごく、じょうずに、つきあってる。あたまが、わるかったら……できないと、おもう。わたしは……うまく、できなかったから……とても、いいなと……おもいます」
「………………」
「……つたわらない? わたしの〈ことば〉、わかりにくい?」
「——ううん、とても分かりやすいわ」
「……ほんと?」
「ええ」
 
 傾いていた顔をまっすぐにして、マガリーは少し顔を前へと寄せた。
 
「……私ね、ここでの生活が夢みたいで——ほんとうに感動してるの。昔のひとみたいに料理を作ったり、本を読んだり……本物の森を歩いたり、ピアノに合わせて歌ったり。……あのボールルームで、ダンスをしたこともあるのよね? こんなお話の中みたいな古い世界があるなんて……まだ信じられないくらいなの」

 真剣な顔つきで話す彼女の言葉に、小さな衝撃を受ける。こんなにも科学の発達したハウスの生活を、と言った。海上都市は一体どんな暮らしぶりなのだろう。
 
「ここで——ずっとお姫様みたいに暮らせたら……とっても幸せそう」
 
 幸せを語るマガリーの表情は、どこかぼんやりとしている。見つめる視線に気づいて、おぼろげだった焦点がこちらへと定まった。
 
「——アリス。私、ここにいてもいい?」

 不安に染まる瞳は、何かを恐れるような色でこちらを見ていた。こんなにも美しい顔立ちなのに、不思議と自信のないように見えるのは——なぜなのか。
 ひどい目にあわされたと語っていたから、それが原因なのか。声をなくしてしまうほど追い詰められる思いをしたのなら——私と、同じなのだろうか。
 
 胸を占める共感が、彼女へ答えるための声を強くした。
 
「はい、もちろん。わたしは——ここにいてほしい」
 
——ここにいてほしい。
 
 マガリーに迷いなく答えた言葉は、記憶のない自分があこがれたものだった。
 誰にも必要とされない悲しみを知っている。
 知っているからこそ言ってあげられたのだが……それならば、
 
(セトにも……言えばよかった)
 
 そんな言葉ひとつで、彼を引き止めることは叶わなかったとしても。
 外の世界が危険だと知っていながら引き止めなかったことを、こんなにも後悔するくらいなら、思いつく言葉ぜんぶをぶつけて可能性に賭けるべきだった。

 ——みんな口にしないだけで、セトがいなくなってから淋しい思いをしている。
 どうして部外者の私がいるのに家族のセトがいないのか。こんな不自然な状態は納得がいかない。おかしい。私のほうがここにいるべきじゃないのに——どうして。
 私が原因じゃないのなら、サクラとセトの問題とは、なんなのか——。
 
 マガリーに答えた言葉から引き起こされた感情が、次々と波のように押し寄せ、ひとつの記憶に結びついた。
 
——私は、私からセトを解放したいんだよ。
 
 混乱の底からすくい上げた記憶は、以前にサクラがこぼした本心。その瞬間、ハッと思いついた。
 
 サクラがセトを追い出したかった理由。それが分かれば、セトが出ていった理由に繋がるかもしれない。
 出ていった理由——原因を解決すれば、
 
(……セトも、きっと戻って来てくれる……)
 
 見出された希望が、そっと胸にともった。
しおりを挟む
感想 24

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

『 ゆりかご 』  ◉諸事情で非公開予定ですが読んでくださる方がいらっしゃるのでもう少しこのままにしておきます。

設樂理沙
ライト文芸
皆さま、ご訪問いただきありがとうございます。 最初2/10に非公開の予告文を書いていたのですが読んで くださる方が増えましたので2/20頃に変更しました。 古い作品ですが、有難いことです。😇       - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - " 揺り篭 " 不倫の後で 2016.02.26 連載開始 の加筆修正有版になります。 2022.7.30 再掲載          ・・・・・・・・・・・  夫の不倫で、信頼もプライドも根こそぎ奪われてしまった・・  その後で私に残されたものは・・。            ・・・・・・・・・・ 💛イラストはAI生成画像自作  

ヤンデレエリートの執愛婚で懐妊させられます

沖田弥子
恋愛
職場の後輩に恋人を略奪された澪。終業後に堪えきれず泣いていたところを、営業部のエリート社員、天王寺明夜に見つかってしまう。彼に優しく慰められながら居酒屋で事の顛末を話していたが、なぜか明夜と一夜を過ごすことに――!? 明夜は傷心した自分を慰めてくれただけだ、と考える澪だったが、翌朝「責任をとってほしい」と明夜に迫られ、婚姻届にサインしてしまった。突如始まった新婚生活。明夜は澪の心と身体を幸せで満たしてくれていたが、徐々に明夜のヤンデレな一面が見えてきて――執着強めな旦那様との極上溺愛ラブストーリー!

サドガシマ作戦、2025年初冬、ロシア共和国は突如として佐渡ヶ島に侵攻した。

セキトネリ
ライト文芸
2025年初冬、ウクライナ戦役が膠着状態の中、ロシア連邦東部軍管区(旧極東軍管区)は突如北海道北部と佐渡ヶ島に侵攻。総責任者は東部軍管区ジトコ大将だった。北海道はダミーで狙いは佐渡ヶ島のガメラレーダーであった。これは中国の南西諸島侵攻と台湾侵攻を援助するための密約のためだった。同時に北朝鮮は38度線を越え、ソウルを占拠した。在韓米軍に対しては戦術核の電磁パルス攻撃で米軍を朝鮮半島から駆逐、日本に退避させた。 その中、欧州ロシアに対して、東部軍管区ジトコ大将はロシア連邦からの離脱を決断、中央軍管区と図ってオビ川以東の領土を東ロシア共和国として独立を宣言、日本との相互安保条約を結んだ。 佐渡ヶ島侵攻(通称サドガシマ作戦、Operation Sadogashima)の副指揮官はジトコ大将の娘エレーナ少佐だ。エレーナ少佐率いる東ロシア共和国軍女性部隊二千人は、北朝鮮のホバークラフトによる上陸作戦を陸自水陸機動団と阻止する。 ※このシリーズはカクヨム版「サドガシマ作戦(https://kakuyomu.jp/works/16818093092605918428)」と重複しています。ただし、カクヨムではできない説明用の軍事地図、武器詳細はこちらで掲載しております。 ※この物語は、法律・法令に反する行為を容認・推奨するものではありません。

日本列島、時震により転移す!

黄昏人
ファンタジー
2023年(現在)、日本列島が後に時震と呼ばれる現象により、500年以上の時を超え1492年(過去)の世界に転移した。移転したのは本州、四国、九州とその周辺の島々であり、現在の日本は過去の時代に飛ばされ、過去の日本は現在の世界に飛ばされた。飛ばされた現在の日本はその文明を支え、国民を食わせるためには早急に莫大な資源と食料が必要である。過去の日本は現在の世界を意識できないが、取り残された北海道と沖縄は国富の大部分を失い、戦国日本を抱え途方にくれる。人々は、政府は何を思いどうふるまうのか。

異世界の貴族に転生できたのに、2歳で父親が殺されました。

克全
ファンタジー
アルファポリスオンリー:ファンタジー世界の仮想戦記です、試し読みとお気に入り登録お願いします。

会社の上司の妻との禁断の関係に溺れた男の物語

六角
恋愛
日本の大都市で働くサラリーマンが、偶然出会った上司の妻に一目惚れしてしまう。彼女に強く引き寄せられるように、彼女との禁断の関係に溺れていく。しかし、会社に知られてしまい、別れを余儀なくされる。彼女との別れに苦しみ、彼女を忘れることができずにいる。彼女との関係は、運命的なものであり、彼女との愛は一生忘れることができない。

処理中です...