【完結】致死量の愛と泡沫に

藤香いつき

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Chap.1 白銀にゆらめく砂の城

Chap.1 Sec.10

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 セトを引き止めようにも、時間がなさすぎた。
 私ではなく他の誰かが強く引き止めるかと思ったが、誰も引き止めない。ロキですら、「一生サクラに使われるよりい~じゃん。外がたのしそォだったらオレも出よっかなァ~?」軽い意見のみで引き止める気はないようだった。
 翌朝には、彼らは餞別せんべつとしてそれぞれが思う役立つ物をセトへと渡していた。私なんかが口を挟める雰囲気ではなく、慣れたようすで——彼らにとっては、ここから兄弟が去ることは初めてではないから——別れの言葉を交わしていた。
 
 
「——セト」
 
 エントランスホールで彼を見つけて、とっさに名を呼んでいた。バイクにしてはシンプルすぎる二輪車に触れて、動作を確認していたらしき大きな背中が振り返る。
 話しかける言葉があったわけではない。中途半端に開かれた唇が言葉を探しているあいだに、セトは曖昧あいまいな表情で「どうした?」と尋ねてきたが、うまく言葉が出てこない。
 かろうじて、
 
「……セトが、〈でていく〉くらいなら……わたしが」
 
 段階を追うことなく、核心から入っていた。
 脳裏にあった主張は脈絡なく出ていて、もっとうまく言うべきだったのに、高いホールに無意に響いた。
 セトの眉が寄る。怒るというよりは、困惑で眉頭がゆがむ。
 少し空いていた距離を埋めて目の前までやってくると、金の眼に気遣うような色を乗せ、
 
「お前、勘違いしてるだろ。俺が出て行くのはお前のせいじゃねぇからな? 俺とサクラさんの問題であって……お前が気にすんなよ?」
「……でも、それは、わたしが……」
「——いや、違う。ほんとにこっちの問題なんだ。……むしろ、俺の問題にお前を巻き込んだようなもんだから……」
「……?」

 見上げた先の瞳が、動揺したように泳いだ。思いきり目をそらされたかと思うと、すぐに戻ってくる。
 再び重なった視線は、もうずれることなく、
 
「——ウサギ」

 まっすぐにこちらを見つめる瞳が、金の虹彩に囲まれて私を映した。
 
「お前が忘れたいのは分かってる。ゆるそうとしてくれてるのも、分かってる。……俺は、何も赦せそうにないけど……でも、同じ失敗は二度としないつもりだ。お前の意思を無視するようなことはしない。約束する。……だから、一度だけ訊かせてくれ」
 
 真剣な顔が、のぞき込むようにして、
 
「——俺と、一緒に来るか?」

 鼓膜をゆらしたのは、あまりにも意外なセリフだった。
 そのシンプルな文は翻訳機を通らずとも、セトの声で、そのままの言葉で。意味をたがうことなく頭に入ってきた。

 まばたきの間に理解して、でも——理解しきれずに、金の眼を茫然ぼうぜんと見返していた。
 
 セトがハウスから出たい理由は、はっきりとは分からない。
 自分とサクラの問題だと言っているけれども、そこに私が全く関与していないはずがない。昨日のトレーニングでの会話が引き金を引いたと——そう判断しても、自意識過剰ではないと思う。
 私も、原因にある。
 それなのに、
 
(……いっしょに、くる?)
 
 突拍子とっぴょうしもない提案を冷静に受け止められず、ただただ戸惑いの気持ちでセトを見返していた。
 数秒、私を眺めていたセトは、ハッと笑うように息をこぼして、
 
「——そうだよな。来るわけがねぇな。……わりぃ、変なこと訊いた」
 
 真剣な空気が、途端に消え失せた。
 浅い笑みの浮かぶ唇に向けて、戸惑いながらも、引き止めようと——
 
「〈そと〉は、きけんだと、おもう」
「ああ、気をつける」
「……ゆきも、おおくて……さむいよ」
「いや、そうでもねぇよ。ここは山寄りだからな。その辺の町は積もってねぇし、南も雪はねぇよ」
「……おいしいごはんも、ない……」
「——ああ、それは少しきついかもな?」

 軽口のように聞き流すセトの目は、こちらを見ない。

「……心配すんな。海上都市のことは調べとくから。ロキにも連絡する。……お前はロキのそばに居ろよ。サクラさんには、あんま近寄んな」
「………………」
「俺が口出すことじゃねぇか?」
「……いいえ。〈しんぱい〉してくれて……ありがとう」
 
 感謝の言葉に、セトは小さく笑い返した。
 眉の下がった、困惑の差した笑顔で——私の頭に触れようとしたのか、手を伸ばしかけたが、その手は私に触れる前に下ろされた。

——行くな。
 
 ……以前、私はセトに引き止めてもらったのに。
 その手を掴めない。引き止めるには理解が足りない。責任も負えない。
 
(——行かないで)
 
 その喉は声をなくしたように、かすれた息をもらすだけだった。
 
 
 そうして、この館はひとりを失った。
 それでも、日々は揺らぐことなく——。
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