【完結】致死量の愛と泡沫に

藤香いつき

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Chap.1 白銀にゆらめく砂の城

Chap.1 Sec.7

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 早朝の空気は冷たい。温度ではなく、イメージが冷たい。
 ロボットによる清掃のせいか、ハウス内の空気は一晩で漂白されたかのように真っ白に感じられる。
 
 サクラの部屋から私室に戻り、動きやすい服装に着替えてトレーニングルームへと向かっていた。
 セトとの約束の時間にはまだ余裕がある。しかし、気持ち早足で廊下を進む。
 ひとつに束ねた髪が少し重い。切ってしまえばいいのだが、この身体が自分のものに思えないのと同じように、勝手に散髪してしまうことにためらいがあった。
 ティアほどではないが、元より長めの髪はこの世界で目覚めたときよりも伸びて今では……
 
 ——ドアが開いた瞬間に、ガンっと重たい音が大きく響いた。
 ビクリと跳ねた肩のまま見れば、背丈のあるロボットがバランスを崩したように床へと手をつく瞬間だった。ハウス内でちらちらと見かける丸みのある形状の小型ではなく、人型に近いロボット。
 ダメージを受けたように身をかがめたロボットの首根を狙って、とどめを刺すように——
 
 鋭い金の眼が、こちらを捉えた。
 
 攻撃の手が止まる。
 すっと表情の切り替わったセトが、「ああ、来たのか」無感動に呟いた。
 
「セト、おはよう」

 トレーニングの一環だと思うが、日常にない暴力的な雰囲気に気圧されてしまった。こわばっていた身体をそっと緩める。
 なんでもないことのように挨拶をして近寄った。怖いと思ってしまった気持ちをごまかそうと思った。セトは怒っていない。自分に言い聞かせながら、
 
「もしかして……またせた?」

 約束の時間にはまだ30分ほどあったはず。先に行って待っていようと思ったのだが、計画が崩れた。約束の時間を間違えたわけではないと思うが……。
 こちらの問いかけに答えることなく、セトはロボットへとトレーニング終了を告げた。セトがしていたのが護身術なのか鍛錬たんれんなのか分からない。私も同じロボットを使うのだろうか。ティアが「痛いよ」と言っていたが、たしかにこのロボットに攻撃されるなんて想像するだけでも痛い。

「来ねぇかと思った」
 
 人型ロボットを眺めて(関節までちゃんとある……) と観察していた私にかけられた声は、淡泊な響きをしていた。
 独り言みたいなその言葉の意味に、少し遅れて反応し、目をセトへと戻す。狼に似た金の眼は、私を冷ややかに見ていた。
 
「何事もないみたいに来るんだな」
「……?」
「常習か。いっそ来ねぇほうがまだ——」
 
 言葉の先が、白い空気に溶ける。
 重なっていた眼の奥で、訴えるように感情が揺れた気がしたが、話の内容は理解していない。
 
「……わからない。……なんの、はなし?」
「とぼけんな。分かってるだろ」
 
 淡々としていた声は、突き放すようにきつくなっていく。
 
「——朝までどこにいた?」
 
 言葉の意味よりも、鋭く低い声が心臓を突き刺していた。
 ふいうちの問いに動揺を隠そうとしたが、これは質問ではない。問い詰めるような強さを帯びた声によって、手足に緊張が走っていく。

 セトは、見開かれた彼女の黒い眼を睨みつけ、
 
「お前が誰と居ようと——何をしてようと、俺に口出す権利はねぇよ。……でもな、サクラさんは違くねぇか? そこに行くのは……おかしいだろ」
 
 低い声は、床をうように重く響いた。
 ゆっくりと、暗い炎がゆらめくように、戦慄わななく心臓を追い詰める。
 
「位置偽装はサクラさんか? わざわざ変なルートでごまかして……その感じだと昨日が初めてじゃねぇよな。今までも、そうやって平然として過ごしてきたってことか?」
「……セト、はなしを……きいて、ほしい」
「——そうだな。弁明があるなら言ってくれ。……納得いく説明が出るとは思わねぇけどな」

 鼻で浅く笑ったセトに、彼女は青ざめた顔で声を絞り出した。
 
「サクラさんとは……なにも、ない。なにか、されたわけでもなくて……ただ、いっしょに、いただけ」
「ただ一緒に居ただけ? そんな言い分、信じると思ってんのか」
「……ほんとうに、それだけ」
「——別に、そこを問い詰める気はねぇよ。それが本当だとしても大差ねぇ」
「……〈たいさ〉は、あると……おもう」
「ねぇだろ。少なくとも俺からすれば一緒だ」
「………………」
「俺が訊きたいのは——そんなことじゃねぇ」
 
 金の眼が、細く見据える。
 
「なんでサクラさんなんだ? 自分がされたこと忘れたのかよ」
「……わたしは、なかったことに……しました」
「お前な、」
 
 言葉と同時に、セトの手がいきなり彼女の腕を掴んだ。
 反射的に身をすくめた身体を引き寄せて、その顔をのぞき込む。その——おびえた顔を。
 
「こうやってすぐ怖がるのに、なかったことになんて出来ねぇだろ」
「……これは……」
「——俺だけか? サクラさんは平気なくせに、俺は拒絶すんのか」
「……セト、うでが……いたい」

 震える唇からこぼれた小さな訴えに、セトの手は離れる。
 金の眼は彼女を放すことなく——ふと、かすかにゆがんだ。
 
「お前は……なんなんだよ。なんでサクラさんをかばうんだ。少しくらい恨めよ……サクラさんがあんな嘘をつかなかったら、もっと普通に……」
 
 言葉じりが、掻き崩されるように消えていく。
 恐怖から止まっていた彼女の思考が、セトの戸惑いを察して——彼の罪悪感を悟った。
 
「……セト、わたしは……セトを、うらんでないよ……?」
「………………」
「サクラさんのことも、うらんでないけど……セトのことも、もちろん、うらんでなんか……」
「——知ってる。そんなこと分かってんだよ」
 
 低い声は、不安定なままうめいた。
 
「……けど、俺はゆるせない」
 
 サクラだけでなく、自分自身も。
 その本心は吐き出されなかったが——伝わっていた。

 何を言えばいいのか。
 分からずにセトへと手を伸ばしたが、彼はその手を避けた。
 
 ふっ、と。
 小さく苦笑めいた音を鳴らした唇の上で、金の眼が諦念を映し、

「……お前がサクラさんを庇うのに、俺がどうこう言うのは間違ってんな……」
 
 無機質な素材に覆われた広い空間は、その囁きを細く閉じめていた。
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