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Chap.1 白銀にゆらめく砂の城
Chap.1 Sec.2
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午前中はメルウィンの料理を手伝わせてもらって、ついでに調理に関するマシンやロボットのアプリを勉強している。
食材についても学ぶけれど、ハウスと違って外の世界はマシンによる加工食品がメインらしい。メニューを選べば、それっぽく仕上げてくれる画期的なマシン。
料理を愉しむにしても、本来の一般家庭では合成食品を使っていたらしく、野菜や肉を一から揃えることはないという。天然食材は貴重品といえる。とりわけ食肉は生産の規定が厳しく、コスパが悪いらしい。以前からとても高価だったとのこと。
そうして時計が昼を示す前には、たいていティアがやってくる。
長いプラチナブロンドをポニーテールにしたり編み込んだり、バリエーション豊富な髪型で食堂に現れる彼は、今日はストレートに落としていた。
ハイネックのグレーのトップスに、ラベンダーカラーのふんわりしたロングカーディガン。色素のない白い肌が、今日もきめ細やかに光を反射している。
「アリスちゃん、おはよ~」
「おはよう」
「あれ? メル君は?」
「メルウィンなら、〈さいえんどーむ〉に」
「個人菜園じゃなくて、菜園ドーム? なにかあったの?」
「……〈けんきゅう〉の〈かてい〉を……〈かくにん〉したいそうです」
「そういうのって直接見ないとだめなの? データを見れば分かるものじゃないのかな?」
「メルウィンは……〈かおり〉で、わかる……と、いってた」
「香り? ……よく分からないな……」
テーブル横、窓側のスペースを進んだティアは、奥の席をひとつ空けて座った。南に面して並ぶ窓には、端に低く太陽が見えている。
窓は日光を調整して優しい光だけを室内に送り、ティアの腰まで届く長髪を銀色に彩っていた。
朝食兼昼食をとるティアに並んで、いったん休憩を挟むのが、ライフスタイルになりつつある。
「——ね、午後って暇?」
ストレートの紅茶をひとくち。
横から話しかけてきたティアは、牛乳たっぷりのミルクティー。
「〈ごご〉は……ロキが」
「え~……また? 昨日もロキ君だったのに」
「きのうは、〈ぷろぐらみんぐ〉」
「うそだ、そんなの一部でしょ。半分は遊んでるよ」
「………………」
「ほら、否定できないね?」
「……ハオロンが、とちゅうから〈あそぼう〉って」
「ちゃっかりロン君までアリスちゃんと過ごして……ずるい」
「……ティアも、いっしょに〈げーむ〉する?」
「しない」
きっぱりと答えるティアは、吐息をこぼしながらティーカップを手に取った。
「アリスちゃんはロキ君とロン君に甘すぎる。この前なんて雪合戦してたでしょ? 彼らの歳はいくつ? 幼児なの?」
「……〈うんどう〉に、なったよ?」
「運動なんてノルマで十分だよ……うわ、やなこと思い出しちゃった。今日こそ射撃やらないと……」
セト君に怒られる。ティアの苦悩の声が、ミルクティーの水面を揺らした。
「〈とれーにんぐ〉?」
「うん、先月の分は例の事で免除になったんだけど、今月はだめだって。半分しろって。セト君は僕に厳しいんだよ、もっと優しくするようアリスちゃんから言ってくれない?」
「わたしがいっても、だめだとおもう」
「そんなことないよ、アリスちゃんが言ったら絶大な効果だから。いっかい言ってみて」
そうだろうか。
考え込む彼女の横顔に、ティアは笑った。
「最近はセト君もゲームしてるんだよね?」
「はい」
「どんな感じ? 機嫌は?」
「……わるい、とおもう」
「あはは。だろうね」
「セトは……ねむいので」
「眠いのになんで参加してるのかな? って、考えたことある?」
「……?」
ふふふ、と意味ありげに笑う横目は、薄いブルーグレーの虹彩。粉雪のような睫毛に縁取られ、氷から生まれた宝石みたいに透明感のある輝きを発している。
「セト君もゲームをしたい——なんて思ってるなら大間違いだよ?」
図星すぎて何も言えない。
ティアの謎めく発言に首をかしげるが、くすくすと笑う唇は答えをくれることなくサラダを含んだ。
ゲームをしたい。
——それ以外に、眠気を押してまでゲームに参加する理由があるだろうか?
悩む彼女の思考は取り残され、ティアは話題を忘れたように射撃のトレーニングについて頭を痛めていた。
「午後は射撃か……やだなぁ。……機嫌のわるいセト君に怒られるのもやだけど。僕なんかがトレーニング受けたところで意味ないのに」
「……ティアは、〈しゃげき〉がにがて?」
「うん、苦手だし嫌い。アリスちゃんだってそうでしょ?」
「……〈しゃげき〉は、したことがない。〈げーむ〉のなかだけ」
「え? そうなの? VRだけ?」
「はい」
「そっか、トレーニングのノルマって……アリスちゃん、まったく無い?」
「はい」
「え~いいなぁ……」
「……いい、かな?」
「いいよ、うらやましいな。僕もそっち側がいい」
「そっちがわ……?」
「護られ側。これぜったいセト君が犯人だからね、セト君の管轄だから。セト君、わざとアリスちゃんにノルマ出してないんだよ。本当なら護身術くらいノルマあってもいいのに……ずるい」
僕にも優しくしてほしい、と、最初の主張に戻った。
「〈ごしんじゅつ〉は……わたしも、〈とれーにんぐ〉うけてみたい……と、おもう」
「え~? 防具あっても痛いよ? ゲームとは違うからね?」
「……むずかしい?」
「うん、僕にとってはとても」
「………………」
「大丈夫、トレーニングなんて要らないよ。アリスちゃんが護身術を必要とする場面なんてないんだから」
「……そうかな?」
「そうそう……や、まって。対セト君なら……あるかな? でもトレーニングごときでセト君相手にどうこうできる……?」
まじめぶった顔で考えてみせるティアに、「セトは、もうずっと、やさしいよ」彼女は小さく突っこんだ。わずかに非難も含んでいたかも知れない。
ティアは苦笑をもらした。
「そうだね、今のはセト君に悪かったね」
「……セトが、いちばん、きにしてる」
「……そっか、それは伝わってるんだ。……ふさげてごめんね?」
急にしおらしく謝罪したティアに、彼女は首を振った。怒ってはいない。ティアもそれは理解している。
しばらくのあいだ、食卓には沈黙が降りた。
ティーカップをソーサーに載せる音が際立ち、ティアの長い髪がさらりと流れる音まで聞こえてきそうだった。
食事を終えたティアが、席を立つ。
にこりと微笑んで、「またあとで」
ティアが出ていってしまうと、少しして賑やかな声がやってきた。これも日常どおり。
「ありす! おはよぉ~!」
元気いっぱいの声が食堂に響きわたった。
調理室に戻っていた彼女が食堂に行くと、そこには小柄な青年が。
赤みのあるブロンド。薄いピンクにも見える髪は、後ろで細い三つ編みになっている。長めの前髪を真ん中で分けて後ろに流し、明るいブラウンの眼をキラキラさせて駆けてくる彼は——
「ハオロン、おはよう。(……もう昼だけども)」
窓側ラインの端。オレンジと黒のボーダーの、ゆったりとしたセーターが、ぴょこんっと跳ねるようにして座った。襟ぐりが大きく開いているため、兄弟の皆がつけているチョーカーがよく見える。不透明なオレンジピンクの石、アプリコット翡翠。
ハオロンに遅れて、もうひとり。
「——ロキ、おはよう」
「はよ」
あくび混じりの短い返事。今さっき起きましたと言わんばかりの長躯は、今日も目に眩しい蛍光色。ネオンピンクのブルゾンに、細身の黒いボトムス。黒といえどもオーロラに光っている。もともと背が高いため目立つのだが、服装のせいでよりいっそう目がいく。
そんな彼の髪はブラウンの地毛にオレンジ・緑・青・紫・ピンクと多彩なメッシュが入っていて、非常にカラフルだった。鮮やかな髪の下で眠たげに瞬く瞳は、地球を閉じ籠めたような色の虹彩に囲まれている。中央がオレンジっぽく、外側に向かうにつれて青くなるグラデーション。ブルゾンとインナーの隙間から見えるチョーカーの石はレインボーラブラドライトで、明るい黒真珠のように光を返していた。
朝食(?)のパンを頬ばるハオロンは、いっこうに姿を見せないメルウィンを捜して調理室の方へと目を投げつつ、
「メルウィン~? ハオロンが食堂に来てるんやけどぉ~?」
独特な訛りのある、平坦な発音。ハオロン特有の話し方で呼びかけるが、開かれたドアから返事はない。
代わりの彼女が、
「メルウィンなら、〈そと〉だよ。〈さいえんどーむ〉」
「そぉなんか。寒いのに大変やの」
ハムスターの頬袋のよう。ハオロンの丸い頬に、調理室に戻りそこねた彼女の視線がそそがれている。
「菜園ドームなら寒くねェじゃん」
オーダーはブラッドオレンジジュースのみ。赤い液体に刺さったストローをくわえたロキが反応すると、ハオロンは「道中は寒いが。雪やし、メルウィンは歩くやろ?」軽い感じで反論した。
その反論には応えず、ロキはテーブルの端に立つ彼女へと目を向ける。
「ウサちゃんって菜園ドーム行ったことなくねェ?」
「うん、ないよ」
「行きたい?」
「……すこし?」
「そォでもない感じじゃん」
「……わたしがいってもいいのか、しんぱい」
「いいんじゃねェ? 大して面白いもんねェけど、行きたいなら一緒に行く?」
ロキの誘いに、ハオロンは口いっぱいのまま「はいえんほーふわへうひんやわ」モゴモゴと何か訴えた。
「——は? 何?」
ロキの怪訝な目に、ハオロンがごくんっと呑みくだし、
「菜園ドームはメルウィンの管理下やろ? 許可ないと入れんよ?」
「誰に言ってンの? オレに外せないロックとか存在しねェし」
「悪役のセリフやのぉ……」
ハオロンの間延びした言葉に、彼女がロキへと首を振った。
「いい、だいじょうぶ。いかない」
行くならメルウィンに頼むから。
その本音は口にしなかった。拗ねる気がしたので。
「それより——わたしは、〈ごしんじゅつ〉のほうが、きになる」
「なんで護身術? 誰を倒すワケ?」
「だれもたおさない……」
どうしてロキはすぐに誰かを打ちのめすほうへと物事を捉えるのだろう?
彼女の目はわずかに咎めるような、困った色をのせた。
あいだに挟まれたハオロンが、何を思ったか表情を輝かせ、
「対戦しよっさ! 実戦! 久しぶりに!」
「なんで」
「うちがしたいから!」
「しねェし」
バッサリとロキによって斬り捨てられた。
「対戦する気になったら呼んでのぉー!」
ハオロンが食後にそんな捨てゼリフを残して去ってしまうと、ジュースしか口にしていないロキは食事をとるつもりがないのか、おもむろに席を立った。
「——護身術、やりにいく?」
「おひるごはん、たべたら」
「じゃ、食べたら呼んで」
「ロキは、ごはん、たべない?」
「部屋で適当に食うし。やることもあるし」
「やること?」
「情報収集。海上都市に殴り込みいくらし~から?」
「いかない……」
「冗談だって。そんなマジな顔しないでよ」
フッと鼻で笑うロキ。見上げる彼女の表情は深刻さを帯びている。
「……わたしの〈あたま〉のなかの〈きおく〉を、サクラさんに……みてもらうほうが、いい?」
「どォかね~? 脳の映像を出したところで出身地が特定できるかどうか分かんねェし。あとリスク? 生きた人間の脳を無理に活性化させるとどうなるか——オレで実験してくれていいんだけど、反対意見があるからなァ……サクラに頭いじくられるのヤだからアリアに頼んでみたけど、“誰か一人でも反対してたらやらない”ってさ。反対派のセトを説得しにいく?」
「ロキでの〈じっけん〉は、わたしも〈はんたい〉」
「そ? ならもうナシじゃん?」
「………………」
「ウサちゃんは何をそんな悩んでンの?」
「〈かいじょうとし〉……すこし、こわいきがする。〈せんそう〉って……セトがいってた」
「推測値で軍事力がハウスと拮抗してるからねェ~」
「……それは、とても、きけん」
「まァね。けど、負けねェよ? 人の頭数は負けるけど、ハウスの強みはそこじゃねェから。……ってかさ、オレがいる側が負けるわけねェじゃん?」
不敵に曲がる唇は、自信にあふれている。
それでも、彼女の胸に湧く不安は拭えない。
戦争というワードが、比喩だとしても。
自分ごときの存在で争い事が起こるなど——あってはいけないと思う。
「……ロキ」
「んー?」
「とりあえず……〈ごご〉は、〈ごしんじゅつ〉をやろうとおもう」
キリリとした顔で宣言する彼女に、「それ、さっき聞いたけど?」ロキの目がきょとりと丸くなった。
——もし、ハウスを出る日が来るなら。
独りで生きられるよう、ありとあらゆることを学んでおきたい。
彼女の決心を知らないロキは、よく分からないままに、真剣な顔つきの彼女を見下ろしていた。
食材についても学ぶけれど、ハウスと違って外の世界はマシンによる加工食品がメインらしい。メニューを選べば、それっぽく仕上げてくれる画期的なマシン。
料理を愉しむにしても、本来の一般家庭では合成食品を使っていたらしく、野菜や肉を一から揃えることはないという。天然食材は貴重品といえる。とりわけ食肉は生産の規定が厳しく、コスパが悪いらしい。以前からとても高価だったとのこと。
そうして時計が昼を示す前には、たいていティアがやってくる。
長いプラチナブロンドをポニーテールにしたり編み込んだり、バリエーション豊富な髪型で食堂に現れる彼は、今日はストレートに落としていた。
ハイネックのグレーのトップスに、ラベンダーカラーのふんわりしたロングカーディガン。色素のない白い肌が、今日もきめ細やかに光を反射している。
「アリスちゃん、おはよ~」
「おはよう」
「あれ? メル君は?」
「メルウィンなら、〈さいえんどーむ〉に」
「個人菜園じゃなくて、菜園ドーム? なにかあったの?」
「……〈けんきゅう〉の〈かてい〉を……〈かくにん〉したいそうです」
「そういうのって直接見ないとだめなの? データを見れば分かるものじゃないのかな?」
「メルウィンは……〈かおり〉で、わかる……と、いってた」
「香り? ……よく分からないな……」
テーブル横、窓側のスペースを進んだティアは、奥の席をひとつ空けて座った。南に面して並ぶ窓には、端に低く太陽が見えている。
窓は日光を調整して優しい光だけを室内に送り、ティアの腰まで届く長髪を銀色に彩っていた。
朝食兼昼食をとるティアに並んで、いったん休憩を挟むのが、ライフスタイルになりつつある。
「——ね、午後って暇?」
ストレートの紅茶をひとくち。
横から話しかけてきたティアは、牛乳たっぷりのミルクティー。
「〈ごご〉は……ロキが」
「え~……また? 昨日もロキ君だったのに」
「きのうは、〈ぷろぐらみんぐ〉」
「うそだ、そんなの一部でしょ。半分は遊んでるよ」
「………………」
「ほら、否定できないね?」
「……ハオロンが、とちゅうから〈あそぼう〉って」
「ちゃっかりロン君までアリスちゃんと過ごして……ずるい」
「……ティアも、いっしょに〈げーむ〉する?」
「しない」
きっぱりと答えるティアは、吐息をこぼしながらティーカップを手に取った。
「アリスちゃんはロキ君とロン君に甘すぎる。この前なんて雪合戦してたでしょ? 彼らの歳はいくつ? 幼児なの?」
「……〈うんどう〉に、なったよ?」
「運動なんてノルマで十分だよ……うわ、やなこと思い出しちゃった。今日こそ射撃やらないと……」
セト君に怒られる。ティアの苦悩の声が、ミルクティーの水面を揺らした。
「〈とれーにんぐ〉?」
「うん、先月の分は例の事で免除になったんだけど、今月はだめだって。半分しろって。セト君は僕に厳しいんだよ、もっと優しくするようアリスちゃんから言ってくれない?」
「わたしがいっても、だめだとおもう」
「そんなことないよ、アリスちゃんが言ったら絶大な効果だから。いっかい言ってみて」
そうだろうか。
考え込む彼女の横顔に、ティアは笑った。
「最近はセト君もゲームしてるんだよね?」
「はい」
「どんな感じ? 機嫌は?」
「……わるい、とおもう」
「あはは。だろうね」
「セトは……ねむいので」
「眠いのになんで参加してるのかな? って、考えたことある?」
「……?」
ふふふ、と意味ありげに笑う横目は、薄いブルーグレーの虹彩。粉雪のような睫毛に縁取られ、氷から生まれた宝石みたいに透明感のある輝きを発している。
「セト君もゲームをしたい——なんて思ってるなら大間違いだよ?」
図星すぎて何も言えない。
ティアの謎めく発言に首をかしげるが、くすくすと笑う唇は答えをくれることなくサラダを含んだ。
ゲームをしたい。
——それ以外に、眠気を押してまでゲームに参加する理由があるだろうか?
悩む彼女の思考は取り残され、ティアは話題を忘れたように射撃のトレーニングについて頭を痛めていた。
「午後は射撃か……やだなぁ。……機嫌のわるいセト君に怒られるのもやだけど。僕なんかがトレーニング受けたところで意味ないのに」
「……ティアは、〈しゃげき〉がにがて?」
「うん、苦手だし嫌い。アリスちゃんだってそうでしょ?」
「……〈しゃげき〉は、したことがない。〈げーむ〉のなかだけ」
「え? そうなの? VRだけ?」
「はい」
「そっか、トレーニングのノルマって……アリスちゃん、まったく無い?」
「はい」
「え~いいなぁ……」
「……いい、かな?」
「いいよ、うらやましいな。僕もそっち側がいい」
「そっちがわ……?」
「護られ側。これぜったいセト君が犯人だからね、セト君の管轄だから。セト君、わざとアリスちゃんにノルマ出してないんだよ。本当なら護身術くらいノルマあってもいいのに……ずるい」
僕にも優しくしてほしい、と、最初の主張に戻った。
「〈ごしんじゅつ〉は……わたしも、〈とれーにんぐ〉うけてみたい……と、おもう」
「え~? 防具あっても痛いよ? ゲームとは違うからね?」
「……むずかしい?」
「うん、僕にとってはとても」
「………………」
「大丈夫、トレーニングなんて要らないよ。アリスちゃんが護身術を必要とする場面なんてないんだから」
「……そうかな?」
「そうそう……や、まって。対セト君なら……あるかな? でもトレーニングごときでセト君相手にどうこうできる……?」
まじめぶった顔で考えてみせるティアに、「セトは、もうずっと、やさしいよ」彼女は小さく突っこんだ。わずかに非難も含んでいたかも知れない。
ティアは苦笑をもらした。
「そうだね、今のはセト君に悪かったね」
「……セトが、いちばん、きにしてる」
「……そっか、それは伝わってるんだ。……ふさげてごめんね?」
急にしおらしく謝罪したティアに、彼女は首を振った。怒ってはいない。ティアもそれは理解している。
しばらくのあいだ、食卓には沈黙が降りた。
ティーカップをソーサーに載せる音が際立ち、ティアの長い髪がさらりと流れる音まで聞こえてきそうだった。
食事を終えたティアが、席を立つ。
にこりと微笑んで、「またあとで」
ティアが出ていってしまうと、少しして賑やかな声がやってきた。これも日常どおり。
「ありす! おはよぉ~!」
元気いっぱいの声が食堂に響きわたった。
調理室に戻っていた彼女が食堂に行くと、そこには小柄な青年が。
赤みのあるブロンド。薄いピンクにも見える髪は、後ろで細い三つ編みになっている。長めの前髪を真ん中で分けて後ろに流し、明るいブラウンの眼をキラキラさせて駆けてくる彼は——
「ハオロン、おはよう。(……もう昼だけども)」
窓側ラインの端。オレンジと黒のボーダーの、ゆったりとしたセーターが、ぴょこんっと跳ねるようにして座った。襟ぐりが大きく開いているため、兄弟の皆がつけているチョーカーがよく見える。不透明なオレンジピンクの石、アプリコット翡翠。
ハオロンに遅れて、もうひとり。
「——ロキ、おはよう」
「はよ」
あくび混じりの短い返事。今さっき起きましたと言わんばかりの長躯は、今日も目に眩しい蛍光色。ネオンピンクのブルゾンに、細身の黒いボトムス。黒といえどもオーロラに光っている。もともと背が高いため目立つのだが、服装のせいでよりいっそう目がいく。
そんな彼の髪はブラウンの地毛にオレンジ・緑・青・紫・ピンクと多彩なメッシュが入っていて、非常にカラフルだった。鮮やかな髪の下で眠たげに瞬く瞳は、地球を閉じ籠めたような色の虹彩に囲まれている。中央がオレンジっぽく、外側に向かうにつれて青くなるグラデーション。ブルゾンとインナーの隙間から見えるチョーカーの石はレインボーラブラドライトで、明るい黒真珠のように光を返していた。
朝食(?)のパンを頬ばるハオロンは、いっこうに姿を見せないメルウィンを捜して調理室の方へと目を投げつつ、
「メルウィン~? ハオロンが食堂に来てるんやけどぉ~?」
独特な訛りのある、平坦な発音。ハオロン特有の話し方で呼びかけるが、開かれたドアから返事はない。
代わりの彼女が、
「メルウィンなら、〈そと〉だよ。〈さいえんどーむ〉」
「そぉなんか。寒いのに大変やの」
ハムスターの頬袋のよう。ハオロンの丸い頬に、調理室に戻りそこねた彼女の視線がそそがれている。
「菜園ドームなら寒くねェじゃん」
オーダーはブラッドオレンジジュースのみ。赤い液体に刺さったストローをくわえたロキが反応すると、ハオロンは「道中は寒いが。雪やし、メルウィンは歩くやろ?」軽い感じで反論した。
その反論には応えず、ロキはテーブルの端に立つ彼女へと目を向ける。
「ウサちゃんって菜園ドーム行ったことなくねェ?」
「うん、ないよ」
「行きたい?」
「……すこし?」
「そォでもない感じじゃん」
「……わたしがいってもいいのか、しんぱい」
「いいんじゃねェ? 大して面白いもんねェけど、行きたいなら一緒に行く?」
ロキの誘いに、ハオロンは口いっぱいのまま「はいえんほーふわへうひんやわ」モゴモゴと何か訴えた。
「——は? 何?」
ロキの怪訝な目に、ハオロンがごくんっと呑みくだし、
「菜園ドームはメルウィンの管理下やろ? 許可ないと入れんよ?」
「誰に言ってンの? オレに外せないロックとか存在しねェし」
「悪役のセリフやのぉ……」
ハオロンの間延びした言葉に、彼女がロキへと首を振った。
「いい、だいじょうぶ。いかない」
行くならメルウィンに頼むから。
その本音は口にしなかった。拗ねる気がしたので。
「それより——わたしは、〈ごしんじゅつ〉のほうが、きになる」
「なんで護身術? 誰を倒すワケ?」
「だれもたおさない……」
どうしてロキはすぐに誰かを打ちのめすほうへと物事を捉えるのだろう?
彼女の目はわずかに咎めるような、困った色をのせた。
あいだに挟まれたハオロンが、何を思ったか表情を輝かせ、
「対戦しよっさ! 実戦! 久しぶりに!」
「なんで」
「うちがしたいから!」
「しねェし」
バッサリとロキによって斬り捨てられた。
「対戦する気になったら呼んでのぉー!」
ハオロンが食後にそんな捨てゼリフを残して去ってしまうと、ジュースしか口にしていないロキは食事をとるつもりがないのか、おもむろに席を立った。
「——護身術、やりにいく?」
「おひるごはん、たべたら」
「じゃ、食べたら呼んで」
「ロキは、ごはん、たべない?」
「部屋で適当に食うし。やることもあるし」
「やること?」
「情報収集。海上都市に殴り込みいくらし~から?」
「いかない……」
「冗談だって。そんなマジな顔しないでよ」
フッと鼻で笑うロキ。見上げる彼女の表情は深刻さを帯びている。
「……わたしの〈あたま〉のなかの〈きおく〉を、サクラさんに……みてもらうほうが、いい?」
「どォかね~? 脳の映像を出したところで出身地が特定できるかどうか分かんねェし。あとリスク? 生きた人間の脳を無理に活性化させるとどうなるか——オレで実験してくれていいんだけど、反対意見があるからなァ……サクラに頭いじくられるのヤだからアリアに頼んでみたけど、“誰か一人でも反対してたらやらない”ってさ。反対派のセトを説得しにいく?」
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「そ? ならもうナシじゃん?」
「………………」
「ウサちゃんは何をそんな悩んでンの?」
「〈かいじょうとし〉……すこし、こわいきがする。〈せんそう〉って……セトがいってた」
「推測値で軍事力がハウスと拮抗してるからねェ~」
「……それは、とても、きけん」
「まァね。けど、負けねェよ? 人の頭数は負けるけど、ハウスの強みはそこじゃねェから。……ってかさ、オレがいる側が負けるわけねェじゃん?」
不敵に曲がる唇は、自信にあふれている。
それでも、彼女の胸に湧く不安は拭えない。
戦争というワードが、比喩だとしても。
自分ごときの存在で争い事が起こるなど——あってはいけないと思う。
「……ロキ」
「んー?」
「とりあえず……〈ごご〉は、〈ごしんじゅつ〉をやろうとおもう」
キリリとした顔で宣言する彼女に、「それ、さっき聞いたけど?」ロキの目がきょとりと丸くなった。
——もし、ハウスを出る日が来るなら。
独りで生きられるよう、ありとあらゆることを学んでおきたい。
彼女の決心を知らないロキは、よく分からないままに、真剣な顔つきの彼女を見下ろしていた。
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日本の大都市で働くサラリーマンが、偶然出会った上司の妻に一目惚れしてしまう。彼女に強く引き寄せられるように、彼女との禁断の関係に溺れていく。しかし、会社に知られてしまい、別れを余儀なくされる。彼女との別れに苦しみ、彼女を忘れることができずにいる。彼女との関係は、運命的なものであり、彼女との愛は一生忘れることができない。
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