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Birthday Story 花火消えたるあとの

Into the Flame 1

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(現代ifストーリー:ロキ×歳上女性)

 夏の夜は危険だ。
 暑さに参った脳は冷静な判断を失い、喧騒けんそうに誘われて火に飛び入る。
 その身を焦がしていることさえ気づかない。


(最悪……)
 心の中で文句を吐きながら、汗ばんだ肌にまとわりつく浴衣を払おうと、足を大きく踏み出した。
 下駄げたの鼻緒が指に食いこみ、痛みが走る。こんな古くさい物、履いてこなきゃよかった。

——浴衣を着てるコっていいよね。

 あんな言葉に踊らされて、バカみたいだ。
 
 毎年恒例のように参加していた夏祭りに、今年はひとりでやって来ていた。新調した浴衣はとびきり華やかで、それがよりいっそう虚しさをあおる。
 長年付き合ってきた彼は、私なんかよりも浴衣の似合う可愛らしい女性と結婚する——らしい。浮気ではなく、私は数ヶ月前にきちんとフラれていた(仕事が忙しいから距離をおきたいと言われ、連絡がなかったあいだに別れたことになっていた)らしいし、彼の家にあった私の物はきっちり段ボールに詰めて送られてきた。
 きれいさっぱり、立つ鳥跡を濁さず。いや、このことわざは今の私に言い聞かせるべきものであって、あの男をたとえるものじゃない。

——俺、10月に結婚するんで。みなさん招待しますね!

 職場で明るく言い放った、あの男の笑顔が浮かぶ。いっそ全部ぶちまけてしまえば楽になれただろうか。
(あれ? 私たち付き合ってなかったっけ? 距離おく前に言ってた「将来のこと、ちゃんと考えたい」なんてセリフは、なんだった? ちゃんと考えたうえで、別れましょうってこと? そもそも付き合ってなかった? ああ、もしかして私ってセフレだったのかな?)
 ……言えるわけない。自分の立場と今後のことを天秤てんびんに掛けて、同僚たちのなか「おめでとう」と無難に流してしまうことを選んだのは、私だ。

 あんなとき、泣ける女だったら可愛かったのだろうか。しおらしく泣いてみせたら、あの男の心に未練を残してやれたのだろうか。——こんなふうに考える時点で、私はあの男を大して好きではなかったのだろうか。悲しいよりも、悔しい——なんて。ほんとうに可愛くない女。

 足元をうとましく見下ろすと、指の付け根が赤くなっているのが見てとれた。まだ着いたばかりで何も買っていないし、楽しんでもいないが——もう、帰ろう。仕舞われるだけの浴衣が可哀想で、なかば意地でやって来たけれど……あまりにもみじめだ。

 痛みが気になる足を、今度はゆっくりと踏み出した。大きな人の流れに逆らって、屋台の途切れる方へと歩いていく。もうじき花火が上がるため、こちら側に行くひとは少ない。すれ違うひとたちは、誰もが楽しそうに笑っていてねたましい。花火が爆発すればいいのに。
 ——そんな物騒なことを願っていたときだった。

「おねェ~さん、もしかしてひとり?」

 普段の私だったら、見向きもしないまま通り過ぎていた。キャッチなら構ってる余裕はないし、ナンパする男なんて恋愛対象外。
 ——なのに、そのとき思わず目線を動かしてしまったのは、背後で上がった大輪の花のせい。
 ぱっと周囲の目がそちらに向いて、花火の音が鳴りとどめいたのに、そのひとは私から目を離さなかった。

 虹色みたいなカラフルな髪に、ツヤのある黒シャツを着た長身。頭上を見上げるひとたちのなか、飛び出た頭でひとりだけ見下ろしていた。周囲の人ごみから浮かび上がったかのように、私だけを見つめて、

「祭りは今からだってゆ~のに、帰っちゃうわけ?」
「……連れが、来られなくなって」
「ドタキャン? あァ~……じつはオレも。ってかさァ、たぶんアイツら約束忘れてンだよなァ~……毎年ここで花火みようって約束したのに、忙しいから無理~って……どォ思う?」
「………………」

 知らんがな。
 あやうく突っこむところだったのを、グッと抑えた。目を合わせずに「私は帰ります。足も痛いんで」横を過ぎようとしたが、「足いてェの? 大丈夫?」なんだかれなれしい距離感で付きまとってきた。
 屋台がなくなると、流れに逆らう——というほどでもないくらい、人が減っていく。

「なァ、ちょい止まって」

 進行方向にくるりと躍り出てきたかと思うと、彼は急にしゃがみこんだ。進行妨害。目の前でひざまずいた彼を蹴っ飛ばせるマインドは持ち得ていない。それどころか、びっくりして立ち止まってしまった。

「うわ、皮めくれてンじゃん。痛くねェの?」
「……痛いから、いま帰るところなんですよね……」
「これ以上歩くと血ィ出るよ? 下駄が汚れるじゃん」
「(下駄の心配してる……)」
「なァ、オレの肩に手ェ乗せて、足上げて」
「? ……嫌ですけど?」
「なんで?」
「(理由訊きたいのはこっち)……あの、私帰るんで。どいてもらえます?」

 避けようとしたのに、足首にそっと触れられて、振り払えず戸惑った。ここで強引に引き抜いて相手が怪我けがした場合、私が傷害罪で捕まるのか? まさかね? 正当防衛かも?
 迷っているうちに、彼が斜め掛けしていたボディバッグから、片手で器用に何かを取り出した。薄いグレーの懐紙? ——あぁ、絆創膏だ。半透明の白い薄紙をめくると、黒い絆創膏が顔を出した。そんな色の絆創膏があるのか。絆創膏もオシャレな時代が来たな、なんて、しみじみ思っている場合じゃなく。

「足上げてよ」
「いえ、そこまでしてもらうのはちょっと……あの、ほんとにいいんで。帰ってから、ちゃんと……」
「帰るまでに血ィ出るじゃん? い~から、早く」
「いや、いいからって言うのは、私のほうで——わっ」
「ごちゃごちゃ言ってると転ぶよ?」

 触れていた足首を持ち上げられて、反射的に目下の肩を支えにしてしまった。前傾になったせいか、見知らぬ彼の香水のような匂いが鼻をかすめる。甘くスパイシー。真面目な青年なら選ばない香り。
 脳裏で本能的なアラートが鳴った。危機感めいたそれに従って帰るべきなのに、膝までついて私の足に絆創膏を貼っている姿が……。どうしても振り払えない。

「——ハイ、終わり。い~よ、足おろして」

 ニッと口角を引き上げて笑う顔が、下から私を見上げた。「……どうも」仏頂面の感謝に、彼は気を悪くすることなく立ち上がって、

「ネイル、どこでやってンの?」
「……え?」
「足の、ペディキュア。ギラギラしててかっこい~じゃん」
「これは……セルフ」
「マジ? お姉さん器用だねェ」

 彼の目線にならって足先を見た。細かい鉄粉で描かれた星空。SNSで見かけたマグネットネイルを、見よう見まねで。爪先まで気遣ってる女性が彼好みだったから……でも、こんな派手なのは彼の好みじゃなかった。後者は、最近知った。

「なァ、なんか食わねェ? 治療したお礼におごってよ」
「絆創膏ひとつでたかるんですか?」
「人件費って知らねェ? 親切へのお礼だろ?」
「……なら、たこ焼きで」
「い~ね。じゃ、買って来て。オレこの辺で待ってるし」

 図々しいなと思ったが、近場の屋台に並びに行ってから、一応は解放されたことに気づいた。(無視して帰るか)もっともなアイディアが浮かぶ。ちらっと来た方に目をやるが、カラフルな髪は見えない。このまま帰ってしまってもバレなさそう。……バレない、だろうに、

「らっしゃ~い!」

 にぎやかな声を受けて、たこ焼きを1パック買ってしまった。持って帰ればいいか。ちょうど私も何か食べたいと思っていたところで……

「おねェ~さんっ♪」

 跳ねるような声に、呼び止められてしまった。帰る方向である同じ道を戻ってしまったのだから、当然ともいえたのだが……視界でカラフルな頭が飛び出ていなかったから、油断した。呼ばれて振り返ってしまったのも失敗だ。

「たこ焼き、買えた?」
「……どうぞ」
「ドリンク買ったんだけど、どっちがいい?」
「え……は?」
「ラムネって知ってる? そこの屋台、昔から毎年出してンの。ラムネ味と、メロン。どっち?」

 ラムネのくせにラムネ味って。眺めていたら「こっち?」差し出された。

「いえ、私は要りません。全部どうぞ」
「なんで? ラムネ、キライだった?」
「……嫌い、ではないけど……」
「じゃ、これでい~よな? そこ座れる?」

 当たり前みたいに渡されて、当たり前みたいに受け取ってしまった。ラムネの瓶が、ひやりと手を冷やす。表面に結露した水滴が、川向こうから上げられる花火を映している気がした。
 ——どうでもいい。ほとんどやけっぱちな気持ちで、彼が指さした街路樹の奥、腰掛けるのにちょうどいい高さで造られた石づくりの花壇に座——ろうとしたが、

「浴衣が汚れるじゃん、なんか敷いたら?」
「……私の浴衣ですよ」
「お姉さんの浴衣なんだから、お姉さんが大事にすべきじゃん?」
「こんなの、どうでもいいです。もう着ないだろうし」
「じゃ、帰るまでは綺麗にたもって。オレの為に」

 先に座った彼はグリーンの瓶を横に置いて、斜め掛けのボディバッグから取り出した小さなタオルを隣に敷い(てくれ)た。絆創膏の件にも言えるが、外見に似合わず用意がいい。女をたらしこむ事前準備なのか、あるいは普段から怪我でもするのか。

「ど~ぞ」
「……どうも」

 隣に腰掛ける。脚の長い彼は座れているけれど、私は半分寄り掛かるような感じ。浴衣がシワにならない絶妙な角度。

「ラムネ、開けてやろっか?」

 たこ焼きを膝にのせた彼の目が、ワクワクときらめいていた。夏休み前半の子供は、たいていこんな顔をしている。若いな、と思った。

「開け方くらいは知ってます」
「こぼれるかもよ?」
「……なら、試しに先やってみてください」
「い~よ」

 飲み口にまったビー玉に、小さな専用のプラスチックを当てて、上から押し込む。かこんっ、しゅわわわ。軽快な音とともに中に落ちたビー玉と、立ちのぼる細やかな泡。メロンなんて、ひとしずくも入っていない着色料のグリーン。でも、渇いた身には魅力的に映った。

「ひとくち、飲んでみる?」

 開いた飲み口をこちらに傾けた彼の目が、街路樹のあいだに渡されたぼんぼりによって、オレンジ色に光っている。どうにでもなれと思っている私は、とくにためらわず手を伸ばした。受け取る指先が、彼の手にわずかに触れる。その感触を気にしないように、硬く冷たいガラス瓶をつかんであおった。

「どう?」
「……甘い」
「キライ?」
「嫌いでは……ないです」
「そっち飲みたい?」
「いえ、そちらで」

 答えてから、間接キスだなと。思春期みたいなドキドキではなく、不衛生だという理由で「——やっぱり、こちらで」そのままグリーンの瓶を手に、反対に持っていた水色の瓶を手渡した。

「こっちもオレが開けてい~の?」
「どうぞ」
「やりたいなら譲るけど?」
「全然やりたくないので、どうぞ」
「楽し~のに」
「そう……ですか?」
「不安定な炭酸水から気体が吐き出される感じ、気持ちよくねェ?」

 説明にまったく共感できない。彼の膝の上で、水色の瓶も心地よい音を立てて開けられた。たしかに爽快感はある——かも。

「かんぱァ~いっ」

 カンっと響いた、ガラス瓶がぶつかる音。
 暑さを一瞬忘れるほどには、涼やかだった。
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