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Chap.13 失名の森へ
Chap.13 Sec.11
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これは、昨夜の話。
「そっと降ろしてね? アリスちゃんが起きないように、そーっとね?」
「しつけぇな。ちゃんと気をつけるって言っただろ」
「しっ! 静かにして」
「…………(うぜぇ)」
人さし指を唇に当ててみせるティアに、セトは無言の横目をぶつけた。両腕に抱えるウサギは起きる気配を見せない。この程度の声で話しても、なんら影響はない。
ティアの私室に足を入れ、ベッドまで歩いて行く。先回りしたティアが、ぼんやりと光る照明のもと、ベッドを囲う邪魔くさそうな天蓋を開き、ベッド上を整えた。シーツの上にウサギをそっと置くと、記憶の底から浮かんだ映像が、既視感のように脳裏をかすめた——が、その寝顔は変化することなく、静かに眠っている。質量を感じていたセトの腕は負担を失い、物足りないような錯覚が残った。
「………………」
「……セト君、もう帰っていいんだよ?」
「……お前は、すぐ俺を追い出そうとしやがって……」
「誤解だってば。僕は何もしないよ」
「……そうかよ。まあ、口ではなんとでも言えるよな」
「……ほんとだよ? 僕は——何も、しない」
「………………」
ティアの囁き声は妙にきっぱりとしていて、セトには別の意味合いに聞こえた。ふたりの視線はベッドへと落ちていたが、セトはちらりとティアの方へ流し、
「……嘘つけ。お前、こうなるよう仕向けたろ」
「……なんの話かな?」
「とぼけんな。さっきのジャンケン、偶然とは言わせねぇぞ」
「やだな、僕のこと疑ってるの?」
「疑うも何も、事実だろ」
「………………」
意味ありげな微笑を唇に浮かべ、ティアはセトの横目を受け止めた。薄暗いなかで、暗い眼が互いに細められる。ひとつは、微笑むように。もうひとつは、疑わしげに。沈黙のままにしばし対峙していたが、ふ——と、ティアが吐息をこぼして両手を上げた。
「……降参。そんな睨まないでよ、白状するから」
「………………」
「って言っても、アリスちゃんに何かするつもりは、ほんとにないよ? 僕はただ……メル君の気持ちを汲んで、ロキ君とロン君のところに行かせたくなかったの」
「……信じられねぇな」
「え~? 僕のこと、なんだと思ってるの?」
「…………ペテン師」
「うん、それは普通に悪口だね。わりと的確で重みのある暴言だ」
「野獣よりかマシだろ」
「根に持つね……セト君は執念深いって聞いてたけど、こういうことかな?」
「誰だ、そんなこと言ったやつ」
「さぁ? 誰だろうね」
「どうせハオロンだろ」
「……どうかな?」
ゆるく唇を曲げたティアに、セトは話を逸らされていると気づいた。
「……ロキとハオロンを避けたかったなら、メルウィンでよかっただろ。お前、自分が勝ちにいったじゃねぇか」
「仕方なく——ね。メル君を勝たせる方法が、あのときは思いつかなかった」
「………………」
「君からしたら、いとも簡単に勝利を導いたように見えるのかもだけど……ほんとのところ、そんな万能じゃない。僕、魔法遣いじゃないからね」
「そんなこと分かってる。サイキックでもねぇし、ただの人間なことくらい——端から知ってる」
「そうだね、セト君は最初から、僕のこと同じ人間として……兄弟として、見てるね」
「——ごまかすな」
「ごまかしてるつもりは、ないんだ。ほんとに。……ジャンケンについては、セト君と初めてしたときに、君が……なんだっけ? 井戸? つぼ? とかいう手を出したでしょ?」
「……ピュイ、か。それがなんだよ?」
「そうそう、ピュイだ。グー、チョキ、パー、それからピュイ。昔から君たちのジャンケンは、4種類でやるのが普通なんだよね?」
「……それが?」
「うん、面白いよね」
「……は?」
「だって、グーチョキパーのみっつで成り立ってるのに、余計なものが入ったせいで力関係が崩れてるでしょ? 本来は三竦みみたいな構図のはずが、グーにもチョキにも勝つとかいうピュイのせいでさ……わけ分かんない」
「ピュイのせいってなんだよ。パーもグーとピュイに勝つだろ? ……つか、ハウス独自じゃねぇよ。お前が知らねぇだけで、一般的なジャンケンだからな?」
「そうなの? ジャンケンのくせに、えらく心理的だね」
「……いや、なんの話だよ。お前ら今日は3種類のジャンケンだったじゃねぇか」
「それは僕が、“Rock,Paper,Scissors”っていう声掛けをしたから」
「?」
「……僕が、誘導したの。君らの掛け声ってもっと別のでしょ? だから、あの掛け声で“3種類のジャンケンだ”って認識させたんだよ」
「なるほど……? まあ、そっちのジャンケンも知ってるしな。ピュイはガキの頃の名残っつぅか……」
「うん、一般的なゲームのなかで出てくるのも3種類のジャンケンらしいしね。知らないわけはないんだよ」
「? ……おい、俺らなんの話してんだ?」
「ジャンケンの話。どうして僕がひとり勝ちしたのか——つまるところ勝ちにいったのか。アリスちゃんをロキ君たちから引き離す手段が、これくらいしか浮かばなかったっていう——釈明中」
「……いや、全然分かんねぇし何も釈明されてねぇけど」
「え、まだ説明しないとだめ? もう大体は分かったでしょ?」
「………………」
「……だからさ、4種類バージョンに慣れてる君らは、変な刷り込みがあるんだよ」
「すりこみ?」
「グーは、不利な手だって。上位互換のピュイがあるから、普通は出さない」
「……それは分かるぞ?」
「でも、あれでしょ? ロン君あたりは、たまにグーも出すよね?」
「まぁな……たまに、だけど。それで勝つと気持ちいい、とか言ってるな」
「うん、ロン君はいい性格してるね」
「……で?」
「——で、グーの手は不利だっていう刷り込みのなか、僕が“3種類でやりますよ?”って、いきなり振ったから……一瞬の動揺が生まれたはずなんだ。とっさに出しやすいのは、本当はグーなんだけど……グーは不利だって思い込んでるから、反射的にそれを避けて、次に出しやすいパーが出たんだよ。4種類ジャンケンでも、パーは勝ちやすいだろうから……」
「そんなうまくいくか……?」
「ま、半分は賭けだったね。僕のなかでは、メル君とロン君はいけると思った。心の動きも読みやすいし。ロキ君は動揺しない代わりに……僕の言った“ジャンケンなら平等”っていう意見を心のなかで否定するだろうから、一般的にグーを出しやすいっていう——心理的なほうの確率を意識して、“メル君あたりはグーを出すだろう、ならパーを出しておけば負けはない”。あの一瞬で、そう判断してくれるかもって。その程度は期待してたけど」
「ふぅん……理屈を聞くと大したことねぇな?」
「まぁね、マジックは大概そういうものだよ」
「……けど、そういうことをいつも考えてると思うと……お前、けっこう恐ぇな」
「うん、褒め言葉として受け取っとく」
「………………」
「……はい、もういいかな? アリスちゃんの寝顔を見つめる時間はおしまいだよ」
「変な言い方すんな。そこまで見てねぇだろ」
「いやいや、見てるよ? 僕がいなかったら何するか分かんないよね?」
「別に何もしねぇよ……全然起きねぇなって思ってただけだ」
「ふ~ん?」
「あのな……俺だってお前と同じだ。ウサギには何もしねぇよ」
「……そう?」
「そうだよ」
「…………この前、セト君の順番だったときは? 何もしてないの?」
「………………」
「——ほらね、嘘ばっかり」
「何も言ってねぇだろっ!」
「しぃーっ!」
声を張ったことにハッとしたが、目下の人形めいた彼女に変化はない。ふたりは静かに顔を見合わせた。
「……ぐっすりだね? 眠れる森のアリス、って感じ」
「なんだそれ」
「おとぎ話だよ。永遠の眠りについたお姫様が、王子様のキスで目覚めるんだ」
「王子だったら、眠ってるやつを襲っても許されんのか」
「人工呼吸みたいなものじゃない? 命を救うため、ということで、ありなのかも?」
「そうかよ……」
「ま、今はセト君がキスしても起きなさそうだね」
「俺は眠ってるやつに手ぇ出すほど飢えてねぇ」
「突っこみどころはそこでいいのかな……? でもほんと、よく眠ってる。すごく眠たかったんだろうね……」
「…………私室くらい、与えてやってもいいのにな」
「……そうだね」
「サクラさんに、言ってみるか……?」
「……無駄じゃないかな」
「………………」
「………………」
しばらくのあいだ見下ろしていたが、ティアが口を開く前にセトは部屋を出て行った。ティアも浴室に向かおうと背を向けたが、首だけ振り返ると、その寝顔に小さく声をかけた。まるで独り言のように、
「おやすみ、アリスちゃん」
それは、摩訶不思議な世界に迷い込む、無垢な少女の名前。
不思議の国の住人たちは、少女を歓迎しない。気ままに生きつつも特異なバランスで成り立つ彼らの関係性を、招かれざる少女は揺るがしていく。——崩壊まで。
そんな名前を彼女に与えたのは、他でもない——ティア自身だった。
「そっと降ろしてね? アリスちゃんが起きないように、そーっとね?」
「しつけぇな。ちゃんと気をつけるって言っただろ」
「しっ! 静かにして」
「…………(うぜぇ)」
人さし指を唇に当ててみせるティアに、セトは無言の横目をぶつけた。両腕に抱えるウサギは起きる気配を見せない。この程度の声で話しても、なんら影響はない。
ティアの私室に足を入れ、ベッドまで歩いて行く。先回りしたティアが、ぼんやりと光る照明のもと、ベッドを囲う邪魔くさそうな天蓋を開き、ベッド上を整えた。シーツの上にウサギをそっと置くと、記憶の底から浮かんだ映像が、既視感のように脳裏をかすめた——が、その寝顔は変化することなく、静かに眠っている。質量を感じていたセトの腕は負担を失い、物足りないような錯覚が残った。
「………………」
「……セト君、もう帰っていいんだよ?」
「……お前は、すぐ俺を追い出そうとしやがって……」
「誤解だってば。僕は何もしないよ」
「……そうかよ。まあ、口ではなんとでも言えるよな」
「……ほんとだよ? 僕は——何も、しない」
「………………」
ティアの囁き声は妙にきっぱりとしていて、セトには別の意味合いに聞こえた。ふたりの視線はベッドへと落ちていたが、セトはちらりとティアの方へ流し、
「……嘘つけ。お前、こうなるよう仕向けたろ」
「……なんの話かな?」
「とぼけんな。さっきのジャンケン、偶然とは言わせねぇぞ」
「やだな、僕のこと疑ってるの?」
「疑うも何も、事実だろ」
「………………」
意味ありげな微笑を唇に浮かべ、ティアはセトの横目を受け止めた。薄暗いなかで、暗い眼が互いに細められる。ひとつは、微笑むように。もうひとつは、疑わしげに。沈黙のままにしばし対峙していたが、ふ——と、ティアが吐息をこぼして両手を上げた。
「……降参。そんな睨まないでよ、白状するから」
「………………」
「って言っても、アリスちゃんに何かするつもりは、ほんとにないよ? 僕はただ……メル君の気持ちを汲んで、ロキ君とロン君のところに行かせたくなかったの」
「……信じられねぇな」
「え~? 僕のこと、なんだと思ってるの?」
「…………ペテン師」
「うん、それは普通に悪口だね。わりと的確で重みのある暴言だ」
「野獣よりかマシだろ」
「根に持つね……セト君は執念深いって聞いてたけど、こういうことかな?」
「誰だ、そんなこと言ったやつ」
「さぁ? 誰だろうね」
「どうせハオロンだろ」
「……どうかな?」
ゆるく唇を曲げたティアに、セトは話を逸らされていると気づいた。
「……ロキとハオロンを避けたかったなら、メルウィンでよかっただろ。お前、自分が勝ちにいったじゃねぇか」
「仕方なく——ね。メル君を勝たせる方法が、あのときは思いつかなかった」
「………………」
「君からしたら、いとも簡単に勝利を導いたように見えるのかもだけど……ほんとのところ、そんな万能じゃない。僕、魔法遣いじゃないからね」
「そんなこと分かってる。サイキックでもねぇし、ただの人間なことくらい——端から知ってる」
「そうだね、セト君は最初から、僕のこと同じ人間として……兄弟として、見てるね」
「——ごまかすな」
「ごまかしてるつもりは、ないんだ。ほんとに。……ジャンケンについては、セト君と初めてしたときに、君が……なんだっけ? 井戸? つぼ? とかいう手を出したでしょ?」
「……ピュイ、か。それがなんだよ?」
「そうそう、ピュイだ。グー、チョキ、パー、それからピュイ。昔から君たちのジャンケンは、4種類でやるのが普通なんだよね?」
「……それが?」
「うん、面白いよね」
「……は?」
「だって、グーチョキパーのみっつで成り立ってるのに、余計なものが入ったせいで力関係が崩れてるでしょ? 本来は三竦みみたいな構図のはずが、グーにもチョキにも勝つとかいうピュイのせいでさ……わけ分かんない」
「ピュイのせいってなんだよ。パーもグーとピュイに勝つだろ? ……つか、ハウス独自じゃねぇよ。お前が知らねぇだけで、一般的なジャンケンだからな?」
「そうなの? ジャンケンのくせに、えらく心理的だね」
「……いや、なんの話だよ。お前ら今日は3種類のジャンケンだったじゃねぇか」
「それは僕が、“Rock,Paper,Scissors”っていう声掛けをしたから」
「?」
「……僕が、誘導したの。君らの掛け声ってもっと別のでしょ? だから、あの掛け声で“3種類のジャンケンだ”って認識させたんだよ」
「なるほど……? まあ、そっちのジャンケンも知ってるしな。ピュイはガキの頃の名残っつぅか……」
「うん、一般的なゲームのなかで出てくるのも3種類のジャンケンらしいしね。知らないわけはないんだよ」
「? ……おい、俺らなんの話してんだ?」
「ジャンケンの話。どうして僕がひとり勝ちしたのか——つまるところ勝ちにいったのか。アリスちゃんをロキ君たちから引き離す手段が、これくらいしか浮かばなかったっていう——釈明中」
「……いや、全然分かんねぇし何も釈明されてねぇけど」
「え、まだ説明しないとだめ? もう大体は分かったでしょ?」
「………………」
「……だからさ、4種類バージョンに慣れてる君らは、変な刷り込みがあるんだよ」
「すりこみ?」
「グーは、不利な手だって。上位互換のピュイがあるから、普通は出さない」
「……それは分かるぞ?」
「でも、あれでしょ? ロン君あたりは、たまにグーも出すよね?」
「まぁな……たまに、だけど。それで勝つと気持ちいい、とか言ってるな」
「うん、ロン君はいい性格してるね」
「……で?」
「——で、グーの手は不利だっていう刷り込みのなか、僕が“3種類でやりますよ?”って、いきなり振ったから……一瞬の動揺が生まれたはずなんだ。とっさに出しやすいのは、本当はグーなんだけど……グーは不利だって思い込んでるから、反射的にそれを避けて、次に出しやすいパーが出たんだよ。4種類ジャンケンでも、パーは勝ちやすいだろうから……」
「そんなうまくいくか……?」
「ま、半分は賭けだったね。僕のなかでは、メル君とロン君はいけると思った。心の動きも読みやすいし。ロキ君は動揺しない代わりに……僕の言った“ジャンケンなら平等”っていう意見を心のなかで否定するだろうから、一般的にグーを出しやすいっていう——心理的なほうの確率を意識して、“メル君あたりはグーを出すだろう、ならパーを出しておけば負けはない”。あの一瞬で、そう判断してくれるかもって。その程度は期待してたけど」
「ふぅん……理屈を聞くと大したことねぇな?」
「まぁね、マジックは大概そういうものだよ」
「……けど、そういうことをいつも考えてると思うと……お前、けっこう恐ぇな」
「うん、褒め言葉として受け取っとく」
「………………」
「……はい、もういいかな? アリスちゃんの寝顔を見つめる時間はおしまいだよ」
「変な言い方すんな。そこまで見てねぇだろ」
「いやいや、見てるよ? 僕がいなかったら何するか分かんないよね?」
「別に何もしねぇよ……全然起きねぇなって思ってただけだ」
「ふ~ん?」
「あのな……俺だってお前と同じだ。ウサギには何もしねぇよ」
「……そう?」
「そうだよ」
「…………この前、セト君の順番だったときは? 何もしてないの?」
「………………」
「——ほらね、嘘ばっかり」
「何も言ってねぇだろっ!」
「しぃーっ!」
声を張ったことにハッとしたが、目下の人形めいた彼女に変化はない。ふたりは静かに顔を見合わせた。
「……ぐっすりだね? 眠れる森のアリス、って感じ」
「なんだそれ」
「おとぎ話だよ。永遠の眠りについたお姫様が、王子様のキスで目覚めるんだ」
「王子だったら、眠ってるやつを襲っても許されんのか」
「人工呼吸みたいなものじゃない? 命を救うため、ということで、ありなのかも?」
「そうかよ……」
「ま、今はセト君がキスしても起きなさそうだね」
「俺は眠ってるやつに手ぇ出すほど飢えてねぇ」
「突っこみどころはそこでいいのかな……? でもほんと、よく眠ってる。すごく眠たかったんだろうね……」
「…………私室くらい、与えてやってもいいのにな」
「……そうだね」
「サクラさんに、言ってみるか……?」
「……無駄じゃないかな」
「………………」
「………………」
しばらくのあいだ見下ろしていたが、ティアが口を開く前にセトは部屋を出て行った。ティアも浴室に向かおうと背を向けたが、首だけ振り返ると、その寝顔に小さく声をかけた。まるで独り言のように、
「おやすみ、アリスちゃん」
それは、摩訶不思議な世界に迷い込む、無垢な少女の名前。
不思議の国の住人たちは、少女を歓迎しない。気ままに生きつつも特異なバランスで成り立つ彼らの関係性を、招かれざる少女は揺るがしていく。——崩壊まで。
そんな名前を彼女に与えたのは、他でもない——ティア自身だった。
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