【完結】致死量の愛を飲みほして【続編完結】

藤香いつき

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Chap.12 薔薇色に塗り潰すなら

Chap.12 Sec.8

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「さいあく……これ、ぜったい明日は筋肉痛だよ……ひどい……あんな仕打ち受けたの、人生で初めてだ……屈辱くつじょくってこういうことなんだ……」

 トレーニングルームから食堂へのルートで、ティアのぶつくさ言う声がもれ続けている。斜め前方で先を進んでいたセトが、あきれ果てて吐息した。ティアの横に並んでいたハオロンも、あきれがち。

「あれぐらいで騒いでんじゃねぇよ。……大げさなやつだな」
「ティア、よわよわでビックリやの。セトが怒るのも、しゃあないわ」
「ロン君までそんなこと言う……これはもうイジメだ……」
「ごめんの? でもぉ、毎日トレーニングしたら上手くなると思うし、がんばっての」
「毎日っ? え、やだよ! むりむり! しんじゃう!」
「大丈夫やって。人って、そぉ簡単に死なんからぁ」
「しぬよ! 僕は簡単にしんじゃうよ! セト君みたいなひとと一緒にしないで!」
「俺もお前と一括ひとくくりにされたくねぇ」

 騒がしい声が食堂へと入っていく。調理室へのドアから迎え出たのはメルウィンで、3人の姿に1秒だけ期待が外れたような間があった。はっとして、

「お疲れさま。スコーン、焼けてるよ」
「……わぁい」
「ティアくん……大丈夫? ……大変だったよね……?」
「それ。僕が求めてたのはそういう優しさ」
「…………?」
「僕のミスだ……ロン君じゃなくてメル君を連れて行くべきだったんだ……」
「……えーっと?」

 悲愴感をまとったティアが窓側の通路を進んで、端に着席した。反対の廊下側を進んだセトは「そいつは放って置け」メルウィンに告げてティアと向かい合わせに座りかけ、

「メルウィンは? 食うのか?」
「ぁ……うん、僕も食べるよ」

 端をひとつ空けて着席した。流れ動くワゴンとロボが手際てぎわよく食事の席をととのえていく。ティアの横に並ぼうとしていたハオロンが「サンドウィッチもあるんかぁ?」テーブルの上のプレートを見て、メルウィンに尋ねた。

「うん、本格的なアフタヌーンティーを意識してみたよ」
「そぉなんか……これやったら……。うち、ロキのとこ持って行ってみるわ」
「? ……ロキくん、サンドウィッチ好きなの?」
「ん~ん、知らん」
「…………?」
「これ、小さくて一口で食べやすそうやろ? ロキは片手間に食べられるもんがいいんやって。昔からやけどぉ……食べるだけの時間が好きじゃないみたいやの」
「そう……なんだ。それは、知らなかった……」

 こんなに長く共に暮らしているのに。思っただけで、メルウィンは口にはしなかった。
 サンドウィッチとスコーンを載せたワゴンを連れて、ハオロンが食堂から出て行く。メルウィンはその背中を見送ってから、視線をテーブルに戻した。〈いただきます〉を待つティアとセトの顔が、なんとなく〈まて〉をしている子犬に見えた。とても失礼なイメージ。でも、かわいい。さっきまでちょっと言い争っていたのに、大人しく待機している。

「……いただきます」
「「いただきます」」

 席に着いて応えた。ロボが淹れた、アールグレイの紅茶が香り立つ。ティアはミルクティーにしたようだった。
 本格的なアフタヌーンティーを意識して、プレートは3枚。サンドウィッチ、スコーン、ミニケーキ。ティアの前はどれも品よくこじんまりと盛られているが、セトのほうはこんもりと分量重視で載せられている。(ほんとはケーキスタンドを使って三段に積もうかと思ったけれど、やめた理由はこれ)
 サンドウィッチを瞬殺したセトは、ピラミッドのごとく積み重ねられていたスコーンを、てっぺんからき崩していく。それを眺めていたティアとメルウィンは、かなり身を引いていた。

「セト君の胃ってさ、どうなってるの?」
「僕も……昔から、気になってる」
「うるせぇな。俺はそんだけ動いてんだよ」

 チョコチップのスコーンを美味しそうに食べる横顔に、メルウィンは小さく笑った。ふたりの顔を見たティアもまた、苦笑ぎみではあるが、微笑んでティーカップに口をつけた。

「ぁ……セトくん、チョコで思い出したんだけど……昨日のパン・オ・ショコラは、どうだった?」
「………………」
「? ……完食してたから……てっきり、セトくんも食べたのかと思ったんだけど……まさか、アリスさんが、あの量をひとりで食べた……?」

 メルウィンの眉がハの字に下がる。セトはそちらを見ることなく、

「知らねぇ。……あのあと、ウサギはロキのとこ行ったんだよ。ワゴンも転送した」
「ぇっ……やっぱり、セトくんは……ひとつも食べてない……?」
「食ってねぇよ」
「………………」
「……なんだよ? 文句でもあんのか?」
「文句は……ちょっと、ある……かも」
「はぁ?」

 定型分のように言っただけで、本当にメルウィンから文句が出るとは思わなかったのか、セトが片眉を上げて横を向いた。ティアはというと、耳は傾けているが、スコーンを割ってクロテッドクリームを塗ることに腐心ふしんしているため、発話を放棄している。

「あのパンは……アリスさんの手作りだったんだよ……?」

 一瞬、ぴたっとふたりが止まった。セトの口と、ティアのスコーンを口に運ぼうとした手が、シンクロしたように。ティアだけはすぐに動作を再開した。メルウィンは気づくことなく言葉をつなげていく。

「アリスさんが、セトくんの好きなものを作りたいって言って……僕は最初、なんでも食べるから気にしなくていいって言ったんだけど……それなら、チョコレートのパンはどうかって、提案しちゃったんだ。……でも、結果はセトくんに“要らない”って言われたから……アリスさん、僕の信用なくしてるかも……」

 ティアの目が、セトの様子をちらり。面喰めんくらって動けずいる彼の代わりに、口を開いた。

「大丈夫だよ、アリスちゃんはそんなこと気にしない子だよ」
「……でも、今日は……まだ一度も、食堂に来てない……」
「それはメル君が理由じゃないと思うよ」
「そうかな……」
「うん、僕が保証する」
「………………」
「きっと疲れて休んでるんじゃないかな? ……だいじょうぶ」

 最後だけは、保証ではなくティア自身がそう信じたくて唱えた。イシャンを観察したが、答えは出ていない。ロキに彼女のことを追及されて焦燥している感じも見えたが、誰かに——ロキかどうかはさておき——彼女を引き取ってほしいようにも見えた。部屋から出て来ないのは彼女の意思——というのも、あながち嘘ではないように思う。

 メルウィンとティアのやり取りを、たぶん途中から聞いていなかったセトに向けて、「セト君、口が止まってるよ」ティアは指摘した。動くことを思い出したセトが、口腔こうくうのものを呑みくだし、

「手作りなら、先に言えよ。そしたら……食ったのに……」

 ぼそっと言い訳の響きでつぶやいた。メルウィンが不思議そうな目を返す。

「そうだったの……? でも、パンが手作りなのは……いつものことだよ……?」
「それは知ってる」
「……?」

 ティアが不自然にニコリと笑った。それに素早く反応したセトは、じろっと軽くにらみつけてから、メルウィンに目を戻し、

「俺のために作ったなら、そう言ってくれっていう——話だ」
「そっか……言ったほうが、よかったんだね?」
「いや、俺も……気づかなくて悪かった……のか?」
「……そうなると、パンは……ロキくんが食べたのかな……?」
「……それは知らねぇ」
「セトくんが食べたらいいなと思って、いっぱい送ったんだよ。……それが、からっぽになってたから……ロキくん、パン・オ・ショコラ好きなのかな……? でも、いつも甘いものは食べないよね……?」
「さあな。昔は食ってたし、食おうと思えば食えるんじゃねぇの? ……ったく。こんなときだけ食いやがって……ひとつくらい残しとけよ」
「でも……誰かに食べてもらえたなら、よかった」
「俺のために作ったんだろ。俺が食うことに意味があるだろ」
「それはそう……なんだけど……?」

 ふたりの会話を片耳に、ティアだけは(アリスちゃんから、手作りだって聞いたんだろうね。セト君が食べなかったってエピソードに……もしかしたら、同情したかな? ……それか、独占欲? ……どっちの気持ちが強かったのかな?)推測しつつ、目を伏せてミルクティーを飲んだ。まろやかさを味わっていると、ふとサクラの話を思い出した。

「そうそう、訊きたいことがあるんだけど……“箱の中の猫”って、なんの比喩か分かる?」

 ティアの方へと、ふたりが目を向けた。メルウィンはブラウンの眼をパチクリとさせる。セトは数秒黙ってから、

たとえっつぅか……シュレディンガーの猫じゃねぇの?」
「だれの猫って?」
「〈エルヴィン・シュレディンガー〉」
「しゅろぇでぃんがー? 僕の知らない兄弟?」
「いや、昔の物理学者」
「物理学者も猫を飼うんだ……そうだよね、飼ってもいいよね。……ちなみに、その猫って最後は死んじゃうの? それとも箱から逃げちゃう?」
「お前……なんか勘違いしてると思うぞ。量子力学の確率解釈の話だからな?」
「うん? ……猫は?」
「猫は飼ってねぇよ……いや、飼ってたかも知んねぇけど」
「? ……つまるところ、お話の猫はどうなるの?」
「——だから、ミクロをマクロに拡大しようとした思考実験で……猫はどうでもよくて……」
「え? どうでもいいってどういうこと? 僕は猫の結末が知りたいんだけど?」
「結末とかねぇし」
「うん? 結末がないなら、とりあえず死んでないってこと?」
「箱の中では生死が重なり合ってんだよ。生死は俺らの認識で……つまり0か100として。けど箱の中の猫は50だから、開けて確かめないと0か100に決まらないなんてことがあるのか? っつぅ批判をしたらしいんだよ」
「???」
「……“ニュートンの林檎りんご”みてぇなもんだ」

 会話を見守っていたメルウィンが(セトくん……説明するの諦めた……あとそれは違う気が……)ほんの少し首を傾ける。ティアは「あっ」ひらめきを見せ、

「そのひとは知ってるかも。もしかして、ハウスのりんごを改良したひと?」
「「………………」」
「ふたりとも、なんでそんな顔するの? それってどういう感情?」

 すんっとしたセトとメルウィンの沈黙に、ティアは心のうちを読み解けず肩をすくめた。気にせず優雅にティーカップをつまんでみせるティアに、セトが低い声で、

「お前……義務教育やり直して来い」
「えっ? なんで?」
「ニュートン知らねぇのは駄目だろ」
「そんな有名なひとだっけ?」
「単位にもなってる」
「……単位? なんの?」
「…………冗談で言ってんのか?」
「もう、セト君はやだな~? ……なんでそんな信じられないもの見るみたいな目をするんだか……あれ? メル君?」
「……ティアくん、だいじょうぶだよ。それくらいなら、僕が教えてあげられるから……まだ、間に合うと思う」
「ちょ、ちょっと! ふたりともひどいよ! なにっ? イジメの続き!? そんなこと知らなくても生きていけるからねっ?」

 顔を赤くして声高に反論するティアと、「いや、生きていけねぇぞ」「設計でも使えるから……知ってて損はしないし、勉強してみよう?」言い聞かせるふたりの声が入り混じる。
 昼下がりのお茶会は、にぎやかに過ぎていった。
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