【完結】致死量の愛を飲みほして【続編完結】

藤香いつき

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Chap.1 X in Unknownland

Chap.1 Sec.4

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 誰かに背負われるなんていつ以来だろう、と追想にふけりかけて、そうだ私は記憶がなかったのだと落胆した。
 自分自身のことが分からないのに、この場所が本来いた世界ではない、ということは断言できる。自分にまつわることだけが、脳内からすっぽりと抜けてしまったみたいな。
 なぜ忘れてしまったのだろう。原因を考えても分からないので、青年の背中に乗ったまま、仕方なく周囲を眺めていた。

 いくつもの高いビル群。まっすぐに天まで伸びているものもあるが、流麗なカーブをえがき信じられないバランスで建っている物もある。通りに面している建物への入り口は、すべて破壊か開放されている。ただ、本当に人がいない。そういえば車も見かけない。
 ——と、思っていたところ、ちょうど車かも知れないと思える形の物体を見つけた。小型バスくらいのサイズ感で、真っ白な丸いフォルムの……マンボウ、みたいな。
 いやなぜ、自分の名前が分からないのにマンボウは出てくるのか。真剣に自分の脳を開いて見てみたいくらい疑問だ。

 くすんだ金髪の先に見えるマンボウを見ようと、わずかに身を乗り出そうとして、に気づいた。

 ——漆黒の死神。

 浮かんだイメージが不吉すぎて、震えた背筋をごまかすように頭を振った。見えたのは、黒い服を着た人影だった。

「ほら、着いたぞ」

 金色の青年の声が耳に届く。そして、

「——サクラさん!」

(——さくら?)

 聞き慣れたような響きで、金の青年は声を張りあげた。それにともなって、マンボウみたいな物体のそばにいた黒色の人影がこちらを見遣る。

 白い肌に、すこし長めの漆黒の髪。すらりと伸びた手脚。金髪の青年よりもさらに背が高い気がする。着物のような、けれども違う、不思議な服を着ていた。
 丈の短い白の着物に、黒の細身のボトムスを合わせている。白い着物の上には黒の羽織を重ねており、(和洋折衷とはこういうことかも……)変に納得させられる、めずらしい格好をしていた。
 首には輝きが強い青の石がついたチョーカー。金の青年と同じだ。その青年は、こちらの姿を捉えて、ふっと笑った。
 柔和な笑顔は、最初の不吉な印象とは違い、どこか懐かしく感じた。身に覚えなどないくらい、深いブルーの眼なのに。

 しかし、微笑を浮かべた彼の顔から——おそらく私の存在に気づいて——表情が消えた。青い眼が、すっと細められた。

「……は?」

 近づいてかけられた第一声は、恐ろしいほどに冷たかった。私だけではない。肩がこわばった金の青年も、その威圧に焦燥感を覚えたはずだ。私はここに、来てはいけなかったのではないか。

「いや、……これはその……いろいろあってよ」

 金の青年が歯切れ悪く返している。すると、

「あれ? セト君?」

 空気に合わない明るい声が聞こえた。マンボウと心の中だけで呼んでいた物体の側面に、もうひとり——いや、ふたりの青年が。

「え~? もしかして、ついに人間拾って来ちゃったの?」

 ひとりは一見すると女性にも見えるくらい、やわらかな雰囲気をまとった青年。腰までありそうなほど長い髪はに透けるプラチナブロンドで、薄く色付いたサングラスを掛けている。奥の瞳からはこちらに対する好奇の色が見えた。服装はシフォンのような薄いシャツの上に、ラベンダーカラーの長いカーディガンを重ねている。アイボリーのスラックスを覆うそれはワンピースみたいで、エルフのお姫様と名乗られても信じてしまいそうだ。

「拾ってねぇよ。動物じゃあるまいし。感染者から助けてやったんだよ」

 応えた金の青年に対して薄い唇を曲げ、からかうような顔をしている。

 もうひとりは、かなり対照的で精悍せいかんな青年。濃い褐色の肌に、墨色の髪。髪全体をざっくりと後ろに流している。眼も黒い。金色の青年と同じく筋肉質な印象で、カーキのブルゾンに暗い緋色のインナーが目立っている。
 無言のまま、とくになんの感情も見えない顔でこちらを見ているが、ジーンズの太ももに巻きついたベルトの何か——ひょっとして銃器ではないか——に手をかけていた。わずかも歓迎されていないどころか、全面的に警戒しかされていない。

 手前にいた着物の男性が、腕を組み、口角をわずかに上げて、

「それで? 何故、連れてきたのか——説明してもらおうか」

 最初とは違う、冷ややかな笑顔。笑っているのに、細められた目に親しみはない。
 ——いきなり、金の青年が私を背中からおろした。落とすつもりはなかったようで、うまく足が地に着くようある程度の支えはあったが、びっくりして悲鳴をあげかけていた。
 すぐさま肩を掴まれて、金の青年よりも前に突き出され、

「話が通じねぇんだよ、こいつ」

 私の姿を正しく捉えた3人全員が、刹那、差はあれど硬直した気がした。そういえば、金の青年も出会ったときに驚いていたようだった。
 私の容姿はめずらしいのだろうか。たしかに他の4人はみな背が高く、顔も彫りが深い。私と同じ人種とは思えない。
 金の青年が、

「……に……似てるよな」
「そうかな? 髪型が似てるだけじゃない?」

 私のことを紹介してくれているのだろうか。長髪の美人な青年が、肩をすくめて何か応えている。

「まあ、それはどうでもいいんだけどよ。こいつ、なに言ってるか分かんなくてさ。共通語じゃねぇ言語で話してきて……俺にすがりついてなんか訴えてくるしよ……なんつぅか……放っとけなくて……つい、」
「——つい、拾ってきちゃった?」
「違うって言ってんだろ。サクラさんなら話せるかも知んねぇから、説得してもらえると思ったんだよ」
「説得って、なにを説得するの?」
「……うるせぇな。俺だってよく分かってねぇんだよ。とにかく、ほら、サクラさんに話せよ」

 私の頭越しに金の青年と長髪の青年が話しているのを見ていたら、急に金の青年が私の頭を掴んで、着物の青年へと強引に向けた。訳がわからず金の青年を振り返ろうとしたが、

「こっち見んな。ほら、さっきペラペラ話してたやつ、もう一度言えよ」

 強制的に頭を戻される。自己紹介でもしろと言っているのだろうか。

 目の前にいる着物の青年は、すべてのやり取りに目を細めたまま沈黙していたが、ちらりと私に視線を流し、

「共通語が、分からないのか?」
『…………?』

 なにかを、尋ねてくれている。
 間近でみる彼は端整たんせいな顔立ちで、青白い肌に嵌まったブルーの眼がすこし怖い。深い海の底のような青。のぞき込んだら、吸い込まれてしまいそうな。

「なに黙ってんだよ。ほら、言いたいことあっただろ?」

 頭に乗せられていた手が、指先だけでトントンと私に何かをうながす。自己紹介しようにも、自分の名前が分からないのに。

『……こんにちは』

 口にしてから、ものすごく場違いな言葉を言った気がした。しかし、初めましてと言ったところで同じだと思われるので、正解をそもそも導き出せたはずがない。
 (……どうしよう)戸惑う私に、着物の青年は意外にも得心がいったようで、

『この言語なら分かるのか?』

 ——まさかの! 通じた!

『わ、分かります!』

 興奮して高くなる私の声に、頭上から「うるせぇよ。落ち着け」ぐっと圧がかかった。そろそろ頭を離してもらいたい。
 長髪の青年が「その言語ってさ……」複雑な顔をして何かつぶやいたが、すぐに口を閉ざした。着物の青年も他の青年たちも、とくに気にしていない。
 それよりも、知っている言語を聞けたこと、伝わることに感動して、私は話を続けた。

『あの、私、気づいたら道ばたで寝ていて、起きたら化け物がいて、後ろの……金髪の彼に助けられて。それについてはとても感謝しています。彼にもそう伝えてもらえたら助かります。それで……なぜか、私は記憶がなくて、』

 飛びつきそうなくらい高揚していた私の唇を、着物の青年が青白い指先で押さえた。

『少し、黙ってくれ』

 唐突に遮られ、困惑したまま口をつぐむ。うるさかっただろうか。
 私たちのやり取りを聞いてか、後ろで金の青年が感嘆の声をあげた。

「すげぇな! ほんとに分かるんだな」
「さすがサクラさんだよね。——で、なんて言ってるの、この子。セト君に拉致らちされたって言ってる?」
「拉致ってねぇよ」
「だってこの子、女性[female:生物学的な性差による女]でしょ? 欲望のままにさらっちゃったのかなぁって」
「あ? 欲望のままに生きてる奴ならとっくに犯してるだろ。俺はそこまで分別ふんべつなくねぇよ」
「あ、今ちょっと早口になったね。あやしいな」
「なにも怪しくねぇって……しつけぇな」

 にこにこと楽しそうな長髪の青年。金の青年は辟易へきえきしている。黒髪のたくましい体つきの青年は、私のことを見たまま何も言わない。
 私の口を止めた着物の青年は、彼らの方に視線を戻し、

「話が長くなりそうだから、先に中へ入っていてくれ」
「こいつはどうすんだ? もうしばらくしたら日も沈むし、中で話せばいいんじゃねぇか?」
「信用できない人間を入れるのか?」
「いや……でもよ、こんなところで放り出したら……」
「こらこらセト君、わがまま言わないの。サクラさんの判断に任せよう?」

 言いよどんだ金の青年の肩に、長髪の青年が手を置いて、言い聞かせるように声をかけた。金の青年が一瞬だけ私を見て、伏せるように目をそらす。

 そのまま、着物の青年以外は、マンボウ——やはり乗り物だ。側面に人ひとり分の切れ目が入り、なめらかに割れてドアが開いた——に乗り込んでいった。
 西陽にしびのなか、着物の青年とふたりきりで取り残される。青い眼が、こちらを向いた。

『何故、ここに?』

 刺すような、懐疑的な瞳。

『え……? あ、あの……私、記憶が……その、記憶喪失? みたいで……』
『——それで?』

 くすり、と。馬鹿にするように笑った。

『彼について来た理由は? 面倒見のよい彼なら助けてくれるだろう——と判断して、利用したか?』

 冷たい声音。
 否定は、できない。あのとき、私はたしかに、治療してくれた彼に助けてもらおうとした。それが最善の策だと思って……金の青年は悪い人ではないと——確信したから。

『お前が健忘症だろうと、それを証明するすべはないな? ……ならば、信用もできない』

 淡々とした話し方に、私は今ごろ気づいた。
 ——このひとは、私を受け入れる気がない。

 さらされたままの素足から、すうっと熱が奪われていくのを感じた。——寒い。

 私は、なぜ助けてもらえると思ったのだろう。言葉が通じたというだけで、なにか勘違いをしてしまった。まるで仲間を見つけたかのような、勝手な期待を——。

『こういう時世だ。他人まで助けている余裕はない。今すぐ、ここから立ち去ってもらおうか』

 突き離すような言葉が、体の熱を奪っていく。逃がさないように、ジャケットの前をぎゅっと握った。
 ——彼に、この上着を返さないと。
 そんな、どうでもいいような思いつきが、脳裏をかすめる。

『……あ、』

 なにかを。
 なにかを、言わなければ。
 真っ白な絶望に染まっていく頭のなかで、どうにかして助けを乞わなければと思ったけれど、なにも言葉が出てこない。

 ほんとうに、記憶がないのに。
 私は、この世界を——まったく知らないのに。

 でも、だからといってその孤独が、他人になんの影響を及ぼすのか。
 私の訴えは、なんて無力なのだろう。こんな訴えで救ってもらえると思っていたのは、それだけ以前の私が幸福な場所にいたという証拠なのかも知れない。

 吹きぬける風は、肌を刺すように冷たくなってきている。ここで見捨てられたら、私はどうすればいいのか。どこか隠れられる場所を探して、身をおけばいいのだろうか。
 食料は? あの化け物に見つかったら?
 はたしてこの世界で、独りで生きていけるのだろうか。

 全身から血の気が引く。凍りついたまま返事もしない私を眺めていた彼が、ふと——恐ろしいほど綺麗な顔で、微笑した。

『——助けてほしいか?』

 まるで悪魔のような。
 甘やかな音色で、彼は、

『それならば、代わりに、その身体をもらおうか』

 希望を装った、残酷な提案をくれた。
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