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ep.2 プリンセス・シンドローム
Looking-Glass flamingo 13
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「——アリアちゃんっ♪」
世間でヴァシリエフハウスと呼ばれる城館の廊下で、ロキの躍動感に満ちた声が、とある名を呼んだ。止まったのは、ロングのダークブロンドがさらりと揺れる背中。コバルトブルーのシャツに、スノーホワイトのスラックス。鮮麗な色をしたその人物は、私室に入ろうとしていたところ呼び声に振り返った。
「……どうかしましたか?」
ひかえめに口角を持ち上げて、当たりさわりのない微笑を浮かべるその姿は、深窓の佳人のような儚さを見せる。常にやわらかな笑顔をたずさえている彼を、ロキは無自覚ながら気に入っている。今や性差は薄れつつあるが、かつては女性的といえた名前の影響もあるのかも知れない。アリアと呼ばれた彼もまたロキを気に入っている——かどうかは判然としない。
ロキの細い長躯がアリアに近寄った。
「オレさ、欲しい薬があるンだけど……アリアちゃん、オレの代わりに手に入れてくんない?」
「ひょっとして……危険なものですか?」
「大した物じゃねェよ? 認知機能をすこーし下げるやつ。調合はオレがするから、一部の薬物だけ融通して」
「…………それは、法的に認められているものでしょうか?」
「とーぜん」
「それなら、ご自分で手配しても……いいように思うのですが……?」
「監視がうるせェんだって。用途とか細かく確認されるしさァ……アリアちゃんなら、ハウスの薬物はフリーパスだろ? ちょっとでいーからさ、オレに分けてよ。できたら今夜中に」
「………………」
「迷ってる?」
「そうですね……」
「じゃ、交換条件は?」
「……なんでしょう?」
「ハウスのセキュリティに干渉できるソフト、あげよっか」
「それは……便利そうですね?」
「だろ? アリアちゃんさ、欲しい物が宗教的だから引っ掛かるって言ってたじゃん? 宅配の検閲も一時的に外せるし、使ってよ」
「なるほど……分かりました。いいですよ」
「交渉成立な。欲しいやつ、いま口頭で挙げていーい?」
「ええ……」
承諾したアリアが、ふっと何かに気づいて視線を流した。ロキもそれを追って右手を振り向く。ふたりの目の先で、エレベータから降りて来たらしい別の青年が、
「…………何か?」
浅黒い肌に、黒い髪。上部はわずかに長く、下部は刈りあげられたツーブロックの頭髪で、髪質はゆるく波打っている。うっすらと目に掛かる前髪の奥で、髪と同じ暗い色をした眼が、ロキとアリアを見据えていた。
ふんわりと、アリアが笑顔を返し、
「イシャンさん……いえ、なんでもないのです。……うっかり見つめてしまいました」
アリアの言葉を受けても、黒髪の青年は無感動な表情を変えることなく「そうか……」短く応えた。その青年——イシャンは、ロキを意識から外したらしく、アリアにのみ目線を合わせる。
「歌のことで……約束していたかと思うが、今は障りがあるだろうか?」
「いえ、大丈夫ですよ」
イシャンに答えたアリアは、ロキを見て、
「のちほどでも?」
「おっけー、時間できたら連絡して」
薄く笑ったロキは、イシャンを避けて横を過ぎて行った。ポケットに両手を入れたロキの、少し曲がった背中を見送るように、イシャンが一瞥する。
「……何か、善くないことでも依頼されたのだろうか?」
「いえいえ、些末なことです」
「先ほど食堂で……セトと揉めていた。あまり関わらないことを……勧める」
「あぁ、ディナーの最中に……セトさんが声を荒らげていましたね。……ですが、彼らはお互いに傷付けるようなことはないでしょうから……そう心配せずとも、大丈夫かと思いますよ……?」
「そうだろうか……セトは置くとして、ルカは殊のほか問題行動が多い。巻き込まれないよう、気をつけたほうがいい。……アリアが損害を被ることになるのは……忍びない」
イシャンの暗い色の眼に向けて、アリアは憂いを払うように明るい笑顔を見せた。
「ご心配ありがとうございます。イシャンさんは優しいですね」
「…………優しくは、ない。アリアにペナルティが掛かれば、伴奏の練習も意味をなくす。……そちらを、案じている」
「——それでも、心配してくださるのは嬉しいですよ」
詩を読むように朗々と話すアリアは、慈愛にあふれた瞳でイシャンを見つめた。イシャンは眉頭に力を入れたが、何も言わない。アリアは微笑んだまま、
「さて、それでは練習を始めましょうか」
「……ああ」
「私の部屋で——と思っていたのですが、今しがたボールルームが空いたと通知が来まして……移動しますか?」
「そうなのか。……そうだな、私には都合が良い」
「予行練習になりますね? ……では、行きましょう」
ふたつの影が、明るい廊下を進んで行く。
人影がなくなると、照明は人知れず消えた。
世間でヴァシリエフハウスと呼ばれる城館の廊下で、ロキの躍動感に満ちた声が、とある名を呼んだ。止まったのは、ロングのダークブロンドがさらりと揺れる背中。コバルトブルーのシャツに、スノーホワイトのスラックス。鮮麗な色をしたその人物は、私室に入ろうとしていたところ呼び声に振り返った。
「……どうかしましたか?」
ひかえめに口角を持ち上げて、当たりさわりのない微笑を浮かべるその姿は、深窓の佳人のような儚さを見せる。常にやわらかな笑顔をたずさえている彼を、ロキは無自覚ながら気に入っている。今や性差は薄れつつあるが、かつては女性的といえた名前の影響もあるのかも知れない。アリアと呼ばれた彼もまたロキを気に入っている——かどうかは判然としない。
ロキの細い長躯がアリアに近寄った。
「オレさ、欲しい薬があるンだけど……アリアちゃん、オレの代わりに手に入れてくんない?」
「ひょっとして……危険なものですか?」
「大した物じゃねェよ? 認知機能をすこーし下げるやつ。調合はオレがするから、一部の薬物だけ融通して」
「…………それは、法的に認められているものでしょうか?」
「とーぜん」
「それなら、ご自分で手配しても……いいように思うのですが……?」
「監視がうるせェんだって。用途とか細かく確認されるしさァ……アリアちゃんなら、ハウスの薬物はフリーパスだろ? ちょっとでいーからさ、オレに分けてよ。できたら今夜中に」
「………………」
「迷ってる?」
「そうですね……」
「じゃ、交換条件は?」
「……なんでしょう?」
「ハウスのセキュリティに干渉できるソフト、あげよっか」
「それは……便利そうですね?」
「だろ? アリアちゃんさ、欲しい物が宗教的だから引っ掛かるって言ってたじゃん? 宅配の検閲も一時的に外せるし、使ってよ」
「なるほど……分かりました。いいですよ」
「交渉成立な。欲しいやつ、いま口頭で挙げていーい?」
「ええ……」
承諾したアリアが、ふっと何かに気づいて視線を流した。ロキもそれを追って右手を振り向く。ふたりの目の先で、エレベータから降りて来たらしい別の青年が、
「…………何か?」
浅黒い肌に、黒い髪。上部はわずかに長く、下部は刈りあげられたツーブロックの頭髪で、髪質はゆるく波打っている。うっすらと目に掛かる前髪の奥で、髪と同じ暗い色をした眼が、ロキとアリアを見据えていた。
ふんわりと、アリアが笑顔を返し、
「イシャンさん……いえ、なんでもないのです。……うっかり見つめてしまいました」
アリアの言葉を受けても、黒髪の青年は無感動な表情を変えることなく「そうか……」短く応えた。その青年——イシャンは、ロキを意識から外したらしく、アリアにのみ目線を合わせる。
「歌のことで……約束していたかと思うが、今は障りがあるだろうか?」
「いえ、大丈夫ですよ」
イシャンに答えたアリアは、ロキを見て、
「のちほどでも?」
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薄く笑ったロキは、イシャンを避けて横を過ぎて行った。ポケットに両手を入れたロキの、少し曲がった背中を見送るように、イシャンが一瞥する。
「……何か、善くないことでも依頼されたのだろうか?」
「いえいえ、些末なことです」
「先ほど食堂で……セトと揉めていた。あまり関わらないことを……勧める」
「あぁ、ディナーの最中に……セトさんが声を荒らげていましたね。……ですが、彼らはお互いに傷付けるようなことはないでしょうから……そう心配せずとも、大丈夫かと思いますよ……?」
「そうだろうか……セトは置くとして、ルカは殊のほか問題行動が多い。巻き込まれないよう、気をつけたほうがいい。……アリアが損害を被ることになるのは……忍びない」
イシャンの暗い色の眼に向けて、アリアは憂いを払うように明るい笑顔を見せた。
「ご心配ありがとうございます。イシャンさんは優しいですね」
「…………優しくは、ない。アリアにペナルティが掛かれば、伴奏の練習も意味をなくす。……そちらを、案じている」
「——それでも、心配してくださるのは嬉しいですよ」
詩を読むように朗々と話すアリアは、慈愛にあふれた瞳でイシャンを見つめた。イシャンは眉頭に力を入れたが、何も言わない。アリアは微笑んだまま、
「さて、それでは練習を始めましょうか」
「……ああ」
「私の部屋で——と思っていたのですが、今しがたボールルームが空いたと通知が来まして……移動しますか?」
「そうなのか。……そうだな、私には都合が良い」
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ふたつの影が、明るい廊下を進んで行く。
人影がなくなると、照明は人知れず消えた。
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