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ep.2 プリンセス・シンドローム

Looking-Glass flamingo 11

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 今でも——今だから——思う。
 あの瞬間にロキにいだいた気持ちは、同情とか共感とか、そういうたぐいのものだったんだろうって。それか、庇護ひご欲。護ってあげたい、何かしてあげたいって感情。エゴい話だけど、ロキには私しかいない——なんていう錯覚まで生まれてた。物語のヒロインみたいな気持ちだったのかな。

 何も知らないのに、分かったつもりになってた。私の理解が及ぶひとじゃなかったのに……そもそもロキは、そんなこと、私に求めてなかったのに。


「つまんねェなー……」

 悪い意味でドキリとするような呟きをロキがもらしたのは、1ヶ月が経ったころ。回数にしてしまうと5回目。した後に言われるセリフの中でワースト3位内に入りそうなくらい手厳しい発言で、思わず泣いてしまいそうになった私は、「やる曲も同じだし、聴いてるほうもたるくね?」その先を聞いて涙を引っこめた。

「……もしかして、ライブの話?」
「そ。カシちゃんもさ、オレらの曲なんて飽きたろ? ……って言って、新しい曲をやる気にもなんねェんだけど……」

 ソファに座ってた私の肩に、横からロキの上半身が寄りかかった。ちょっと重い。

「私は楽しいよ? 同じ曲でも、今日は違う感じじゃなかった?」
「1曲目はセトがアレンジ入れてた。2曲目は間奏のとこで、もうひとりのギターとベースのソロがあったからなー……」
「そっか、目立つとこあったね。パフォーマンス? みたいなのもしてたし……?」
「セトは? なんかした?」
「ドラムくんは……してないんじゃないかなぁ……?」
「ふーん……セトはそーゆうのやらねェんだよな……」
「パフォーマンス? ……ほんとだ、見たことないかも」
「やればいーのに。スティック回したりとか、上に投げて取るとか」
「苦手なんじゃないの?」
「得意だって。セトは空間認識能力たけぇもん」
「んー……じゃあ、恥ずかしいのかな?」
「分かんねェなー。やればモテそーなのに」
「……ドラムくんってモテたいの?」
「前に、“相手は誰でもいいし、毎回違うほうがいい”って言ってた。“そっちのほうが退屈しねぇだろ?”って。つまり多数にモテるほうが都合いいわけじゃん?」
「えぇぇ……」

 ジゼルの声で(チャラい、最低、しねばいい)怒りの小言が聞こえる気がする。この情報だけは絶対に知らせられない。
 あれ? でも……

「そんな遊んでる感じじゃ……ないよね?」

 そんな隙間ないくらい、ほぼジゼルと一緒だ。なんならロキとかベースのひとのほうが。ふたりとも手が早いで有名なくらいだし……どちらかというと、ドラムくんは硬派なイメージで通ってる。いつもジゼル以外は無視してる。
 私の髪を指先でくるくるしてたロキは、この疑問にため息をついた。


「ここ来てからは、あの女がずっと付きまとってンの」

 “あの女”は、ジゼルを指してる。

「あの女と関わるようになってから、セトもつまんねェんだよなー……でも従順な感じでさァ……真面目に研究し始めたし、の依頼も受けてハウスに貢献しだしたし……勝負も付き合ってくんねェし」
「……研究? ドラムくんも賢いんだ……?」
「セトは賢くねェよ」
「……?」
「賢くねェから、学習に使う時間も増えるわけ。……つまんねェー……」

 ころりと、ロキの頭が膝の上に落ちてきた。今日の髪色はゴールド。私のシューズとインナーも同じカラー。あれからロキは毎週プレゼントを送ってくれる。見つけやすいようにっていう理由なら、毎回ぴかぴかジャケットを着てけばいいんじゃないかなって言ってみたけど……同じ服を着るのはキライって主張された。シェイプシフターのテーマが“同じコーデはしない、いつでも初めてを”とかのはずだったから、作ったひとらしい発言だと思う。着るのは私だから……とも思ったけど、「同じは可哀想じゃん」って。らしくないセリフもおまけで言われた。

 ロキの目に少しかかる長めの前髪に触れて、そろりと払った。青みのある眼がこっちに向く。薄いスカートを通して感じる髪の毛がくすぐったい。

「……オレのこと、捜しにもこねぇの。ライブの時間もさ、着いたらすぐやれるようにって調整されたみたいで。終わったら帰るまで……あの女に付き合ってる」

 ロキの眼は、外側から中央に向けて青からオレンジのグラデーション。暗がりでも黒い瞳の部分が小さめで、つい調べてしまったフラミンゴの眼にもすこしだけ似てる。
 その綺麗な眼は、どこか遠くを見てるみたいだった。

「髪の色とか肌の色とか、外見はヌグームに似てるけど……全然可愛くねェし……あんなのこそ失敗作じゃん……」
「(失敗作?)……えっと、ヌグームって、だれ?」
「セトの母親」
「……似てるの?」
「遺伝的には似てる。古い考えで言うなら人種的に近い」

 ジゼルに似た女のひとを想像してみる。ドラムくんの鋭い眼を重ねて、(怖そう……)失礼な感想をもってしまった。

「あの女——消えねェかな?」

 ぽろっと、こぼれ落ちた言葉は、軽い響きだった。テストってなくならないかな? くらいの呟きで、思わず聞き流しそうになって——
 遠くを見ていた瞳の焦点が、私に合わさった。

「カシちゃん、知り合いだろ? ……あの女、消してくんない?」

 綺麗な眼が、私の世界の真ん中で、ひんやりと輝いた。
 聞こえた言葉は、耳をすり抜けて、遠くで反響したみたいに聞こえた。

「…………え……?」
「……冗談。の人間は、そーゆうことしねェもんな」
「あ……えっと……?」
「ハコ変えるのが無難かなァ……カシちゃんさ、ここ以外で、いいとこ知らねェ?」

 動きの悪い頭が追いついたときには、その眼は閉じられた。唇だけが動き、ようやく意味を拾えた私は、

「え……ロキ、違うとこ行っちゃうの?」
「行きたいなァって話」
「……でも……そしたら……」
「……なに?」
「………………」

(私も、置いてっちゃうの……?)
 ——言えない。今たぶん、ロキの頭に私はいない。
 開かれたロキの眼に、小さく私が映った。

「……なんでそんな顔すんの? オレ、いま酷いこと言った?」
「……私は、移動してほしくない……ここで、ずっとライブしててほしい……」
「そーなの? カシちゃんが言うなら、残ってもいいけど……」
「ほんと?」
「………………」

 私の希望なんかで、思いとどまってくれるんだ。嬉しくなった気持ちから、ぱっと表情を明るくさせた私を、ロキは黙って見てたかと思うと、

「カシちゃんは、オレに、ここにいてほしい? オレと一緒が嬉しい?」
「うん」
「……オレが、なんでここにいたくないかって話は、聞いてたよな?」
「え……あ、うん。ジゼルが……キライだから? ドラムくんと仲良いのが、あんまり嬉しくない……んだよね?」
「まーね。……で、カシちゃんはだから、オレの為でも、“知り合いのジゼル”を消すのは無理だよな?」
「…………消すって……ここに来ないようにする、ってこと?」
「そのへんはなんでもいーけど……来ないようになら、できるの?」
「……それは無理だよ……ロキは知らないと思うけど、ここって、古くからいるコが立場強くて……私はジゼルからの紹介だから、先にいるジゼルを私が追い出すことはできないし……ジゼルだって、ドラムくんに会いたいだろうし……止められないよ……」
「ふーん……」
「…………ごめん」
「いや、そこは期待してねェし、いーよ」
「……?」

 あっさりと引き下がったロキを不思議に思うと、ふっと唇に微笑みが乗った。

「それよりさ、あの女の本名しらない?」
「…………本名?」
「ジゼルって、ここでしか使ってないハンドルだろ? カシちゃんと繋がってるなかに、ジゼルなんていねェじゃん。本名か——あの女が表で使ってるハンドル? カシちゃんが把握してるほうをさ、教えてよ」

 一瞬、頭が真っ白になった。すらすらと出てきた言葉を理解して、でもどこか理解できなくて、よく分からないまま口を開き、

「……私と、繋がってるひとを……調べたの……?」
「調べたってほどじゃねェよ? ジゼルのワードで検索しただけ」
「……それって……」
「カシちゃんは本名をIDにしちゃうし? ここでも普段の愛称をそのままハンドルにしてるよな? ……けど、あの女は無駄にガード堅くてさ。顔で検索かけても出てこねェし、ここで提示してるIDも偽物。……どーなってンの? 政府の要人なワケ?」
「……ジゼルは……ストーカーとか、よくあるから……警戒してるだけで……普通のコだよ……? そんな……調べなくても……」
「普通のコってことは、カシちゃんは本名知ってンだ?」
「それは……もちろん、知ってるけど……」
「いーね。ダメもとのつもりだったのに、意外と簡単に情報つかめるじゃん。ツイてるなー♪」
「………………」
「あの女、なんてゆーの?」

 膝の上で、ニコッと笑う顔は、可愛い。
 無邪気な喜びにあふれてて、私もつられて微笑みたくなるくらい——なのに。

「……ジゼルの名前を知って……どうするの?」
「ン? その先、訊くの? 言ってもいーけど、知らねェほうがよくね? 知らなきゃ幇助ほうじょ行為にならねェし。従犯者になりたくねェのがじゃん?」
「……じゅうはんしゃ」

 めったに耳にしない言葉をくり返すと、ロキは「カシちゃんは、オレと一緒のほうが嬉しいか。ってことは共犯者になりたい?」ひとり納得したように答えを出した。
 誘うように、その鮮やかな眼を細めて、

「——あの女を消すから、名前おしえて?」

 甘えるような、とろりとした声色で。
 とても恐ろしいことを唱えた。

「——冗談、だよね?」

 意味を理解したうえで、半笑いみたいな感じで首をかしげると、ロキは笑ったまま、

「これは本気」
「でも、消すって……来させないようにってことでも……名前知ったくらいで、そんなの、できないよね……?」
「できるよ? 個人を特定できれば、適当な罪を負わせて社会的に消せばいーし。それでここにも来れなくなるだろ? 物理的に消すのはリスクあるから……いったん見送り」
「……ね、冗談でも、ちょっと怖いよ……?」
「オレ、本気って言ったよな? 何が怖いわけ? 心配しなくても、バレねェ範囲でやるよ?」
「……バレるとかよりも……それって……全部、犯罪になっちゃうの……ロキ、分かってない……?」
「分かってるけど?」
「だったら……わかるよね? 犯罪は、ダメだよ?」
「なんで? ここにいるヤツらだってクラッキングするし、偽造IDも使ってるじゃん」
「それくらいは……みんなしてるし……」
「どっちも違法行為だし犯罪だけど? みんなしてたらいーの? ——ってことねェよな。そんな緩い法律なら、誰でもなんでもアリだもんな」
「…………歳をごまかしたり、名前を変えるのは……誰にも迷惑かけないし……」
「誰かに迷惑かけなきゃ、何してもいいの? 違法薬物は? 他人に迷惑かけなきゃ使用オーケー?」
「……それは、ちょっとレベル違う……」
「なんのレベル?」
「…………罪の重さとか、そーゆうの」
「罪の重さは何で判断すればいいの? 刑罰? どこまでが良くて、どこから悪いの? 法律的にはどれも軽犯罪じゃねェよ?」
「………………」

 たたみ掛けるように問われるせいで、段々と言葉が出てこなくなる。ジゼルなら返せるかもしれないけど、私のなかでは答えが見つけられない。子供の素朴な質問みたいに、終わりの見えないロキの唇が、一度やわらかく閉じた。微笑みのかたちのまま、幼さの残る眼に、小さな悪意を見せて、

「名前、早く教えてよ。代わりに……カシちゃんが欲しいもの、なんでもあげるからさ」

 ——それって、ロキもくれるの?

 一瞬でも、そんな馬鹿なことを思った私は、どうかしてた。

 恋は、盲目だと。
 言い訳するには……きっと、罪深い。
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