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ep.2 プリンセス・シンドローム

Looking-Glass flamingo 2

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 夢かな。やっぱり罰ゲームかな。後者のほうが可能性があって現実的。悩んでると、彼はカウンターでもらったドリンクを手に、私を振り返った。

「オレさ、ここでたまに歌ってンの」

 知ってる。ジゼルが大好きな金眼の彼と同じバンド。あっちはドラムで、あなたはボーカルとギター。

「カシちゃんは、ここ初めて?」

 違うよ。あなたたちが来る前から常連だよ。つい心の中で返事してしまって、遅れがちに口を開いた。

「ううん、けっこう前から来てるよ」
「マジで? オレ初めて見たんだけど? 今までずっと何してたの?」
「……ふつーに、いたよ?」
「オレが歌ってるとこ見てる?」
「うん、見てるし聴いてる」
「……ほんとに? エ~? ……オレ何やってたんだろ? 全然しらねェんだけど……?」

 あなたは、ほかのコと喋ってくっついてたよ。答えを知ってるけど、言えずに首をかしげておいた。
 壁ぎわにたどり着く。彼は壁に背を預けて、グラスにささった銀のストローに口をつけた。ゴールドのグラデーションのドリンクが、じわじわと崩れていく。

「……じゃァさ、アンタってオレのアンチ?」
「えっ? なんで?」
「オレが話しかけたら、無視しよーとしたじゃん」
「それは……びっくりしただけだよ。急に話しかけてくるから……」
「急じゃないナンパってどうやってすんの?」
「……友達の紹介とか……?」
「面倒くさ……カシちゃんの知り合いにまず話しかけろってこと? どれが友達か分かんなくね?」
「……そっか、そっち?」
「んー?」
「もしかして、ジゼルと話したい?」

 会話していて答えがひらめいた。はっとした私の顔を、彼は丸い目で見ている。

「……誰って?」
「私とよくいる、黒髪で背の高いコ。ジゼルって言うんだよ?」
「……へ~? そのコがオトモダチって?」
「ジゼルが、ドラムのセトしか見えてないから……私に紹介してもらおうと思ってる?」
「…………は?」

 一瞬、ものすごく怖い目が私をにらんだ。呼吸が止まるくらい冷たくて、全身が震えそうなほど。

「……あれの名前、ジゼルっていうんだ?」

 気になるコを口にするときの声じゃない。冷ややかに吐き捨てると、彼は鼻で薄く笑った。ぞくりとする空気はすぐに消えたけれど、私の心臓はまだ、ばくばく言ってる。

「あの女はさ……どーでもいいじゃん」
「え……そう、なの? ジゼルと話したいんじゃないの……?」
「なんでオレがあの女と話す必要あんの?」
「……ジゼルが、美人だから?」
「美人なんていっぱいいるじゃん」
「……ジゼルみたいなコは、あんまりいなくない……?」
「いるって、どこにでも。もっと美人もいるしさ……セトは“来る者拒まず”だから? しばらく付き合ってやってンだろーけど……」

 独り言みたいにつぶやく声は、気づいたら始まっていたどこかのバンド演奏によってき消された。彼の迫力はくりょくに固まっていた私に気づいたのか、薄い唇でニヤッと笑い「これ、ちょっと持ってて」自分のドリンクグラスを手渡してきた。自分の物とふたつ両手に持って(もしかして、このままどっか行っちゃう?)壁から背を離した彼を見上げると、背を曲げて私の横の壁に手をつき、顔を寄せて、

「あの女よりさ、……アンタのほうが、可愛いよ」

 重いビート音のあいまで、ちょうど目の高さに並んだ彼の唇が、そう唱えた。フロアライトはオレンジに切り替わっていて、でも、私の顔はそれでごまかされないくらい、赤くなった気がした。
 頬が、頭が、焼けるみたいに熱い。胸のなかも、なにか分からない感情が湧きあがって、グラスを持つ手が……ちゃんと握れてるか、わからないくらい。
 目線がそろうと、

「なんで、もうそんな顔してんの? キスはまだ……今からなんだけど?」

 笑う唇が、私の唇に、重なる。
 やわらかく慣れた動きで、唇の形を確かめるようになぞって、そっと離れて、また触れて。かかる吐息と、リップ音が耳に届く。騒音が、いつのまにか聞こえない。世界にふたりきり——ううん、世界に、彼しか、いないみたいだ。

 こういう場所で、周りの目を気にせずなんでもやれるひとって、感覚がバグってるんだろなって思ってたけど……違った。ほんとうに、見えないんだ。周りが、なにも。なにひとつ。目の前のひとしか……頭にない。触れている唇がすべてで、そのつながりしか、感じられない。——もっと、触れられたい。そんな欲しか残らない。

 歌うためか、綺麗なコを口説くどくためにあると思っていた彼の唇は、それだけで一度も味わったことがない熱をくれた。重なる唇のあいだで、自然と求めるように伸びた舌先が、たどり着く——前に、

「——おいロキ!」

 低く鋭い声が、彼だけの世界に刺さった。
 ふいに周りの音が耳に聞こえだし、身体のすみずみまで現実感が戻っていく。
 私から顔を離した彼が、呼び声に振り向いた。私も目を向けると、人でも殺すの?ってくらい怒りに満ちた刺々とげとげしい眼が。

「時間だろ。いつまで遊んでんだよ」
「あー……今いーとこなのに……」
「知るか。終わってからやれ」
「セトが先にいなくなったんじゃん……なのにオレが怒られるの?」
「時間どおり戻ってくれば誰も怒らねぇんだよ。毎回お前を捜すこっちの身になれ。まじで首輪つけるぞ」
「人権侵害。訴えたらオレが勝つね」
「やってみろよ」

 なんだかリスキーな単語を交わしつつ、水をさしたドラムの青年に腕を取られ、「ほら、行くぞ」彼は私から引き離された。中断されたわりには機嫌よく笑う彼の目が、私に向けてウィンクする。

「オレのこと、見ててよ。ステージから見つけるし、目ェ合ったら次は笑って。——で、アンチじゃないって証明して」

 イタズラっ子の笑い方と同じ。うまく返事できずに、去っていく後ろ姿を茫然ぼうぜんと見送ってしまった。……気まぐれでも、えぐい。こんなの、適当に流せるコっている?

「……カシ」

 ぽつ、と。もれるような呼び声に、ぼんやりしていた私はようやく視界の端に ジゼルがいることに気づいた。あんなに存在感のある彼女を、意識から外していられたなんて、信じられない。

「あ……ジゼル、わたし、いま……」

 あとひとに、声かけられたんだよ。キスまでされちゃった。すごくない?  私なんかにね、
 ——ジゼルより可愛いって、言ってくれた。

 興奮する頭のなかで、わあっと駆けめぐった言葉を口にしようとした。でも、絶望的な表情で私を見つめるジゼルの顔に、もしかして彼をさらって行ったドラムくんの後ろに、ジゼルもいたから見てたのかもって、気づくのと。
 自分のなかで浮かんだ言葉に、頭がサッと冷たくなった。

 ——ジゼル可愛い?

 私を、ほかの誰かと比べて評価するひとたちを、イヤだと思ってたのに。自分が優勢になるなら、嬉しいなんて……私、そんな性格わるかった……?

 いつもニコニコして、誰の悪口も言わない。性格いいのが、私のとりえ。
 比べないで。外見じゃなくて中身を評価して。私、性格はいいんだよ。ずっと、そう思い込んでやってきたのに。

——あの女よりさ、アンタのほうが可愛いよ。

 結局、私も——あれを望んでた?
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