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聖女失格編
29人事部どこです?
しおりを挟む黒い渦は未だ姿を消すことはなく、その傍らに佇む男と、私の睨み合いが続く。
ようやく落ち着いた心臓に、よくやったと言ってやりたい。おかげで聖女の力が使える。まずは自分に使えば、途端に体が軽くなった。しかしその直後に聖女の力のせいで体力を消耗して疲れがそれを上回り、これじゃあプラマイゼロだ。
———でも。
苦しげに床に倒れるランティスとアーチが目に入る。彼らにも、なんとかして力を。手を伸ばそうとすると、何か影が通り過ぎ、ピリッと指先に痛みが走った。
指先からポタリ、と血がこぼれ落ちる。
「……回復は許さん」
ぐるりぐるりと奇妙な動きをしながら、こちらを向いた男がそう言い、ギロリ、と鋭い視線が突き刺さる。
ビリビリと空気が揺れる。床に突き刺さった一枚の羽が、風にゆらりと揺れた。
あの男が羽根をもいで投げたのか。
人間……?それとも、魔物?喋る、魔物。
———そのうち言葉を話す奴が出て来たりしてな。
ランティスが言っていた言葉を思い出す。これは言葉を話すほど強い魔物ってこと……!?
ぞわり、と身体中に冷たいものが走る。
「おい、女……お前が聖女か?」
「そう、言われてる……けど」
違うと言いたい。自ら名乗っているわけじゃないし。名乗り出て聖女になったわけでもない。
「どっちだ」
「聖女です!」
ああ、しまった。しっかり名乗ってしまった。
手まで挙げてしまった。
苦しげな表情の中にも、ほんのり嬉しそうな表情を浮かべたハウと目が合った。うう、決して私は自ら聖女ですわよって名乗った事なかったのに名乗ってしまった。孤児院でも頑なに聖女の代理と名乗っていたのに。くぅ。
しかしそこでまたビシリと空気がヒビ割れる音がする。
「ぐっ……!」
ハウの苦しげな声が聞こえる。
体に圧がかかり、ハウの体がギシっと音を立てて地面に叩きつけられる。あまりの力の差にゾッとする。
これが、言葉を話すまで強くなった、魔物……。
「ふむ……おい……お前、この中へ入れ……」
「えっ」
「殺しはしない……それは、望まれない」
「……? どういう?」
望まれない?
よくわからない。確かにユナは殺せと言っていた。この魔物はユナに操られては居ないようではある。けど。
「……」
無言の圧力というものがこの世界にもしっかり存在していると知った。チラリ、と倒れてしまったアーチたちを見る。
どんな魔法を使ったのか知らないが、モゴモゴと口が動いているのに音が出ていない。声を上げられない事に、悔しそうに唇を噛んでいた。
剣は離れてしまっていたが、それに手を伸ばそうと動かすたびに石や土に擦れ血が滲む。彼らの顔には苦悶の表情が滲んでいる。
「……わかった」
こくり、と頷けば、ピクンと男の眉が動いた。
「……はいれ」
すい、と羽根が一枚浮かび、トプンと黒い空間に吸い込まれた。
頷いて一歩踏み出す。
薄情で、ごめん。なんだか私だけ命乞いして助かったみたいな。違うか。
大丈夫。大丈夫よ、ダトー、ウレックス、ハウ。そして筋肉とニコニコ。
この魔物の男はなんだか暴力的だけど話ができそうな感じだし、何よりこの空気、この距離感。長年会社に勤めてたからわかる。この男からは理不尽な人事が行われた可能性をひしひしと感じてならない。
すると、体にのしかかっていた重い圧が解除されたのか、途端に体が軽くなる。驚いて背後を振り向けば、倒れていた騎士達の姿はない。崩れた地面と、少しの血の跡、それだけだ。
「えっ!……彼らは!? なにをっ」
「うるさい、転移の魔法をかけた。お前らの城の近くに降ろした」
「そんなことできるの!?」
「……」
イラっとしたように顎で中に早く入るように指示される。憂いを取ってやったのに、そんなとこだろうか。
ぎゅっと目を瞑り深呼吸を一つ。
何事も、初めては緊張するというもの。
意を決して、黒い空間に飛び込めば、とろりとした水のように冷たい膜にぶつかり、沈むようにすり抜けた。一歩、二歩進んだところで肌の表面を撫でるようなぬるりとした感覚を抜ける。
カツンと靴裏にぶつかった土ではない硬い地面の感触に、ハッと目を開ければ、そこは野外ではなく、広い王宮のような場所だった。
「ここは」
「魔の国、魔王城だ」
さも当たり前だと言わんばかりに魔物の男がため息をついた。「貴様は見てわからんのか」とまでジェスチャー付き言われたが、わかるわけない。初めましてだぞ貴様。
遺憾の意である。
「ふん、ついてこい、こっちだ」
寡黙な男かと思えば、ものすごく饒舌だった。
そんな男に連れられるままに至って普通の扉の前に連れてこられた。ガチャリと開かれた扉の奥には簡素な作りの部屋が見える。うん。なんだろう、安心する作り。最低限の広さと家具。まるでビジネスホテルみたいだ。
「入れ」
「ここは?」
「我の自室だ」
「え?」
トン、と背中が押され、よろめきながら中に入った。驚いて振り向けば、扉を背にした魔物の男がバタン、と後ろ手に扉を閉じた。大きな体が折れ曲がり、屈んだだけで私を覆い隠すようなシルエットができる。彼のざんばらな髪が、顔にばさりと落ちた。
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