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烈なる風を
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1943年5月末。
完全にニューギニアから日本陸海軍は撤収した。
互いにその戦力を今少し削り合いたかった日米両軍であったが、それぞれのレベルで一旦引くべし、と同時に判断した状況であった。
航空機損害で見るとこの3ヶ月で日本側321機。
アメリカ、イギリス側は923機。
しかし、これすらこの後の激戦の序章に過ぎないのだ…。
そんな中、藤浪進次郎少尉は内地で休養を兼ね、時折飛行教導隊として出張る、という形で許嫁と有意義な時間を過ごしつつ…本日は「任務」に出仕した。
輸送機で霞ヶ浦まで移動し、そこで見たものが…。
零戦…ではない。
洗練されたフォルムは共通しているが、半周りくらい大柄な機体。
主翼は中央からやや上反角がついている。
そして20ミリ機関砲が両翼に2門づつ計4門…。
明らかに生まれ変わった別物だ。
新型戦闘機…。それが50機を下らぬ数ならんでいる。
「17試艦戦。正式採用名は『烈風』という」
皆ベテランパイロット達が一斉に敬礼する。
現在次期戦闘機の開発管理を海軍空技廠にて担当する小福田少佐であった。
「貴様達には自らがこの機体に慣熟すると同時に、これが初めての実戦機体となる新人達に空戦技術、編隊戦法を叩き混んでもらう。
この烈風、エンジンは誉21型、離昇出力は2000馬力。
最高速度は675キロ。
現在敵戦闘機の主力グラマンF6F、あるいはその後継機とも十分張り合い、あるいは圧倒することが出来る!」
歴戦のパイロット達がみな、目を爛々と輝かせていた。
…ちょっと待て、日本の当時の航空技術で、2000馬力級戦闘機を、こんなに早く開発、実戦配備できるものなの?
疑問に思われる読者の方もいるであろう。
肝心の2000馬力エンジン、誉こと中島ハー45は開戦直後には既に量産体制に入っていた。
ただ日本人の長所であり短所でもあるが我が軍部と技術者陣特有の、
「1000馬力エンジン並みの直径と重さで、倍の出力を発揮する高性能空冷エンジンを造れば、これを搭載する機体は全て他国の同世代機を性能で凌駕する」
という、日本の当時の工業水準を若干無視した理想を反映してしまったが為に、様々なトラブルが頻発してしまった。
しかし、対抗馬となる三菱ハー43(やや余裕のある設計ではあったが、開発自体が大きく遅れを取っていた。)の開発を中止、三菱のエンジン設計チームが中島に応援に加わるという異例の開発体制を、海軍側もなぜか後押しし、どうにか前線で性能発揮出来るレベルにまで早期改善に成功した。
また熟練工が陸海軍問わず、暗黙のうちに徴兵を免れるよう「上の上」が画策したのも大きい。
また、三菱における機体設計も…
零戦から引き続き担当する堀越技師らのチームが、零戦のアップデート版を52型一本に事実上絞り、さらには軍部が別枠で迎撃専用の局地戦闘機の開発も並行してさせようとしていたのを取り下げたため、残余の労力を全て烈風開発に集中させることができたのも大きい。
そして軍からの至上命令、設計思想だが…。
やはりパイロットも海軍上層部も、おもに中国戦線での零戦21型の成功体験から
「2000馬力、最速650キロ超のスピードと、零戦並みの小回りの効く空戦性能を!なおかつ零戦に近い航続距離も!」
という無茶振りをしてしまう訳だ。
しかし、それは新型のハー45が所定の性能を発揮してなお難しい。
(新エンジンで機体が重くなる→主翼を大きくしなければいけない→また重くなる…の悪循環にハマりやすい)
そう堀越技師らは意見するも、なかなか海軍サイドは折れない。
しかし1942年3月、3度目の検証会議で、臨席していた空技廠付きの柴田武雄中佐が、
「零戦の時にも申し上げたが、空戦能力や旋回性能の低下はパイロットの腕で補える。
しかし物理的なスピードや機体の強靭性はそもそもの性能が伴わないとどうしようもない。」
と緒戦のフィリピン制圧戦の戦訓を引き合いに出して語った。
また、航続力も零戦は、むしろ過剰すぎる例である。
全力空戦30分、プラス2000キロ(増槽あり)もあれば今後の戦さは十分戦えると説き、燃料タンク縮小による軽量化の選択肢を示し、熱弁で軍部と三菱の双方を納得させてしまった。
この後の前線での指揮ぶりや、のちに新興宗教にのめり込んだり等々、毀誉褒貶の激しい人物の1人だが、この場のこの発言は帝国の戦闘機開発に一石を投じた、と、関係者も歴史家も意見は一致している。
このほかに誉エンジンの前線での出力低下を不安視するデータもいくつかあり、あまり冗長化した機体を作ることは不安視する流れが軍部側にあった。という事情もあった。
これである程度設計における裁量権を得た堀越チームは、まず零戦とさほど変わらない大きさに機体をコンパクト化する事に努めた。
防弾防洩タンクを両翼と胴体部に配置。
急降下制限速度を845キロにまで上げる機体強度。
コクピット周りも零戦52型よりさらに堅牢にした防弾体制。
そこまでやっても全備重量は3400Kg
旋回性能等に関わる翼面荷重も152Kg/㎡。
たしかに僅かに零戦シリーズよりは旋回性能は落ちる。
が、しかしそれでも米英の新鋭機よりは遥かに操縦性が良好であり、なにより高度6000mまで4分15秒と言う卓越した上昇力。
それが今後より高度となる3次元の空戦の舞台において優位を築きうることは、慣熟飛行で思い思いの飛行を味わったベテランパイロット達が肌で感じていた。
これは…国を救う戦闘機となる!
若手パイロット達がこの新たな翼を、ベテラン直々の指導で使いこなすべく訓練に入っていた、7月1日の事。
日本陸海軍部に凶報が飛び込む。
ミッドウェー島に、敵機動部隊による空襲。
250機以上の航空戦力壊滅せり…。
完全にニューギニアから日本陸海軍は撤収した。
互いにその戦力を今少し削り合いたかった日米両軍であったが、それぞれのレベルで一旦引くべし、と同時に判断した状況であった。
航空機損害で見るとこの3ヶ月で日本側321機。
アメリカ、イギリス側は923機。
しかし、これすらこの後の激戦の序章に過ぎないのだ…。
そんな中、藤浪進次郎少尉は内地で休養を兼ね、時折飛行教導隊として出張る、という形で許嫁と有意義な時間を過ごしつつ…本日は「任務」に出仕した。
輸送機で霞ヶ浦まで移動し、そこで見たものが…。
零戦…ではない。
洗練されたフォルムは共通しているが、半周りくらい大柄な機体。
主翼は中央からやや上反角がついている。
そして20ミリ機関砲が両翼に2門づつ計4門…。
明らかに生まれ変わった別物だ。
新型戦闘機…。それが50機を下らぬ数ならんでいる。
「17試艦戦。正式採用名は『烈風』という」
皆ベテランパイロット達が一斉に敬礼する。
現在次期戦闘機の開発管理を海軍空技廠にて担当する小福田少佐であった。
「貴様達には自らがこの機体に慣熟すると同時に、これが初めての実戦機体となる新人達に空戦技術、編隊戦法を叩き混んでもらう。
この烈風、エンジンは誉21型、離昇出力は2000馬力。
最高速度は675キロ。
現在敵戦闘機の主力グラマンF6F、あるいはその後継機とも十分張り合い、あるいは圧倒することが出来る!」
歴戦のパイロット達がみな、目を爛々と輝かせていた。
…ちょっと待て、日本の当時の航空技術で、2000馬力級戦闘機を、こんなに早く開発、実戦配備できるものなの?
疑問に思われる読者の方もいるであろう。
肝心の2000馬力エンジン、誉こと中島ハー45は開戦直後には既に量産体制に入っていた。
ただ日本人の長所であり短所でもあるが我が軍部と技術者陣特有の、
「1000馬力エンジン並みの直径と重さで、倍の出力を発揮する高性能空冷エンジンを造れば、これを搭載する機体は全て他国の同世代機を性能で凌駕する」
という、日本の当時の工業水準を若干無視した理想を反映してしまったが為に、様々なトラブルが頻発してしまった。
しかし、対抗馬となる三菱ハー43(やや余裕のある設計ではあったが、開発自体が大きく遅れを取っていた。)の開発を中止、三菱のエンジン設計チームが中島に応援に加わるという異例の開発体制を、海軍側もなぜか後押しし、どうにか前線で性能発揮出来るレベルにまで早期改善に成功した。
また熟練工が陸海軍問わず、暗黙のうちに徴兵を免れるよう「上の上」が画策したのも大きい。
また、三菱における機体設計も…
零戦から引き続き担当する堀越技師らのチームが、零戦のアップデート版を52型一本に事実上絞り、さらには軍部が別枠で迎撃専用の局地戦闘機の開発も並行してさせようとしていたのを取り下げたため、残余の労力を全て烈風開発に集中させることができたのも大きい。
そして軍からの至上命令、設計思想だが…。
やはりパイロットも海軍上層部も、おもに中国戦線での零戦21型の成功体験から
「2000馬力、最速650キロ超のスピードと、零戦並みの小回りの効く空戦性能を!なおかつ零戦に近い航続距離も!」
という無茶振りをしてしまう訳だ。
しかし、それは新型のハー45が所定の性能を発揮してなお難しい。
(新エンジンで機体が重くなる→主翼を大きくしなければいけない→また重くなる…の悪循環にハマりやすい)
そう堀越技師らは意見するも、なかなか海軍サイドは折れない。
しかし1942年3月、3度目の検証会議で、臨席していた空技廠付きの柴田武雄中佐が、
「零戦の時にも申し上げたが、空戦能力や旋回性能の低下はパイロットの腕で補える。
しかし物理的なスピードや機体の強靭性はそもそもの性能が伴わないとどうしようもない。」
と緒戦のフィリピン制圧戦の戦訓を引き合いに出して語った。
また、航続力も零戦は、むしろ過剰すぎる例である。
全力空戦30分、プラス2000キロ(増槽あり)もあれば今後の戦さは十分戦えると説き、燃料タンク縮小による軽量化の選択肢を示し、熱弁で軍部と三菱の双方を納得させてしまった。
この後の前線での指揮ぶりや、のちに新興宗教にのめり込んだり等々、毀誉褒貶の激しい人物の1人だが、この場のこの発言は帝国の戦闘機開発に一石を投じた、と、関係者も歴史家も意見は一致している。
このほかに誉エンジンの前線での出力低下を不安視するデータもいくつかあり、あまり冗長化した機体を作ることは不安視する流れが軍部側にあった。という事情もあった。
これである程度設計における裁量権を得た堀越チームは、まず零戦とさほど変わらない大きさに機体をコンパクト化する事に努めた。
防弾防洩タンクを両翼と胴体部に配置。
急降下制限速度を845キロにまで上げる機体強度。
コクピット周りも零戦52型よりさらに堅牢にした防弾体制。
そこまでやっても全備重量は3400Kg
旋回性能等に関わる翼面荷重も152Kg/㎡。
たしかに僅かに零戦シリーズよりは旋回性能は落ちる。
が、しかしそれでも米英の新鋭機よりは遥かに操縦性が良好であり、なにより高度6000mまで4分15秒と言う卓越した上昇力。
それが今後より高度となる3次元の空戦の舞台において優位を築きうることは、慣熟飛行で思い思いの飛行を味わったベテランパイロット達が肌で感じていた。
これは…国を救う戦闘機となる!
若手パイロット達がこの新たな翼を、ベテラン直々の指導で使いこなすべく訓練に入っていた、7月1日の事。
日本陸海軍部に凶報が飛び込む。
ミッドウェー島に、敵機動部隊による空襲。
250機以上の航空戦力壊滅せり…。
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