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普通の「キリスト教」と何が違うの?【JW・エホバの証人】
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正統派、と言ってはあれだが、いわゆる伝統的なカトリック、プロテスタントに準じた、皆さんが思う「キリスト教」と、JWは何が違うのだろうか?
因みに…。
アメリカ正教会など「メジャー」なところははっきりJWに関しては「異端」と切り捨てている。
日本キリスト教団も同様のスタンスである。
(最近JW元2世信者のテレビドキュメンタリーがネットで話題になると、わざわざ私たちとは無関係ですと公式でツイートしていたと記憶している。)
まず皆さんが違和感を覚えるのは、前述の通り集会場たる王国会館に、イエスの磔刑像や肖像画どころか最低減のアイコンである
「十字架」が無いことであろう。
まぁ偶像崇拝否定は分かるけどそれは…?
JWサイドに言わせれば大きな理由のひとつとして、
「そもそもイエス・キリストが磔の刑に処されたのは、十字架でなく一本の杭だったのです。
と言うことにある。」
となると、1世紀の当時イスラエル、ユダヤの民を支配していたローマ帝国の処刑法も覆るということになるのだが。
本家のHPを引用してみる。
聖書はイエスの処刑に使われた道具に言及する際,ギリシャ語のスタウロスという語を大抵用いています。(マタイ 27:40。ヨハネ 19:17)この語はしばしば「十字架」と訳されていますが,基本的な意味は「まっすぐな杭」 *であるという点で,多くの学者の意見は一致しています。 「英語・ギリシャ語新約聖書の校訂辞典・語句索引」(A Critical Lexicon and Concordance to the English and Greek New Testament)は,スタウロスが「どんな角度にせよ,組んだ2本の材木を意味することは決してない」と述べています。
…これを信じれば、一本杭に磔にしての処刑は当時のローマ帝国でのデフォルトだったということになるが?
果たして第三者の学者はどう述べているのか。
Wikiの「苦しみの杭」の考古学的見地から。
「イエスの時代のスタウロスが何であったかを知る考古学上の物証は極めて少ない。理由のひとつに、当時の風習により、スタウロスによる処刑を受けた者が正式に埋葬されることは少なかっただろうということを考えることができる。さらに、イエスがスタウロスによって処刑されたほぼ同じ時期に、ユダヤ人の間でスタウロスの刑が廃止されたことも考慮しなければならない。一度スタウロスの刑が廃れているので、イエスの時代より後の時代の資料をもってイエスのスタウロスを論じることは困難である。」
これだけで判定はできないだろう。
「組み合わせた十字架にかけられて処刑された」と言われ始めたのは、イエスの死300年もたってからのことであり、その見解はスタウロスの誤用および伝承に基づくものと主張する[6]。しかし、イエスの時代のスタウロスが十字架であったという考古学的証拠が多数発見されている。また1~3 世紀のキリスト教信者の墓地に十字架が刻まれていることは、考古学的発見からも明らかである[1]。例として以下の証拠が発見されている。
西暦79 年に廃墟と化したポンペイの町跡から「200 年祭の家(Casa del Bicentenario)」と呼ばれた初期のクリスチャンの礼拝堂が発掘された。そこに、はっきりとした金属の十字架の痕跡が残されていた[16][17]。
パレスチナの南側の斜面にあった建物の廃墟から発見された西暦217 年頃の壁画に、キリスト教信仰をあざける目的で描かれた人物の頭は、ろばとして描かれ、十字架に掛けられている。十字架の左側には、左手をあげ、崇拝の姿勢を示している一人の人物が描かれている。右下には、「アレクサメノスは、彼の神を礼拝している」という文字が記されている[18]。」
…うーむ。逆にわかりづらくなったか?
十字架派が優勢とは思うが、前段引用の「十字架への切り替えの時期」どあったと言う事実が、JW・エホバの証人の主張にいくばくかの利を与えている。
バインの『新約聖書用語解説辞典』の記述 編集
「エホバの証人はバインの『新約聖書用語解説辞典』を「杭」主張の根拠に使用しているが、同書の「スタウロス」の字義説明において、マタイ27 章32 節を挙げ、「十字架もしくは杭自体」と解説している。さらに、バインは、同辞書の「木(tree)」という項目において、「クシュロン」を「十字架、スタウロスの木、ローマ人が処刑される人物を釘付けにした立てられた柱または杭」と説明している。これらの語義説明の中で、バインは、十字架(cross)を最初に紹介している。そこから、バイン自身は、イエスは杭ではなく、十字架刑に処せられたと考えていた、と想定される。つまり、バインは「スタウロス」の字義説明において、さまざまな十字架模様がキリスト教のシンボルに採用されていく状況を解説しているのであって、イエスがかけられた刑具そのものを問題にしているわけではない、ということである[29]。」
筆者の判定としては、JWにひいき目にしても、70から80%の確率でイエス・キリストは十字架磔刑であったと見ざるを得ない。
が、この件にはまだ別の見方もあるので、また改めて扱いたい。
で先方がいわく、「もうひとつ重要な本質がある。」
こんなたとえを使う。
「もし友人宅に招かれて、そこにあなたの大切な人が無実の罪で処刑された道具が大切に飾ってあったとしたら、あなたはどう思いますか?」
…賛否両論、というより、全キリスト教世界に喧嘩を売る、と言ってはなんだが、そういう問いである。
「いや、主キリストの自らの犠牲を忘れぬ為、象徴を用いて何が悪いのか!?」
そう主流派からは反論したくもあろう。
そう、十字架云々もだが、神の子イエス・キリスト(イエス自らを神とする宗派もいるが、JWではあくまでエホバ神の子、代行者と言う解釈である)
がわざわざ俗にまみれた人間たちの「世」に転生し、新たな教えを広めるのは良いとして、なぜ予定調和的に処刑されなければならなかったのか?
他の教会の教えを調べても、いくつかの説はある。
が、その中で目を引くのは「アダムとイヴ以来の人間の原罪を贖う。」と言うものである。
そしてJWもこの考えを、と言うより、この教えをこそ軸にしているのである。
贖い、最初の人類が犯した原罪を全て背負い、人類に再び永遠の命をもたらす道を拓いてくださった。
このことこそ、イエスと父なる神エホバに感謝しなければいけない。
下で語るが、彼ら彼女らはそう信じているのだ。
さて、話を転じて…。
「エホバの証人はクリスマスを祝わずスルーするってマジか!?」
「うちのJWの従業員が、クリスマスセールの時のサンタコスチュームを拒否しやがった。面倒くさいな。」
「おいおいおい、てかキリスト教だろ?」
そう、JWはクリスマスを祝わない。
もちろん他宗派の邪魔だてなどしないが、頑なに忌避する。
何故か?
JW本家によれば
まずイエスの誕生日が12月25日か、そうではないいついつかということは聖書中に明記されていない。
生前のイエス、あるいは死後すぐの弟子たち…初期クリスチャンはイエスの誕生日を祝ってはいない。
最初に祝われたのは西暦243年以降で、しかもそれは異教由来(ローマで信奉されていたミトラ神の関連か)の祭典である。
1番忌避する理由は最後の箇所であろう。恐らくは。
で、極め付けは、
「聖書によれば主イエスは、処刑される前の、いわゆる一般的に知られる所の『最後の晩餐』において、この日をこそ私の事に思いを馳せる記念の日にしなさい」と教えている。」
のである。
実際筆者自身も参加していたが、当時の暦「ニサン14日」にあわせておおよそ春頃に、現代もJWは実際、「主の記念式」と言う特別な集会を行なっている。
未だに同年代のかつての信者仲間から、招待状が筆者の元に届いたりするが。
とにかく、JW・エホバの証人はイエス・キリストが人類の救いの為あえて苦痛の死を一旦とは言え選んでくださった日。
それのみを大事に祝い。
あとはクリスマスもイースターも祝わないのである。
確かに(けして無宗教ではないが)洋の東西問わずごった煮の特異な宗教観で、隙あらば何でも金のなるイベントにしたい企業群と、きっかけがあればそれに乗っかって騒ぎたい一般的日本人達にしてみれば、別にクリスマスの呼称や由来がどうであろうが気にもしないだろう。
「そんな事でクリスマススルーとか、まぁ個人の自由だけど変わっているよね」と言った感じで。
しかし欧米では、商業主義の波に乗りつつも未だ何処か神聖さを忘れていないクリスマス観を持つ人も少なくなく、「神様に対してのみならず、家族の団結一致という意味合いもあるのにけしからん」という批判も多いようだ…。
「子供や若者の楽しみを奪って!」という批判も。
これに対しJWは…。
「別に、クリスマス等と関係なく、信者間の健全な交わりとしてのホームパーティーは推奨していますよ。」などと返しているようだが。
まあ筆者自身、いわゆる「陰キャ」系統の人種なので、彼女が居ない年には特になにかアクションを起こそうという気も起こらない。
サービス業という、その時まさに忙しい職業やっていた時期も長かったし…。
「どうでもいいけどエホバの人って面倒くさいな」
が一般的な感想であろう。
ただ話が戻るが、重要なポイントは、今の伝統派のキリスト教世界に繋がる宗派が、少なくともクリスマスの慣習に関しては、異教徒の要素を取り入れてしまった。
ということであろう。
恐らくは、弾圧を逃れるため、ローマ帝国の慣習に妥協していく方針の一環であろうが。
これがJWに言わせれば、既存キリスト教の堕落を表す事柄のひとつ、と言われる。
そもそもJW・エホバの証人のアイデンティティが、1世紀のキリスト復活、昇天直後の正しいあり方のクリスチャンの形を取り戻す。
そして一般的に知られるキリスト教世界は全て「偽りの宗教」と断罪しているのである。
(実際に手を下すのは終わりの日、人類の王となったイエス・キリストと天使の軍勢とのことだが)
どれだけ勧誘当初にソフトな語り口で御教えを語っても究極の所はそれである。
終わりの日に関する事や他のキリスト教やそれ以外の宗教へのスタンスに関してはまた項を改めますが。
もちろん、これを読んでいる現役信者の方や、JWに関心を現在持っておられる方が信じ続けることは自由だ。
が、本質的には自分達の組織のみが真理、絶対と言う前提で動いているのがエホバの証人だ、ということは念頭に置いて置いた方がいい。
まぁ、真理を求める宗教としては、他宗教にも寛容にとか言う所よりはある種正しいのかもしれないが。
因みに…。
アメリカ正教会など「メジャー」なところははっきりJWに関しては「異端」と切り捨てている。
日本キリスト教団も同様のスタンスである。
(最近JW元2世信者のテレビドキュメンタリーがネットで話題になると、わざわざ私たちとは無関係ですと公式でツイートしていたと記憶している。)
まず皆さんが違和感を覚えるのは、前述の通り集会場たる王国会館に、イエスの磔刑像や肖像画どころか最低減のアイコンである
「十字架」が無いことであろう。
まぁ偶像崇拝否定は分かるけどそれは…?
JWサイドに言わせれば大きな理由のひとつとして、
「そもそもイエス・キリストが磔の刑に処されたのは、十字架でなく一本の杭だったのです。
と言うことにある。」
となると、1世紀の当時イスラエル、ユダヤの民を支配していたローマ帝国の処刑法も覆るということになるのだが。
本家のHPを引用してみる。
聖書はイエスの処刑に使われた道具に言及する際,ギリシャ語のスタウロスという語を大抵用いています。(マタイ 27:40。ヨハネ 19:17)この語はしばしば「十字架」と訳されていますが,基本的な意味は「まっすぐな杭」 *であるという点で,多くの学者の意見は一致しています。 「英語・ギリシャ語新約聖書の校訂辞典・語句索引」(A Critical Lexicon and Concordance to the English and Greek New Testament)は,スタウロスが「どんな角度にせよ,組んだ2本の材木を意味することは決してない」と述べています。
…これを信じれば、一本杭に磔にしての処刑は当時のローマ帝国でのデフォルトだったということになるが?
果たして第三者の学者はどう述べているのか。
Wikiの「苦しみの杭」の考古学的見地から。
「イエスの時代のスタウロスが何であったかを知る考古学上の物証は極めて少ない。理由のひとつに、当時の風習により、スタウロスによる処刑を受けた者が正式に埋葬されることは少なかっただろうということを考えることができる。さらに、イエスがスタウロスによって処刑されたほぼ同じ時期に、ユダヤ人の間でスタウロスの刑が廃止されたことも考慮しなければならない。一度スタウロスの刑が廃れているので、イエスの時代より後の時代の資料をもってイエスのスタウロスを論じることは困難である。」
これだけで判定はできないだろう。
「組み合わせた十字架にかけられて処刑された」と言われ始めたのは、イエスの死300年もたってからのことであり、その見解はスタウロスの誤用および伝承に基づくものと主張する[6]。しかし、イエスの時代のスタウロスが十字架であったという考古学的証拠が多数発見されている。また1~3 世紀のキリスト教信者の墓地に十字架が刻まれていることは、考古学的発見からも明らかである[1]。例として以下の証拠が発見されている。
西暦79 年に廃墟と化したポンペイの町跡から「200 年祭の家(Casa del Bicentenario)」と呼ばれた初期のクリスチャンの礼拝堂が発掘された。そこに、はっきりとした金属の十字架の痕跡が残されていた[16][17]。
パレスチナの南側の斜面にあった建物の廃墟から発見された西暦217 年頃の壁画に、キリスト教信仰をあざける目的で描かれた人物の頭は、ろばとして描かれ、十字架に掛けられている。十字架の左側には、左手をあげ、崇拝の姿勢を示している一人の人物が描かれている。右下には、「アレクサメノスは、彼の神を礼拝している」という文字が記されている[18]。」
…うーむ。逆にわかりづらくなったか?
十字架派が優勢とは思うが、前段引用の「十字架への切り替えの時期」どあったと言う事実が、JW・エホバの証人の主張にいくばくかの利を与えている。
バインの『新約聖書用語解説辞典』の記述 編集
「エホバの証人はバインの『新約聖書用語解説辞典』を「杭」主張の根拠に使用しているが、同書の「スタウロス」の字義説明において、マタイ27 章32 節を挙げ、「十字架もしくは杭自体」と解説している。さらに、バインは、同辞書の「木(tree)」という項目において、「クシュロン」を「十字架、スタウロスの木、ローマ人が処刑される人物を釘付けにした立てられた柱または杭」と説明している。これらの語義説明の中で、バインは、十字架(cross)を最初に紹介している。そこから、バイン自身は、イエスは杭ではなく、十字架刑に処せられたと考えていた、と想定される。つまり、バインは「スタウロス」の字義説明において、さまざまな十字架模様がキリスト教のシンボルに採用されていく状況を解説しているのであって、イエスがかけられた刑具そのものを問題にしているわけではない、ということである[29]。」
筆者の判定としては、JWにひいき目にしても、70から80%の確率でイエス・キリストは十字架磔刑であったと見ざるを得ない。
が、この件にはまだ別の見方もあるので、また改めて扱いたい。
で先方がいわく、「もうひとつ重要な本質がある。」
こんなたとえを使う。
「もし友人宅に招かれて、そこにあなたの大切な人が無実の罪で処刑された道具が大切に飾ってあったとしたら、あなたはどう思いますか?」
…賛否両論、というより、全キリスト教世界に喧嘩を売る、と言ってはなんだが、そういう問いである。
「いや、主キリストの自らの犠牲を忘れぬ為、象徴を用いて何が悪いのか!?」
そう主流派からは反論したくもあろう。
そう、十字架云々もだが、神の子イエス・キリスト(イエス自らを神とする宗派もいるが、JWではあくまでエホバ神の子、代行者と言う解釈である)
がわざわざ俗にまみれた人間たちの「世」に転生し、新たな教えを広めるのは良いとして、なぜ予定調和的に処刑されなければならなかったのか?
他の教会の教えを調べても、いくつかの説はある。
が、その中で目を引くのは「アダムとイヴ以来の人間の原罪を贖う。」と言うものである。
そしてJWもこの考えを、と言うより、この教えをこそ軸にしているのである。
贖い、最初の人類が犯した原罪を全て背負い、人類に再び永遠の命をもたらす道を拓いてくださった。
このことこそ、イエスと父なる神エホバに感謝しなければいけない。
下で語るが、彼ら彼女らはそう信じているのだ。
さて、話を転じて…。
「エホバの証人はクリスマスを祝わずスルーするってマジか!?」
「うちのJWの従業員が、クリスマスセールの時のサンタコスチュームを拒否しやがった。面倒くさいな。」
「おいおいおい、てかキリスト教だろ?」
そう、JWはクリスマスを祝わない。
もちろん他宗派の邪魔だてなどしないが、頑なに忌避する。
何故か?
JW本家によれば
まずイエスの誕生日が12月25日か、そうではないいついつかということは聖書中に明記されていない。
生前のイエス、あるいは死後すぐの弟子たち…初期クリスチャンはイエスの誕生日を祝ってはいない。
最初に祝われたのは西暦243年以降で、しかもそれは異教由来(ローマで信奉されていたミトラ神の関連か)の祭典である。
1番忌避する理由は最後の箇所であろう。恐らくは。
で、極め付けは、
「聖書によれば主イエスは、処刑される前の、いわゆる一般的に知られる所の『最後の晩餐』において、この日をこそ私の事に思いを馳せる記念の日にしなさい」と教えている。」
のである。
実際筆者自身も参加していたが、当時の暦「ニサン14日」にあわせておおよそ春頃に、現代もJWは実際、「主の記念式」と言う特別な集会を行なっている。
未だに同年代のかつての信者仲間から、招待状が筆者の元に届いたりするが。
とにかく、JW・エホバの証人はイエス・キリストが人類の救いの為あえて苦痛の死を一旦とは言え選んでくださった日。
それのみを大事に祝い。
あとはクリスマスもイースターも祝わないのである。
確かに(けして無宗教ではないが)洋の東西問わずごった煮の特異な宗教観で、隙あらば何でも金のなるイベントにしたい企業群と、きっかけがあればそれに乗っかって騒ぎたい一般的日本人達にしてみれば、別にクリスマスの呼称や由来がどうであろうが気にもしないだろう。
「そんな事でクリスマススルーとか、まぁ個人の自由だけど変わっているよね」と言った感じで。
しかし欧米では、商業主義の波に乗りつつも未だ何処か神聖さを忘れていないクリスマス観を持つ人も少なくなく、「神様に対してのみならず、家族の団結一致という意味合いもあるのにけしからん」という批判も多いようだ…。
「子供や若者の楽しみを奪って!」という批判も。
これに対しJWは…。
「別に、クリスマス等と関係なく、信者間の健全な交わりとしてのホームパーティーは推奨していますよ。」などと返しているようだが。
まあ筆者自身、いわゆる「陰キャ」系統の人種なので、彼女が居ない年には特になにかアクションを起こそうという気も起こらない。
サービス業という、その時まさに忙しい職業やっていた時期も長かったし…。
「どうでもいいけどエホバの人って面倒くさいな」
が一般的な感想であろう。
ただ話が戻るが、重要なポイントは、今の伝統派のキリスト教世界に繋がる宗派が、少なくともクリスマスの慣習に関しては、異教徒の要素を取り入れてしまった。
ということであろう。
恐らくは、弾圧を逃れるため、ローマ帝国の慣習に妥協していく方針の一環であろうが。
これがJWに言わせれば、既存キリスト教の堕落を表す事柄のひとつ、と言われる。
そもそもJW・エホバの証人のアイデンティティが、1世紀のキリスト復活、昇天直後の正しいあり方のクリスチャンの形を取り戻す。
そして一般的に知られるキリスト教世界は全て「偽りの宗教」と断罪しているのである。
(実際に手を下すのは終わりの日、人類の王となったイエス・キリストと天使の軍勢とのことだが)
どれだけ勧誘当初にソフトな語り口で御教えを語っても究極の所はそれである。
終わりの日に関する事や他のキリスト教やそれ以外の宗教へのスタンスに関してはまた項を改めますが。
もちろん、これを読んでいる現役信者の方や、JWに関心を現在持っておられる方が信じ続けることは自由だ。
が、本質的には自分達の組織のみが真理、絶対と言う前提で動いているのがエホバの証人だ、ということは念頭に置いて置いた方がいい。
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