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始めに。
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まず、私、2022年に45歳になる独身男性、俊也と申します。
タイトル通り、世間的にはカルト宗教とされている
(カルトという認識は間違ってないと私も思う。定義の一つに『自分達の教えが唯一絶対と思っている』と言うのがあるのなら。)
新興宗教・エホバの証人、通称JWの、いわゆる元2世信者という立場で語る。
そういう一文であります。
私の場合は、両親のうち母の方のみが私が4歳かそこらの頃入信し、私と妹2人も自動的に「集会」や「伝道」と言われる布教活動などの流れに巻き込まれ…当然反対する父や、学校との摩擦(追々詳述します。)に2世信者独特の苦悩をしつつ、結局どうにか高校3年時に脱出した。
と言うパターンでした。
最近JWを対象としたTVドキュメンタリーやエッセイで、意外とと言うか、それなりに元2世信者の苦悩あるあるが公開されているので、あまり個人的体験談には需要がないかもしれない。
なので、彼ら彼女らの教義を皆さまの疑問に応え解き明かして、この宗教団体の本質に迫りたいと思う。もちろん、私自身の体験も交えつつ。
とは言え…
何から話したらいいのやら。
やはり、最初にこの教団が日本において大々的に社会問題化した、医療における輸血拒否問題であろう。
1985年に。信者一家の息子の少年がトラックに轢かれ、輸血をすれば救命可能だったとされるにもかかわらず亡くなってしまった事件。
当然マスコミも世間も大バッシングの嵐。
まあ、カルトという言葉は一般化してなかったと思うが、
「まともな医療行為より、喜んで死を選ぶ。
それどころか自分の子供も巻き込むヤバい狂信者集団。」
という認知をされてしまった事は間違いない。
因みに1990年代に入ってからビートたけし氏主演でこの事件がドラマ化されているので、それをたまたま見てはじめてJWを認識したアラフォー付近の方もいらっしゃるかもしれない。
(まああのドラマも多分一般向けに教義の描写等一部変えていたと記憶しているが)
これについて解説する前に私(以下筆者)の立場を説明すると、すでに自然消滅とは言えJWの組織からは離れているので、当然自分や大切な人が輸血必須の状況になった場合は迷わずお願いする。とするスタンスである。
で、JWの組織としての見解であるが、要約すると「別にことさらに、医療行為を否定して死にたがっている訳ではありません、例えば大量出血の際は輸血の代替として生理食塩水その他の、血液の混じらない輸液注入に関してはむしろ積極的にお願いしております。」
といったものである。
これに対し、大半の現場の医師の反応は
ブログSNSを見る限り、
「ただの輸液が血液の代わりになるかバカ!」
というものである。まあ当然と言えば当然である。
また緊急救命の場でも、救急車搬送の段階で「無輸血手術で」といった瞬間病院が受け入れ拒否、と言う状況が当然頻発しているようだ。
こう言った状況に関連した救命例、死亡例がまだ調査中でよくわからない所もあるが、宗教上以外の理由で無輸血手術が必要なケースもある事に関連してそちらの技術も進歩して、結果的には助かっている例も多いようだ。
(また死亡例があれば当然昔ほどでないにせよ、センセーショナルに報道されるであろう。)
だが何にせよ、JWの本部レベルが一所懸命「別に医療行為自体を否定して生命を粗末にする、狂信的な考えではないのです。」
とアピールしたところで世間一般の目線が厳しくなるのは当然である。
で、「少なくとも子供は!」と一定年齢以下の未成年者を、輸血が必要な緊急時には一時的に親権を取り上げ救命する…。
と言う法整備が最近になり日本でも進んだのをご存じの方も多いだろう。
では何故わざわざ、世間の猛批判浴びるのをわかってこのような教義を掲げ、それ専用の医療委員会まで立ち上げて遵守しつづけるのか?
JWとしては「聖書の教え」にあくまで沿っていると言う考えである。
それも彼らが独自に訳し、いわゆる旧約新訳を統合編纂した「新世界訳」聖書に基づいてのものだ。
例えばこれに関連して複数ある記述のひとつ
申命記 12章23節
23 ただ,血を食べないように固く決意していなさい。血は命だからです。肉と一緒に命を食べてはなりません。
これを輸血にもあてはまると考えている訳である。
他のキリスト教会、宗派が使う訳の聖書の記述がどうなっているかは分からないが、
「とにかくそれを輸血禁止に結びつける解釈なんかめちゃくちゃだ!
神は単に生命尊重とかそういうことを言われているのであって、あとは文字通り食事の時血抜きでもすればいいじゃないか!」
他宗派の人も一般人の人もそう叫びたくなるであろう。
この辺に限らず、JWの教義の「本家」部分に関心のある方は、Google検索時
「JW.org」と入力すればこの教団のHPに行ける。
(ちなみに『エホバの証人』と入れてしまうと批判サイトがトップに来てしまったりするので、上記のやり方をおすすめする。)
で輸血拒否の話に戻るが、仮に代替医療が進歩していたとしても、このご時世に医療体制に余計な負担をかけ、無輸血には生命のリスクが高いことには変わりない。
なのに何故、こんな理解不能な教義を守ろうとするのか?
何度も言うが自分や子供の命を危険に晒して。
これを紐解くには、JW、エホバの証人の死生観を考察する必要がある。
まず、この教団には、「基本的に死んだら無。肉体から魂が離れてどうこうなどというのはない。
天国か地獄に選別されていくような霊魂不滅の考えは否定されるべきもの。」
と言う考えがある。
厳密に言えば神エホバや神の子イエス・キリスト、天使達が住まう天国、「天」という概念はある。
あるが、それは敬虔で善良な信者なら誰でも行けるというものではない。(後述するが一部の選ばれた人間だけが行ける。)
では一般信者が、輸血拒否でも他の要因でも亡くなった時の救済は?
それは「復活」である。
詳しく言えば悪魔が跋扈するこの悪き世界が、神エホバが御子イエス・キリストに命じて滅ぼされた時。
この世界、世間、一般社会(JW内では『世』と一括して呼ぶ)
その誘惑や圧力に耐えて信仰を貫いた信者は救済され、天国ではなく「地上の楽園」で永遠に生きる機会を頂く。
そして重要なのは、過去に信仰を保ったまま亡くなった信者も、(色々ツッコミ所や素朴な疑問はあるが)復活すると言う事である。
当然輸血拒否の結果亡くなった信者も含まれる。
これが何を意味するか?
積極的に殉教者になりたがる訳ではないにせよ、無輸血を貫いたが故に亡くなるとしても、当該の信者達にしてみれば、
「次に目が覚めた時は地上の楽園で家族や他の信者と再会できる。」
と言う確信というか文字通りの信仰があるのである。
だのに「今の世」でのかりそめの命を繋ぐ為だけに輸血などして、神の基準において楽園にいく資格を失うリスクを冒すなどとんでもない話なのである。
だから、信者ではない家族、親類や医師達が、いくらまともな常識論で説得しても無駄なのである。(そういう議論の余裕があるケースでの話だが)
因みに先述の、JW自前の医療委員会。
その中には医師や弁護士の資格を持つ人もいる。
そして、他の教団で言う地元の支部(会衆と呼んでいる)での責任者、信者達を導く責任を持つ長老(と言っても若い人もいる)が駆け付けても対応できない案件では、そう言った委員会の長老達が介入してくることもある。
信者たる患者本人や、本人が意識がない場合その家族…にとっては、こうした場合の信仰が試されるような局面では肉親の言葉より同じ信仰を共有する責任者達の言葉が、神エホバの意思を代弁するものとして重要であったりする。
このことは、近しい人にJWの信者がいる人は頭に入れておいた方がいい。
因みに、筆者自身は母と同居している。
今は家族でただ一人、70歳を超えても40年間エホバを信仰している。
2022年現在の新型ウィルス禍の中、こうして書いている今も、リモートで会衆の信者間のコミュニケートを取っている。
(因みに集まりごと関連は早々にリモートに切り替え、ワクチンもきちんと打つなど、新型ウイルス対応に関しては意外とまともなJWである。)
とにかく、今現在自分の中で不安なのは、母が病気や事故で輸血が必要な時にどう息子として対応するか、である。
本人の意識がない緊急時ならば、医師に説明して口裏を合わせ、無輸血で対応しましたと言うことにしてしまえばよいかなとも思うが。
本人がなんらかの疾患の手術の事前説明を受け、判断する余裕がある場合はかなり頭の痛いことになる。
母からは「緊急時には長老の誰々に連絡してね」と伝えられているが。
世間の基準ではそれでも輸血を受けさせるのが人の道であろうが、それで身体が救命されても、母の内心はどうか?
エホバ神から真の救いを得る機会を失われたと言う絶望の中、余生を送らせることになってしまう。
ならば、無輸血で救命にベストを尽くしていただけるよう医師サイドにお願いするというスタンスで行くべきか、どうか…。
半々の状態で迷っている。
多分父親も似た考えだろう。
…まぁJW・エホバの証人の輸血拒否の教義に関し、取り急ぎ私から説明できるのはここまでだ。
次回更新がいつになるかわかりませんが、関心ある方は前述のJWのホームページをご覧下さい。
あるいは、他の考察サイトも…
ただ、元2世信者の方の「人生壊された!」的なのは、カルトにはとにかく気をつけてと言う一般論の域を出ないとおもいますが…。
(無論気持ちは分かるけど)
自分の教義に関する記憶や現状認識もまだ未整理なので、今後色々な角度から追々書き加えていくことになります。
今現在の筆者自身の宗教観は、一般日本人の平均値プラス、皇室は敬愛させていただこう。
という位のスタンスです。
まずは長文にお付き合い頂きありがとうございます。
コメント欄はご自由にお使いください。
多分お返事はできませんが、目を通して今後の記述の参考とさせていただきます。
タイトル通り、世間的にはカルト宗教とされている
(カルトという認識は間違ってないと私も思う。定義の一つに『自分達の教えが唯一絶対と思っている』と言うのがあるのなら。)
新興宗教・エホバの証人、通称JWの、いわゆる元2世信者という立場で語る。
そういう一文であります。
私の場合は、両親のうち母の方のみが私が4歳かそこらの頃入信し、私と妹2人も自動的に「集会」や「伝道」と言われる布教活動などの流れに巻き込まれ…当然反対する父や、学校との摩擦(追々詳述します。)に2世信者独特の苦悩をしつつ、結局どうにか高校3年時に脱出した。
と言うパターンでした。
最近JWを対象としたTVドキュメンタリーやエッセイで、意外とと言うか、それなりに元2世信者の苦悩あるあるが公開されているので、あまり個人的体験談には需要がないかもしれない。
なので、彼ら彼女らの教義を皆さまの疑問に応え解き明かして、この宗教団体の本質に迫りたいと思う。もちろん、私自身の体験も交えつつ。
とは言え…
何から話したらいいのやら。
やはり、最初にこの教団が日本において大々的に社会問題化した、医療における輸血拒否問題であろう。
1985年に。信者一家の息子の少年がトラックに轢かれ、輸血をすれば救命可能だったとされるにもかかわらず亡くなってしまった事件。
当然マスコミも世間も大バッシングの嵐。
まあ、カルトという言葉は一般化してなかったと思うが、
「まともな医療行為より、喜んで死を選ぶ。
それどころか自分の子供も巻き込むヤバい狂信者集団。」
という認知をされてしまった事は間違いない。
因みに1990年代に入ってからビートたけし氏主演でこの事件がドラマ化されているので、それをたまたま見てはじめてJWを認識したアラフォー付近の方もいらっしゃるかもしれない。
(まああのドラマも多分一般向けに教義の描写等一部変えていたと記憶しているが)
これについて解説する前に私(以下筆者)の立場を説明すると、すでに自然消滅とは言えJWの組織からは離れているので、当然自分や大切な人が輸血必須の状況になった場合は迷わずお願いする。とするスタンスである。
で、JWの組織としての見解であるが、要約すると「別にことさらに、医療行為を否定して死にたがっている訳ではありません、例えば大量出血の際は輸血の代替として生理食塩水その他の、血液の混じらない輸液注入に関してはむしろ積極的にお願いしております。」
といったものである。
これに対し、大半の現場の医師の反応は
ブログSNSを見る限り、
「ただの輸液が血液の代わりになるかバカ!」
というものである。まあ当然と言えば当然である。
また緊急救命の場でも、救急車搬送の段階で「無輸血手術で」といった瞬間病院が受け入れ拒否、と言う状況が当然頻発しているようだ。
こう言った状況に関連した救命例、死亡例がまだ調査中でよくわからない所もあるが、宗教上以外の理由で無輸血手術が必要なケースもある事に関連してそちらの技術も進歩して、結果的には助かっている例も多いようだ。
(また死亡例があれば当然昔ほどでないにせよ、センセーショナルに報道されるであろう。)
だが何にせよ、JWの本部レベルが一所懸命「別に医療行為自体を否定して生命を粗末にする、狂信的な考えではないのです。」
とアピールしたところで世間一般の目線が厳しくなるのは当然である。
で、「少なくとも子供は!」と一定年齢以下の未成年者を、輸血が必要な緊急時には一時的に親権を取り上げ救命する…。
と言う法整備が最近になり日本でも進んだのをご存じの方も多いだろう。
では何故わざわざ、世間の猛批判浴びるのをわかってこのような教義を掲げ、それ専用の医療委員会まで立ち上げて遵守しつづけるのか?
JWとしては「聖書の教え」にあくまで沿っていると言う考えである。
それも彼らが独自に訳し、いわゆる旧約新訳を統合編纂した「新世界訳」聖書に基づいてのものだ。
例えばこれに関連して複数ある記述のひとつ
申命記 12章23節
23 ただ,血を食べないように固く決意していなさい。血は命だからです。肉と一緒に命を食べてはなりません。
これを輸血にもあてはまると考えている訳である。
他のキリスト教会、宗派が使う訳の聖書の記述がどうなっているかは分からないが、
「とにかくそれを輸血禁止に結びつける解釈なんかめちゃくちゃだ!
神は単に生命尊重とかそういうことを言われているのであって、あとは文字通り食事の時血抜きでもすればいいじゃないか!」
他宗派の人も一般人の人もそう叫びたくなるであろう。
この辺に限らず、JWの教義の「本家」部分に関心のある方は、Google検索時
「JW.org」と入力すればこの教団のHPに行ける。
(ちなみに『エホバの証人』と入れてしまうと批判サイトがトップに来てしまったりするので、上記のやり方をおすすめする。)
で輸血拒否の話に戻るが、仮に代替医療が進歩していたとしても、このご時世に医療体制に余計な負担をかけ、無輸血には生命のリスクが高いことには変わりない。
なのに何故、こんな理解不能な教義を守ろうとするのか?
何度も言うが自分や子供の命を危険に晒して。
これを紐解くには、JW、エホバの証人の死生観を考察する必要がある。
まず、この教団には、「基本的に死んだら無。肉体から魂が離れてどうこうなどというのはない。
天国か地獄に選別されていくような霊魂不滅の考えは否定されるべきもの。」
と言う考えがある。
厳密に言えば神エホバや神の子イエス・キリスト、天使達が住まう天国、「天」という概念はある。
あるが、それは敬虔で善良な信者なら誰でも行けるというものではない。(後述するが一部の選ばれた人間だけが行ける。)
では一般信者が、輸血拒否でも他の要因でも亡くなった時の救済は?
それは「復活」である。
詳しく言えば悪魔が跋扈するこの悪き世界が、神エホバが御子イエス・キリストに命じて滅ぼされた時。
この世界、世間、一般社会(JW内では『世』と一括して呼ぶ)
その誘惑や圧力に耐えて信仰を貫いた信者は救済され、天国ではなく「地上の楽園」で永遠に生きる機会を頂く。
そして重要なのは、過去に信仰を保ったまま亡くなった信者も、(色々ツッコミ所や素朴な疑問はあるが)復活すると言う事である。
当然輸血拒否の結果亡くなった信者も含まれる。
これが何を意味するか?
積極的に殉教者になりたがる訳ではないにせよ、無輸血を貫いたが故に亡くなるとしても、当該の信者達にしてみれば、
「次に目が覚めた時は地上の楽園で家族や他の信者と再会できる。」
と言う確信というか文字通りの信仰があるのである。
だのに「今の世」でのかりそめの命を繋ぐ為だけに輸血などして、神の基準において楽園にいく資格を失うリスクを冒すなどとんでもない話なのである。
だから、信者ではない家族、親類や医師達が、いくらまともな常識論で説得しても無駄なのである。(そういう議論の余裕があるケースでの話だが)
因みに先述の、JW自前の医療委員会。
その中には医師や弁護士の資格を持つ人もいる。
そして、他の教団で言う地元の支部(会衆と呼んでいる)での責任者、信者達を導く責任を持つ長老(と言っても若い人もいる)が駆け付けても対応できない案件では、そう言った委員会の長老達が介入してくることもある。
信者たる患者本人や、本人が意識がない場合その家族…にとっては、こうした場合の信仰が試されるような局面では肉親の言葉より同じ信仰を共有する責任者達の言葉が、神エホバの意思を代弁するものとして重要であったりする。
このことは、近しい人にJWの信者がいる人は頭に入れておいた方がいい。
因みに、筆者自身は母と同居している。
今は家族でただ一人、70歳を超えても40年間エホバを信仰している。
2022年現在の新型ウィルス禍の中、こうして書いている今も、リモートで会衆の信者間のコミュニケートを取っている。
(因みに集まりごと関連は早々にリモートに切り替え、ワクチンもきちんと打つなど、新型ウイルス対応に関しては意外とまともなJWである。)
とにかく、今現在自分の中で不安なのは、母が病気や事故で輸血が必要な時にどう息子として対応するか、である。
本人の意識がない緊急時ならば、医師に説明して口裏を合わせ、無輸血で対応しましたと言うことにしてしまえばよいかなとも思うが。
本人がなんらかの疾患の手術の事前説明を受け、判断する余裕がある場合はかなり頭の痛いことになる。
母からは「緊急時には長老の誰々に連絡してね」と伝えられているが。
世間の基準ではそれでも輸血を受けさせるのが人の道であろうが、それで身体が救命されても、母の内心はどうか?
エホバ神から真の救いを得る機会を失われたと言う絶望の中、余生を送らせることになってしまう。
ならば、無輸血で救命にベストを尽くしていただけるよう医師サイドにお願いするというスタンスで行くべきか、どうか…。
半々の状態で迷っている。
多分父親も似た考えだろう。
…まぁJW・エホバの証人の輸血拒否の教義に関し、取り急ぎ私から説明できるのはここまでだ。
次回更新がいつになるかわかりませんが、関心ある方は前述のJWのホームページをご覧下さい。
あるいは、他の考察サイトも…
ただ、元2世信者の方の「人生壊された!」的なのは、カルトにはとにかく気をつけてと言う一般論の域を出ないとおもいますが…。
(無論気持ちは分かるけど)
自分の教義に関する記憶や現状認識もまだ未整理なので、今後色々な角度から追々書き加えていくことになります。
今現在の筆者自身の宗教観は、一般日本人の平均値プラス、皇室は敬愛させていただこう。
という位のスタンスです。
まずは長文にお付き合い頂きありがとうございます。
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多分お返事はできませんが、目を通して今後の記述の参考とさせていただきます。
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