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【36】あの日の白い花

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「レティ、せわしない第一王子殿下が、今度は先触れもなくいらっしゃった。私ではなく、レティーツィアに会いたいというのだが」

「お会いしてもよろしいのですか?」

「もちろんだ。第一王子殿下のご希望だからな。貴賓室に通してあるが、どうするのだ?」

「お庭にご案内して、そちらでお茶の用意をいたします」

侍女たちが慌ただしく、庭と館とを行ったり来たりして準備を整えてくれている。その間に私はデイドレスを着替えた。
ジュストは、私がもやもやしていたものをきっと吹き飛ばしてくれる。
その為に帰ったその日に間を置かず、またやって来てくれたのだろう。
ジュストが吹き飛ばしてくれなければ、私が自分の手でそうしよう。

いろいろなことがあって、私は臆病になってしまっていた。
婚約者だったダヴィードの裏切りで、平気を装っていても内心は傷ついていた。
見たこともないダヴィードの男の顏、甘くささやく声。
自分はそれを向けられないほど価値がないのだと思った。
それを頭の中で言葉にしないことで、どうにか自分を支えていた。

ジュストとヴィオラの婚約を、友人だと思っていたヴィオラから聞かされていなかった。
もちろん第一王子との婚約だったから、軽々しく口にできなかったことは解る。
でも、それは私の口から洩れることを想定していたのだと、そこまで信頼されていなかったのだと思ってしまった。
立て続けに起きたさまざまなことに傷ついたと思うことさえ、悲劇のヒロイン思考に陥っているのではないかと自分を責め続けた。
私は自分を見失っていた。
でも、本来の私はそうではないはず。

「ノーラ、ブレッサン領に持って行ったドレスと同じ生地で作った、青いデイドレスをお願いしたいの」

「かしこまりました!」

ノーラは衣裳部屋に小走りで入っていった。
新港の祝賀会で着て、殿下の髪が燃えているのを消すのに使った青いドレスは、生地がとても気に入ったのでお揃いでデイドレスも作っていた。
昼にジュストをお迎えした時、どうしてこのデイドレスのことを思い出さなかったのだろう。


「お待たせしてしまい申し訳ございません」

庭にセッティングしてもらったテーブルには、すでにジュスティアーノ殿下がついていた。

「一日に何度もすまない。ああ、そのドレスは祝賀会の時のドレスと同じ生地だろうか。あの日もとても美しかったが……今日は太陽の光を受けて、さらに美しいな……」

「ありがとうございます……」

まっすぐにみつめられ、そんなふうに褒めてもらうと落ち着かない気持ちになる。お茶を飲んで気持ちを静めよう。華やいだ香りのお茶に、心が落ち着いてくる。

「レティーツィア、俺は一番大切な時に間違ってしまった。この花を受け取ってもらえるだろうか」

ジュストは不自由な身体でぎこちなく膝をつき、私に花を捧げた。

「これは……」

「どうして大切な想いを伝えるのに、かつて陛下が王妃殿下にプロポーズした時の薔薇を真似るようなことをしたのか。俺がレティーツィアに贈りたい花は、これしかないというのに」

「嬉しいわ、このマートルの花がとても好きなの」

受け取った花束から、香りがふんわりと私に届く。
先ほどもらった薔薇だって美しくてとても素敵だったけれど、よそゆきの顔をした薔薇とジュスティアーノ殿下の取り合わせに少しの違和感を覚えたのも事実だった。

「御父上であるサンタレーリ公爵代理に、きちんと自分の気持ちを伝えることができなかった。愚かな俺がもう一度やり直すことを許してほしい」

「きっと父も解っているわ。ここへ殿下が再びいらしたことの意味を……。たぶん、そろそろしびれを切らしているわね。行きましょう、今度は私も一緒に居るわ」

杖の代わりに手を繋いで、私は片手でやっと持てるほどのマートルの小枝の束を反対の腕に抱え、ゆっくりと父の私室に向かった。

***

「……お父様、苦いお薬を七日分も一度に飲んだようなお顔をなさっておりますが」

「……気のせいだろう」

ジュストが、断られた時のほうがにこやかだったと私だけに聞こえるように囁いた。

「こちらのソファに掛けさせていただきますわ。ジュスティアーノ殿下、こちらへどうぞ」

私は一人掛けのソファに座り、殿下に勧めた三人掛けの向かいに身を投げるようにして父も座った。このわざとらしい不敬な態度は、いったい何の理由があるのだろう。

「先ほどは大変失礼しました。再びの機会をくださりありがとうございます」

「第一王子殿下がいらっしゃったとあればそれはもう、いついかなる場合でも大歓迎でございます」

「お父様!」

まるで慇懃無礼の見本のような態度に、思わず声を上げてしまった。
家令のウバルドまでが、『仏頂面はおやめください』と小声で囁いていた。
急にジュストが立ち上がり、そしてそのまま膝をついた。

「レティーツィア嬢を私にください。必ず幸せにいたします」

「……レティーツィアはサンタレーリの嫡子、唯一の子です。たとえこの国の第一王子殿下のお言葉でも、やるわけにはいかないのです」

「では、私をサンタレーリで貰ってください。国政、外交、剣術からダンスもできます、得意です。でも今は少し不格好になってしまいました。剣術も、傷が塞がるまでは思うようにできないでしょうし、ダンスもサポートされる側になるかもしれませんが……。語学は帝国内七か国の言語をどれも操れます。農業や工業の分野に関しましても、第一王子として学んだ知識があります。治水に関しても外国の技術をこの国で活用できないか模索していたところで、サンタレーリ公爵領に取り入れたいものがあります。若干見た目がいかつくなってしまいましたが、これによりむしろレティーツィア嬢によからぬ目的で近づく者を威嚇できるのではと思っております。女公爵の婿として、私を選んで損はさせません。どうかお願いします。愛しているのです、レティーツィア嬢の婚約者にどうか私を」

途中から……いや、わりと始めからおかしい感じのジュスト自身の売り込み文句が、まだ続くかと思ったら、父が肩を震わせている。
泣いているのかと思えば、笑っていた。

「……ジュスティアーノ殿下、失礼な態度を申し訳ございませんでした。どうかご容赦ください。レティーツィアとサンタレーリ公爵家を、末永くよろしくお願いいたします」

「はい……ありがとうございます! 失礼だったのは先刻の私のほうです。第一王子として相応しくなくなってしまったからサンタレーリ公爵家嫡子の婿になりたいなどと、まるで公爵家ならいいだろうと言わんばかりと取られても仕方のない態度でした。公爵代理閣下の下で研鑽を積ませていただき、サンタレーリ公爵家の更なる隆盛の礎の一人となれるよう精進いたします。レティーツィア嬢のことを生涯愛し大切に、共に生きてまいりたく思います」

父とジュストは互いに立ち上がって手を取り合った。
どちらの手も、指の付け根が白く浮かび上がるほど力が込められている。
家令のウバルドも殿下の側近のドナート様も涙を拭っている。
なんだか私だけが、暑苦しい男たちのやり取りからはじき出されているように思えた。
でも、先ほどの白々しい笑いは影を潜め、ジュストも父も清々しい笑顔になっていた。


それから数日後、王家とサンタレーリ公爵家の間で正式にジュスティアーノ殿下と私の婚約が結ばれた。
結婚は、ジュストの身体が完治してからということになった。


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