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【35】足りなかったもの(ジュスティアーノ視点)

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サンタレーリからの帰りの馬車で、揺れる景色をぼんやり見ている。
レティーツィアの御父上に会い、サンタレーリの婿として受け入れてもらいたい旨を伝えたところ、すげなく断られてしまった。
その後レティーツィアに会うこともできず、こうして帰途についている。

『物事には表と裏があります。ジュスティアーノ殿下は表を整えて我が家にいらしてくださった。そのことは大変光栄に思い、心からそのようにあればと願っております。
ですが、裏は裏として、ただ表の後ろ側に貼りついているものでもないのです。
サンタレーリ公爵代理としてではなく、レティーツィアの父親としてジュスティアーノ殿下に見せて戴きたいものは、その裏側にあるものなのです。今日のところはお引き取りいただければと存じます』

そのように言われた。

──裏はただ表の後ろ側に貼りついているものでもないのです
──レティーツィアの父親として見せて戴きたいものは、その裏側にあるものなのです

裏側にあるものとは……なんだ……?

まさか断られると思っていなかったせいで、落ち着いていられなかった。
扉が開けられるまで、馬車が止まっていたことにも気づかなかった。

***

陛下への面会希望をドナートに出してもらい、いつになるか分からない面会をただ部屋で待つのも煩わしく、庭に出た。
眩しいくらいの日差しに、新緑が映えている……とは思ったが、それを楽しむ余裕もない。

レティーツィアに贈る薔薇を、早朝に庭師と共に手ずから切った。
第三温室に咲くその薄桃色の薔薇は、陛下が王妃殿下に婚約時代に贈った薔薇だという。
今は王妃殿下が育てている。
レティーツィアに贈るために王妃殿下に薔薇を願い、好きなだけ切って良いと許可を貰った。
薔薇を抱えて馬車に向かう時に、王宮の廊下で王妃殿下と出会ったので下がって会釈をした。

『……まあ、こんなに。授業料としては少し多いわね』

王妃殿下が『授業料』と呟いたように聞こえ、何かと聞き間違ったのだとその時は思ったが、それで正しかったのだろうか……?
俺は薔薇を対価に何かを学ぶ必要があったというのか?


「殿下、陛下とのご面会の許可がおりました」

ドナートが庭にやってきてそう伝えた。

「すぐ向かう」

先に王妃殿下に面会を求めるべきだったかと思いつつも、陛下から許可を戴いたので予定通りそちらに向かった。

***

「サンタレーリ公爵代理を訪れた件、首尾よくいったのか」

陛下のほうから話を振られて驚いた。
まるで結果を知っているような口ぶりだったからだ。

「……今日のところはと前置いて、……断られました」

「はっはっはっ! その顏では、どうして断られたか分かっておらぬのだろう?」

「……はい」

「バジャルドがそなたに教えてやらなんだことを、わしの口から言うのもなんだが、うかうかしていればサンタレーリ嫡子の婚約者など、バジャルドがその気になればすぐに決まってしまうからな」

「そんな……」

「おまえは頭の中で考えた体裁を整えた。アンセルミ公爵令嬢との婚約を正式に破棄し、令嬢本人にもそれを伝えた。いずれ座る予定だった王太子の椅子を弟に譲り、さあ何の憂いもなくなったぞ──そんな気分でサンタレーリ公爵家を訪れたのであろう」

「……そうです。次男以下の王子が高位貴族に婿入りすることは、珍しいことではありません。私は長子ですが、このような姿になった今、弟にその地位を譲り臣下に下ったとして何の不自然さもないはずです」

「……おまえは、四大公爵家の一角を担うサンタレーリ公爵家を舐めているのか」

「そんな訳はありません!」

「おまえの本当の心がどこにあるか、わしには分かっているつもりだ。だが、今のおまえの言葉だけを聞いた者は、大怪我を負い隻眼になってしまった自分は未来の王には相応しくなくなってしまったが、サンタレーリ公爵家の婿ならばまあいいだろう、そのように聞こえるのだ」

「……そのよう、な……つもりは……」

あまりのことに、それ以上言葉を続けられなかった。
まったくそんな気持ちでレティーツィアの婿となるのを希望した訳ではないのに、確かに陛下の言った通りに取られても、文句を言えるものではなかった……。

レティーツィアのことを好きだと気づき、またレティーツィアも同じだと知って俺は舞い上がった。
どうにかしてこの先の人生を、レティーツィアと共に歩むことができないものかと逡巡した。
自分に降りかかったこの禍のような大怪我は、神の思し召しなのではないか。
不自由な身体にはなったが、生きている。
片目だが物は見え、今はまだ歩くことも腕を使うこともままならないが少しずつ快方に向かうだろう。領主の婿としての仕事は難なくできるのではないか。
未来の国王としては傷がついてしまったが、公爵家の婿ならば……。

……愚かだ……あまりにも俺は愚かだった……。

サンタレーリ公爵代理は、こんな俺の驕った部分を見抜いて『今日のところはお引き取りください』と追い返したのだ。

どうしてレティーツィアへの愛を、その父である公爵代理に全身全霊で伝えなかったのか。
サンタレーリ公爵家を大切にしているレティーツィアの想いごと、自分が護っていきたいと言えなかったのか。

──裏はただ表の後ろ側に貼りついているものでもないのです
──レティーツィアの父親として見せて戴きたいものは、その裏側にあるものなのです

音を立てずに杖が転がった。
よろけて肩膝を床に付いた。
愚か過ぎる俺は、やっとサンタレーリ公爵代理の言葉の意味を知った。

サンタレーリ公爵家嫡子であるレティーツィアの婿となれるよう、ヴィオランテとの婚約を正式に破棄した。
そして、陛下に自分の地位を弟に譲りたい旨を伝え了承を得た。
火傷で顔が爛れ左目を開けることもできず、王家の象徴である金色の髪も火傷のために剃り落とした。火傷の部分の皮膚から髪が再び生えて来るかも分からない。
腕を上げることもままならない傷を肩に負いバランスが悪くなったのと、片目で物を見ることに慣れずよろけることが増えたため、杖をついている。
こんな姿になってしまったならば王太子に一番近い席を明け渡しても、王国の誰からも納得してもらえるだろうと思っていた。
これならレティーツィアの婿となっても、誰もおかしなこととは思わないだろう。
そうして俺は、レティーツィアの婚約者として名乗りを上げる『資格』を得たと思っていた。

だが、本当に大事なことはそうした表面的なものではなかった。
レティーツィアを愛しているから、どうしても傍に居たい。
ただそう言えば良かったのだ……。
サンタレーリ公爵代理が『父親として見せて欲しかったもの』とは、取り繕って整えた表面ではなく、俺の『心』だった。
父上が、かつて母上にプロポーズをした時に贈ったというのを真似た薄桃色の王家の薔薇などではなく、ただ一人の男ジュスティアーノとしてこの世で唯一の愛しいレティーツィアに贈りたい花は……。

「陛下、もう一度サンタレーリ公爵家に行ってまいります! 庭の木の枝を折ることをお許しください!」

「……ああ、好きなだけ折るといい。片手で持てるだけ持って行け。……バジャルドは厳しいが、それ以上に優しい。あのエウジェニアが夫に選んだ男だ……ってもう聞こえてはおらぬか……」

***

部屋に戻り、すぐにドナートに言った。

「これから庭で、花の枝を折るから付き合ってくれ」

「承知いたしました」

庭を駆けられないことが、こんなにもどかしいとは知らなかった。
何もかも間違っていた。
こんな身体になりながらもこれで誰にも咎められず臣下に下ることができるなど、思い上がりも甚だしかった。
レティーツィア……。
先ほどはきちんと話もできなかった。
まずは公爵代理にレティーツィアのとの時間を貰おう。
そして帰ってきたら、思い出の薔薇を無下にしてしまったことを母上・・に全力で詫びなければ。



あの日の思い出の小径にやってきた。
レティーツィアが欲しがった、あの一番高いところで白い花をたくさんつけた枝。
片手ではうまく折ることができない。

「ドナートすまない、少し支えてもらえないだろうか」

「かしこまりました」

こんな俺の傍に、いつもいてくれるドナートの力を借りることにする。
折る反動で花が落ちないように、なんとか力を殺して手折る。
レティーツィアに会ったなら、あの日どうしてこの花を一本欲しいと言ったのか、その訳を聞きたかった。

「殿下、実は鋏を持ってきています」

ドナートは歯を見せて微笑んだ。
差し出された鋏でマートルの小枝を切っていく。
あの日のように、今日も少しの風が枝についた花を揺らしていた。

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