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【14】定例議会での告達

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──租税法における一部の改正案、ゼレニフ王国からの流民問題における辺境伯の権限強化に関する改正案、以上について全会一致により可決として本日の定例議会を終結する。
なおこの後、国王より特別告達がある為、ご着席のまま暫時お待ちください。

議長の声に一瞬、議会席にざわめきが広がった。
国王からの特別告達とはいったい何事か。
私も思わず辺りを見回した。
しばらくののち、陛下が議会場に姿を見せると全員が起立してお迎えした。
陛下は手で私たちに着席を促し、私も静かに座る。

「今日は良い報告がある。第一王子ジュスティアーノの婚約者が決定したのだ。アンセルミ公爵家ヴィオランテ嬢との婚約が結ばれる運びとなった。ヴィオランテ嬢はアンセルミ公爵家の嫡子として学び、近年は公爵と共に仕事に邁進していたが、アンセルミ公爵家は次女エデルミラ嬢を新たな後継者とし、一族より婿を取り公爵家を継ぐこととなった。ヴィオランテ嬢の手腕は第一王子妃として発揮してもらう。なお、国内外への正式な婚約発表は二か月後の……」

頭を硬い何かで殴られたように、耳から音が遠ざかっていった。
ジュスティアーノ殿下が……ヴィオラと、婚約……?
ヴィオラの妹が婿を……取って、公爵家を……?
どういうことなの……。

「……ということになった。ではジュスティアーノ、ヴィオランテ嬢、挨拶を」

グワーングワーンと、洞窟の中に風が吹き抜けているような音だけが聞こえている。
人形劇の糸のついた人形みたいに、二人が滑るように席から動き陛下の横に並んだ。
ジュスティアーノ殿下とヴィオラ……。
遠い日の光景が蘇る。
王宮の庭を皆が駆けている時、ヴィオラはいつも一人座っていた。
その美しい紫色の瞳は、いつもジュスティアーノ殿下を追いかけていた。
私がいつも逃げていたのは、鬼役の殿下からではなく……殿下をみつめるヴィオラの瞳からだったのかもしれない……。

ああダメだ……。このままでは醜態を晒してしまう……。
私はサンタレーリ公爵家の嫡子なのに。
サンタレーリの一族を束ね、この国の四大公爵家の一角を担う……当主になるのだ。
お母様の血と意志を継いで、私は。

意識を取り戻そうと、テーブルの下で右手の爪で左手の掌をえぐる。
掌に釘を打たれたような痛みと引き換えに私の耳に音が戻り、ジュスト……ジュスティアーノ殿下の声が聞こえた。

「……と共に、このロンバルディスタ王国の安寧と繁栄を未来へ導けたらと思います」

ヴィオラは腰から折って頭を下げるだけで、何も言わなかった。
それが婚約者としての正式な挨拶なのかは分からない。いや、今の私には何も分からない。
分かっているのは、微笑み続けなければならないこと、ただそれだけだった。
どんなことがあっても、時計の針は変わらず進む……。
あの針があそこまで進めば、私はこの場所から解放される。
それまでだけでいいから、サンタレーリの嫡子として学んできたすべての時間を総動員して、微笑みを……。

二人が着席し、いつもの簡単な閉会の言葉が発せられ、ガタガタと会の出席者たちが立ち上がる。
ああ、それで今日の席次はいつもと違っていたのね。
いつも私はヴィオラの隣だったのに、今日はアルマンドとイラリオに挟まれる形の席。
そんなどうでもいいことを考えながら、私も席を立つ。
この後、定例の公爵家嫡子たちの茶話会があるけれど、それは欠席しよう。
今の自分にそんな余裕は無いもの。

「レティーツィア……大丈夫か、救護室に行こう」

急にアルマンドにそんな声を掛けられた。

「ありがとう、でも大丈夫よ。父は今朝から体調があまり良くなかったみたいなので、一緒に帰ろうと思うの。今日はこれで失礼するわ。せっかくの晴れの日なのに二人には申し訳ないけれど……欠席の件と、それから……二人におめでとうと伝えてもらえるとありがたいわ」

私はそう言って、開け放たれた議会場の扉の外に出た。
父のせいにしてしまったけれど、きっとそれがこの場における最上の選択のはず。
……ああ、また音がおかしくなっている。
ハンマーで小刻みに頭を叩かれているような音しか聞こえない。

「レティ、待って、手から血が……!」

私はアルマンドがそう言ったこともドレスの左側を血で汚していたことも、アルマンドの傍にジュスティアーノ殿下やイラリオ、そしてヴィオラがいたことも、何も気づいていなかった。
振り返らずに、私も人形劇の糸のついた人形みたいに滑るように歩いていく。

あれはいつだっただろう。
まだ定例議会で嫡子だけが庭で遊んでいた頃、きっと初めの頃ね、まだみんな幼かった。
その日は誰かのお付きの者が簡単な人形劇を見せてくれた。
糸で繋がれたクマとウサギのダンスに、私にもやらせてとおねだりをして、動かし方を教えてもらった。
あの頃は楽しくて良かった……。
ただ、日々が輝いていたわ……。

大階段を降りる手前で、目の前が暗くなった。
しゃがみ込んでしまった時、いつの間にか隣に居た父が私を抱き上げてくれた。
その日の記憶はそこまでだった。
私は糸を切られた人形の夢を見ていた。

***

目を覚ました時に窓の外が明るかったので、定例議会の後に少し眠ってしまっただけのようだった。
頭が重く、霞がかかっているようにぼんやりしている。
起きる直前に夢を見ていた気がするのに、夢の残滓を追いかけようとしてもそこには何もなかった。
高熱がある時にだけ見る夢があって、その夢から覚めた時の感覚と似ている気がした。
何か大きな糸巻きに、身体を外側にして巻き取られているような夢……。
でも、いつものそれとは違っていたような……。

「お嬢様、お目覚めですね! すぐにお水をお持ちいたします!」

侍女のノーラは小走りで部屋から出て行った。
ふと気づくと、左手に包帯が巻かれていた。その掌に触れるとズキッと痛みが走る。
……そうだ、私は議会でジュスティアーノ殿下とヴィオラの婚約を知って……。

「レティ、入るぞ」

父がやって来た。ノーラが呼びに行ったのだろうか。

「体調はどうだ」

「なんだかぼんやりしています。体調が悪いといえば悪い、たいしたことがないと言えばたいしたことがないといいますか……」

「レティは体調が良くなくてもそうは言わないだろう。悪いと言えば悪いと言ったということは、悪いのだ」

「……ではそういうことにします……」

「どうだ、少し休養するか? カノヴァ侯爵家の息子とのことがあってから、レティは少し働き過ぎていた。東のモルテード領との境近くにあるボージオの別荘を、すぐに使えるようにしてある。これから暑くなってくる、北東のボージオは涼しくていい」

「ボージオですか。ボージオ湖畔の別荘は、お母様の……」

「そうだ、エウジェニアが一番気に入っていた別荘で、何度か四人で行ったな」

まだ弟が幼い頃に母と父と四人で避暑に出かけた。サンタレーリ領の北東にあるボージオ湖を挟んだ対岸はモルテード領で、やはり避暑に来ていたモルテード公爵一家と一緒に食事会をしたこともある。
イラリオや、イラリオのすぐ下の弟と湖で遊んだことを思い出す。
そういえばアルマンドに議会の終わりに声を掛けられた時に、イラリオも隣に居たわ……。

「私は議会の後の茶話会を欠席すると、きちんと伝えたでしょうか。今からでも行ったほうがいいでしょうか」

いつも議会が解散してから一時間後くらいに夕食会を兼ねた茶話会が開かれていた。
ジュストと四大公爵家の嫡子たち、合わせて五人の茶話会だ。
五人それぞれの椅子があって……私の身体に合ったお気に入りの椅子。

父が珍しく驚いたような顔を見せる。

「……議会は昨日だった。レティ、君はあれから丸々一晩眠っていたのだ。ここは我が家の客間で、とりあえずここに運んだのだ。だが安心するがいい。レティはきちんと挨拶をしていた。茶話会の件も、ブレッサン公爵令息に不参加の旨を伝えていた」

「……議会は昨日……」

頭が混乱している。まさか今が議会翌日の朝だとは思ってもみなかった。
そんなに眠っていたとは……。少し休んでいたのだとばかり思っていた。
どうやって王宮を辞したのか記憶にない……。

「少し急だが、午後にでもボージオに向かおう。今夜はコトーニ辺りの宿に泊まって、明日の朝にコトーニを出発すれば暗くなる前にボージオに到着できる。私も一緒に行こう。私は二泊ほどで戻るが、君はゆっくり過ごすといい。こちらが涼しくなるまで向こうに居てもいいのだ」

「そんなに長く?」

「レティが戻ってこようと思うまでということだ。エウジェニアの部屋を使うといい。あの部屋には本がたくさんある。そうと決まれば支度だ」

「分かりました。ノーラと荷造りをします」

父が部屋を出て行き、しばらくしてノーラが戻って来る。
私はノーラに避暑に出かける用の荷造りを頼んだ。
ドレスは一着もあればよく、あとはワンピースと乗馬用の服を多めに持って行こう。
クローゼットルーム内の、ハンカチをしまってある引き出しを開ける。
そこには、あの日のマートルの花で作った香り袋があった。
爽やかな甘い香りはとうに消え、乾燥させた花びらにマートルの花の香油を定期的に垂らしている。これだけは持って行きたい。
ジュスティアーノ殿下が折ってくれたマートルの花。
空に一番近い枝を、手が届かない私に代わってジュスティアーノ殿下が折ってくれた。
そんな昔のことを思い出しながら引き出しを閉めたら、その衝撃で包帯の巻かれた左手に痛みが走って慌ててクローゼットルームを出る。
どうしてか、左手よりも胸のほうが痛かった。

まだぼんやりしていた私は知らなかった。
部屋を出た父が肩を落としていたことも、議会から叔父がこちらにやって来てそのまま泊まっていたことも。
私は長めの療養が必要な状態であると、父や叔父に見極められてしまっていた。

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