領主の妻になりました

青波鳩子

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【13】何かが起こっている 

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穏やかではない雲行きの朝だ。
竜のうろこのような雲が空の低いところにある。
街に出かけようと思っていたけれど、今日は家でおとなしくしていたほうがいいのかもしれない。

「奥方様、少しお話があります」

「何かしら?」

朝食の後のお茶を飲みながらとりとめのないことを考えていると、アーサーに声を掛けられた。

「これからこの本邸に、旦那様がやってきます。別邸に居るすべての者に極秘でやってきて、今夜はこちらでお休みになります」

「……別邸に居るすべての者……その中にブリジット様は含まれるのかしら」

「はい。旦那様はブリジット様にも内密に本邸に泊まります。
これからお見えになり十日後の夜まで執務室にいらっしゃいますが、食事もお部屋にてお一人で召し上がります。
いつものように執務室のカーテンは閉じられたままのご在室となります」

ここ本邸の執務室をクライブ様が使うことはないので、空気の入れ替えの時以外はいつもカーテンを閉じている。
ビロードで藍色の厚いカーテンを閉じたら、昼間でも部屋の中は暗い。
そこでクライブ様が一日をお過ごしになるというのは……。

「別邸の者たちには極秘とのことだけど、本邸のピートとヘレナは?」

「ピートとヘレナには、本日からこちらに旦那様がお泊りになることをこれから伝えます。
それと、夕食後に私と旦那様で外出いたしますが、それも別邸の誰にも気づかれないようにする必要があります」

「それも分かりました。あと一つ教えて欲しいの。私がこの秘密を知ることをクライブ様はご承知なのかしら」

別邸の者たちとブリジット様に内密に本邸にやってくるクライブ様にとって、私は味方だと思われているのかこれまでどおり敵だと思われているのか、そこを明確にしておきたい。

「もちろんです。奥方様に伝えて欲しいと旦那様がおっしゃいました」

「……分かりました」

「別邸の誰かの目に付かないようにする必要があるのは旦那様のほうなので、奥方様はいつもどおりに生活なさってください。ここは奥方様の本邸です」

「これはアーサーに尋ねることではないかもしれないけれど、もしもこの本邸内でクライブ様に会ってしまった場合、私はどうすれば……」

「髪飾りやネックレスをねだってみてはどうでしょうか。」

「え?」

「それでは失礼します」

アーサーは急いでいるのか、慌ただしく出て行った。
食べ終えた食器を洗い場に持っていきながら、今のアーサーの言葉の意味をぼんやり考える。

何が起こっているのだろう。
クライブ様がここ本邸に、別邸の者たちに内緒で泊まるというのはどういうことか。
ブリジット様にも秘密というところにたぶん答えがあるのだと思うのに、暗い森を灯り無しで歩いているように答えに辿り着けない。

何かクライブ様とブリジット様の間に齟齬が生じた。
そういうことだろうと察するけれど、本邸に十日も密かに滞在するということがよく分からない。

別邸にクライブ様がいては都合が悪いこと。
もしくは、本邸にクライブ様が滞在することで都合がいいこと。

このどちらか、あるいは両方があるということだろうか。

まだ森を歩く私の手に灯りがない。
でもこの頃、なんとなく分かってきた。
その時は見えないものも、時間を置けば急に霧が晴れたように見えることがあると。
今は、と意識できていればいい。
クライブ様の邪魔にならないよう、今日は自室にこもって編み物でもしているわ。


庭に出て、花に水をやる。
本邸には庭師がいないので、時間のある者がその時できる手入れをしている。
小径の脇で今にも咲きそうな白い花を一本摘んだ。
寒冷地のオールブライトでこの時期に花をつけるものはそう多くないが、街で聞いたらこの白い花を勧められて庭に植えてみた。

クライブ様がブリジット様にも内緒でこちらの本邸に泊まるということは、クライブ様にとって楽しい理由のはずがない。
この小さな花が、そんな理由で初めて本邸の部屋に泊まるクライブ様のほんの少しの慰めになれば。
小さなコップに白い花を挿し、そっとクライブ様の部屋に入りテーブルにそれを置いて出た。


階下に戻り、居間のソファに置いてきた編み物のバスケットを取りに戻る。
今は自分用のカーディガンを編み始めたところだ。丈を少し長めにして、本邸内でくつろぐ時に着ようと思っている。
自室に行こうと階段を上がり始めたところで、いつまでも聞き慣れないクライブ様の声がして、思わず振り返った。

「──今日はこちらで厄介になる」

「本邸も旦那様の家ですよ」

アーサーと会話をするクライブ様と目が合ってしまった。

「……フォスティーヌ、なのか?……髪が……」

クライブ様が、私を見て驚いた顔をしている。
階段を駆け上がって、逃げるように自室に飛び込んだ。
髪飾りをねだるどころではない。それをつける長い髪もないのだから。
私は恥ずかしさに居たたまれなくなった。
前に街で会った、金色のまっすぐ長い美しい髪のブリジット様のことを思い出す。

今の私は旦那様に見捨てられてみすぼらしい、紙の上だけの妻だ。
そんな私が旦那様の視界に入ってしまったことが、ただ悲しかった。
『フォスティーヌ』という自分の名をクライブ様の声で聞いたのも初めてだった。
名前すら呼ばれたことが無かったと、今頃気づいた。


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