領主の妻になりました

青波鳩子

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【20】祭りの夜

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王都に行っていたクライブ様とアーサーがオールブライト領に帰って来た。
クライブ様は、これまでと同じように別邸で過ごしている。
王都では何かがあったのだろうけど、私には何か報告がされるわけでもなく生活に何の変りもない。


街で収穫祭がある。
いろいろな作物の収穫が終わり、すぐにやって来る厳冬期に備えて保存食作りにオールブライト民たちは精を出していた。
私もピートを手伝って、きのこのオイル漬けや野菜の酢漬けを大きな瓶にいくつも作ったり、肉や魚を干したりしてきた。
この街の収穫祭では、そうした家々で作っている保存食を交換し合うという。
自分のところで採れた物で交換する分も作り、作れない保存食を手に入れる。

そしてその夜が祭りのメインとなるようだ。
街の中央広場で炎を囲み、歌ったり踊ったりの楽しい夜となるのだと、皆楽しみにしている。
でも、本邸の皆が祭りに出かけるのであれば私は留守番しようと思っている。
ここを無人にするわけにもいかない。
こうした祭りは、額に汗して働いてきた者たちのものだ。

***

「ただ今戻りました!」

ピートが大きな荷物を抱えて裏口から入ってくる。入ってきたかと思えばすぐまた出て行き、荷車からたくさんの荷物を降ろしている。中に運び込むのを私も手伝った。

「奥方様にもご協力をいただいてたくさん酢漬け野菜を作ることができたので、こんなに交換できましたよ!」

「まあ、干し葡萄にこちらは山桃のシロップ漬けかしら。干し肉もうちではあまり獲れなかった鹿肉がこんなに! 薄く切って乾燥させたニンジンはどうやって使うの?」

「そのままスープに入れたりワインビネガーで戻してサンドイッチにしたりします」

「サンドイッチ、それは食べてみたいわ! 保存食もこれだけあれば、この冬をなんとか越せそうかしら。
ところであまり話題にするべきではないかもしれないけれど、別邸の方は交換会にいらした?」

「いえ、開始から最後までおりましたが来ていませんでしたよ。そもそも保存食の交換会があることをご存じかどうか……」

「……そう」

「ただ別邸には料理人が確か七、八人はおりますから、保存食の準備も問題ないでしょう」

「そうよね、それだけの人数がいるのだから心配はないわよね」

「それより奥方様、祭りに行っていらしたらいかがですか。いろいろな方から、奥方様のことを聞かれました。祭り会場には食べ物の屋台もたくさん出ていますから、夕食をそこで済ませてきていただけると助かるのですが……」

「ヘレナは別邸のメイドと祭りに行くと言っていたわね。それなら私も行ってくるわ。留守をお願いね」

「はい、私も屋台でいろいろ買ってきたので一人で楽しませてもらいます」

ピートは私が祭りに行くように、わざと食事を祭りで済ませてきて欲しいという言い方をした。
私は何についても、自分が楽しむということに躊躇してしまうことを止められない。
『祭りに行く』程度のことでも、一番望まないことを最初に『自分の意志だ』としておくことで、自分の心を守ろうとしてしまう。
こんな自分のせいで、ピートにあんな言い方をさせてしまったのだと反省した。

服を着替え、髪を切ってから一度も付けたことのない髪飾りを引き出しから取り出す。金を飴細工のようにひねった形のシンプルな髪留めを、片耳を出すように留めてみた。
宝石が付いていないこの形なら、いかにもおしゃれをしましたという感じにはならないかしら。
薄手の小花柄のワンピースは、スカート部分が八枚ハギのもので動くとふわっと広がる。持っているワンピースの中でも気に入っているものだ。
白の細い毛糸で編んだカーディガンを合わせる。細いが毛足の長い糸で、ふわふわと保温性が高い。
どこもおかしくないかしら……なんとなくそわそわした。
祭りには行かなくても……なんて考えていながら、行ってもいいとなった途端に装っている自分の単純さに一人で恥じ入る。
館を出て、乗合馬車の停車場へ向かって歩いていると、後ろからアーサーが走ってきた。

「奥方様、お一人で祭りに行かれるなんて!」

「いつも街へは一人で行っているわ」

「祭りですから街の住民ではない者たちも多くやってきます。祭りを楽しんでいる者たちの懐を狙うような輩も混じっていることでしょう。今日はお供いたします」

「……分かったわ。よろしくお願いします」

街までの短い時間を馬車で揺られながら、落ち着かない気持ちでいた。
アーサーに聞きたいことがいろいろある。
クライブ様と王都へ行って、何かあったのか。
騙されたとクライブ様が言っていた、ブリジット様はこれからどうなるのか。
でも、そのどれも気軽に尋ねられるようなことではなかった。
たぶん私がそう思っていることを、アーサーは分かっている。話すべき時が来たと思えば話してくれるのだろう。

祭りに行くだけなのに、なんだか緊張感があった。
それはアーサーがいつもの執事の服ではなく、襟の開いたグレーのシャツの袖を折って着ている姿が見慣れないからかもしれない。

***

街はたくさんの人が出ていてとても賑わっていた。
メインストリートは馬車が通れないようになっていて、人が行き交っている。
屋台が並んでいる以外にも、各店がいつもの売り物とは違ったものを売ったりしている。
パン屋の店頭では『フレスベルグの肉』と書かれた紙があちこちに貼ってあり、串に刺した肉を焼いたものを売っていた。

「やっと来たね、奥さん! あっちに食べ物の屋台がいっぱいあるよ。まずはうちのを食べていって!」

「本当にフレスベルグの肉なのかしら」

「食べてごらん、美味しくて目から大雨が降るよ」

おかみさんは笑いながら『お代は要らないよ』と、肉片が三つ刺さった串を手渡してくれる。

「ありがとう!」

とは言ったものの、こうした祭りは初めてで、この串の肉をどうやって食べればいいのか分からない。

「……これどうやっていただくの? やはりこのまま齧るのよね」

「そうです、かぶりつくのですよ。こっちに座りましょう」

アーサーはどこかの店頭の椅子を一つ、勝手に持ち出して私を座らせる。

「はい、齧ってください」

肉は脂が垂れて熱いけれど、柔らかくておいしい 。牛の肉を赤ワインとソースに漬けておいたものだという。それでも三つ刺さっているうちの一つを食べたら満足してしまった。

「おいしいけれど、全部は食べられないわ……」

「残りは私が戴いてもいいですか?」

「嫌でなければお願いします」

アーサーに串を渡すと、マジシャンのようにあっという間に平らげた。
親指の腹で口についた脂をぬぐう仕草に、見てはいけないものを見てしまったように心臓が速くなる。

「旨かったですね、でもまだまだ食べますからね!」

それから、パンケーキを小さく丸く焼いて串に刺したもの、葡萄の粒が飴でコーティングされているもの、小さなジャガイモを丸ごと揚げたものなど、食べ慣れないものをたくさん食べ歩いた。
アーサーは、どの屋台でも一つだけ買って、先に私に食べさせて残りを食べる。
最初は恥ずかしくていたたまれない気持ちになっていたが、ずっとそうしているうちに気にならなくなっていた。
齧りかけではないのだから、同じ串に刺さっていただけと思えるようになっていた。

どこへ行っても『領主の奥さん』と声を掛けられ、アーサーは『アーサーさん』と呼ばれていて、彼もこの街で多くの人々と交流をしていることが分かった。
ひとつの食べ物を分け合うなどという恋人同士のようなことをしているというのに、祭りの喧騒と私もアーサーもよく知られていることで逆に目立っていないようで安心した。
ここに『領主』がいないことを誰も何とも思っていないようだ。

飲み物は一つずつ買った。
私はソーダにオレンジの輪切りがたくさん入っているものを、アーサーは瓶入りのエールを飲んでいる。アルコールを飲んでいるとは思えないほどいつもと何も変わらない。
アーサーがアルコールを飲んでいるということは、この時間は仕事ではないということなのかしら。
アーサーは、仕事中にはお茶すら私の前では飲まないのだ。
そんなことが少しだけ気になった。

陽が沈み、高い空が暗くなってきている。
店に灯りがつき街のあちこちに祭り用のランプが点されて、見慣れた場所なのにどこか別の世界にやってきたような感じがした。

「疲れていませんか?」

「疲れは感じるけれど、心地よい疲れだわ。こういうお祭りは初めてなのよ」

「貴族のお嬢様方にはあまり機会がないでしょうからね」

「灯りが幻想的で、とても綺麗ね。異国に迷い込んだみたい……」

アーサーから真っ直ぐに目を向けられて、思わず反らした。

「……最初は小さい子供が食べ終えた串を回収しに来たり、ゴミをまとめていたりしたのは驚いたわ」

「商店に生まれた子供たちは、ああして小遣いを稼ぐのです。彼らにとって祭りは遊びの場でもあり、仕事の場でもある」

「頼もしいわね」

最初は子供にゴミ集めをさせるなんて……と思ってしまった。
でもよく見ていると、子供たちは積極的に串を集めているのが分かった。小さな子供にゴミを集めさせるなんて可哀相などと、何も知らずに思うほうが失礼だった。

「食いしん坊な奥方様が次々食べていくから、子供たちが付いて回っていましたね」

「まあ、いいお客になれたなら嬉しいわ。あと三つくらい胃袋があればもっと食べられるのに」

「あ、ダンスが始まったようですよ、ちょっと行ってみましょう!」

ソーダのコップとエールの瓶も、すぐに子供たちに回収されていった。


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