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【3】領主の妻になりました
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「今日は街に出てきます。この食事が終わったら出かけ、帰りは午後になるかもしれないので昼食の用意は要りません」
料理人のピートにそう伝えると、短い返事が戻ってくる。
そしてそれに続くように執事のアーサーが言った。
「奥方様、私も同行いたします」
「私一人で大丈夫よ」
「街に用事もございますし、昼間とはいえ貴族の女性が護衛も付けずに出歩くことなど非常識です」
「……そうですか、分かりました。ではよろしくお願いします」
執事のアーサーが同行すると言ってきた。
たぶん私が何を買うのか何をするのか見張ろうというのだ。
この館では放置されているというのに、外へ出て人目に付く時はきちんと護っている、そういうことにしたいということね。
無駄なものを買いに行くわけではないので、執事が付いてきても問題はない。
今日は領主の妻としての顔見せを兼ねて、あちこちの店を見て回り何か買うつもりだった。
街のことや田畑のこと、この領地の産業に国境を守る騎士たちの訓練、見たいものはたくさんある。
クライブ様はご多忙だろうし、たとえ暇があっても私を連れて歩いてくれるわけがない。
自分で見たいものは、自分の足で見に行くしかない。
***
街に着き、まずはパン屋に来た。
焼きたてのバゲットを二十本ほど買い求める。
ふわふわして小さな丸いパンが三つずつ入った袋も四つ買う。
「新たにオールブライト領主の妻として参りました、フォスティーヌと申します。
いい匂いにつられてやってきましたが、正解だったようですわ。
とても良い焼き目のバゲットですね! これからよろしくお願いいたします」
「ああ、新しい領主かい。こんな痩せた土地にやってくるなんて、何か悪いことでもしでかしたんじゃないのかい?」
「悪いことならしました。今日は朝寝をむさぼりましたわ。とっくに明るくなっているのに、ベッドから出ませんでした」
「なんだって、そりゃあとんでもない悪党だね! 悪党は他にどんな悪事を働いたんだい?」
「はしたなくもスープにパンを浸してぐるぐるとかき回して食べ、朝から贅沢にも紅茶にハチミツをたっぷり入れて飲みました。質素倹約が求められる領主の妻でありながら、朝からハチミツですのよ。しかもハチミツを掬うのに使った匙は、きれいに舐めましたわ。淑女にあるまじき悪事です」
「こりゃあ筋金入りの悪党だよ。朝からハチミツじゃあ金がいくらあっても足りないね。
うちではハチミツも扱っているんだ、アカシアの白い花の蜜だけを集めたものだよ。
またやっておいで。バゲットは朝と午後に焼き上がるからね、悪党なら焼き立てを要求するんだろう?」
「もちろんですわ! 明日の午後にも、焼き立てで湯気が出ているようなバゲットを寄越せと参りますわ」
今日のバゲット代をしっかり払い、パン屋のおかみさんの笑い声を背中に店を出た。
バゲットが入った大袋を抱えて役場に向かう。
執事のアーサーは私より多く袋を持ってくれていた。
「こんにちは、この度オールブライトの領主の妻としてまいりましたフォスティーヌと申します。
こちらは差し入れです、どうぞ皆さまでお召し上がりいただけましたら」
年配の男性にバゲットの袋を手渡すと、
「こんなにたくさん! なんだかすみませんな。領主様には近いうちにこちらからご挨拶とお願いに参ろうとしていたところでした」
「お願い、とおっしゃいますと?」
「それはまた領主様に直接お目にかかって申し上げたいと」
「かしこまりました。お仕事中にお邪魔いたしまして失礼いたしました」
「次は果物屋にいきます」
先ほどのパン屋のあった通りにあった果物を並べている店に向かう。
アーサーは特に何も言わずに付いてくる。
ペラペラ話しかけられても面倒だが、何もしゃべらないのも居心地が悪い。
そんなことを思いながら果物屋の前で立ち止まった。
「見ない顔のお嬢さんだな」
「お嬢さんではありませんわ、この度オールブライト領を治める領主の妻になりました」
「ああ、最近あの館の周りが賑やかになったと思ったらそういうことか」
「この果実はなんというのですか?」
「これはカリンだ。あんた見たことないのか」
「どういうふうに食べるのかしら」
「だいたいは漬け込んで果実酒にする。あとはジャムだな。それから種を蒸留酒に漬けるとトロトロになるから、若いお嬢さんには化粧水として使うといいんじゃないか」
「カリン、買いますわ!」
「そうこなくっちゃな。どれにするかい?」
手前のカゴのカリンはどれも大きくて艶もいい。でもその奥のカリンはきゅっと身がしまっているように見えた。
「その奥のカリンを。全部ください」
「こっちか。あんたカリンを知らなかったのに見る目はあるな。これは俺が作ったカリンだよ。全部あんたにあげよう」
「いえ、お代は払います」
「こういう店にまで挨拶に来る領主なんか初めてだ。普通は偉そうな使用人が買い物にくるくらいだよ。このカリンは全部あんたにあげるが、果実酒ができたら少し分けてくれ」
「まあ、では作り方を教えてください! 最初からうまくできるわけがないのに毒見係をしてくださることに感謝します」
「作り方は簡単だよ。カリンの重さの倍の蒸留酒、カリンの三分の一の砂糖だ」
「倍の蒸留酒、三分の一の砂糖……」
「皮をきれいに洗ってよく拭いて、皮ごと小さく切るのだが硬いから気を付けることだ」
「作れる気がしてきました……」
「毒見を楽しみにしているからな!」
紙袋いっぱいのカリンはかなり重く、アーサーが持ってくれる。
「重いのに、ごめんなさい」
「あの店主、売り物なのに金を取らないなんて大丈夫なのかという感じですね」
「新しい領主に恩を売れたのだもの、たぶん安いと思っているわね。
でも果物屋は最後にすればよかった。まだ見たいところがあるのに、申し訳ないわ」
「いえ、問題ありません」
アーサーは軽やかに紙袋を抱えて歩き、軽くそう応えてくれた。
この人は悪い人ではない、そんなふうに思い始めていた。
料理人のピートにそう伝えると、短い返事が戻ってくる。
そしてそれに続くように執事のアーサーが言った。
「奥方様、私も同行いたします」
「私一人で大丈夫よ」
「街に用事もございますし、昼間とはいえ貴族の女性が護衛も付けずに出歩くことなど非常識です」
「……そうですか、分かりました。ではよろしくお願いします」
執事のアーサーが同行すると言ってきた。
たぶん私が何を買うのか何をするのか見張ろうというのだ。
この館では放置されているというのに、外へ出て人目に付く時はきちんと護っている、そういうことにしたいということね。
無駄なものを買いに行くわけではないので、執事が付いてきても問題はない。
今日は領主の妻としての顔見せを兼ねて、あちこちの店を見て回り何か買うつもりだった。
街のことや田畑のこと、この領地の産業に国境を守る騎士たちの訓練、見たいものはたくさんある。
クライブ様はご多忙だろうし、たとえ暇があっても私を連れて歩いてくれるわけがない。
自分で見たいものは、自分の足で見に行くしかない。
***
街に着き、まずはパン屋に来た。
焼きたてのバゲットを二十本ほど買い求める。
ふわふわして小さな丸いパンが三つずつ入った袋も四つ買う。
「新たにオールブライト領主の妻として参りました、フォスティーヌと申します。
いい匂いにつられてやってきましたが、正解だったようですわ。
とても良い焼き目のバゲットですね! これからよろしくお願いいたします」
「ああ、新しい領主かい。こんな痩せた土地にやってくるなんて、何か悪いことでもしでかしたんじゃないのかい?」
「悪いことならしました。今日は朝寝をむさぼりましたわ。とっくに明るくなっているのに、ベッドから出ませんでした」
「なんだって、そりゃあとんでもない悪党だね! 悪党は他にどんな悪事を働いたんだい?」
「はしたなくもスープにパンを浸してぐるぐるとかき回して食べ、朝から贅沢にも紅茶にハチミツをたっぷり入れて飲みました。質素倹約が求められる領主の妻でありながら、朝からハチミツですのよ。しかもハチミツを掬うのに使った匙は、きれいに舐めましたわ。淑女にあるまじき悪事です」
「こりゃあ筋金入りの悪党だよ。朝からハチミツじゃあ金がいくらあっても足りないね。
うちではハチミツも扱っているんだ、アカシアの白い花の蜜だけを集めたものだよ。
またやっておいで。バゲットは朝と午後に焼き上がるからね、悪党なら焼き立てを要求するんだろう?」
「もちろんですわ! 明日の午後にも、焼き立てで湯気が出ているようなバゲットを寄越せと参りますわ」
今日のバゲット代をしっかり払い、パン屋のおかみさんの笑い声を背中に店を出た。
バゲットが入った大袋を抱えて役場に向かう。
執事のアーサーは私より多く袋を持ってくれていた。
「こんにちは、この度オールブライトの領主の妻としてまいりましたフォスティーヌと申します。
こちらは差し入れです、どうぞ皆さまでお召し上がりいただけましたら」
年配の男性にバゲットの袋を手渡すと、
「こんなにたくさん! なんだかすみませんな。領主様には近いうちにこちらからご挨拶とお願いに参ろうとしていたところでした」
「お願い、とおっしゃいますと?」
「それはまた領主様に直接お目にかかって申し上げたいと」
「かしこまりました。お仕事中にお邪魔いたしまして失礼いたしました」
「次は果物屋にいきます」
先ほどのパン屋のあった通りにあった果物を並べている店に向かう。
アーサーは特に何も言わずに付いてくる。
ペラペラ話しかけられても面倒だが、何もしゃべらないのも居心地が悪い。
そんなことを思いながら果物屋の前で立ち止まった。
「見ない顔のお嬢さんだな」
「お嬢さんではありませんわ、この度オールブライト領を治める領主の妻になりました」
「ああ、最近あの館の周りが賑やかになったと思ったらそういうことか」
「この果実はなんというのですか?」
「これはカリンだ。あんた見たことないのか」
「どういうふうに食べるのかしら」
「だいたいは漬け込んで果実酒にする。あとはジャムだな。それから種を蒸留酒に漬けるとトロトロになるから、若いお嬢さんには化粧水として使うといいんじゃないか」
「カリン、買いますわ!」
「そうこなくっちゃな。どれにするかい?」
手前のカゴのカリンはどれも大きくて艶もいい。でもその奥のカリンはきゅっと身がしまっているように見えた。
「その奥のカリンを。全部ください」
「こっちか。あんたカリンを知らなかったのに見る目はあるな。これは俺が作ったカリンだよ。全部あんたにあげよう」
「いえ、お代は払います」
「こういう店にまで挨拶に来る領主なんか初めてだ。普通は偉そうな使用人が買い物にくるくらいだよ。このカリンは全部あんたにあげるが、果実酒ができたら少し分けてくれ」
「まあ、では作り方を教えてください! 最初からうまくできるわけがないのに毒見係をしてくださることに感謝します」
「作り方は簡単だよ。カリンの重さの倍の蒸留酒、カリンの三分の一の砂糖だ」
「倍の蒸留酒、三分の一の砂糖……」
「皮をきれいに洗ってよく拭いて、皮ごと小さく切るのだが硬いから気を付けることだ」
「作れる気がしてきました……」
「毒見を楽しみにしているからな!」
紙袋いっぱいのカリンはかなり重く、アーサーが持ってくれる。
「重いのに、ごめんなさい」
「あの店主、売り物なのに金を取らないなんて大丈夫なのかという感じですね」
「新しい領主に恩を売れたのだもの、たぶん安いと思っているわね。
でも果物屋は最後にすればよかった。まだ見たいところがあるのに、申し訳ないわ」
「いえ、問題ありません」
アーサーは軽やかに紙袋を抱えて歩き、軽くそう応えてくれた。
この人は悪い人ではない、そんなふうに思い始めていた。
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