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【10】少年として灯台守に
しおりを挟む十五日に一度、灯台の明かりとなる蝋燭、リュディーヌが使う十五日分の水、食糧などの物資が王領の従者から荷車で岬まで届けられる。従者は灯台のある島まで運んでくれることはなく、岬で降ろされた荷物を引き潮の時にリュディーヌが島まで自分で運ぶことになっている。
水は大樽に二つ、それだけの量を十五日かけて使うので、足りない分は雨水を貯めて凌ぐしかない。
島への道は森の先にある。整備のされていない森の中には家もない。
せめてそこに小さくとも集落があれば井戸もあっただろうに、それがこれまでこの灯台に人が居つかなかった最大の理由だった。
リュディーヌはエディットの刑が決まった時に、自分も長かった髪を顎より短く切った。
小柄な男性よりも背が高いリュディーヌは、灯台守と処遇が決められてからドレスなどを処分した金で男性用の服を一通り買った。
薄い身体つきで、女性にしては背が高いリュディーヌは、髪を短くしたら少年にしか見えなかった。
そもそも物資を運ぶ従者も、こんなところに少女が一人で過ごすとは思いつきもしないくらいに何も無い島だ。
リュディーヌの身の安全のため、リュディという名の口の利けない少年ということになった。
最初にリュディーヌと一緒に荷車に乗せる物を、シルヴェストル自ら確認した。
リュディーヌが蝋燭を横流ししないよう気をつけるようにと、シルヴェストルは厳しく従者に言い渡した。
シルヴェストルはリュディーヌがそのようなことをしないと分かっている。従者のほうがリュディーヌの仕業に見せかけて横流しをしないように、釘を刺したのだった。
出発の前、リュディーヌに持っていきたいものはあるかと問うと、紙とペンと何か一冊本が欲しいと言った。シルヴェストルはノートを十冊程度与え、灯台守として日誌をつけるように命じた。
それ以外のノートや紙は自由に使ってよいとした。
本を与えるために、シルヴェストルは特別にリュディーヌを王宮の図書室に連れて行き、好きな本をどれでも与えると言った。
比喩ではなく本当に何も無い最果ての孤島だ、そのくらいの自由をリュディーヌに与えたかった。抜けた分は補充するように言えばいいのだ。
どれほどの長編を選ぶのかと思ったが、リュディーヌが選んだのは絵本一冊だけだった。
そしてシルヴェストルはその絵本がどうして王宮図書室にあるのかを思い出した。
その『1月1日の明るい窓』という絵本は、タイトルに反して暗く寂しい話だった。
子供がなかなかできなかった貴族の夫婦に孤児院から引き取られた娘が、後から生まれた実子の妹からいじめられ、床掃除や窓拭きをさせられている。
両親は思い通りにならないと手が付けられなくなる下の娘のすることに、何も言えない。
1月1日、新しい年を迎えたディナーの最中にも娘は外から窓ガラスを拭いていた。
その日は、本当の誕生日が分からない娘に両親が与えた誕生日だった。
娘は窓を拭きながら、暖かな灯りを見ている──。
夢も希望も、オチさえない絵本だった。このような話を幼気な子供に読ませてどうしようというのかとシルヴェストルは思った。
遠い日にも、同じように『おもしろくない』と感じたことを思い出す。
お茶会に来ていた女の子と話が途絶えて、何の気なしに『好きな本』を尋ねた時に題名を言われた。読んだことがなかったので、お茶会が終わってから母に読みたい本があると言ったのだ。
お茶会に来ていた自分と同じくらいの年齢の者たちは、男女問わず誰もがとても溌溂としていた。
その中で、物静かで自分や弟に興味がないという感じで座っている女の子に興味を持った。その子の態度が悪いという訳ではないのに、話していると何か居心地が悪かった。あの感覚はいったい何だったのか。
そうか……あの時の令嬢はリュディーヌ嬢だったのだな……。
シルヴェストルは、リュディーヌが持って行きたいと言った絵本を、パラパラと目を通しながら幼い日に聞く機会が無かったことを尋ねた。
「この絵本のどの辺りが良いのだろうか?」
「結末が曖昧なところが好きなのです。主人公には明るい灯りが見えているのに対し、両親と妹には悪魔の口の中のような暗い窓が見えています。窓は未来を暗示しているように思え、明るい窓の灯りをみつめている主人公は、これから幸せになれるのだろうなと想像することができます」
「……なるほど、そういう考えもあるのか……」
リュディーヌはそれ以外の本を望まなかった。
何も無い孤島に行くのにこのような暗い話の絵本一冊だけで本当に良いものか、それが本人の希望で、リュディーヌが子供の頃から好きだった本だとしてもシルヴェストルの心は落ち着かなかった。
そのせいで言わなくてもいいことを言ってしまった。
「他に持って行きたい物はないか。何でもいい、私は何でも君に与えることができる、どんなものでも用意しよう」
その時初めてリュディーヌが笑顔を見せた。アルドワン伯爵邸で話を聞いた時にもまったく見せなかった笑顔を。
「何でも私に与えられるお立場の殿下が、灯台守を私に与えてくださったのです。絵本も戴きましたので、他には何も要りません」
シルヴェストルは顔を叩かれたような衝撃を受けた。
リュディーヌは、打ち捨てられた孤島の灯台に自分を送り込むと決めた当人が何を言っているのだと、そう言ったに違いなかった。
そんなことにも気づかず、何か欲しいものはないかとあたかも慈悲のように口にしたシルヴェストルにリュディーヌは薄い微笑みを見せた。
初めて見たリュディーヌの笑顔のあまりの寂しさに、シルヴェストルはその場に辛うじて立っていた。
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