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【4】それぞれの後悔

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イエール殿下はゼブロン殿下の一つ年下だが、未だ婚約者が決まっていない。

「兄上がいずれこの国を継ぐとなった場合、横に並ぶのにシャーリー嬢ほど相応しい女性はなかなかいないだろうね。ここだけの話、結婚するのがシャーリー嬢でなければ兄上は王太子になれるかどうかって感じだと思うよ。僕はともかく第三王子のオーランドは特に優秀だからね。
ところでなんでこんなことをしているの?
兄上の横にいる女性はシャーリー嬢がいるのにどういうつもりでそこにいるの?
シャーリー嬢が兄上の婚約者として相応しいかと聞いて回っているようだけど、婚約者がいるのに隣に別の女性を侍らせている兄上は、シャーリー嬢の婚約者として相応しいのかな。
まさか婚約者を代えようなんて思っているなら、僕がシャーリー嬢と婚約してこの国を継いでもいいってことだよね、兄上?」

「こらイエール、さすがに少々言い過ぎている」

「陛下……王妃殿下……」

ゼブロンがそう呟いて茫然としている。
シャーリーは膝を折って臣下の礼を執った。それに続くように他の者たちも同じようにした。
フレデリカだけがキョロキョロとあたりを見回している。
王妃殿下が話し始めた。

「ゼブロンが面白そうなことを始めたと、イエールが言うので来てみたのだけれど……。
ところでシャーリー、そのドレスや首飾りはどうしたのかしら。
今日の卒業パーティは仮装パーティだったの?
道化の役をあなたに与えた不届き者はいったい誰なのかしら」

「……畏れながら王妃殿下に申し上げます、ドレスも首飾りも……すべてゼブロン王子殿下から戴いた物でございます」

王妃の言葉にシャーリーがそう答えると、息を呑む音が聞こえた。

「僕は知らない! こんな物をやったことはない!」

「ゼブロン、シャーリーが嘘をついたと言うのかしら」

「……いや、ドレスはその……先日贈りました……。僕はシャーリーのサイズを知らなかったので、ドレスショップの店頭にあったものを……」

「あなたは婚約者のドレスをサイズの確認もシャーリーの好みも聞かずに、ショップの吊るしのドレスを適当に贈ったというのね? 
そのおもちゃのような首飾りはどのような経緯でシャーリーに贈ったのかしら、ゼブロン?」

「これは……メイドに頼んで……まさかこんなイミテーションだとは……」

「お金を渡して適当に買ってくるように命じて、中身も確認せずに贈ったのね? こんなおもちゃ、あなたが渡したお金のうちの僅かな金額なのでしょうね。
そのメイドは今もいるのかしら。後でわたくしのところに連れてきなさい」

「……はい」

「卒業パーティにシャーリーがこの恰好で参加したのなら、王室は第一王子の婚約者にこんなみすぼらしい物しか贈れないと嗤われたのも同然なのよ?」

「わざとではないですか! 僕を陥れるために、シャーリーはわざとこんな恰好で……」

「黙れゼブロン! こんな恰好も何もすべておまえが贈ったものだと、たった今自分で言ったではないか!
婚約者である王子から贈られたのなら、シャーリー嬢はそれを身に着けるしかあるまい。
さてゼブロン、この頃おまえに割り振られている私費の予算を超える金額の請求書がいくつも届いているそうだが、それはどれも王室御用達の宝飾店だというのだよ。
他にシャーリー嬢には何を贈ったのだ? きちんとした宝飾品も贈ったのだよな?」

急に優し気な声で陛下がゼブロンに言う。
ゼブロンの唇は震え、何も言えずにいた。
美しい輝きの髪飾りや首飾りを身に着けているフレデリカを、皆がそっと見ている。
沈黙が広間の空気を圧し潰しそうになっていたが、それを打ち破るように声が響いた。

「私が戴きましたわ! ゼブロンは私を婚約者にするって、そう言ってくれました。
今の婚約者はゼブロンに相応しくないと、私のほうが王妃に相応しい愛嬌があると、そう言ってくれたんです!」

フレデリカの叫ぶような声が、ゼブロンの未来を切り裂いたようにシャーリーは感じた。
この場で最も言ってはいけない発言だった。
陛下や王妃殿下の御前で殿下を呼び捨てにしているだけでも不敬極まりないのだが、それに気づく様子もない。
シャーリーはこのようなフレデリカと比べられそれ以下の人間だと言われたに等しいが、それに傷つく場所は残っていなかった。
それなのに、もう取り返しがつかないであろうゼブロンのことが心配になる。

王宮で意見を集めたのなら、シャーリーにとってマイナスな意見はそう寄せられないだろうとの思いがあった。
ゼブロンの婚約者であること、そしてフォークナー公爵家の名に恥じないよう、いつだってシャーリーは誠実に過ごしてきた。
ゼブロンが王宮内で意見を集めて目を通し、シャーリーが婚約者として恥じることなど何もしていないことを分かって貰えたら、ゼブロンの機転で婚約破棄だけはどうにかなるだろうと思っていた。
双方で話し合い、せめて婚約を白紙に戻すなど穏やかな着地点を見出せるはずだと。
それだけ誠実に婚約者として日々を積み重ねてきたという自負があった。

フレデリカというゼブロンの想い人を、いずれ側妃にするというならまだ受け入れられた。
『生徒会の総意だ』などというくだらない理由で婚約を破棄することへの意趣返しを、ゼブロン自らやってしまうとは思いもしなかった。
まさか、ゼブロンがゲームのように捉えて、集めた紙を予め読みもしないまま披露するとは……。
シャーリーはきっぱりと決意した。
もう婚約を白紙に戻すというのは無理だ。
陛下と王妃殿下、そして王宮で働く者たちの前でゼブロン殿下は自ら愚かさを見せてしまったのだから、シャーリーにはもうどうすることもできない。
穏やかな着地点への可能性を、捨てたのはゼブロンなのだ。

「……もうやめてくれ、フレデリカ……」

「ゼブロン、何か言うことはないのか。この場をどう収めるつもりなのだ」

「……シャーリーに謝罪し、婚約破棄を撤回します……申し訳な」

「いえ、謝罪も婚約破棄の撤回も結構です、おやめください。殿下にわたくしが相応しくないとおっしゃるのなら仕方がありません。パーティの前に宣言なさったとおり、フレデリカ・デイビス男爵令嬢と婚約を結び直すのですよね。どうぞお幸せになってください。
陛下、並びに王妃殿下、わたくしはゼブロン王子殿下の婚約破棄を受け入れました。後のことは陛下と我が父との間で収めてくださることと存じております。なお、お妃教育には明日からは参りません。失礼いたします」

シャーリーはそう言うと、丁寧に礼をする。
おもむろにイミテーションで安物の首飾りと耳飾り、髪飾りを外して広間の磨き抜かれた床に置いた。
そしてぶかぶかのドレスの胸元を力いっぱい引きちぎると、そこからするすると器用にドレスを脱いだ。
誰もが驚きのあまり声を上げることもできない。
シャーリーはワンピース型の長いシュミーズとコルセットだけになり、ドレスを床に置き美しい靴音を立てて広間の出入り口に向かって歩いていく。

こんなことになる前に、もっと早くどうにかすべきだった。
ゼブロンがフレデリカと親密になり始めた頃に、王妃殿下に相談すればよかったのかもしれない。
でも今さら何をどう思っても、もう時間は元に戻せない。
ならばシャーリーにできることは、すべてを過去に置いて前に進むだけだった。

あっけにとられて身動きひとつできない一同の中で、エディ・スコットが自分のフロックコートを脱ぎながらシャーリーを追いかけ、背中からコートを羽織らせる。
そしてシャーリーを横抱きに抱えると、小走りで外に出て行った。


「あ~伯爵令息にいい役を持っていかれたな。僕がシャーリー嬢を送りたかったのに一瞬遅かった。でもこれで、彼だけがこの後も伯爵令息でいられそうだね。後の人たちはさ、首を洗って待ってるといいよ。
では陛下、王妃殿下、僕もこれにて失礼いたします」

イエール王子殿下はそう言って下がった。
陛下はそばに控えている従者に、ゼブロンとスコット伯爵以外の全員を一人ずつ『それ用』の客間に通すように命じた。

「これから君たちの父親を迎えに寄越す。ゼブロンは私の部屋に来るように。
スコット伯、明日改めて登城してもらいたい」

陛下と王妃殿下が立ち上がったとき、フレデリカがその足元に滑り込むようにひざまずいた。

「私はどうなるんですか? ゼブロン……殿下の、婚約者になれますよね?」

「そうだな、一緒になることはできるだろう。ノースダストのあたりはこの時期ならまだそれほど寒くもなかろう」

ノースダストはこの国の最北端で、一年の半分ほどは流氷が着岸する不毛の地と呼ばれている領地だ。

「ノースダストってなんですか? ゼブロン殿下と一緒になれるんですよね! 私は王妃になれるってことですよね!!」

フレデリカの大きな声に応える者はもういなかった。
残った誰もが自分の身にこれから降りかかることを思い身体を震わせている。
数時間前まで学園の卒業パーティで、自分より身分が上の令嬢を小馬鹿にして笑っていた者たちが、ひざに拳を置きすすり泣いていた。
そんな者たちを、城の従者が一人ずつ引き立てて行く。


「……シャーリーがあの時、最後なのですからフレデリカさんと踊ったらいかがですか?と言った『最後』とは、そういう意味だったのか……そうか……はは……は……」

広間にゼブロンの途切れ途切れの嗤い声がこぼれ、いつも傍にいた護衛の者がそっとゼブロンの腕を取った。

──これから自分は死にながら生きることになる。

不毛の地、ノースダストでフレデリカと暮らすことになるのだ。
学園での飾らない笑顔のフレデリカの明るさは、自分の隣に相応しいと思っていた。
シャーリーのどこか陰鬱にも感じる、何か言いたげな目が嫌いだった。
だが、両陛下に向かってフレデリカが『私は王妃になれるってことですよね!!』と叫んだ声を聞き、足元が崩れるような思いがした。
フレデリカが王太子妃に相応しいと思った自分が、一番の愚か者だった……。
嗤いながら泣いているゼブロンは、護衛にすがるようにして歩いていった。
誰もいなくなった広間に、シャーリーが脱ぎ捨てたドレスが蝉の抜け殻のようにそこにあった。

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