9 / 32
【9】身辺整理(アルフレッド視点)
しおりを挟む友人たちから、新しく旨い物を出す店ができたから行こうと声がかかったが断った。
あれからマチルダと話をしていない。
皆と出掛けてその中でマチルダとありふれた会話をすることで、少し特別だった位置から皆と同じ位置になったのだと改めて互いが確認できる機会ではあった。
だがハワード公爵から、シャーリドへの事前視察の話を聞いて遊ぶどころではなくなった。
片道三日かかるシャーリドへの視察となると、最低でも往復十日は要するとみるべきだろう。
シャーリドで長く滞在すればもっとかかる。
ハワード公からは、視察は我々がしっかりするので殿下はゆったりとシャーリド王国を見物してくださればよいので構える必要はありません、などと舐めたことを言われた。
アリシアも連れていくのに物見遊山気分でいられるわけもない。
つむじ風のようにリカルドが執務室へ入ってきた。
「兄上が学園の後に執務室で仕事をしているなんて、雨が嫌いな僕は外に出ない方がいいかな。
それより、退学したはずの兄上の婚約者が学園内で絡まれているのを見ましたよ。
上級生から部外者だ、侵入者だ、そう詰め寄られていた。
あの上級生のことを、僕が王宮で見かけたことがあるのはどうしてだろうね、兄上。
兄上は、別れるのも含めて女遊びが下手だと自覚したほうがいい」
「アリシアが部外者……侵入者……?」
「彼女の友人のことを、部外者を手引きしたと言われてアリシア嬢は頭を下げていたよ。公爵令嬢が男爵令嬢にね」
リカルドは言いたいことは言ったという顔をして執務室を出て行った。
アリシアが学園に何をしにやってきたのか、俺が見かけたのは女生徒の誰かの後を小さくなって歩いているうつむいた横顔だった。
誰と歩いていたのかは分からないが、穏やかな状況ではないことには気づいた。
いつだって淡々と、俺が婚約破棄を告げた時さえ、文句を呑み込んでなんでもない顔をしていたのに。
あんなに元気のないアリシアを見たことがなく、名前を呼ぶ以上のことができなかった。
アリシアに向かって、部外者と言った上級生というのはマチルダか。
たしかにリカルドの言う通り、俺はマチルダと上手く別れたとは言い難い。
そもそも『別れた』というような関係ではないはずだが、マチルダがどう思ったかは俺には分からない。
こういうことを、リカルドに『女遊びが別れるのも含めて下手』と言われたところなのだろうな。
それにしても、リカルドこそいつの間に女遊びについて俺にいっぱしの意見を言うほどになったのかと少しおかしくなった。
いつまでも俺の後ろを追いかけてきた弟のままではないのだな。
いや、そんな微笑ましい話ではない。
執事や護衛の前で俺に非難めいた発言をしたということは、それを誰に聞かれてもいいとリカルドが腹を決めたということになる。
ひっそりと冷たい視線を送っていた段階から、悪いほうにリカルドが一歩進んだ事実を俺は重く受け止めた。
「アルフレッド殿下、マチルダ・パーカー男爵令嬢と名乗る女性が殿下を訪ねてきておりますが、お会いになりますか」
言伝を受けた執事がそう伝えてきた。
マチルダが俺に会いにここへ……。
まさにマチルダをどうしたらいいか考えているところだった。
きちんとケリをつけるべきは今なのだな。
リカルドの言うところの『上手な別れ方』ができるかどうか、自分でも分からないが。
「一番手前の応接室が空いていればそこに通してくれ」
「かしこまりました」
一番手前の応接室は、それほど身分の高くない者を接遇する部屋だ。
先日のように広い客間に通すことはもう無い。
***
「ずいぶんのんびりした登場ですこと。それなのにお茶はポットもなくてカップに一杯だけ。あんまりな酷い扱いね」
「それはすまなかった。この部屋はそういう部屋なのだ」
すまなかったと言いながら新しいお茶を出さないことが、この後の話を示唆していることにマチルダが気づいている感じはない。
「この前の話をきちんと聞こうと思って。学園ではいつも誰かがいるでしょう? 一応、これでもあなたの立場に気を遣っているのよ」
俺の立場を気にしてくれるならここには来ないで欲しかったところだが、俺は自分の蒔いた種を刈り取るためにこの部屋に来たのだった。
「この前のネックレスが手切れ金ってどういうことかしら」
「そのままの意味だ。もうこうして二人で会うつもりはない。互いにひととき楽しく遊んだ、だがその時間は終わった。最初からそう納得の上で始めたことだろう」
「そう……。思ったより終わりが来るのが早かった、そこだけ驚いたわ。あなたはあの足枷令嬢とうまくやっていくことにしたのね」
「あのって、やはり彼女に会ったのだな」
「そうよ、退学したくせに学園内をウロウロしていたから上級生として部外者に注意をしたの。アルが足枷と言っていたのはあなたのことねと言ったら顔色を変えたわ」
アリシアに俺が『足枷』と言っていたなどと言ったのか……。
足枷というのは自分に婚約者がいる状態のことであってアリシア個人のことではないのだが、まあそう受け取られても仕方がなくマチルダに話した俺が悪い。
「寝物語をアリシアに話すことで、君がその時の自分を支えられたのならよかったよ」
パン! と顔の前でマチルダが手を叩いた。
顔を張られるのかと思ったが違った。
「さすがに王族に手は出さないわ、どんなに酷いことを言われてもね。このネックレス、お返ししようと思ったけど手切れ金ということなのでいただくわ。卒業パーティの時にこれみよがしにつけていくわよ? これより高価なものは持っていないもの」
「ああ、君に似合っていた」
「……本当に、最低ね。でもおかげでスッキリしたわ。考えてみれば『足枷』令嬢なんて軽すぎて重りにもならないわね。あなたの足にはこの王宮やこの王国が括りつけられているのですもの。わたくしに鎖に繋がれた囚われ人は似合わないわ。
ではごきげんよう。学園ではもう話し掛けないでね。わたくし、男女の間に友情は成り立たない派閥の会長なのよ」
マチルダはそう言うと立ち上がり、執事に案内されてこの狭い応接室を出て行った。
代わりに静寂がこの部屋を満たした。
「……ジャン、俺はうまく言えていたか?」
つい立ての向こうに控えているジャンに静かに尋ねる。
「別れの言葉はナイフに乗せて差し出すほうが親切と聞くので、その点においてはまあまあ及第点じゃあないですか?」
「及第点……不敬な発言だがそのとおりだろうから許そう」
「パン、と何かを叩く音がしたときは飛び出しかけましたが、まさか令嬢がご自分の手を叩くとは。それなりに分別もあって状況判断のできる女性だったのですね。
その直前の殿下の言葉も相当でしたが、最後の手切れ金代わりのネックレスが似合っていたというのは、聞いていたこちらも何かをえぐられるような思いがしました。
きれいに終われたと思いますが、もう二度とあんな言葉を女性に言う場面を作り出さないでください」
「そうありたいと思っている。マチルダは卒業パーティであのネックレスを着けてくると思うか?」
「……着けてくるでしょう。彼女の中で殿下はただの過去の男の一人に成り下がったでしょうから。過去の男がこの国の第一王子なら勲章みたいなものです。勲章は公式で華やかな場所で着けるものですからね」
「ジャンはこうしたことに詳しいのだな。どれだけの数の女に勲章を手渡したのか」
「あいにくですが勲章どころか紙のバッヂにもならない身分ですので」
「数については言及しない、と」
ジャンはそれには返さずにギロリと睨んできたが、女性を手玉に取るような時間がジャンに無かったことは俺が一番よく知っている。
こんなふうに誰かを明確な意図をもって切り離したのは初めてで、動揺しなかったと言えば嘘になる。
いや、アリシアに婚約破棄を言い渡したことこそがそうだった。
アリシアの時は理由も何も言わなかった。
ただ一方的に切りつけるように告げて、同じ重さで受け止めなければならないアリシアからの言葉を聞く前に去った。
それはアリシアから見れば「逃げた」ことに他ならない。
そのことについて自分の状況が変わったからとへたくそな言い訳をしただけで、まだ本当のことは伝えていないしそれに関しての謝罪もしていない。
アリシアは、あの日いきなり切りつけられたままなのだな……。
マチルダから切り返される覚悟はできたのに、アリシアからは逃げたままだ。
何故俺はアリシアと向き合えないのだろう。
そう思った瞬間にすぐに答えに辿り着く。
俺は怖いのだ。
アリシアに対して自分の中に生まれつつある感情に。
本当のことを伝えて拒絶されることで、その生まれそうな感情がアリシアに向かって歩き出す前に死んでしまうことが怖い。
「ジャン、百戦錬磨のおまえに教えて欲しいのだが、俺はどうしたらいいのか」
「一戦もしていない俺ですが、俺ならその状態で視察の旅には出ません。今の殿下は、狡猾で頭の回転が速いと言われているハワード公に対抗できないでしょうし、シャーリドに入ってもどれが拾うべき情報かを瞬時に判断できるとも思えません。
乳兄弟で長年の友人としての立場で言わせてもらえるなら、とっととアリシア嬢に全部ぶっちゃけて謝ってちゃんと君が好きだと言ってこい! ということでしょうか。意外にも初めての恋に動揺している第一王子なんていうのは、国の存亡に関わるのでさっさとカタをつけてください。あ、万が一の時には骨は拾ってあげますので安心してください」
「……ジャン……おまえ一戦もしてなかったのか……。シャーリドの件が片付いたら休暇をやることにする」
「そこですか!? 俺の話を聞いていました?」
「ありがとうな、ジャン」
「やめてくださいよ、明日は雨になるじゃないですか」
リカルドにもジャンにも明日は雨だと言われた。ずっとモヤモヤしたものにまとわりつかれているが、そのモヤモヤから雨が落ちてくるというなら俺はずぶ濡れ確定だな。
王の第一子として生まれたときからどう歩いていくかの道は決められていた。
そのことに文句はない。
決められた道を行くことに文句は言わないから、誰と行くのか何に乗っていくのか、いつ目的地に到着するようにすればいいのか、そのくらいの自由は求めたかった。
アリシアと婚約することもいつ結婚するかも決められてしまったことに不満があった。
皮肉なことに、婚約破棄を告げるまではアリシアのことを思わない日の方が多かったのに、婚約者という足枷の鎖を斬ったと思ってからは、一日の中で何度もアリシアのことを考えている。
たしかにこの状態でシャーリドに視察に行っても、それこそハワード公の思惑どおり物見遊山になりかねない。
シャーリドへ立つ前に、何らかの形でケリをつけたかった。
66
お気に入りに追加
2,102
あなたにおすすめの小説
婚約破棄の裏事情
夕鈴
恋愛
王家のパーティで公爵令嬢カローナは第一王子から突然婚約破棄を告げられた。妃教育では王族の命令は絶対と教えられた。鉄壁の笑顔で訳のわからない言葉を聞き流し婚約破棄を受け入れ退場した。多忙な生活を送っていたカローナは憧れの怠惰な生活を送るため思考を巡らせた。
愛すべきマリア
志波 連
恋愛
幼い頃に婚約し、定期的な交流は続けていたものの、互いにこの結婚の意味をよく理解していたため、つかず離れずの穏やかな関係を築いていた。
学園を卒業し、第一王子妃教育も終えたマリアが留学から戻った兄と一緒に参加した夜会で、令嬢たちに囲まれた。
家柄も美貌も優秀さも全て揃っているマリアに嫉妬したレイラに指示された女たちは、彼女に嫌味の礫を投げつける。
早めに帰ろうという兄が呼んでいると知らせを受けたマリアが発見されたのは、王族の居住区に近い階段の下だった。
頭から血を流し、意識を失っている状態のマリアはすぐさま医務室に運ばれるが、意識が戻ることは無かった。
その日から十日、やっと目を覚ましたマリアは精神年齢が大幅に退行し、言葉遣いも仕草も全て三歳児と同レベルになっていたのだ。
体は16歳で心は3歳となってしまったマリアのためにと、兄が婚約の辞退を申し出た。
しかし、初めから結婚に重きを置いていなかった皇太子が「面倒だからこのまま結婚する」と言いだし、予定通りマリアは婚姻式に臨むことになった。
他サイトでも掲載しています。
表紙は写真ACより転載しました。
前世と今世の幸せ
夕香里
恋愛
幼い頃から皇帝アルバートの「皇后」になるために妃教育を受けてきたリーティア。
しかし聖女が発見されたことでリーティアは皇后ではなく、皇妃として皇帝に嫁ぐ。
皇帝は皇妃を冷遇し、皇后を愛した。
そのうちにリーティアは病でこの世を去ってしまう。
この世を去った後に訳あってもう一度同じ人生を繰り返すことになった彼女は思う。
「今世は幸せになりたい」と
※小説家になろう様にも投稿しています
[完結]私を巻き込まないで下さい
シマ
恋愛
私、イリーナ15歳。賊に襲われているのを助けられた8歳の時から、師匠と一緒に暮らしている。
魔力持ちと分かって魔法を教えて貰ったけど、何故か全然発動しなかった。
でも、魔物を倒した時に採れる魔石。石の魔力が無くなると使えなくなるけど、その魔石に魔力を注いで甦らせる事が出来た。
その力を生かして、師匠と装具や魔道具の修理の仕事をしながら、のんびり暮らしていた。
ある日、師匠を訪ねて来た、お客さんから生活が変わっていく。
え?今、話題の勇者様が兄弟子?師匠が王族?ナニそれ私、知らないよ。
平凡で普通の生活がしたいの。
私を巻き込まないで下さい!
恋愛要素は、中盤以降から出てきます
9月28日 本編完結
10月4日 番外編完結
長い間、お付き合い頂きありがとうございました。
【完結】「財産目当てに子爵令嬢と白い結婚をした侯爵、散々虐めていた相手が子爵令嬢に化けた魔女だと分かり破滅する〜」
まほりろ
恋愛
【完結済み】
若き侯爵ビリーは子爵家の財産に目をつけた。侯爵は子爵家に圧力をかけ、子爵令嬢のエミリーを強引に娶(めと)った。
侯爵家に嫁いだエミリーは、侯爵家の使用人から冷たい目で見られ、酷い仕打ちを受ける。
侯爵家には居候の少女ローザがいて、当主のビリーと居候のローザは愛し合っていた。
使用人達にお金の力で二人の愛を引き裂いた悪女だと思われたエミリーは、使用人から酷い虐めを受ける。
侯爵も侯爵の母親も居候のローザも、エミリーに嫌がれせをして楽しんでいた。
侯爵家の人間は知らなかった、腐ったスープを食べさせ、バケツの水をかけ、ドレスを切り裂き、散々嫌がらせをした少女がエミリーに化けて侯爵家に嫁いできた世界最強の魔女だと言うことを……。
魔女が正体を明かすとき侯爵家は地獄と化す。
全26話、約25,000文字、完結済み。
「Copyright(C)2021-九十九沢まほろ」
他サイトにもアップしてます。
表紙素材はあぐりりんこ様よりお借りしております。
第15回恋愛小説大賞にエントリーしてます。よろしくお願いします。
1度だけだ。これ以上、閨をともにするつもりは無いと旦那さまに告げられました。
尾道小町
恋愛
登場人物紹介
ヴィヴィアン・ジュード伯爵令嬢
17歳、長女で爵位はシェーンより低が、ジュード伯爵家には莫大な資産があった。
ドン・ジュード伯爵令息15歳姉であるヴィヴィアンが大好きだ。
シェーン・ロングベルク公爵 25歳
結婚しろと回りは五月蝿いので大富豪、伯爵令嬢と結婚した。
ユリシリーズ・グレープ補佐官23歳
優秀でシェーンに、こき使われている。
コクロイ・ルビーブル伯爵令息18歳
ヴィヴィアンの幼馴染み。
アンジェイ・ドルバン伯爵令息18歳
シェーンの元婚約者。
ルーク・ダルシュール侯爵25歳
嫁の父親が行方不明でシェーン公爵に相談する。
ミランダ・ダルシュール侯爵夫人20歳、父親が行方不明。
ダン・ドリンク侯爵37歳行方不明。
この国のデビット王太子殿下23歳、婚約者ジュリアン・スチール公爵令嬢が居るのにヴィヴィアンの従妹に興味があるようだ。
ジュリアン・スチール公爵令嬢18歳デビット王太子殿下の婚約者。
ヴィヴィアンの従兄弟ヨシアン・スプラット伯爵令息19歳
私と旦那様は婚約前1度お会いしただけで、結婚式は私と旦那様と出席者は無しで式は10分程で終わり今は2人の寝室?のベッドに座っております、旦那様が仰いました。
一度だけだ其れ以上閨を共にするつもりは無いと旦那様に宣言されました。
正直まだ愛情とか、ありませんが旦那様である、この方の言い分は最低ですよね?
婚約破棄直前に倒れた悪役令嬢は、愛を抱いたまま退場したい
矢口愛留
恋愛
【全11話】
学園の卒業パーティーで、公爵令嬢クロエは、第一王子スティーブに婚約破棄をされそうになっていた。
しかし、婚約破棄を宣言される前に、クロエは倒れてしまう。
クロエの余命があと一年ということがわかり、スティーブは、自身の感じていた違和感の元を探り始める。
スティーブは真実にたどり着き、クロエに一つの約束を残して、ある選択をするのだった。
※一話あたり短めです。
※ベリーズカフェにも投稿しております。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる