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【最終話】大階段を上って行く二人
しおりを挟む卒業パーティの当日、エレノアとフィンリーは学園の大階段を見上げていた。
ノーリス王立学園の卒業パーティが行われる大講堂は、この階段を上った先のさらに奥にある。
この場所で入れ替わりから無事に戻ったあの日以来、エレノアは初めてここにやってきた。
なんとなくこの階段を避けたい気持ちもあったが、実はしばらく工事中だった。
カートフォード公爵家とローレンス公爵家の双方が費用を出し合い、大階段の真ん中に手すりが取り付けられることになった。
それが卒業パーティのこの日に間に合うように完成したのだ。
黒い鉄で曲線を描いた優美な手すりで、手に触れるところは堅い木製である。
「これなら安心して階段を使えますね」
「そうだな、今まで手すりがなかったことが不思議なくらいだ」
大階段を右と左に二分することになるが、安全に上り下りできる階段になりそうだ。
エレノアとフィンリーが入れ替わってしまった大階段の下、手すりの始まりとなるその場所には小さな植え込みができた。白い石で造られたうさぎを囲むように花が植えられている。
石のうさぎはここから見上げた断頭台で身代わりとなって亡くなった者の慰霊の思いを込めて造られたが、
それを知る者はフィンリーとエレノアしかいない。
さらにエレノアだけが知る事実もあった。
入れ替わりが起こったのが何故この場所だったのかということが推察される資料を、後から見つけた。
断頭台で切断された頭部が、執行補助の者の失態により坂を転がり落ちてしまったというのだ。
切断された頭部が止まったところが、大階段の下のエレノアとフィンリーが入れ替わった場所だった。
貴族の処刑を娯楽気分で見ていた民衆も、自分たちの足元に転がってきた首に慄き、
静まり返って手を合わせる者もいたと挿絵つきで書かれていた。
そのできごとを最後に、この学園ができる前の広場での処刑は行われなくなったという。
あの日フィンリーから婚約を白紙にと言われて、心臓がちぎれて身体をすり抜けて足元に落ち、
そのままあの階段を転がり落ちていったような錯覚がエレノアにはあった。
その感覚のことをうまく言える気がしなくてフィンリーには伝えていない。
また、フィンリーはエレノアに『婚約を白紙に』と言ったことを深く悔いており、
それを告げられたとき、心臓がちぎれて落ちた感覚があったと言うのもなんとなく憚れた。
そのことはエレノアの胸の中にしまっておくことにした。
ただ、この場所を踏んだり誰かが転んだりしないように、二度と入れ替わりが起こらないようにと、
手すりの工事と一緒に小さな植え込みを作りたいとエレノアが提案したのだ。
「このあたりに立つと、なんだか少し寒気を感じます……」
「そうだな……人が亡くなった場所というのは王国内の至るところにあると思うが、
何も悪いことをしていない者が権力者の横暴で身代わりで命を落としてしまったのだ。
その場所に怨みのようなものが残ってもしかたがない」
「ここに美しいお花を植えたので、いつも誰かに気に留めてもらえますね。
その方のお気持ちも、安らかに鎮まりますように」
「ローレンス家の庭師が咲かせた珍しい二色の花が、人の足を止めてくれるだろう」
手を合わせるエレノアの肩を、フィンリーはそっと抱いた。
「さあエレノア、そろそろ行こうか。この大階段を上っていこう」
「はい、フィンリーさま」
エレノアはこのパーティのために作ったジェードグリーンのドレスを身にまとっている。
フォーン色のオーガンジーの薄布が、腰のあたりから裾に向かって波のように揺れている。
二人の瞳の色をそのまま写し取ったようなドレスは、大きなリボンなどの装飾はない。
シンプルなものだが生地がとても美しく、光に当たるとうねるように色が変化して見える。
髪飾りは以前フィンリーが贈ったものだ。
緩くアップにした髪に小花のピンを散らすように差して、髪飾りが映えるようにまとめている。
しばらく前に、フィンリーが髪飾りとお揃いのネックレスとイヤリングを持ってローレンス家にやってきた。
実は髪飾りと一緒に作らせていて、驚かそうと黙っていたという。
ただ、知らなかったのはエレノアだけで、ローレンス公と侍女のナタリアは事前に知らされていた。
フィンリーの従者であるセオドアが、卒業パーティ用にローレンス家が用意してしまうかもしれないから、完全なる秘密は無理だとフィンリーに言ったのだ。
ナタリアはイヤリングの長さを事前に知ることで、当日の髪型をいろいろ考えることができた。
そのネックレスとイヤリングも今日のエレノアを飾っていた。
フィンリーは明るい紺色のコートジャケット、薄茶色のタイにエレノアの髪留めと同じ石のピンを差している。
紺色のコートジャケットにはエレノアのドレスと同じ色の裏地があり、そこにエレノアが刺繍を施した。
フィンリーが依頼した柄は、『F』にまるで蔦を這わせるように『E』を絡めた図の連続柄だった。
エレノアは母グレイスの形見の裁縫箱と会話をするように、夜毎フィンリーのコートの裏地に刺繍をした。
その時間はエレノアにとって至福の時だった。
母グレイスの好きだったお茶を飲みながら、母がローレンス公爵家に嫁入りしたときに
実家から持たせてもらった裁縫箱の針を動かす。
──お母様、私は今、本当に幸せです。
エレノアは瞼の裏の面影に語りかけながら、フィンリーへの想いを一針一針刺した。
カートフォード家で、フィンリーができあがったコートジャケットを試着して見せたときに、
何度も裏地が見えるようなポーズをしてセオドアが苦笑いをしたという話を、
エレノアはナタリアからこっそり聞かされて微笑んだ。
フィンリーがエレノアをエスコートして、二人はゆっくりと大階段を上っていく。
折った足はすっかり治ったと聞いているが、エレノアは少し心配になる。
急にバランスを崩したりはしないだろうか。
ボリュームのあるパーティドレスでこの階段を使う者はほとんどいない。
普通になだらかな小径があるのでそちらを使う。
でもフィンリーとエレノアは、この大階段を上って行くことに二人で決めた。
二人の身体も人生も交差したこの大階段を、一段一段ゆっくりと踏みしめていく。
最後の一段を上ると、二人は互いを見てほほえみ合った。
大講堂に向かう同級生たちが、そんな二人を見て『ごきげんよう』と声を掛け、二人もそれに応える。
「フィンリーさま、お願いがあるのですが……」
「急にどうした?」
「あの、この卒業パーティが終わりましたら、コートジャケットの裏側がちらっと見えるポーズをわたくしにもやってみせていただけませんか?」
そんな話がエレノアの耳に入った流れを、フィンリーはすぐに思い至った。
帰りの馬車でエレノアを抱き寄せてみせて、砂糖をかぶったような気分にさせてやる。
「……エレノア……大好きな君からのお願いだ、もうやめてと言うまでやってみせよう」
「ありがとうございます、楽しみにしていますわ」
「さあ、行こう」
フィンリーはもう一度エレノアの手を取った。
みつめあって微笑み、まっすぐにまばゆい光が集まる大講堂の中へと入っていった。
おわり
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