吸血鬼VS風船ゾンビ

畑山

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昼、東野勝団地

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「何か、ずいぶん減ってない?」
 副署長の森浩介が言った。
「そうですね。元々どれくらいいたのかわかりませんので、何とも言えませんが、こんなに少なくなっているのは、予想外でした」
 交通課の警官である大久保直樹が大柄の体をかがめるようにしながら団地のドアをくぐった。くすんだ台所に、埃がたまったフローリングの床、所々得体の知れない汚れが付着している。ベランダの窓が開いているため通気性は良かった。
 副署長の森浩介と大久保直樹は部下を何人か連れ、東野勝団地の調査に来ていた。おそるおそる団地周辺を調べてみると、ゾンビがあまりいなかったので、建物の中に入って調査をしていた。
「団地のゾンビが流れ出てきて、悪さをしていると思ったんだけど、どうも違うらしいね」
 最近町中に現れるゾンビの数が増えてきているという報告が上がってきたため、その調査に東野勝団地に来ていた。
「ここのゾンビじゃないとすると、通報があったゾンビは、また別の所から来たんですかね」
「そうなるね。でも、とするとだ。ここにいたゾンビはどこへ行ったんだ」
「すでに町中に流れていたとか」
「だとしたら、もっとたくさんのゾンビがあらわれていないとおかしい。東野勝団地は六十棟ほどある。その中に潜んでいたゾンビが町中に流れたら、もっとたくさんの目撃情報が出ているはずだ」
 もちろん、被害もね。森浩介は付け加えた。
「どこにいったんですかね。ゾンビの連中は、家が好きですから、住宅地に定着すると、なかなか離れたがらないって聞きます。人間が近づけば別ですけどね」
 人間を求め、さまよい歩いているゾンビもいるが、刺激が無い限り、定着して、じっと動かないゾンビの方が多かった。
「誰かが、ここのゾンビを始末した可能性はないかな」
「ここのですか」
「そう、ここのゾンビ」
「どうやって」
 大久保は、六十棟ある団地のゾンビを駆除する方法を思いつかなかった。
「頭を殴って外に放り出した」
 森浩介が指さした方角を見ると開いているベランダの窓があった。団地の三階の部屋である。
「それは、無理じゃないですか。数が多すぎます」
 一体二体ではない、六十棟の部屋のゾンビである。
「普通に考えれば無理だろうねぇ」
「じゃあ、どういうことです」
 大久保直樹は困ったような顔をした。
「窓が開いていた部屋がいくつかあったんだ」
 森達は、団地の部屋をいくつか調査した。
「そうですね」
 元々窓が開いていた可能性もあるし、ゾンビは窓を開ける知能もある。大久保にとっては、それほど不思議な話ではなかった。
「元々開いていた窓もあるのだろうけど、ホコリの具合から言って、最近開けられた窓もあった。それも複数の窓が、同じ時期に開けられたような痕跡があった」
「それは、不思議ですね」
 ゾンビが一斉に窓を開ける。考えにくかった。
「だろう。しかもだねぇ。ベランダの窓に向かって何かを引きずったような跡がある」
 フローリングの床を指さした。埃の積もった床に、うっすらと跡が残っていた。
「ゾンビですか」
「誰かが、部屋にいたゾンビを殺し、窓を開け、ベランダまで引きずって運び、外に放り投げた」
 森は手で何かを放り投げるような仕草をした。
「しかし、誰がそんなことを」
「誰だろうねぇ」
「外に放り出したゾンビはどうなったんでしょうか」
「その辺に埋めたか。どこかに運んで埋めたか。そんなところかな」
 ベランダから外をのぞき込んだが、生い茂る雑草しか見えなかった。
「そいつらが、団地全体のゾンビを退治したと言うことですか」
「普通に考えれば、複数の人間が関わっていると考えるよな」
 森浩介は思案げな顔をした。
「そりゃあ、そうでしょう」
 個人で団地にいるゾンビの駆除などできるはずがない。死体の処理もある。
「今の野勝市に、誰にも気づかれずに、何棟もある団地のゾンビを駆除できる団体なんているかな」
「それは、難しいでしょう。我々だって無理です。だから、ここは放置してきたんです。仮にできたとして、六十棟のゾンビを退治なんかしたら、必ず一騒動起こっていますよ。誰かが目撃しているはずです。ですが、個人では、もっと無理でしょう」
 一対一なら、ゾンビに勝つことは容易だ。もちろん、武器があってのことだが、複数のゾンビとなると、まず無理だ。体力が持たないし、囲まれたらどうしようも無い。何度もゾンビと戦った経験がある大久保には、それがわかった。
「確かにその通りだ。だけどね、争った形跡がまるで無いんだ。団地内でゾンビと戦った場合、それ相応の痕跡が残る。間違いなくね。だが、それが全くない。まるで、ゾンビが無抵抗に一方的に処分されたような、そんな現場なんだ」
 森浩介はしゃがみ込み床を見つめた。
「そんなことは不可能ですよ。奴らは人間を見つけたら、集団で襲ってきます。どこからともなく、わらわらとわいてきて、人間を囲って襲います。争った形跡もなく、ゾンビを倒すなんて不可能です」
「だけどね。これを見て、裸足の足跡、この足跡は部屋中にあるから、おそらくゾンビだ。それ以外の足跡は一種類しかない。おそらくスニーカーだろう。しかも他の階でも、この靴跡があった」
 埃が積もった床に残った足跡を、指さした。なにかを引きずったような跡の横に、スニーカーらしい靴跡が寄り添うように、ベランダに続いていた。
「じゃあ、その誰かが、東野勝団地のゾンビを一掃したと言うことですか。そんなことできるんですか」
「普通に考えればできない。だけどほら、この間の、ゾンビ、君が救助に向かった先のゾンビがいたでしょ」
「ええ、それがなにか」
「あのゾンビ、君の報告だと、途中から様子が変だったんでしょ」
「はい、足を引きずるような仕草を見せていました」
「それも変だよね。救助隊が進めないような数のゾンビが、一晩で弱体化したなんて、あり得るのか」
「それは、それも、そいつの仕業と言うことですか」
 大久保は驚いたような表情を見せた。ずっと引っかかっていた話である。
「確か、ゾンビの膝に打撲痕のようなものがあったといっていたな」
「はい、膝に殴られたような跡がありました」
「何者かが、一体一体のゾンビの膝を、鈍器で殴り弱らせた。これならどうだ」
「一体一体の膝を、何でまたそんな手の込んだことを、誰が、何のために、そもそもそんなことができるのなら、ゾンビの頭を殴れば良いでしょう」
 そんな手間をかける理由がどこにあるのだ。大久保は思った。
「一晩でゾンビの頭が破壊されていたら、いくら何でも目立ってしまうだろ。何かがいる。その何者かは、そう思われるのを避けたかった。かといって、ゾンビを放置するわけにもいかない。だから、弱らせた。ゾンビの膝を壊し、君たちが倒しやすいようにした」
「ゾンビの膝をどうやって、ゾンビに噛まれずに壊すというんです。膝を打っている間にゾンビに噛まれますよ」
「普通に考えればそうだ。ゾンビに気づかれずに、ゾンビの膝小僧を痛めつけるなんて芸当はできない」
「ええ、そうです」
「だが、逆に考えれば、ゾンビに気づかれず、ゾンビを攻撃する方法があれば、可能だということにならないか」
「それは、そうですけど」
 そんな都合のいい話があるだろうか。そんな方法があるなら、今の状況を変えることができる。
「その何者かは、見つかることを恐れている。人に見つからないようにしながら、ゾンビを退治している。あるいは、ゾンビ退治の手助けをしてくれている」
「考えすぎなのでは」
「かもしれない。だけどね。ゾンビがいるんだから、そんな得体の知れない何かがいても、おかしくは無いと、思わないかい」
 森浩介は少し笑顔を浮かべながら言った。

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