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第一章
(8)※残酷表現アリ
しおりを挟む逃げないと、逃げないと、逃げないと。
長い道が私の前に続いている。隣には黒い犬が同じ速度で走っていた。
息がどんどんあがってくる。目にかかる前髪が走る度に眼球を刺激して痛い。目を瞑る度にここがどこなのか分からなくなる。はあはあと口から出る音が大げさだ。走っても走っても道は戻っているように感じる。上に向かっているのか下に向かっているのか分からない。逃げないと。
なにから、あの獣から。
四足歩行で追ってくるそれは、鋭い爪で地面を抉りながら土ぼこりをたてて追いかけてくる。ただ歩いているだけなのに必死に走る私にどんどん近づいてくる。隣の犬は役に立たない。白目が大きく目の中の余白が目立つその化け物は鼻がやけに膨らんで丸く醜い。オレンジの肌色と肩まである白髪の髪が奇妙に震えている。あれはなんだ。あの目、あの巨体、あの寒々しさに。身体がぶるぶると震える。怖い。恐ろしい。捕まりたくない。
心臓がどくどくと波打っているのが分かる。背筋が震えていっそ狂ってしまいたいと現実逃避を始めた。薄い生地の黒いワンピースが汗で重くなる。でこぼこの砂利道を裸足で走っている為、一歩踏み出す度に電流が走るような痛みを感じる。でも止まることは許されない。
細い砂利道の横はのどかな草原で、高原に咲くと言われるクロッカスがまだ重い首をおとしているのが見えた。
砂利道をずっと行かずに草原に逸れればいいのに私にはそれが出来ない。細道を走ってきたこの行動意外をとってしまうと事態が動いてしまう気がして。恐ろしくて出来ない。
あちらは疲れ知らずで私だけがどんどん疲弊している。隣の犬も怪しく思えてきた。こいつはあの化け物の仲間なのではないか。おかしいじゃないか、どうして私についてくるのに何も言ってくれないのだ。距離をとりたいのに、犬はぴったり一人分空けて私にずっとついてくる。化け物も変わらずついてくる。
汗でぐちゃぐちゃになった髪をぬぐい、もう諦めてしまおうかと歩みがのろくなりだした時、ずっと続くかのように思えた細道がすっと切れている場所が目に入った。
その先に何があるのか、どうなっているのかぼやけて見えない。モザイクがかかった景色が一本線を引かれた場所から浮き出ている。
あそこまで行けば助かるかもしれない。
目になにか入ったのか景色の半分はインクを落としたように滲んでいた。ヒューと乾いた肺の音が聞こえる。体中の穴から汗が噴き出して、裸足の足裏からびちゃっという音がする。
あと一歩、あと一歩いけば―――
一本線に触れる瞬間、あの黒い犬が私のワンピースの裾を口で掴んだ。
「なんで」そういった私の隙を、化け物は見逃さなかった。
一定の距離を保っていた化け物は突然私の背後に現れて私の身体を軽々と掴み、一気にあの白い線を引き離した。私は驚いてしまって目をぎゅっと瞑った。そして目を開けたときにはあの無限を感じた草原も細い砂利道もなく、コンクリートで固められた四角い部屋に化け物と共にいた。窓もなければドアもない。単調な机と整頓された本棚だけが壁に埋め込まれている。清潔な部屋の印象を受けるが不快な匂いを感じる。魚が腐ったような、女の生理のような匂いだ。ここにいたくない。ここは嫌。
化け物は大きな白目をぎらぎらと動かして私を見た。
突然痛みを感じる。爪をたてられた。理解したときには胸から血がだらだらと流れていた。
「どうして、」化け物に言葉なんて通じないのに、この理不尽な痛みに私は泣きたくなる。
「ぎゃっ」カエルの様な声が出た。化け物はまた一本爪を突き刺した。今度は腹だ。
感じたことのない痛みが私をおそって、傷口は生きているかのごとくじくじくと大きく鼓動を繰り返している。
「やめて、お願い、ゆるして」反応のない化け物に私は許しを求めている。
痛い、痛い、やだ、こんなのやだ、こんなかわいそうなのいや。
涙でぐちゃぐちゃの私の顔を化け物は突き刺した。
「ぎゃっ、ひ、」頬に穴があいたかもしれない。
痛い、怖い、どうして、パニックになった自分の頭には恐怖だけが渦巻いている。
私の身体に三つの穴を開けた化け物は、血をだらだらと流す私にはじめて目を合わせた。
化け物が私にのしかかってくる。汗が一粒、私の額にかかった。
「あ、」、言葉にならない私の声は完全に獲物の最後の悲鳴だ。
「やめて、もうゆるして」
「お前はこれが好きだろう」
はじめて声がした。この音は化け物が発した声なのか、この化け物は今なんと言った。
「なんて、なんて言ったの今」私はこの化け物と対話をしようと思っているのか、どうして救いを求めているの?こんな化け物に。
「お前はこうされるのが好きだろう。」
私はこんなこと望んでない、こんなこと好きじゃない、どうして私のせいにするの、嫌、嫌、嫌。
力が出ない身体を叱責しむちゃくちゃに手足を動かす。
ぎゅっと閉じていた目を開けた瞬間、化け物の目が見えてぞっとした。
化け物の小さな黒目にうつる私はどうしようもない顔をしている。頬を赤く染めて、よだれを垂らして、うるんだ目で物欲しそうだ。「やめて!!!」
一瞬画面がぶれ、あの肌が映る。
紫の斑紋が全身に散らばって肌から死臭がする。
斑紋の中から白く粘々した膿が身体から出ようと蠢いていた。
目玉が脳の裏側に溶けていく気がした。
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