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自殺願望と堕胎と残りカス
しおりを挟むひたすら重たい話になるが、
先に書いておこうと思った。
一部の人には嫌悪感のある表現があると思います。
どんな気持ちになっても文句言わないでください。
20歳を迎えたくらいに、バイトを2つかけ持ちしていた。
朝はカフェ、昼から夜にかけて定時制の学校、そのあと深夜まで居酒屋。そんな生活をしていた。
カフェだけだったのだが、金銭的に余裕を持ちたくて近くのバイトを探したら居酒屋があったからそこにした。理由なんてそんなものだった。
最初は覚えるのに必死で周りを気にする余裕などなかったが、次第に仕事も覚えて気持ち的にも余裕ができると周りの従業員の勤務態度が気になるようになってきた。
飲食店としてどうなのか、という勤務態度。
もともと、その居酒屋の従業員はほぼバイトで形成されており、いわゆる「パリピ」ばかりだったから自分とはそりが合わなかった。
話もついていけない、というか、興味が無い。
誰と誰が付き合ったとか、告白しろとか、昨日のインスタがどーのこーの、
1ミリも興味がわかないことに会話は続かない。
そんな話ばかりしてスマホをずっと触って、仕込みなどもするのだ。
徹底的に衛生面を気をつけているカフェで働いている私には耐えられないようなことだらけだった。
その心労が知らず知らずのうちに溜まっていたのかは分からない。
それと同時期に、家庭内でもよく理不尽に自分だけ浮いた存在になっていた。
プラス、性行為の友達との行為を続けていてぶり返しの虚無が訪れていた。
確かに、色々重なった時期があった。
そして、ずっと昔から感じていたことが、ついに表面化した。
「なんだか、本格的に死にたい」
今まで死にたいと思ってもそんな勇気はなかったが、この時だけは決意した。
居酒屋のバイト終わりに夜中の3時くらいか、夜道を歩いていて、ふと決意した。
決意したのが4月の後半。
それから、いつまで生きようかという考えになって、5月末に友達との約束があったので
では、6月1日に死のうと決めた。
決めてからは、なんだか全てがどうでもよくなった。初めて世界が明るく見えた。
吹っ切れたと言った方が正しいかもしれない。
親からの陰湿な当てつけも気にならなくなった
だってどうせ死ぬんだから
バイトも5月末に辞めるとすんなり言えた
だってどうせ死ぬんだから
学校も休むようになった
だってどうせ死ぬんだから
楽しむために給料を使い切ろうと思った
だってどうせ死ぬんだから
どうせ死ぬのだから、1ヶ月くらい好きに生きてみようと思った。
好きなものを食べて、好きなように生活して。
でも、1番心残りというか、誤解して欲しくないのは家族以外の人のせいではないということ。
家族以外には私が死んだことを背負って欲しくなかった。
だって私が死ぬのは家族への当てつけであり、そんな家族に対しての当てつけがこんなことしか出来ない弱い自分への失望であるからだ。
だから、死ぬまでに手紙を書こうと思った。
学校の先生、大切な友達へ。
あなた達のせいではないと。
悲しむことは無いのだと。
いつか忘れるから、悲しまないで落ち込まないで、救えなかったとか思わないで。
私が救わせなかったのだから。
それから、言えなかった感謝の言葉とか。
面と向かってそんなこと言えないからどうせならとたくさんたくさん書いた。
身辺整理もよくした方だと思う。
最後の給与の振込先も頼み込んで変更した。
捨てられたくない大切なものは友達や先生などにプレゼントと称して渡した。
家族への恨みつらみを書いた手紙まで用意した。
大切な先生が多すぎて、バイトと学校の合間にたくさんの手紙を書くのに時間が足りなかったから授業中も書いた。
それがいけなかった。
そのまま机の中にノートを置き去りにしてしまっていたらしい。
そんなに大切なものを?なぜ?
自分でもあれはとんだ失態だったと思う。
その次の日に、自分はそれに気づかないままバイトもなく学校も授業が入ってないので昼過ぎまで寝ていた。
そしたら、頭元で鳴る電話、吠える我が家の犬の声、
うるささで目を覚まして電話に出る。
母親の怒鳴り声が聞こえた
「あんた!学校は!先生から電話かかってきたよ!」
と。
「……えぇ?」
おかしい、今日は学校などないはずだ…
そう思いながら玄関に向かって吠える犬の方をうるさいなぁと思いながら振り返ると、
玄関のドアは開け放たれ、そこには担任が息咳切って立っていた。
もう頭は混乱しすぎて逆に冷静で
「ちょっと先生来たから話してくるわ」
と、母親の電話を切り、犬を部屋の奥にやって、玄関先で先生の対応をした。
「家庭訪問かなんかですか?」
寝起きの姿を見られたショックはあるが、俯きながら聞いた。
「これ、見覚えある?」
少し引きつった笑みを浮かべながら先生は1つのノートを取り出した。
それは(予想は出来ると思うが)、私が先生たちに向けて書いた手紙を書いていたノートだった。
全てを悟った。絶望にも似た落胆をした。
バレてしまった。
バレてはいけない人にバレてしまった。
なんであの時ノートを忘れてしまったのか。
なんでも、机の中に入っていた忘れ物として回収され、それが忘れ物管理の担当の先生がたまたま担任だったので手に渡った。真新しいノートをたまたま字面で確認しようとパラパラめくったら私の名前が書いてあり、内容が内容だったからそのまま急いで学校を飛び出してきたという。
(ちなみに私の家と学校はめちゃくちゃ近い)
第一に出た言葉は、なぜか
お手数をお掛けしてすみません。
だった。
担任にあらかたの心情を話し、
慰められ、
その日、学校は無かったのだが担任も一応授業があるので、保健室に話においでということで、夕方から学校へ向かった。
保健室の先生とは少し昔から知っている仲で、よく愚痴を話に保健室に入り浸っていた。
担任から話は軽く言っているみたいだったので、ドアを開けると保健室の先生は走って私に体当たりをした。
「何考えてるの!やめてよもう…」
笑いながら、どことなく悲壮感を含んだ言葉だった。
私も、ごめん、ごめん、と言いながら笑うしかなかった。
カウンセリング室に連れられ、
どうしてそんなことを思ったか、
いつから決めたのか、
根掘り葉掘り聞かれた挙句、
頼って欲しかった、
そして、
少し前に保健室に来た時に清々しくバイトを辞めると言っていたことが引っかかっていた、と言われた。
「もう死ぬなんて絶対思わないで。頼りないかもしれないけど頼ってよ、私たちはそのためにいるんだから…無駄にいつも愚痴聞いてるわけじゃないんだよ」
うんうんと頷いてはいたものの、私はどんなに説得をされても自殺を辞める気にはなれなかった。
やめるやめる、絶対やめるからさ、
……早くこの話おわらせよ?
釈放(言い方の妙)されたあとも、
ふらふらと街中を宛もなく歩いて
手紙を書けなくなった、というか、あれだけ書いたのに没収されて同じ内容の手紙をまた時間をかけて書く気力などなかった。
SNSのアカウントにも複数の趣味垢で5月末に活動停止と書いたり、仲のいい人向けの限定公開をしたタイムラインに、自分が後戻り出来ないようにちゃんと死ぬことを公開した、そして、あなた達のせいではないよと。
準備は着々と進めていた。
SNSで仲良くなった人達から、やめてやめてと連絡は来た。
それでも辞める気はなかったから、最後のお詫びとして自分の地方の銘菓をそれぞれに送った。
リアルの友達で中学からもう知り合って7年ほどになる奴が学校を休んで私に逢いに来たこともあった。
私の家に泊まりにおいで、と。
一緒に買い出しに行き料理を作り、テレビを見たり動画を見たりした。
「普段はお父さんが厳しくて友達を家に泊まらせることほとんど無いんだけど、お父さんに友達がこういう状態だから家に泊めたいって話して許可もらったの。いいよって。それで何がが変わるならって。…ねぇ、まだ気が変わらない?お前は自分のことなんて居なくなってもいいとか思ってるだろうけど、そんなこと思わない奴が少なくともここに1人はいるってことは知っといてよ。私の中でお前って存在、結構大きいんだけど」
と、布団の中でボソリと言われた。
それでも気は変わらなかった。
死ななきゃいけない、何も変わらない。
どうせいつかは私のことを忘れるのだから。
SNSで知り合って実際に会ったことのある子からも、旅行ついでに会いに来てよと言われた。
終身旅行という名目で行くつもりだったし、ついでに銘菓も渡すことにしていた。
そこから帰ってきたらもう死のうと思った。
5月30日、約束の友達との予定が終わり、やっとこれで残すは終身旅行となる。
その日がバイトも最後だった。
何となくだが体調が悪かった。こんな時期に風邪か熱か、とことん私の人生は最後までついてないなと思った。
SNSの友達に会いに行き、現地を楽しんだ。
本当に明日の朝に帰ったら実行するんだとか一切思わないくらい楽しんだ。
夜行バスの待ち時間に、いよいよお別れだねという話をしていた。
「ほんとに、許さないからね。なかなかお互い会えないけどアカウントはずっと繋がってるし、私がSNSで会いたいなって初めて思ったのあなたなんだから、また次も来てくれるって信じてる。私もそっち行く。だから、またね」
うんうんと頷きその場を去る。
夜行バスに乗り込み、現実が押し寄せてきた。
無理だと。次なんてない。
止められるのは嫌いだった。
受け入れて欲しかった。
死ぬけど君らは悪くないからね、
OK把握。
これくらいの軽さでいて欲しかった。
夜行バスの中で乗り物に弱いのもあるが、そこそこ体調が芳しくなく、ずっと帰りつくまでうなされていた。
バスから降りたのは朝の6時前。
どこの飲食店も開いてないような時間。
帰り際に包丁と砥石とその他諸々を購入したかったので店が開くまで近くのコンビニなどで時間を潰そうと思った。
家に帰ることはしたくなかった。
母親たちと顔を合わせたくなかったから。
グダグダしていたら7時頃、薬局が開いた。
この時私は、最後に確かめておきたいことがあった。いや、確かめておきたいというより、ほんの少しの出来心だったのかもしれない。
薬局に向かい、1つ入りのを購入し、トイレへ向かった。
妊娠検査薬
1ヶ月ほど前に学校の部活が同じ奴と、どうせ出来やしないからと避妊せずにやっていた。
少し前も避妊せずとも妊娠しなかったからと、その時は軽く考えていた。
不摂生な生活を送っていたのもある。
結果は、陽性。
見間違いではないかと思った。
初めて使って初めて陽性。
陰性の表示とは完全に違う、
ネットで妊娠検査薬の確実性を調べたらほぼ100%であった。
ついでに調べたら、妊娠初期は風邪に似た症状や吐き気などがするという。
少し前から感じていた体のダルさとはそういう事だった。
まさか、まさかだった。
死のうと思った当日に妊娠が発覚した。
自分の中に命がいることに驚愕した。
関係ない、関係ない、私は死ぬんだ、と。
私は雑貨店に向かうことにした。
包丁を2本、砥石、浴槽洗剤などを購入。
死ぬ時は腹を割いて出血多量で死ぬと決めていた。
家族が出払った家に帰り、
そろそろか、と思いながら。
吐き気と時折来る微睡みを感じながら、
赤ちゃん…いるんだよな。と。
考えることにたまらず、
泊まりをした友達に連絡した。
妊娠したみたいだと。
友達はその日たまたま休んで地元に戻ってきていた。
病院に行こう、
私は病院に行くつもりもなかったが友達から半ば強制的に連行された。
エコーを撮って医師からの言葉
「確実に妊娠してますね」
何かが崩れ去ったような気がした。
帰り道、友達が言った。
「先生にも伝えに行った方がいい。せめて担任、保健室の先生。知らない人からの対応と知ってる人からの対応は違うから」
もう、同意するくらいの気力しかなかった。
悪阻に唸りながらも学校へ着いた。
担任を呼び、個室で話をした。
今日死のうとしたこと、
それから妊娠してしまったこと。
担任はとても驚いていたが(無理もない)、
できる限りの学校での生活のサポートはすると言ってくれた。
保健室の先生も同じようなことを言ってくれた。
だが、先生たちの問題はそこではなく
産むのか産まないのかであった。
私としては、死にたい衝動が消えかかっていた。
自分が死ぬことで他人の命を左右してしまうことがどうしても引っかかってしまった。
たとえ、まだ人間と呼ばれないような小さな命でも、自分の中にある命だと知ったらそれはそれは愛おしくてたまらない気持ちになってしまうのである。
とても自分勝手な生き物だと思わないか?
私はひとしきり悩んだ後に、
行為の相手に連絡をした。
結果は何となくわかっていたが、
エコーの写真を添えて、確実に妊娠しましたと。
「そんなの言われても困る。ゴム無しでいい?って聞いたのは俺だけどお互いの合意だったじゃん」
残ったのは虚無より悲しみより、
怒りだった。
行為するだけの友達ではいたが、ここまで対応が悪いとは思わなかった。
どうするにしろ金がいる。
私は辞めた居酒屋のバイトに事情を話して戻った。
少ない時間でもいいから働かせて欲しいと。
それからも常に悪阻と戦いながら学校とバイトを行き来する生活をした。
死ぬつもりだったから給料日までお金もない、親には頼れない。
食べられるものも限られる、何より悪阻が本当に辛かった。
寝れない、食べれない、しかし食べないと吐いてしまう、相手からの芳しい連絡は何も無い。
何をするにも鬱だった。
授業には休み休み行ったが、教科ごとの先生には事情を話していないので
「早く体調治るといいね」
くらいしか言われることは無かった。
絶望的な生活の中で、
堕胎するにも時間制限がある。
それまでに決めなければいけないのだと。
私の心は産んで育てることを望んでいた。
私が少しでも生きようと前向きに思えたのはこの子が居てくれるからだと。
自分の責任で生まれてしまうのなら、責任をもって育てようと思っていた。
そのために学校の休学制度を聞いたりしていた。
しかし、相手はもちろん堕ろせという。
そのせめぎあいはずっと膠着状態だった。
どちらも引かない、どちらも譲らない。
私は、どうせ隠し通せないだろうと思い母親に妊娠してしまったことを話した。
相手は堕ろせと言っていることも、
私は育てたいと思っていることも、
母親と面と向かって話したのは何年ぶりかというほど、久しぶりに会話をした。
ボロボロ泣きながら今まで私が家族に対して非協力的だったことを謝り、お願いだから産ませて欲しいと頼んだ。
母親は答えを出さずにその日が終わった。
数日後の夜、母親は私に言った
「私は19で最初の子を産んだけど、それは何もやりたいことがなかったから。アンタはやりたいことがあるでしょ。どっちにしても、アンタの好きな方を選んだら?私は選んだ方に協力するから」
と、少し明るい返事を貰えた。
俄然やる気が出てきた。
学校も授業を頑張って受けてキツかったがバイトもした。
相手からの返事は日に日に辛辣にはなっていた。
「親にバレたくない。だから堕ろしてほしい。費用は半分出す。もし俺がその子だったら産まないで欲しかったって思う。俺はその子の父親にはなれない。俺も母子家庭だから父親のいない子の気持ちは痛いほどわかる。っていうかお前は環境的にも金銭的にも子供を育てられるのか?」
自分からは1つも連絡ぜず、責任だけ置き去りにして心無い言葉を送ってくる相手に殺意しか芽生えなかった。
日に日に悪阻も酷くなっていく。
何度も吐いて歩いてても何度も足が止まる。
食べても食べなくても気分が悪い。
部活の大会も迫っていたが、
私は相手と顔を合わせたくなかったので
棄権したいと言った。が、顧問はお前は団体戦の主将だし棄権はチーム全体に関わるから余程の理由がないと厳しい。と言われ、理由を話したら驚きはしていたが「体調などは把握した。それでも出るだけでてほしい」と言われた。
当日、会場まで電車で移動中に2度吐いた。
周りの人に迷惑もかけてしまった。
たくさん謝った。
それでも大会には出た。
ずっと悪阻に魘されていたが、なんと会場のレベルが低くて個人戦で優勝してしまった。
大会中も帰り道も、相手は常に同じ空間にいたのに何も体調を心配する声はかけてこなかったし、そそくさと1人で先に帰っていった。
怒りしか感じなかった。
そのうち、母親がこう言い出した。
「やっぱりあんたには育てられないと思う。(私の兄)に相談したらアイツには無理やろって鼻で笑ってたよ。だから、私もそう思うわ。堕ろしな」
手のひら返し。
私の兄は私の全てを否定するのに、何故それがわかっていて相談なんかしたのか。
それを受け入れる母親にもまた殺意がわいた。
結局コイツらは私なんかに協力する気は無いのだと。
再び死にたい欲が強くなってきた。
「一緒にあの日に死んじゃえばよかったねぇ」
お腹の子に語りかけることも増えた。
カウンセリングも度々受けさせられた。
今の気持ち、体調、どうするか決めた?とか
毎度同じような質問に反吐が出た。
病院への検診も私が負担していた。
週ごとに確実に大きくなっていく。
時間が無い。
早く決断した方がいいですよ、と。
家に帰ると祖父から電話がかかってきた。
「お前、お母さんから聞いたよ。妊娠したんだってな。もう大きい歳だからそういうことをするなとは言わないが、避妊はちゃんとしなさい。そして今回は堕ろしなさい。金額も全部相手に払ってもらいなさい。いいね」
あのクソ親。なんで祖父にまで話したんだ…。
私は1度家出して高校を辞めている時点で祖父母からは秘密裏に嫌われている。
あのバカが勿体ないことをしたと、ずっと言われ続けている。そんな親不孝者が妊娠までしてしまった。
許すわけが無いのだ。
もう、周りから責め立てられ続けて心身ともに限界だった。
自傷行為の傷も日に日に増えて行った。
最低金額で堕胎手術を受けれる期限まで残り2週間を切ったとき、私は保健室の先生に言った。
「もういい、堕ろすよ。みんなからボロクソに責められるのはもう限界」
手術の日取りが決まった。
相手にも金額は折半でいいと言った。
私は親に「堕ろすことに決めたから足りないお金を貸してほしい」と頼んだ。
「家にも金はないから全部は貸せないけど何割かなら」と言われた。
しかし、母親のお得意の手のひら返しがまた始まった。
「じいちゃんからも言われたように相手に全額出してもらいなさい。お金は出しません」と。
私は、妊娠したことはお互いの責任だと思っているから折半は譲れなかった。
相手からも半額はもう貰っていた。
恥を忍んで、友達からお金を借りた。
その友達とその子の母親はとても優しくしてくれた。
これで全ての準備が整ってしまった。
学校を休んで、病院へ行き、絶食状態で気分の悪さは過去1番だった。
手術日を伝えたのに相手からの連絡は無かった。
手術はつつがなく行われた。
私の両腕には下手な看護師の刺した点滴の失敗の痣が醜く残った。
もうお腹には誰もいない。
体調は今までのが嘘だったかのように元気になった。
何も無かったかのような終わり方だった。
手術が終わったあとも相手からの連絡はこなかった。
私には全てに対する怒りしか感情は残っていなかった。連絡もない、悪阻で苦しむ姿を見ているのに体調の1つも心配しない、
妊娠した責任はお互いにあるが、その後の対応の悪さに対しての怒りだった。
腹の虫が収まらないので、
言うだけ言ってやろうと思って
1度会って話そうということがきまった。
その話し合いで、
相手には自分の対応の悪さに対する反省の態度が見られないこと、
妊娠発覚時に既に新しい女を作りかけていたこと、
自分も友達に金を借りる際に最低なヤツだなと2発殴られているから罰を受けてない訳では無いということ、
そんな感じのことだった。
つくづく思った。
人間のクズとはこういうものなのかと。
終わりたくても終わらせられなかった7週間昼夜問わずの悪阻と、
たった2発のパンチがイコールになるのだと考えているのだろうか。
もはや呆れてしまった。
自傷行為の傷は治りきらないままどんどん上書きされていった。
私にはやるせない感情以外、何も感じなかった。
報復したくて、仕方が無いのに周りからそれを止められる。
ならば、私が体験したことは仕方がないの一言で片付けられてしまうのか?
相手のクズな態度を許してやれと?
許せるわけがなかった。
兄も義父もコイツもみんな男とはクズだと思った。
母親も祖父母も、もう信用しない。
相容れようともしないと決めた。
誰かに必要とされたくて外に居場所を求めたらこのザマだった自分も人間の底辺だと再確認した。
腕の点滴の痣は随分前に消えたのに
自傷行為の傷跡と
友達への借金は未だ残り続けている。
私は、周りの友達や先生に支えられながら今も生き長らえてしまっている。
あの時死ねば良かったのにね、
死にたい気持ちは最盛期よりも薄れてはいるが、いつだって死にたい気持ちは変わることは無い。
色んな人から支えられた自己満な恩返しをしている途中だ。
それもいつ終わるか分かりはしない。
終わらなくても、先に死にたくなったら今度は死のうと思う。
せめて、せめて、友達から借りた借金だけは返してから死のう。
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