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29:アラスターの婚約者
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「お噂では耳にしておりましたけれど、ここまで似ておられたらアラスター様がお気にされるのも納得ですわ」
女性は手にした扇を開いて口元を隠したが、その眼差しはフヨウを値踏みしているようだ。少なくとも、フヨウに良い感情を持っている人でないことだけはわかった。
フヨウはどうしたらいいのかわからずに、ただ女性を見上げることしかできない。このアラスターを知っている女性は一体誰なのだろうか。フヨウが困惑していると、女性はすっと目を細める。
「……わたくしはアラスター様の婚約者で、アメリア・メイフィールドと申します」
「こ、婚約者……」
アラスターとセインが縁談の話をしていたことを思い出す。
アメリアと名乗った女性はとても美しいが、アリスンやメガンのような物腰の柔らかい女性としか接してこなかったフヨウには、とても冷たい印象の人に思えた。
「ええ、そうですの。お話を先に進めさせていただきたいと、お会いするたびに申しげていたのですけれど、その度に貴方の後見人をなさっているという理由で先延ばしになっていて……些か……いえ、大変熱心に面倒を見ておられるようですので、わたくしも一度貴方にお会いしてみたいと思いましたの。でも、今日お会いして、どうしてアラスター様があれほど熱心なのかよくわかりましたわ。本当に、身を呈してアラスター様をお救いになったエヴァンス卿にここまで似ておられたら、熱心になってしまうのも仕方のないこと……きっとアラスター様は贖罪のおつもりで、貴方の面倒を見ておられるのね」
彼女のいうエヴァンス卿という人物はきっとキーランという人のことなのだろう。
リアムもアラスターもフヨウを見てキーランと呼んだ。キーランを知るサディアスも、フヨウにその人の姿を重ねたはずだ。
キーランは自分と違って、誰からも大切にされていた存在だったに違いない。だから、彼を知る人たちはキーランに似たフヨウを大切にしてくれたのだ。もしも、フヨウが誰にも似ていないただのフヨウだったら、まだあの路地裏にいたのだろうか。それとも、とっくにどこかでのたれ死んでいただろうか。
「……でも、いくら似ているからと、こんな何処の馬の骨ともわからぬ子供の面倒を見るなんて……」
アメリアは声のトーンを落として、フヨウを睨みつけた。
「アラスター様はお優しい方ですから、勘違いされても仕方のないことだと思いますけど……まさか、貴方。いつまでもあのお屋敷に居られると思っているわけではありませんわよね」
フヨウは黙って首を横に振る。言いたいことはたくさんあるけれど、高圧的なアメリアの態度と言葉に喉が詰まったようになって言葉が全く出てこなかった。泉美の呪縛がフヨウを萎縮させてしまう。
アメリアはフヨウが邪魔なのだ。フヨウがあの屋敷にいる限りアラスターとの結婚はできない。フヨウには一刻も早く屋敷を出て行って欲しいだろう。
「解っていらっしゃるのならよろしいのです。ですけれど、いつまでもあの方のご好意に甘えるのは、およしになった方がよろしくてよ」
アメリアはそういうと、開いて口元隠していた扇をぱしんと閉じる。鋭いその音にフヨウはびくりと体を震わせた。あの扇で叩かれるのだろうか。泉美は気に入らないことがあれば、容赦なくフヨウを叩いた。もう忘れたと思っていた母親の影を、アメリアは仕草ひとつでいとも簡単に思い出させる。
「……貴方が賢いお方でよかったわ。それでは御機嫌よう」
アメリアはそういうと踵を返し店を出て行く。ちりりんとベルが鳴りドアが閉まると同時に、強張って居たフヨウの体から力が抜けた。
_あの人が、アルの婚約者……_
これからアラスターの隣に立つことになる人。
とても美しい人だ。でも、とも思う。アラスターにはアリスンやメガンのような、優しい女性に寄り添って欲しい。
_お荷物の僕が思うことじゃないな_
フヨウはため息をつくと、手元の薬草に視線を落とす。
「早くこれを分けてしまわないとね」
すっかり気鬱になってしまったけれど、任された仕事はしっかりとやらなければいけない。信用されて仕事を任されている以上、自分のことでユージーンに迷惑をかけてはいけないのだ。
フヨウは余計なことを考えないように、ひたすら薬草に向き合った。
夕刻迎えに来たアラスターには、いつものように一日のことを聞かれたけれど、アメリアが店にやって来た事は言わなかった。アラスターがフヨウに婚約者がいることを言わないのは、きっとフヨウが知る必要のない事だからだ。
思わぬ形で知ってしまったけれど、自分から言いだしていいようなことではないと思えた。
それよりも、できるだけ早く屋敷から出ていけるように準備を始めなければならない。この世界での知識がないフヨウだけれど、家を借りて一人で生活するにはお金がかかることぐらいは解っている。
ユージーンの店で働くようになって、いくらかお給料をもらえるようになった。
一番最初にもらったお給料を、お世話になっているからと全てアラスターに渡そうとしたら、それはフヨウのお金だと受け取ってはもらえなかった。好きなものを買ったらいいと言われても、フヨウに欲しいものはない。色々と考えて、アリスンとメガンに小さな花束を贈り、残りは手付かずのまま置いてある。本当はアラスターやセインにも何か送りたかったけれど、結局何も思いつかなかったのだ。
とりあえず、ユージーンのお店で働いている限りは定期的に収入がある。けれど、王都に部屋を借りるつもりならば、きっとフヨウの持っているお金ではとても足りないだろう。フヨウの世界でも都市部は家賃が高かったのだ。世間知らずのフヨウでも、それくらいの想像はつく。
とはいえ、お金が貯まるまで屋敷にいては、またアメリアの心象を悪くしてしまうに違いない。アラスターの婚約者だ。できれば嫌われないようにしたかった。
さすがに野宿はできない。また奴隷商人のような男たちに捕まったらと思うと、全身に震えが走った。もうあんな思いはしたくない。フヨウはユージーンが言ってくれたように、薬師になりたいのだ。
そういえば、ユージーンのお店の奥には、薬草を保管しておく部屋と掃除道具や空の木箱をしまっておく倉庫のような部屋があった。部屋が借りられるようになるまでは、その倉庫の隅にでも寝泊まりさせてもらえるようお願いできないだろうか。
倉庫で寝泊まりをすれば、一日中お店の手伝いができる上に、薬のことも早く覚えられる。それはなんだかとてもいい考えに思えた。ユージーンに相談すればきっと力になってくれるはずだ。
ユージーンはいい人だ。フヨウをアラスターのところに連れてきてくれた人でもある。たとえそれが、キーランに似ているフヨウだからしてくれた親切でも。フヨウがいつのまにか迷い込んだこの世界には、自動保護施設のようなものはなく、その親切がなければ、フヨウはこの世界で生きて行くことができなかった。
今は頼るばかりで何も返せないけれど、一人で生きて行けるようになった時にきっと恩返しをする。
フヨウは胸の内で、そう強く誓った。
女性は手にした扇を開いて口元を隠したが、その眼差しはフヨウを値踏みしているようだ。少なくとも、フヨウに良い感情を持っている人でないことだけはわかった。
フヨウはどうしたらいいのかわからずに、ただ女性を見上げることしかできない。このアラスターを知っている女性は一体誰なのだろうか。フヨウが困惑していると、女性はすっと目を細める。
「……わたくしはアラスター様の婚約者で、アメリア・メイフィールドと申します」
「こ、婚約者……」
アラスターとセインが縁談の話をしていたことを思い出す。
アメリアと名乗った女性はとても美しいが、アリスンやメガンのような物腰の柔らかい女性としか接してこなかったフヨウには、とても冷たい印象の人に思えた。
「ええ、そうですの。お話を先に進めさせていただきたいと、お会いするたびに申しげていたのですけれど、その度に貴方の後見人をなさっているという理由で先延ばしになっていて……些か……いえ、大変熱心に面倒を見ておられるようですので、わたくしも一度貴方にお会いしてみたいと思いましたの。でも、今日お会いして、どうしてアラスター様があれほど熱心なのかよくわかりましたわ。本当に、身を呈してアラスター様をお救いになったエヴァンス卿にここまで似ておられたら、熱心になってしまうのも仕方のないこと……きっとアラスター様は贖罪のおつもりで、貴方の面倒を見ておられるのね」
彼女のいうエヴァンス卿という人物はきっとキーランという人のことなのだろう。
リアムもアラスターもフヨウを見てキーランと呼んだ。キーランを知るサディアスも、フヨウにその人の姿を重ねたはずだ。
キーランは自分と違って、誰からも大切にされていた存在だったに違いない。だから、彼を知る人たちはキーランに似たフヨウを大切にしてくれたのだ。もしも、フヨウが誰にも似ていないただのフヨウだったら、まだあの路地裏にいたのだろうか。それとも、とっくにどこかでのたれ死んでいただろうか。
「……でも、いくら似ているからと、こんな何処の馬の骨ともわからぬ子供の面倒を見るなんて……」
アメリアは声のトーンを落として、フヨウを睨みつけた。
「アラスター様はお優しい方ですから、勘違いされても仕方のないことだと思いますけど……まさか、貴方。いつまでもあのお屋敷に居られると思っているわけではありませんわよね」
フヨウは黙って首を横に振る。言いたいことはたくさんあるけれど、高圧的なアメリアの態度と言葉に喉が詰まったようになって言葉が全く出てこなかった。泉美の呪縛がフヨウを萎縮させてしまう。
アメリアはフヨウが邪魔なのだ。フヨウがあの屋敷にいる限りアラスターとの結婚はできない。フヨウには一刻も早く屋敷を出て行って欲しいだろう。
「解っていらっしゃるのならよろしいのです。ですけれど、いつまでもあの方のご好意に甘えるのは、およしになった方がよろしくてよ」
アメリアはそういうと、開いて口元隠していた扇をぱしんと閉じる。鋭いその音にフヨウはびくりと体を震わせた。あの扇で叩かれるのだろうか。泉美は気に入らないことがあれば、容赦なくフヨウを叩いた。もう忘れたと思っていた母親の影を、アメリアは仕草ひとつでいとも簡単に思い出させる。
「……貴方が賢いお方でよかったわ。それでは御機嫌よう」
アメリアはそういうと踵を返し店を出て行く。ちりりんとベルが鳴りドアが閉まると同時に、強張って居たフヨウの体から力が抜けた。
_あの人が、アルの婚約者……_
これからアラスターの隣に立つことになる人。
とても美しい人だ。でも、とも思う。アラスターにはアリスンやメガンのような、優しい女性に寄り添って欲しい。
_お荷物の僕が思うことじゃないな_
フヨウはため息をつくと、手元の薬草に視線を落とす。
「早くこれを分けてしまわないとね」
すっかり気鬱になってしまったけれど、任された仕事はしっかりとやらなければいけない。信用されて仕事を任されている以上、自分のことでユージーンに迷惑をかけてはいけないのだ。
フヨウは余計なことを考えないように、ひたすら薬草に向き合った。
夕刻迎えに来たアラスターには、いつものように一日のことを聞かれたけれど、アメリアが店にやって来た事は言わなかった。アラスターがフヨウに婚約者がいることを言わないのは、きっとフヨウが知る必要のない事だからだ。
思わぬ形で知ってしまったけれど、自分から言いだしていいようなことではないと思えた。
それよりも、できるだけ早く屋敷から出ていけるように準備を始めなければならない。この世界での知識がないフヨウだけれど、家を借りて一人で生活するにはお金がかかることぐらいは解っている。
ユージーンの店で働くようになって、いくらかお給料をもらえるようになった。
一番最初にもらったお給料を、お世話になっているからと全てアラスターに渡そうとしたら、それはフヨウのお金だと受け取ってはもらえなかった。好きなものを買ったらいいと言われても、フヨウに欲しいものはない。色々と考えて、アリスンとメガンに小さな花束を贈り、残りは手付かずのまま置いてある。本当はアラスターやセインにも何か送りたかったけれど、結局何も思いつかなかったのだ。
とりあえず、ユージーンのお店で働いている限りは定期的に収入がある。けれど、王都に部屋を借りるつもりならば、きっとフヨウの持っているお金ではとても足りないだろう。フヨウの世界でも都市部は家賃が高かったのだ。世間知らずのフヨウでも、それくらいの想像はつく。
とはいえ、お金が貯まるまで屋敷にいては、またアメリアの心象を悪くしてしまうに違いない。アラスターの婚約者だ。できれば嫌われないようにしたかった。
さすがに野宿はできない。また奴隷商人のような男たちに捕まったらと思うと、全身に震えが走った。もうあんな思いはしたくない。フヨウはユージーンが言ってくれたように、薬師になりたいのだ。
そういえば、ユージーンのお店の奥には、薬草を保管しておく部屋と掃除道具や空の木箱をしまっておく倉庫のような部屋があった。部屋が借りられるようになるまでは、その倉庫の隅にでも寝泊まりさせてもらえるようお願いできないだろうか。
倉庫で寝泊まりをすれば、一日中お店の手伝いができる上に、薬のことも早く覚えられる。それはなんだかとてもいい考えに思えた。ユージーンに相談すればきっと力になってくれるはずだ。
ユージーンはいい人だ。フヨウをアラスターのところに連れてきてくれた人でもある。たとえそれが、キーランに似ているフヨウだからしてくれた親切でも。フヨウがいつのまにか迷い込んだこの世界には、自動保護施設のようなものはなく、その親切がなければ、フヨウはこの世界で生きて行くことができなかった。
今は頼るばかりで何も返せないけれど、一人で生きて行けるようになった時にきっと恩返しをする。
フヨウは胸の内で、そう強く誓った。
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