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27:ユージーンの薬屋
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「よ、よろしくお願いします」
緊張に顔を強張らせているフヨウに、ユージーンは笑う。
「そんなに緊張しないで。気楽にして」
久しぶりに顔を合わせたフヨウは、すっかり健康的な成長をしていた。
アラスターにフヨウを預けたばかりの頃は、ユージーンも時折様子を見に行っていたが、近頃はすっかり顔を出さなくなっていた。アラスターも世捨て人のような生活態度を改めていたし、最低限ではあるものの使用人を呼び戻し、しっかりとフヨウの面倒を見ていたからだ。
フヨウはきちんとした教育を受けたのだろう。雰囲気も洗練されて、貴族の子息といっても何ら遜色はない。やせ細っておどおどしていた頃の面影は最早無く、彼がかつては奴隷だったとは思えない。
「そうだな、まずは掃き掃除からやってもらおうかな?」
「はい」
手渡した箒を意外にしっかりとした手つきで扱うフヨウにその場を任せて、ユージーンは調薬の準備を始める。
頼みがある、とアラスターが店にやって来たのは、一週間前のことだ。
久しぶりに店に現れたアラスターはひどく深刻な顔をしていたので、一体何があったのかと流石のユージーンも身構えてしまった。何しろ、大抵の問題や厄介ごとは自分で解決できてしまう男だ。そのアラスターの手に負えない案件とは、一体どれほどの事なのか。
しかし、彼は長い付き合いの友人だ。できれば、自分に何とかできる頼みごとであって欲しいと思いながら、ユージーンは神妙にアラスターの言葉を待った。
「……フヨウをこの店で働かせてはもらえないだろうか?」
「……え?」
思いもよらない依頼に、ユージーンはまじまじとアラスターの顔を見つめた。
アラスターがフヨウを溺愛して一人では屋敷の外にも出さないのだと、かつてアラスターの補佐をしていたサイラスに聞いたのはつい最近だ。
一度フヨウを怯えさせてしまったサイラスは、直接フヨウに会うことは許されていないそうだ。手土産を持ってゆけば、フヨウからのお礼状は渡されるが、それ以上の接触はアラスターから禁止されている。まるで文通のようですよと、サイラスは苦笑いを浮かべた。
その余りにも過保護な様子に、ユージーンは些か呆れていた。
しかし、こうしてこの店に来たということはフヨウを籠の鳥にするつもりはないようだ。
アラスターの頼みに、ユージーンは逡巡する。アラスターによって過保護に養育されたフヨウの労働力には、あまり期待しない方がいいだろう。それに、フヨウは本人ゆえにキーランに似すぎているのだ。キーランを知る者は、フヨウを見て血の繋がりを疑いはしないだろう。ユージーンの店には騎士団の者が時折出入りをする。彼らの中には、キーランを知る者もいたはずだ。
しかし、いくらキーランと瓜二つだとはいえ、フヨウが転生したキーランだと考える者は流石にいないだろう。それならば問題はないかと、ユージーンは楽観的に判断した。
「わかった。いいよ、ちょうど働き手が欲しかったところなんだ」
「そうか……恩に着る」
ユージーンの予想を裏切り、フヨウは与えた作業をそつなくこなしている。ユージーンもこれならと、もう少し複雑な仕事を任せてみた。素材の入った瓶に貼るラベルを作らせれば、綺麗な読みやすい字で仕上げる。道具の扱いも丁寧だ。これはユージーンにとって予想外だった。王都で募集した人間を使うよりも余程仕事ができそうだ。
この一年、殆ど箱入りで過ごしていたというのに、要領よく仕事を片付けてゆく様子は、嘗ての彼を彷彿とさせる。生まれ変わっても、キーランはキーランということなのだろう。
作業を教える手間もあまりなく、時間に余裕ができたので、ユージーンは自身がブレンドしたハーブティーを振る舞う事にした。親しい者だけに出す特別なお茶だ。
仕事中だからと遠慮するフヨウに、屋敷でも午前と午後にお茶の時間があるように、この店にもお茶の時間があるんだよと言えば、遠慮しながらも用意した椅子に腰掛けた。
ちょこんと座りカップに口をつけるフヨウの様子に、幾許かの庇護欲を掻き立てられたユージーンは、不覚にもアラスターの気持ちがわかったような気がしてしまった。
「……美味しい、」
お茶を一口飲んだフヨウは、ほぅと溜息を零し呟く。素直な賛辞に、ユージーンは気を良くした。
「それは嬉しい感想だね。このお茶は僕がブレンドしたんだ」
「そうなんですか、すごくいい香りですっきりしています……」
「今度フヨウもブレンドに挑戦してみる?」
「……え、僕にもできるんですか?」
「もちろん」
フヨウは表情を輝かせる。
仕事ぶりを見る限りでは、要領がよく手先も器用だ。これなら薬作りもできるだろう。まずは簡単なお茶の合組を教えて、それから薬の作り方を覚えてもらえばいい。魔力はあるとアラスターからは聞いて居るので、問題なく薬を作れるはずだ。
これはいい弟子ができたと、思わぬ収穫にユージーンは笑顔を浮かべた。
フヨウの仕事ぶりは、初日にしては上出来だった。
「フヨウ、今日はもう上がっていいよ」
ユージーンに声をかけられたフヨウは薬瓶を洗っていた手を止め、顔を上げる。
「え、でも、まだ仕事が残っているので……」
「初日から頑張りすぎると、後が続かないよ。それにあまり遅くなると、アラスターが心配するしね……ほら」
ユージーンが視線を扉に向けたのと殆ど同時に、来客を知らせるベルがちりりんと鳴る。
「フヨウ、迎えに来た」
案の定、扉を開けたのはアラスターだ。
「……! お迎えはメガンさんじゃ……」
「メガンは急な用事ができて、迎えに来られなくなった」
それは違うだろう、とユージーンは胸の内で横槍を入れる。アラスターは屋敷でフヨウを待つことができずに、自ら迎えを志願したに違いない。
フヨウを手放す気が無いのは解るが、それにしてももう少しフヨウ離れができなければ、フヨウの方がアラスターから逃げ出してしまうのでは無いかと些か不安になる。
「……ほら、迎えが来たことだし、残りは明日お願いするよ」
「はい」
フヨウははにかむような笑顔で返事をすると、しっかりと流し場の後片付けをしてからユージーンにぺこりと頭を下げた。
「ユージーンさん、お先に失礼致します」
「世話になったな」
アラスターはフヨウの肩を抱き寄せると、店を出てゆく。
二人の後ろ姿を見送ったユージーンは肩をすくめた。
「僕にはフヨウの方が余程しっかりしているように見えるよ……」
緊張に顔を強張らせているフヨウに、ユージーンは笑う。
「そんなに緊張しないで。気楽にして」
久しぶりに顔を合わせたフヨウは、すっかり健康的な成長をしていた。
アラスターにフヨウを預けたばかりの頃は、ユージーンも時折様子を見に行っていたが、近頃はすっかり顔を出さなくなっていた。アラスターも世捨て人のような生活態度を改めていたし、最低限ではあるものの使用人を呼び戻し、しっかりとフヨウの面倒を見ていたからだ。
フヨウはきちんとした教育を受けたのだろう。雰囲気も洗練されて、貴族の子息といっても何ら遜色はない。やせ細っておどおどしていた頃の面影は最早無く、彼がかつては奴隷だったとは思えない。
「そうだな、まずは掃き掃除からやってもらおうかな?」
「はい」
手渡した箒を意外にしっかりとした手つきで扱うフヨウにその場を任せて、ユージーンは調薬の準備を始める。
頼みがある、とアラスターが店にやって来たのは、一週間前のことだ。
久しぶりに店に現れたアラスターはひどく深刻な顔をしていたので、一体何があったのかと流石のユージーンも身構えてしまった。何しろ、大抵の問題や厄介ごとは自分で解決できてしまう男だ。そのアラスターの手に負えない案件とは、一体どれほどの事なのか。
しかし、彼は長い付き合いの友人だ。できれば、自分に何とかできる頼みごとであって欲しいと思いながら、ユージーンは神妙にアラスターの言葉を待った。
「……フヨウをこの店で働かせてはもらえないだろうか?」
「……え?」
思いもよらない依頼に、ユージーンはまじまじとアラスターの顔を見つめた。
アラスターがフヨウを溺愛して一人では屋敷の外にも出さないのだと、かつてアラスターの補佐をしていたサイラスに聞いたのはつい最近だ。
一度フヨウを怯えさせてしまったサイラスは、直接フヨウに会うことは許されていないそうだ。手土産を持ってゆけば、フヨウからのお礼状は渡されるが、それ以上の接触はアラスターから禁止されている。まるで文通のようですよと、サイラスは苦笑いを浮かべた。
その余りにも過保護な様子に、ユージーンは些か呆れていた。
しかし、こうしてこの店に来たということはフヨウを籠の鳥にするつもりはないようだ。
アラスターの頼みに、ユージーンは逡巡する。アラスターによって過保護に養育されたフヨウの労働力には、あまり期待しない方がいいだろう。それに、フヨウは本人ゆえにキーランに似すぎているのだ。キーランを知る者は、フヨウを見て血の繋がりを疑いはしないだろう。ユージーンの店には騎士団の者が時折出入りをする。彼らの中には、キーランを知る者もいたはずだ。
しかし、いくらキーランと瓜二つだとはいえ、フヨウが転生したキーランだと考える者は流石にいないだろう。それならば問題はないかと、ユージーンは楽観的に判断した。
「わかった。いいよ、ちょうど働き手が欲しかったところなんだ」
「そうか……恩に着る」
ユージーンの予想を裏切り、フヨウは与えた作業をそつなくこなしている。ユージーンもこれならと、もう少し複雑な仕事を任せてみた。素材の入った瓶に貼るラベルを作らせれば、綺麗な読みやすい字で仕上げる。道具の扱いも丁寧だ。これはユージーンにとって予想外だった。王都で募集した人間を使うよりも余程仕事ができそうだ。
この一年、殆ど箱入りで過ごしていたというのに、要領よく仕事を片付けてゆく様子は、嘗ての彼を彷彿とさせる。生まれ変わっても、キーランはキーランということなのだろう。
作業を教える手間もあまりなく、時間に余裕ができたので、ユージーンは自身がブレンドしたハーブティーを振る舞う事にした。親しい者だけに出す特別なお茶だ。
仕事中だからと遠慮するフヨウに、屋敷でも午前と午後にお茶の時間があるように、この店にもお茶の時間があるんだよと言えば、遠慮しながらも用意した椅子に腰掛けた。
ちょこんと座りカップに口をつけるフヨウの様子に、幾許かの庇護欲を掻き立てられたユージーンは、不覚にもアラスターの気持ちがわかったような気がしてしまった。
「……美味しい、」
お茶を一口飲んだフヨウは、ほぅと溜息を零し呟く。素直な賛辞に、ユージーンは気を良くした。
「それは嬉しい感想だね。このお茶は僕がブレンドしたんだ」
「そうなんですか、すごくいい香りですっきりしています……」
「今度フヨウもブレンドに挑戦してみる?」
「……え、僕にもできるんですか?」
「もちろん」
フヨウは表情を輝かせる。
仕事ぶりを見る限りでは、要領がよく手先も器用だ。これなら薬作りもできるだろう。まずは簡単なお茶の合組を教えて、それから薬の作り方を覚えてもらえばいい。魔力はあるとアラスターからは聞いて居るので、問題なく薬を作れるはずだ。
これはいい弟子ができたと、思わぬ収穫にユージーンは笑顔を浮かべた。
フヨウの仕事ぶりは、初日にしては上出来だった。
「フヨウ、今日はもう上がっていいよ」
ユージーンに声をかけられたフヨウは薬瓶を洗っていた手を止め、顔を上げる。
「え、でも、まだ仕事が残っているので……」
「初日から頑張りすぎると、後が続かないよ。それにあまり遅くなると、アラスターが心配するしね……ほら」
ユージーンが視線を扉に向けたのと殆ど同時に、来客を知らせるベルがちりりんと鳴る。
「フヨウ、迎えに来た」
案の定、扉を開けたのはアラスターだ。
「……! お迎えはメガンさんじゃ……」
「メガンは急な用事ができて、迎えに来られなくなった」
それは違うだろう、とユージーンは胸の内で横槍を入れる。アラスターは屋敷でフヨウを待つことができずに、自ら迎えを志願したに違いない。
フヨウを手放す気が無いのは解るが、それにしてももう少しフヨウ離れができなければ、フヨウの方がアラスターから逃げ出してしまうのでは無いかと些か不安になる。
「……ほら、迎えが来たことだし、残りは明日お願いするよ」
「はい」
フヨウははにかむような笑顔で返事をすると、しっかりと流し場の後片付けをしてからユージーンにぺこりと頭を下げた。
「ユージーンさん、お先に失礼致します」
「世話になったな」
アラスターはフヨウの肩を抱き寄せると、店を出てゆく。
二人の後ろ姿を見送ったユージーンは肩をすくめた。
「僕にはフヨウの方が余程しっかりしているように見えるよ……」
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