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23:無題
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目を覚ましたフヨウは、窓の外に視線を向ける。眼下の森は朝靄で霞み、昇りかけの朝日が静謐な空を白く輝かせる。フヨウはこの窓から見る朝の景色がとても好きだ。
アラスターは疾うに起きたようで、隣のベッドはすでに空になっていた。夜遅くにベッドに入り、朝も早く起きているので、ちゃんと眠っているのか少し心配になってしまう。
フヨウは身支度を整えると、部屋を出て長い階段を静かに下りる。
アラスターはいつも何処にいるのだろうか、そんなことを考えながら外に出ると、朝の清涼な空気を胸一杯に吸い込む。
「よぉ、おはようさん」
声を掛けられて振り返れば、丁度サディアスが泉の方から歩いてくる所だった。木剣を手にしているところを見ると、鍛錬でもしていたのだろう。
「お、おはようございます」
昨日出会った時には怖いと思ったサディアスと、一晩経っても緊張せずに会話ができることにほっとした。サディアスの方も、フヨウに気を使っているのだろう。適度な距離を保ってくれている。
「随分と早起きだな」
「なんだか目が覚めてしまって……それに、アルも、もう起きて何処かに行ってるみたいです」
「ああ、あいつは多分図書室だ。此処で修行してた時も、大体図書室にいた。此処には大賢者が各地で収集してきた魔法の本がごまんとあるからなぁ」
サディアスはそう言いながら塔を見上げる。
「サディアスさんも、塔で修行したんですか?」
「いいや、宿代わりに使わせてもらっているだけだ。俺は剣士だから、ここで学べることはないな」
「そうなんですか……」
フヨウは少し考えてから、口を開く。昨夜気になったことを聞きたかった。
「あの……昨日、サディアスさんは、僕を誰かと間違えてましたよね。ま、前にも……間違えられた事があるんですけど……僕ってそんなに誰かに似てるんですか?」
この不思議な世界に、日本から来た自分に似た人がいるなんて。どんな人なのか知りたいと思う。
「…………」
サディアスは青い瞳でじっとフヨウの顔を見つめる。あまり見つめられると、どうしていいのかわからなくなって、そわそわと落ち着かない気分になってしまう。
「あ、あの?」
「そうだな、とても似ている。特に黒い髪と目の色が……」
「そ、そうなんですか。えっと、僕の国では黒髪は珍しくないんですけど、こんな目の色している人はいなくて……」
フヨウは、それ以上何も話せず口を閉じる。サディアスの雰囲気が少し硬くなった気がした。
幼い頃から、泉美の機嫌を伺って暮らしていたフヨウだ。だから、負に近い感情は敏感に感じ取る。サディアスは機嫌を悪くしたわけではなさそうだが、この話は積極的にしたい話題ではなかったらしい。
「魔法剣士で、俺と同じ双剣の使い手だった」
ぽつりとサディアスが言葉を零す。
_……だった?_
「そいつの剣は俺が教えたんだ。魔法の才能もあるやつで、いずれはこの塔を継ぐはずだった」
やはり過去形だ。もしかしたら、その人はもう何処にもいないのかもしれない。そうだとしたら、サディアスにとっては辛い話だろう。聞いてはいけないことを聞いてしまった。こんな時、フヨウは何を言ったらいいのかわからない。
「サ、サディアスさん、僕、」
「フヨウ!」
突然強く名前を呼ばれ、フヨウはびくりと体を跳ね上げた。塔から出て来たアラスターが、足早にこちらに向かってくる。
「どうした? 何をしている?」
ぐいと強い力でアラスターに抱き寄せられた。なぜだろうか、アラスターの機嫌があまり良くない。声に棘が混じっている。
「何もしちゃぁいねぇよ。ちょいと世間話をしてただけだ。そんなにピリピリするな」
昔からそうだった。フヨウが話しかけると、会話が止まり場の空気が悪くなる。泉美にも良く黙っていろと言われていた。だから、フヨウはできるだけ、誰とも話さないように過ごして来たのだ。サディアスと話せるようになったからと、少し調子に乗りすぎたのかもしれない。何も知らないくせに、聞いてははいけないことをサディアスに聞いてしまった。だからアラスターも機嫌が悪いのだ。今まで通りに、聞かれたことにだけ答えていればよかった。やってしまった失敗に、指先が冷たくなってゆく。
「……ご、ごめんなさい、」
フヨウは俯いて唇を噛む。
「フヨウが謝るようなことじゃないだろ。アルが狭量なだけだ。さぁ、朝飯にしようぜ。腹減っちまった」
サディアスはそう言うと、フヨウの頭を大きな手でポンポンと叩き、塔に戻ってゆく。フヨウは俯いたまま靴の爪先を見つめる。顔を上げてアラスターの顔を見るのが怖かった。
「……サディアスの言う通りだ、お前は何も悪くない」
アラスターはいつもの優しい笑みでフヨウを抱き上げると、強く抱きしめた。
「そろそろ、王都の屋敷に帰ろう。いい加減アリスンとメガンが心配しているだろう」
「……はい」
塔での生活は楽しいけれど、アリスンとメガンの名前を出されてしまえば、二人を姉のように慕っているフヨウに否はない。
明日には王都に戻ることを大賢者に告げると、魔法に興味があるなら好きな本を持って帰ってもいいといってくれた。読み書きはまだ完璧ではないが、時間をかければ読めるかもしれないと、興味を持った本を数冊借りることにした。午前中は図書室で本を選び、午後は泉を見にいったり森を歩いたりとゆっくり過ごした。次はいつここに来られるかわからない。もしかしたら、二度と来られないかもしれないのだから、できるだけ色々な処を記憶に残しておきたかった。初めて会った大賢者も、ここに漂う空気も、まるで懐かしい場所に帰ってきたような、そんな不思議な感覚があったのだ。不便そうな場所ではあるけれど、此処で暮らせと言われたら、問題なく生活していけるのではないかとおもう。
夕食は昨夜と同じくサディアスが作ってくれた。ドライトマトと砕いた硬いチーズが入ったスープは美味しかったけれど、昨夜のように会話は弾まなかった。フヨウが今朝の反省を踏まえて、一言も喋らなかったからだ。空気のように黙っていることには慣れている。
「フヨウ、今朝はすまなかった」
フヨウがベッドに潜り込もうとしていると、遅れて部屋に戻って来たアラスターが謝罪をした。一体何の謝罪かわからず、フヨウは首を傾げる。
「……今朝のことだ。サディアスの言う通り、俺は狭量な男だ」
「ち、違います。い、いつもそうなんだ……僕が話し出すと、空気が悪くなる。お母さんにも黙ってろって、いつも言われてた……それなのに、調子に乗って喋ったりとかして、サディアスさんが答えにくい事を聞いてしまったみたい。だっ、だから、アルは悪くないです」
「……フヨウ……」
アラスターは眉間にしわを寄せてフヨウを見た。
フヨウは自分が駄目な子であることを嫌という程分かっている。母親にすら嫌われているのだ。気持ちが悪くて、気味が悪いフヨウに人から好かれる要素はない。
けれど、他の誰に嫌われても、アラスターにだけは嫌われたくないと思う。この知らない世界で、たった一人の頼れる人。けれど、それだけではない。フヨウは嫌われたくないと思うほどに、アラスターが好きなのだ。
アラスターは疾うに起きたようで、隣のベッドはすでに空になっていた。夜遅くにベッドに入り、朝も早く起きているので、ちゃんと眠っているのか少し心配になってしまう。
フヨウは身支度を整えると、部屋を出て長い階段を静かに下りる。
アラスターはいつも何処にいるのだろうか、そんなことを考えながら外に出ると、朝の清涼な空気を胸一杯に吸い込む。
「よぉ、おはようさん」
声を掛けられて振り返れば、丁度サディアスが泉の方から歩いてくる所だった。木剣を手にしているところを見ると、鍛錬でもしていたのだろう。
「お、おはようございます」
昨日出会った時には怖いと思ったサディアスと、一晩経っても緊張せずに会話ができることにほっとした。サディアスの方も、フヨウに気を使っているのだろう。適度な距離を保ってくれている。
「随分と早起きだな」
「なんだか目が覚めてしまって……それに、アルも、もう起きて何処かに行ってるみたいです」
「ああ、あいつは多分図書室だ。此処で修行してた時も、大体図書室にいた。此処には大賢者が各地で収集してきた魔法の本がごまんとあるからなぁ」
サディアスはそう言いながら塔を見上げる。
「サディアスさんも、塔で修行したんですか?」
「いいや、宿代わりに使わせてもらっているだけだ。俺は剣士だから、ここで学べることはないな」
「そうなんですか……」
フヨウは少し考えてから、口を開く。昨夜気になったことを聞きたかった。
「あの……昨日、サディアスさんは、僕を誰かと間違えてましたよね。ま、前にも……間違えられた事があるんですけど……僕ってそんなに誰かに似てるんですか?」
この不思議な世界に、日本から来た自分に似た人がいるなんて。どんな人なのか知りたいと思う。
「…………」
サディアスは青い瞳でじっとフヨウの顔を見つめる。あまり見つめられると、どうしていいのかわからなくなって、そわそわと落ち着かない気分になってしまう。
「あ、あの?」
「そうだな、とても似ている。特に黒い髪と目の色が……」
「そ、そうなんですか。えっと、僕の国では黒髪は珍しくないんですけど、こんな目の色している人はいなくて……」
フヨウは、それ以上何も話せず口を閉じる。サディアスの雰囲気が少し硬くなった気がした。
幼い頃から、泉美の機嫌を伺って暮らしていたフヨウだ。だから、負に近い感情は敏感に感じ取る。サディアスは機嫌を悪くしたわけではなさそうだが、この話は積極的にしたい話題ではなかったらしい。
「魔法剣士で、俺と同じ双剣の使い手だった」
ぽつりとサディアスが言葉を零す。
_……だった?_
「そいつの剣は俺が教えたんだ。魔法の才能もあるやつで、いずれはこの塔を継ぐはずだった」
やはり過去形だ。もしかしたら、その人はもう何処にもいないのかもしれない。そうだとしたら、サディアスにとっては辛い話だろう。聞いてはいけないことを聞いてしまった。こんな時、フヨウは何を言ったらいいのかわからない。
「サ、サディアスさん、僕、」
「フヨウ!」
突然強く名前を呼ばれ、フヨウはびくりと体を跳ね上げた。塔から出て来たアラスターが、足早にこちらに向かってくる。
「どうした? 何をしている?」
ぐいと強い力でアラスターに抱き寄せられた。なぜだろうか、アラスターの機嫌があまり良くない。声に棘が混じっている。
「何もしちゃぁいねぇよ。ちょいと世間話をしてただけだ。そんなにピリピリするな」
昔からそうだった。フヨウが話しかけると、会話が止まり場の空気が悪くなる。泉美にも良く黙っていろと言われていた。だから、フヨウはできるだけ、誰とも話さないように過ごして来たのだ。サディアスと話せるようになったからと、少し調子に乗りすぎたのかもしれない。何も知らないくせに、聞いてははいけないことをサディアスに聞いてしまった。だからアラスターも機嫌が悪いのだ。今まで通りに、聞かれたことにだけ答えていればよかった。やってしまった失敗に、指先が冷たくなってゆく。
「……ご、ごめんなさい、」
フヨウは俯いて唇を噛む。
「フヨウが謝るようなことじゃないだろ。アルが狭量なだけだ。さぁ、朝飯にしようぜ。腹減っちまった」
サディアスはそう言うと、フヨウの頭を大きな手でポンポンと叩き、塔に戻ってゆく。フヨウは俯いたまま靴の爪先を見つめる。顔を上げてアラスターの顔を見るのが怖かった。
「……サディアスの言う通りだ、お前は何も悪くない」
アラスターはいつもの優しい笑みでフヨウを抱き上げると、強く抱きしめた。
「そろそろ、王都の屋敷に帰ろう。いい加減アリスンとメガンが心配しているだろう」
「……はい」
塔での生活は楽しいけれど、アリスンとメガンの名前を出されてしまえば、二人を姉のように慕っているフヨウに否はない。
明日には王都に戻ることを大賢者に告げると、魔法に興味があるなら好きな本を持って帰ってもいいといってくれた。読み書きはまだ完璧ではないが、時間をかければ読めるかもしれないと、興味を持った本を数冊借りることにした。午前中は図書室で本を選び、午後は泉を見にいったり森を歩いたりとゆっくり過ごした。次はいつここに来られるかわからない。もしかしたら、二度と来られないかもしれないのだから、できるだけ色々な処を記憶に残しておきたかった。初めて会った大賢者も、ここに漂う空気も、まるで懐かしい場所に帰ってきたような、そんな不思議な感覚があったのだ。不便そうな場所ではあるけれど、此処で暮らせと言われたら、問題なく生活していけるのではないかとおもう。
夕食は昨夜と同じくサディアスが作ってくれた。ドライトマトと砕いた硬いチーズが入ったスープは美味しかったけれど、昨夜のように会話は弾まなかった。フヨウが今朝の反省を踏まえて、一言も喋らなかったからだ。空気のように黙っていることには慣れている。
「フヨウ、今朝はすまなかった」
フヨウがベッドに潜り込もうとしていると、遅れて部屋に戻って来たアラスターが謝罪をした。一体何の謝罪かわからず、フヨウは首を傾げる。
「……今朝のことだ。サディアスの言う通り、俺は狭量な男だ」
「ち、違います。い、いつもそうなんだ……僕が話し出すと、空気が悪くなる。お母さんにも黙ってろって、いつも言われてた……それなのに、調子に乗って喋ったりとかして、サディアスさんが答えにくい事を聞いてしまったみたい。だっ、だから、アルは悪くないです」
「……フヨウ……」
アラスターは眉間にしわを寄せてフヨウを見た。
フヨウは自分が駄目な子であることを嫌という程分かっている。母親にすら嫌われているのだ。気持ちが悪くて、気味が悪いフヨウに人から好かれる要素はない。
けれど、他の誰に嫌われても、アラスターにだけは嫌われたくないと思う。この知らない世界で、たった一人の頼れる人。けれど、それだけではない。フヨウは嫌われたくないと思うほどに、アラスターが好きなのだ。
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