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21:後悔

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 「師匠、彼をどう見ましたか?」

 何も言わずとも、大賢者はフヨウがキーランであることを、一目で見抜いていた。 
 アラスターはフヨウから聞いた話を、全て大賢者に打ち明けた。
 フヨウの持つ常識はこちらの常識と大きくかけ離れているし、何よりもアラスターの知らない言葉や道具の存在は、明らかにフヨウが異質な者であると告げている。
 それだけでも、彼はこの世界ではないところから来たと推測するに十分だ。

 「……恐らくは、竜の呪いだろうが、」

 大賢者は顎下の髭を撫でながら深く考え込む。それからゆっくりと口を開いた。

 「キーランはここではない世界で新たな生を受け、再びこちらに戻ってきたと考えざるを得ない」

 「やはり……」

 既成の概念にとらわれない魔法使いといえど、時空や空間を歪める呪いがあるなど、俄かには信じられないが、現実としてフヨウが目の前にいる。
 今のフヨウにキーランとしての記憶はないようだが、思い出さないのならその方がいいとアラスターは思っている。一度は性奴隷に身を堕としたフヨウは、おそらく、口にすることすら憚られるような環境に置かれていただろう。それに、年齢の割に未熟な体や不安定な精神状態は、健全に成長してきたとはとても考えられない。
 そんなフヨウがキーランの記憶を取り戻したら、自分の前から消えてしまうのではないかと、アラスターは危惧していた。
 キーランが嘗ての優秀な魔法剣士でなくてもいい。そんなことを望むのは、彼を利用しようとする中央の人間だけだろう。
 魔法師団に連れてきた当初、キーランはお飾りの魔法剣士だと思われていた。まだ若く、魔法の塔から出たことのないキーランの実力を知る者がいなかったからだ。しかし、彼が優秀な魔法剣士であることが知れると、目の色を変えてキーランに取り入ろうとする者たちが現れた。見目が良く腕も確かな彼を侍らせれば、それだけで貴族としてのステータスが上がる。当然、アラスターはそんな者たちをキーランに近づけはしなかったが。
 アラスターにとっては、どのような姿であっても、キーランが自分の側にいてくれさえすればいい。
 少しずつ健康な体を取り戻しているフヨウは、日に日にキーランに生き写しとなってゆく。本人なのだから当然だが、彼を知る者達から隠し続けることは難しくなるだろう。
 サイラスには否定をしたが、いっそのことキーランが遺した子供だと思わせておいた方がいいのかもしれない。あるいは、このまま魔法の塔に引き篭ってしまうか。
 フヨウを守るためなら、手段を選ぶつもりはない。

 「キーランが最後に放った命の焔が、竜の吐いた死の呪いを捻じ曲げ、かような結果をもたらしたのだろう……しかし、本当のことは私にもわからぬ。ただ、こちらに戻ってきたのはキーラン自身の力であろうな」

 「……だからですか。魔力が無いのは」

 「うむ」

 フヨウは気がつけば見知らぬ石の部屋に居たと言っていた。おそらく無意識に帰還魔法を使ったのだろう。異世界に転生したキーランは、十四年もの間、時が満ちるのを待っていたのだ。しかし、魔法のない世界で育ったフヨウに、魔法の技量はない。フヨウが無意識状態になったところで、キーランの魂が魔法を使ったと考えられる。けれど、異世界からの転移は、恐らく相当の魔力を必要とする上に、こちらの世界を知らないフヨウでは、転移する場所を固定できなかったのだ。
 キーランであった時の記憶がないフヨウだが、魔力の匂いを感じるだけでなく、あまつさえアラスターの魔力の匂いを好きだと言った。キーランもアラスターの魔力の匂いが好きだとよく言ってくれた。
 全く違う世界でフヨウとして生きていても、魂はどうしてもキーランなのだ。
 異世界で生きてゆく選択もできたキーランが、異世界転移という危険を冒してまで戻ってきたのは、再び自分に会うためではないか。そう思うくらいは許されたい。

 「……俺は師匠に謝らなければなりません」

 アラスターにはあの日腐竜討伐からずっと、大賢者には言わなければならない事があった。けれど、キーランを失った悲しみが深すぎるあまり、塔へ足を向ける事ができずにいたのだ。此処にはキーランとの思い出が多すぎる。

 「キーランを魔法の塔から連れ出してしまい、申し訳ありませんでした。師匠がキーランを後継にと考えている事を知っていながら、貴方の大事な弟子を俺の人生に巻き込んでしまった……」

 アラスターは大賢者に頭を下げる。大賢者が未だに新しい弟子を取ろうとしないのは、キーランを惜しんでいるからだ。そして、彼ほどの後継を見つけることができないのだろう。
 此処に残り研鑽を積んでいれば、キーランは賢者として尊敬されていたはずだ。塔を出たばかりに、時には侮られる事もあった。必ず守ると決めて連れ出したのに、結局は守る事が出来ず命まで使わせてしまった。
 キーランはアラスターに着いてきたことを後悔してはいなかったか、今更になってようやく彼の心の内を考えたのだ。

 「どんなに道を示したとしても、進むべき先は己で選ぶものよ。あれは思慮深い子であった。よくよく考えてお主に着いて行ったのだから、何があったとしても後悔などしておらんだろうさ」

 魔法の塔始まって以来の問題児が殊勝な事を言いおってと、大賢者は声を上げて笑う。

 「っ! ……さすが、師匠です」

 言えなかった師匠への謝罪の言葉と共にずっと燻らせていた思いまでも見透かされ、バツが悪くなったアラスターは顔を上げることができない。
 キーランはおとなしいが、決して気が弱い訳ではなかった。その見た目に惑わされて、痛い目を見た者は少なくはない。アラスターのそばで笑っているキーランに、確かに後悔の色は見えなかった。
 きっと師匠の言う通りで、腹を決めたキーランに後悔はなかったのだろう。

 「あれのことだ。気に入らなければさっさとお主を捨てて、此処に帰ってきておるわ」

 「確かに、そうですね……」

 キーランに懸想をしているアラスターと違い、キーランにはアラスターの側から離れがたく思うような特別な気持ちはなかったのだと改めて突きつけられて、些か胸が痛い。師匠はアラスターの想いを知っていたのだろう。穏やかに笑いながら向けられている視線に、どこか生温さを感じる。

 「……フヨウ?!」

 不意にフヨウの恐怖の感情が伝わり、アラスターは弾かれたように顔を上げた。彼につけたピアスが反応したのだ。
 此処は大賢者の森だ。結界は絶対で、フヨウに危険はないはずだ。

 「客人が来たようだな」

 いつもと変わらない大賢人の様子で、フヨウの怯えている理由がわかった。
 アラスターは直ぐさまフヨウの元へと転移する。
 そこには、地面に座り込んで震えているフヨウと、予想通りの体の大きな剣士がいた。

 「フヨウ! 大丈夫か!」

 アラスターは急いでフヨウを抱き上げた。か細く震える体を宥めるように、背中を摩る。

 「大丈夫だ、フヨウ。この男はお前に危害を加えたりしない」

 「……おい、アル。これは一体どう言うことだ? そいつはキーランじゃねぇのか?」

 剣士は困惑しきった風情で立ち尽くしている。それもそうだろう。きっとこの男は、かつての調子でフヨウに近づいたに違いない。

 「詳しくは後で話す。まずは、大賢人に挨拶でもしてこい」

 アラスターは剣士を残し、フヨウとともに部屋へと転移した。
 
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