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11:魔法使いの煩慮
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「ユージーン、聞きたいことがある」
突然店内に現れたアラスターに、薬の調合をしていたユージーンは少しだけ驚いた表情を見せ、調剤の手を止め椅子から立ち上がった。
「どうしたの? 何かあった?」
「フヨウを買ったやつは何処にいる?」
アラスターは冷静に話をしているつもりだったが、知らず声が低くなった。
一度は落ち着いた感情だったが、フヨウの言葉を思い返すたびに怒りは湧き上がるのだ。
アラスターはフヨウを見てすぐにわかった。
彼が自分のグランディディエライトであるということに。
姿がどれだけ変わっても、魂の輝きと魔力の匂いは決して変わらない。
目の前にある奇跡に、憎んでいたはずの神に感謝すらした。
幼い体を抱き上げれば、驚くほどに痩せて、片腕で抱えあげられるほどに軽い。けれど、その体から漂う魔力の香りは、間違いなくキーランのものだ。
森林に吹く柔らかな風のような、清々しく爽やかな香り。懐かしい心地よさに深く息を吸い込めば、体の中でこごっていた何かが溶け出してゆくようだった。
あの日、腕の中からこぼれ落ちていった愛おしい人の命が、今、確かに自分の腕に戻ってきた。自分の命があるうちは、もう二度とキーランに会うことは叶わないと思っていたのだ。
すっかり舞い上がっていたアラスターは、その直後のフヨウの言葉によって奈落に突き落とされた。
魔法の実験に使われるのだと思っていたことにも驚かされたが、夜の方は上手に出来ないと、怯えと戸惑いの入り混じった表情でフヨウは言ったのだ。
それはつまり、今までそう言う相手をさせられていたということに他ならない。
まだ幼いあの折れそうな体が、何者かによって暴かれていた。その事実に、怒りで目の前が赤く染まる思いだったが、フヨウが怯えてしまったので、何とか感情を飲み込んだ。しかし、落ち着いてフヨウを諭すアラスターの身の内では、魔力が荒れ狂っていたのだ。
「……それは教えられない。個人の情報を明かすわけにはいかないんだ。フヨウの為にもならないしね」
「……」
数日前に、ユージーンに子供の後見人にならないかと言われた時は、何の冗談かと思った。身寄りもなく、行くあてもない子供だから屋敷に住まわせて、生活に慣れたら助手として研究を手伝わせたらどうかとも言われた。
腐竜討伐後、キーランを失ったアラスターは、俗世間から離れ、誰とも関わらないように生きていた。
魔法士師団長も、今や名ばかりの存在だ。
国王には魔法士師団からの退団を願い出たのだが、名だけでもいいから残って欲しいと強く請われた。
そもそもは王族の犯した過ちで、優秀で最愛の魔法騎士を失っているアラスターの心情としては、それを聞き入れる義理はなかったが、王国の魔法師団が他国に与えている影響を知らないわけではない。争いごとの種を撒きたいわけでもないアラスターは、不承不承、国王の要請を受け入れたのだ。ただし、今後は誰のためにも動くつもりはないと、はっきりと告げてある。
研究にしても、完成したい魔法があるからしているわけではない。何かをしていなければ、どうにかなってしまいそうだから、研究に没頭しているだけなのだ。
そんなアラスターに、ユージーンは子供の後見人ばかりか、里親の真似事までしないかと言うのだ。どう考えても無理な話で、後見人になる気などさらさらなかったアラスターは、そのほとんどを聞き流した。きっと、ほかに大事な事を聞き逃しているのかもしれない。けれど、フヨウの後見人になった時点で、そんなことはもうどうでもよかった。
アラスターは作業台の上に、金貨の詰まった袋を置く。
「……んんん? これはどういう事かな」
「フヨウの元主人に渡してくれ。足りなければ、幾らでも出す」
「……うーん、きっと受け取らないと思うよ。向こうにも矜持があるだろうから」
「そういう矜持は持ち合わせているのに、あんな子供に夜の相手はさせていたんだな」
アラスターが軽蔑しきった口調で言い捨てれば、ユージーンは困ったような笑みを浮かべた。相手はそこそこ知っている人物なのだろう。
「それは、そのクズ野郎を今後一切、フヨウに関わらせないための金だ。そいつもフヨウを買うために金を出しているんだろう?」
「……本当に悪い人ではないんだよ。今回のことだって、フヨウのことを考えて後見人を探したわけだし。それに、フヨウの後見人が救国の魔法使いだと知って、何かできる人がこの世の中にいるとは思えないけどね」
「悪い人間でなくとも、魔がさすということもあり得る…………それに、フヨウはキーランだ。危険要素はわずかであっても排除したい」
「は? え? いや、確かに、似てるなとは思ったよ。だからこそ、アラスターに後見人をお願いしたわけだし」
「いい判断だったな。一体どういう経緯があって、あの姿になっているのかはわからないが。魂の形も魔力の香りも、寸分違わずキーランのものだ」
「……本当、なのかい?」
「オレがそれを間違えるとでも?」
驚きの表情を浮かべていたユージーンは、深くため息をついて椅子に沈みこんだ。
魔法使いの中には、稀に相手の魂の形や魔力の匂いを感じる能力を持つ者がいる。アラスターもその一人だ。
「…………そうか…………フヨウ、いや、キーランはそれを自覚しているのか?」
「フヨウでいい。今はフヨウとして生きて来た記憶しかないんだ。余計なことを言って混乱させたくない」
「しかし、腐竜の一件からまだ数ヶ月だよ。フヨウは14歳だと言っていたけど、」
今度はアラスターが驚きの表情を浮かべる番だった。
「14歳? 驚いたな、せいぜい10歳そこそこだと思っていた……」
「書類にも書いてあったはずだけど?」
アラスターはユージーンの呆れたつぶやきを聞き流す。
書類を取り交わす相手がユージーンであったことと、キーランが戻ってきたことで気持ちが急いていたこともあって、書面はほとんど読み流していた。しかし、そんなことは瑣末なことだ。
それはともかく。
確かにユージーンの言う通り、フヨウがキーランの転生者であるなら年齢が合わない。14歳のフヨウはこれまでどこで、どうしていたのか。
ただ、あの体躯を見れば、今までひどい生活を強いられていたことが容易に想像がつく。
「今、フヨウはどうしているの?」
「食事をさせて、眠らせて来た。随分疲れているようだったからな」
「そう………ま、とりあえず、そのお金は渡せないよ。少なくとも、君が心配しているようなことには絶対にならないから安心して。もし、元保護者絡みで何か起きたら、僕が責任をとる」
ユージーンはアラスターにとって、数少ない信用できる人間の一人だ。
付き合いも長く、彼の人となりは知っているつもりでいる。その彼が心配ないと言うのなら、今はその言葉を信じることにした。
「………わかった………だが、その金は預かっておいてくれ。もし、何かあれば、そいつで解決してほしい」
「はぁ………わかったよ。とりあえず預かっておく。まぁ、何もないと思うけどね」
「頼んだ、」
そう言うと、アラスターは転移魔法で屋敷に戻る。
一瞬にして、薬屋から自室の中へと景色が変わった。
人のいない屋敷は静かだが、フヨウがいると思うと、それだけで今までと空気が違うような気がした。
すぐに寝室に向かい、寝台をそっと覗き込めば、出かける前と変わらずフヨウはぐっすりと眠っている。目が覚めて一人だったら不安になるだろうと、途中で目を覚まさないように、眠りの魔法を少しかけておいたのだ。
穏やかな寝顔にかかる黒い髪をそっと払い、白い頰に触れる。指先に伝わる温かさに、知らずこみ上げた感情が、アラスターの頬を伝って落ちた。
突然店内に現れたアラスターに、薬の調合をしていたユージーンは少しだけ驚いた表情を見せ、調剤の手を止め椅子から立ち上がった。
「どうしたの? 何かあった?」
「フヨウを買ったやつは何処にいる?」
アラスターは冷静に話をしているつもりだったが、知らず声が低くなった。
一度は落ち着いた感情だったが、フヨウの言葉を思い返すたびに怒りは湧き上がるのだ。
アラスターはフヨウを見てすぐにわかった。
彼が自分のグランディディエライトであるということに。
姿がどれだけ変わっても、魂の輝きと魔力の匂いは決して変わらない。
目の前にある奇跡に、憎んでいたはずの神に感謝すらした。
幼い体を抱き上げれば、驚くほどに痩せて、片腕で抱えあげられるほどに軽い。けれど、その体から漂う魔力の香りは、間違いなくキーランのものだ。
森林に吹く柔らかな風のような、清々しく爽やかな香り。懐かしい心地よさに深く息を吸い込めば、体の中でこごっていた何かが溶け出してゆくようだった。
あの日、腕の中からこぼれ落ちていった愛おしい人の命が、今、確かに自分の腕に戻ってきた。自分の命があるうちは、もう二度とキーランに会うことは叶わないと思っていたのだ。
すっかり舞い上がっていたアラスターは、その直後のフヨウの言葉によって奈落に突き落とされた。
魔法の実験に使われるのだと思っていたことにも驚かされたが、夜の方は上手に出来ないと、怯えと戸惑いの入り混じった表情でフヨウは言ったのだ。
それはつまり、今までそう言う相手をさせられていたということに他ならない。
まだ幼いあの折れそうな体が、何者かによって暴かれていた。その事実に、怒りで目の前が赤く染まる思いだったが、フヨウが怯えてしまったので、何とか感情を飲み込んだ。しかし、落ち着いてフヨウを諭すアラスターの身の内では、魔力が荒れ狂っていたのだ。
「……それは教えられない。個人の情報を明かすわけにはいかないんだ。フヨウの為にもならないしね」
「……」
数日前に、ユージーンに子供の後見人にならないかと言われた時は、何の冗談かと思った。身寄りもなく、行くあてもない子供だから屋敷に住まわせて、生活に慣れたら助手として研究を手伝わせたらどうかとも言われた。
腐竜討伐後、キーランを失ったアラスターは、俗世間から離れ、誰とも関わらないように生きていた。
魔法士師団長も、今や名ばかりの存在だ。
国王には魔法士師団からの退団を願い出たのだが、名だけでもいいから残って欲しいと強く請われた。
そもそもは王族の犯した過ちで、優秀で最愛の魔法騎士を失っているアラスターの心情としては、それを聞き入れる義理はなかったが、王国の魔法師団が他国に与えている影響を知らないわけではない。争いごとの種を撒きたいわけでもないアラスターは、不承不承、国王の要請を受け入れたのだ。ただし、今後は誰のためにも動くつもりはないと、はっきりと告げてある。
研究にしても、完成したい魔法があるからしているわけではない。何かをしていなければ、どうにかなってしまいそうだから、研究に没頭しているだけなのだ。
そんなアラスターに、ユージーンは子供の後見人ばかりか、里親の真似事までしないかと言うのだ。どう考えても無理な話で、後見人になる気などさらさらなかったアラスターは、そのほとんどを聞き流した。きっと、ほかに大事な事を聞き逃しているのかもしれない。けれど、フヨウの後見人になった時点で、そんなことはもうどうでもよかった。
アラスターは作業台の上に、金貨の詰まった袋を置く。
「……んんん? これはどういう事かな」
「フヨウの元主人に渡してくれ。足りなければ、幾らでも出す」
「……うーん、きっと受け取らないと思うよ。向こうにも矜持があるだろうから」
「そういう矜持は持ち合わせているのに、あんな子供に夜の相手はさせていたんだな」
アラスターが軽蔑しきった口調で言い捨てれば、ユージーンは困ったような笑みを浮かべた。相手はそこそこ知っている人物なのだろう。
「それは、そのクズ野郎を今後一切、フヨウに関わらせないための金だ。そいつもフヨウを買うために金を出しているんだろう?」
「……本当に悪い人ではないんだよ。今回のことだって、フヨウのことを考えて後見人を探したわけだし。それに、フヨウの後見人が救国の魔法使いだと知って、何かできる人がこの世の中にいるとは思えないけどね」
「悪い人間でなくとも、魔がさすということもあり得る…………それに、フヨウはキーランだ。危険要素はわずかであっても排除したい」
「は? え? いや、確かに、似てるなとは思ったよ。だからこそ、アラスターに後見人をお願いしたわけだし」
「いい判断だったな。一体どういう経緯があって、あの姿になっているのかはわからないが。魂の形も魔力の香りも、寸分違わずキーランのものだ」
「……本当、なのかい?」
「オレがそれを間違えるとでも?」
驚きの表情を浮かべていたユージーンは、深くため息をついて椅子に沈みこんだ。
魔法使いの中には、稀に相手の魂の形や魔力の匂いを感じる能力を持つ者がいる。アラスターもその一人だ。
「…………そうか…………フヨウ、いや、キーランはそれを自覚しているのか?」
「フヨウでいい。今はフヨウとして生きて来た記憶しかないんだ。余計なことを言って混乱させたくない」
「しかし、腐竜の一件からまだ数ヶ月だよ。フヨウは14歳だと言っていたけど、」
今度はアラスターが驚きの表情を浮かべる番だった。
「14歳? 驚いたな、せいぜい10歳そこそこだと思っていた……」
「書類にも書いてあったはずだけど?」
アラスターはユージーンの呆れたつぶやきを聞き流す。
書類を取り交わす相手がユージーンであったことと、キーランが戻ってきたことで気持ちが急いていたこともあって、書面はほとんど読み流していた。しかし、そんなことは瑣末なことだ。
それはともかく。
確かにユージーンの言う通り、フヨウがキーランの転生者であるなら年齢が合わない。14歳のフヨウはこれまでどこで、どうしていたのか。
ただ、あの体躯を見れば、今までひどい生活を強いられていたことが容易に想像がつく。
「今、フヨウはどうしているの?」
「食事をさせて、眠らせて来た。随分疲れているようだったからな」
「そう………ま、とりあえず、そのお金は渡せないよ。少なくとも、君が心配しているようなことには絶対にならないから安心して。もし、元保護者絡みで何か起きたら、僕が責任をとる」
ユージーンはアラスターにとって、数少ない信用できる人間の一人だ。
付き合いも長く、彼の人となりは知っているつもりでいる。その彼が心配ないと言うのなら、今はその言葉を信じることにした。
「………わかった………だが、その金は預かっておいてくれ。もし、何かあれば、そいつで解決してほしい」
「はぁ………わかったよ。とりあえず預かっておく。まぁ、何もないと思うけどね」
「頼んだ、」
そう言うと、アラスターは転移魔法で屋敷に戻る。
一瞬にして、薬屋から自室の中へと景色が変わった。
人のいない屋敷は静かだが、フヨウがいると思うと、それだけで今までと空気が違うような気がした。
すぐに寝室に向かい、寝台をそっと覗き込めば、出かける前と変わらずフヨウはぐっすりと眠っている。目が覚めて一人だったら不安になるだろうと、途中で目を覚まさないように、眠りの魔法を少しかけておいたのだ。
穏やかな寝顔にかかる黒い髪をそっと払い、白い頰に触れる。指先に伝わる温かさに、知らずこみ上げた感情が、アラスターの頬を伝って落ちた。
応援ありがとうございます!
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