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9:魔法使い
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フヨウは馬車の窓から、街の様子を眺めた。
街も道ゆく人々の姿も、古い西洋の国のようで、テーマパークの中にいるのではないかと錯覚しそうになる。
リアムのところは違ったけれど、いつも暗いところにいて、怖い男達に叩かれ痛い思いばかりをしていたフヨウには、目の前にある穏やかな景色がとても不思議だった。
「あの……」
「ん、なんだい?」
「ここは、なんという国なんですか?」
「……ここは、サンクレステッド王国だよ。東の大陸のね」
ユージーンは少し怪訝そうな顔をしながらも教えてくれた。
聞いたこともない国の名前だ。フヨウの知る世界地図にはそんな国はなかった。それとも、とても小さい国で、フヨウが知らないだけなのかもしれないと思いたかったけれど、きっとそうではない。それに、東の大陸とは一体何処にある大陸だろうか。
もう、帰ることは諦めてはいるけれど、此処がフヨウの全く知らない場所なのだと思い知らされる度に、言いようのない苦しさが募ってゆく。
「フヨウ、君の後見人になる人のことを、少し教えておこうか」
黙り込んだフヨウにユージーンが言った。
確かに、これから会う人物のことは、魔法使いだとしか聞いていない。リアムも相手が誰なのか知らないようで、何も教えてはくれなかった。
「……はい、」
「君の後見人は、アラスター・グリンデルバルドといって、この国で一番の魔法使いなんだ。少しばかり気難しいところもあるんだけど、フヨウならきっと上手くやって行けるよ」
ユージーンは笑顔で言うけれど、気難しいと聞いて、フヨウは不安になる。
施設の先生の中にも、気難しい人というのはいた。掃除の仕方一つとっても、彼女の中には明確なルールがあって、それに則って作業ができていないと、あまりいい顔はしない人だった。
それに、ユージーンはフヨウなら上手くやって行けるというが、あんなに優しいリアムでさえもフヨウを要らないと思ったのだ。気難しい人ならば、フヨウのような役立たずを鬱陶しく邪魔に思うだろう。
「アラスターは一人で暮らしていてね。フヨウが生活に慣れたらでいいから、少し彼を手伝ってあげて欲しいんだ」
「あの、僕……魔法のことはよく解らないんです、けど」
そもそも魔法などないところからフヨウは来たのだ。魔法がどう言ったものかすら解らない。
箒に乗って空を飛び、杖を振って鼠を御者に変えたり、白い光で悪霊を退治したりするのだろうか。
「大丈夫。魔法がわからなくても問題ないよ」
ユージーンはきっと実験台のことを言っているのだ。それならば魔法の知識なんかなくとも問題ない。
そして使えなくなるまで実験台にされたその後は、またどこかに引き渡されるのだろう。
それとも、死ぬまで実験は続くのだろうか。
フヨウがぼんやりとこれからの事を考えている間に、馬車は店や客で賑わう通りを走り抜け、綺麗な庭のある屋敷が多く並ぶ区域に入ってゆく。
この辺りはリアムのような、お金を持っている人たちが住む区域なのだろう。そんな屋敷も次第に途切れて、やがて森の中に入った馬車はゆっくりと止まった。
「着いたよ」
ユージーンに促され、馬車から降りたフヨウは少し驚いた。
その屋敷は、今まで眺めて来た屋敷とはかなり雰囲気が違う。緑の蔦に覆われている建物は、まさに魔女の棲家のような佇まいだ。
「驚いたかい? アラスターは少し変わっていてね」
フヨウはユージーンの後をついて行く。森だと思っていたけれど、どうやらこの屋敷の庭らしい。
「アラスター、僕だよ。ユージーンだ」
重そうな扉を叩くと、間も無くして扉が僅かに開かれる。姿を見せたその人は、銀の髪のとても美しい男だった。まるで氷のような、鋭利な冷ややかさを纏っていて、あまり顔色は良くない。それに、とても不機嫌そうだ。
「……何の用だ?」
「この間言っていた子を連れてきたんだよ」
「……その話なら断った筈だが?」
二人の話は、一歩引いて立っているフヨウにも聞こえてくる。
後見人になってくれると言っていた人は、本当はフヨウを引き受けるつもりは無かったようだ。ユージーンは強引にフヨウを押し付けるつもりだったらしい。
それが分かったところで、フヨウはもう何も感じなかった。何処に行っても自分は不要の子供なのだから、疎まれて当然だ。
フヨウはユージーンの後ろに隠れて、なるべく魔法使いの視界に入らないよう小さくなる。
「本当に、断るの? 君が断るなら、他の人に頼む事になるけど、」
「諄い、俺は誰の後見人になるつもりもない」
「……本当に?」
振り向いたユージーンは、後ろに隠れていたフヨウの肩をがっしりと掴むと、魔法使いの前にぐいと突き出した。突然押し出されたフヨウは、思わずたたらを踏んだ。
「わ、ぁ……」
不機嫌だった魔法使いは、フヨウを目にした途端、青みがかった紫の瞳を大きく見開いた。
「……キーラン……」
その言葉は、リアムも時々口にしていた。フヨウが寝ている時、或いは抱いている時に。その言葉を口にする時、リアムは一層優しくフヨウに触れていた。
「君が引き受けないと言うのなら、他の人に頼もうと思う。この通り、フヨウはとても綺麗だからね。後見人でなくとも、養子にしたいと申し出る貴族も……」
ユージーンが言い終わる前に、魔法使いはフヨウを抱き上げた。急に持ち上げられ驚いたフヨウは、咄嗟に魔法使いの首にしがみつく。突然の事に、フヨウの心臓はどきどきとした。
サラサラの銀の髪からは、ペパーミントのような香りがしている。
「入れ、書類にサインをしよう」
急に態度を変えた魔法使いにフヨウは困惑するばかりだけれど、ユージーンはこうなる事がわかっていたらしい。にこにこと優しげな笑顔を浮かべたままだ。
屋敷の中は、昼間だと言うのにカーテンが閉まったままで薄暗い。壁に取り付けられているランプの明かりがゆらゆらと揺れている。
魔法使いがユージーンとフヨウを通した部屋はおそらく、応接室なのだろう。やはりカーテンが閉まったままで暗かった。
魔法使いが指を鳴らすと、天井のシャンデリアが明るく輝き出す。
「……ま、ほう……?」
「魔法を見た事がないのか?」
さっきまで追い返そうとしていたのが嘘だったかのような優しい声で、魔法使いは尋ねた。
フヨウは頷く。この銀の髪をした男は本物の魔法使いなのだ。
「そうか、」
魔法使いは冷たい美貌に柔らかな笑みを浮かべると、フヨウをそっとソファーに降ろし、隣に座る。
「早く書類を出せ」
フヨウに対する柔らかい態度とは違い、ユージーンには随分とぞんざいに接しているが、そんな事には慣れているのだろう。全く気を悪くした様子もなく魔法使いの正面に座ったユージーンは、何枚もある書類をテーブルに広げた。
当然、フヨウには何が書いてあるのか分からなかったけれど、言われるままにそのうちの数枚に自分の名前を書いた。フヨウの書いた名前を見て、ユージーンも魔法使いも見たことのない字だと言った。
「……さて、これでアラスターは正式にフヨウの後見人になった。僕はこのまま書類を城に提出してくるから、数日後にはフヨウの身分は保証されると思う。そうなれば、街も自由に歩けるようになるからね。それから、アラスター。君はフヨウに対して責任がある立場になったのだから、生活を改めて貰うよ」
「……わかっている」
魔法使いに優しい眼差しを向けられたフヨウは、居た堪れなくなって俯いた。
街も道ゆく人々の姿も、古い西洋の国のようで、テーマパークの中にいるのではないかと錯覚しそうになる。
リアムのところは違ったけれど、いつも暗いところにいて、怖い男達に叩かれ痛い思いばかりをしていたフヨウには、目の前にある穏やかな景色がとても不思議だった。
「あの……」
「ん、なんだい?」
「ここは、なんという国なんですか?」
「……ここは、サンクレステッド王国だよ。東の大陸のね」
ユージーンは少し怪訝そうな顔をしながらも教えてくれた。
聞いたこともない国の名前だ。フヨウの知る世界地図にはそんな国はなかった。それとも、とても小さい国で、フヨウが知らないだけなのかもしれないと思いたかったけれど、きっとそうではない。それに、東の大陸とは一体何処にある大陸だろうか。
もう、帰ることは諦めてはいるけれど、此処がフヨウの全く知らない場所なのだと思い知らされる度に、言いようのない苦しさが募ってゆく。
「フヨウ、君の後見人になる人のことを、少し教えておこうか」
黙り込んだフヨウにユージーンが言った。
確かに、これから会う人物のことは、魔法使いだとしか聞いていない。リアムも相手が誰なのか知らないようで、何も教えてはくれなかった。
「……はい、」
「君の後見人は、アラスター・グリンデルバルドといって、この国で一番の魔法使いなんだ。少しばかり気難しいところもあるんだけど、フヨウならきっと上手くやって行けるよ」
ユージーンは笑顔で言うけれど、気難しいと聞いて、フヨウは不安になる。
施設の先生の中にも、気難しい人というのはいた。掃除の仕方一つとっても、彼女の中には明確なルールがあって、それに則って作業ができていないと、あまりいい顔はしない人だった。
それに、ユージーンはフヨウなら上手くやって行けるというが、あんなに優しいリアムでさえもフヨウを要らないと思ったのだ。気難しい人ならば、フヨウのような役立たずを鬱陶しく邪魔に思うだろう。
「アラスターは一人で暮らしていてね。フヨウが生活に慣れたらでいいから、少し彼を手伝ってあげて欲しいんだ」
「あの、僕……魔法のことはよく解らないんです、けど」
そもそも魔法などないところからフヨウは来たのだ。魔法がどう言ったものかすら解らない。
箒に乗って空を飛び、杖を振って鼠を御者に変えたり、白い光で悪霊を退治したりするのだろうか。
「大丈夫。魔法がわからなくても問題ないよ」
ユージーンはきっと実験台のことを言っているのだ。それならば魔法の知識なんかなくとも問題ない。
そして使えなくなるまで実験台にされたその後は、またどこかに引き渡されるのだろう。
それとも、死ぬまで実験は続くのだろうか。
フヨウがぼんやりとこれからの事を考えている間に、馬車は店や客で賑わう通りを走り抜け、綺麗な庭のある屋敷が多く並ぶ区域に入ってゆく。
この辺りはリアムのような、お金を持っている人たちが住む区域なのだろう。そんな屋敷も次第に途切れて、やがて森の中に入った馬車はゆっくりと止まった。
「着いたよ」
ユージーンに促され、馬車から降りたフヨウは少し驚いた。
その屋敷は、今まで眺めて来た屋敷とはかなり雰囲気が違う。緑の蔦に覆われている建物は、まさに魔女の棲家のような佇まいだ。
「驚いたかい? アラスターは少し変わっていてね」
フヨウはユージーンの後をついて行く。森だと思っていたけれど、どうやらこの屋敷の庭らしい。
「アラスター、僕だよ。ユージーンだ」
重そうな扉を叩くと、間も無くして扉が僅かに開かれる。姿を見せたその人は、銀の髪のとても美しい男だった。まるで氷のような、鋭利な冷ややかさを纏っていて、あまり顔色は良くない。それに、とても不機嫌そうだ。
「……何の用だ?」
「この間言っていた子を連れてきたんだよ」
「……その話なら断った筈だが?」
二人の話は、一歩引いて立っているフヨウにも聞こえてくる。
後見人になってくれると言っていた人は、本当はフヨウを引き受けるつもりは無かったようだ。ユージーンは強引にフヨウを押し付けるつもりだったらしい。
それが分かったところで、フヨウはもう何も感じなかった。何処に行っても自分は不要の子供なのだから、疎まれて当然だ。
フヨウはユージーンの後ろに隠れて、なるべく魔法使いの視界に入らないよう小さくなる。
「本当に、断るの? 君が断るなら、他の人に頼む事になるけど、」
「諄い、俺は誰の後見人になるつもりもない」
「……本当に?」
振り向いたユージーンは、後ろに隠れていたフヨウの肩をがっしりと掴むと、魔法使いの前にぐいと突き出した。突然押し出されたフヨウは、思わずたたらを踏んだ。
「わ、ぁ……」
不機嫌だった魔法使いは、フヨウを目にした途端、青みがかった紫の瞳を大きく見開いた。
「……キーラン……」
その言葉は、リアムも時々口にしていた。フヨウが寝ている時、或いは抱いている時に。その言葉を口にする時、リアムは一層優しくフヨウに触れていた。
「君が引き受けないと言うのなら、他の人に頼もうと思う。この通り、フヨウはとても綺麗だからね。後見人でなくとも、養子にしたいと申し出る貴族も……」
ユージーンが言い終わる前に、魔法使いはフヨウを抱き上げた。急に持ち上げられ驚いたフヨウは、咄嗟に魔法使いの首にしがみつく。突然の事に、フヨウの心臓はどきどきとした。
サラサラの銀の髪からは、ペパーミントのような香りがしている。
「入れ、書類にサインをしよう」
急に態度を変えた魔法使いにフヨウは困惑するばかりだけれど、ユージーンはこうなる事がわかっていたらしい。にこにこと優しげな笑顔を浮かべたままだ。
屋敷の中は、昼間だと言うのにカーテンが閉まったままで薄暗い。壁に取り付けられているランプの明かりがゆらゆらと揺れている。
魔法使いがユージーンとフヨウを通した部屋はおそらく、応接室なのだろう。やはりカーテンが閉まったままで暗かった。
魔法使いが指を鳴らすと、天井のシャンデリアが明るく輝き出す。
「……ま、ほう……?」
「魔法を見た事がないのか?」
さっきまで追い返そうとしていたのが嘘だったかのような優しい声で、魔法使いは尋ねた。
フヨウは頷く。この銀の髪をした男は本物の魔法使いなのだ。
「そうか、」
魔法使いは冷たい美貌に柔らかな笑みを浮かべると、フヨウをそっとソファーに降ろし、隣に座る。
「早く書類を出せ」
フヨウに対する柔らかい態度とは違い、ユージーンには随分とぞんざいに接しているが、そんな事には慣れているのだろう。全く気を悪くした様子もなく魔法使いの正面に座ったユージーンは、何枚もある書類をテーブルに広げた。
当然、フヨウには何が書いてあるのか分からなかったけれど、言われるままにそのうちの数枚に自分の名前を書いた。フヨウの書いた名前を見て、ユージーンも魔法使いも見たことのない字だと言った。
「……さて、これでアラスターは正式にフヨウの後見人になった。僕はこのまま書類を城に提出してくるから、数日後にはフヨウの身分は保証されると思う。そうなれば、街も自由に歩けるようになるからね。それから、アラスター。君はフヨウに対して責任がある立場になったのだから、生活を改めて貰うよ」
「……わかっている」
魔法使いに優しい眼差しを向けられたフヨウは、居た堪れなくなって俯いた。
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