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閑話 書籍2巻感謝短編 そこそこ未来の2人のお話 〜冒険譚のちょこっと先取り〜 後編
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男達を外に放り出したサフィラスが店内に戻ってくると、客達がわっと歓声を上げる。
「え?……えっと、何?」
「見た目によらず、やるなにーちゃん!」
「ああ! スカッとしたぜ!」
サフィラスは客たちに背中を押され、あっという間に店の中の席まで連れて行かれてしまった。
「娘を助けてくださってありがとうございます!」
「あの人たち、街を救った英雄だなんて言いながら連日お金を払わないで食事をするし、その上他のお客さんに暴力まで振るうから、本当に困っていたんです」
腹に据えかねるものがあっても、ただ黙って耐えるしかなかった彼らにとって、男達を容赦なく追い出したサフィラスはまさに英雄だろう。
「俺はお礼を言われるようなことはしてないけど」
「謙遜するなって、魔法使いのにーちゃん! あんたはすげえよ、乾杯しようぜ!」
客の一人がジョッキを掲げれば、周囲の客たちもそれに倣う。最初こそ戸惑っていたサフィラスだったが、破落戸から助けた娘にジョッキを渡されて相好を崩した。
客たちと変わるがわるジョッキをぶつけ合うサフィラスは、すっかり今夜の主役だ。賑やかで愉快なことを好むサフィラスにとって、こうして居合わせた人々と交流をするのも旅の楽しみの一つだろう。
常連客達と楽しげに会話を交わす様子を離れた席から見守っていれば、1人の若い男がサフィラスに近づき声をかけた。
「君は冒険者?」
「ああ、そうさ。彼とパーティを組んで、主に遺跡を巡ってる」
サフィラスがこちらに視線を向けたのでそれに頷いて応えれば、男はわずかな視線を俺に向けただけだった。どうやら俺には興味がないようだ。
「へぇ、遺跡巡りか。だけど、二人パーティじゃ心許無くないか?」
「いいや、全く。パーシヴァルはすごく頼りになるからね」
「ふーん、そう」
男はさりげなさを装い狭い場所に椅子を動かすと、強引にサフィラスの隣に腰を下ろす。自分も冒険者だと言いながら、無害そうな笑顔を浮かべサフィラスと話を合わせているが、下心がまるで隠しきれていない。
しかし、当のサフィラスはあからさまな下心に全く気がついていないのだから、困ったものだ。
昔から整った容姿をしていたサフィラスだが、成長するに従ってその美しさはいっそう輝きを増した。学生の頃から宵闇の精霊に例えられることもあったが、それでもまだ少年期のあどけなさがあった。だが、今はどうだ?
透き通るような白い肌と、光の加減で色の深さを変える青い瞳。さらには、夜を思わせる黒髪が彼の神秘性をいっそう際立たせ、黙って立っていればまさに精霊そのものだ。
だというのに、当の本人に人目を惹く容姿をしている自覚がなく、警戒心がほとんどない。そんな危機感が薄いサフィラスが冒険者になることを、公爵閣下や王太子殿下は随分と心配したものだ。
しかし、麗しい精霊にはたくましい冒険者の魂が宿っていた。サフィラスには度胸があり、己の魔法をよすがに、時に無鉄砲とも思える行動を取る。しかも、儚げな顔をして、破落戸もかくやと言わんばかりの乱暴な言葉が飛び出すこともあるのだから、見た目と中身の齟齬に戸惑う者も少なくない。
俺を含め、昔からサフィラスを知るアウローラ嬢やヴァンダーウォールの面々はすっかり慣れているので今更驚くこともないが、彼に夢を見た連中が素のサフィラスを知って涙を流す姿を何度も見てきた。
そんなサフィラスだが、心根は優しく懐深い。一度でも彼に関われば大抵の者は好意を抱く。旅の途中に立ち寄る街や村で、サフィラスの友人が増えるのはいいことだ。しかし、中にはあの男のように如何わしい下心を抱いて近づく者も少なからずいる。
「よぉ、兄ちゃん。あんたがあの魔法使いの相棒か?」
冒険者を装う男を窺っていれば、髭を蓄えた壮齢の男が話しかけてきた。
「ああ、そうだ」
「あんたの相棒はすごいな。あんな綺麗な顔をしているのに、容赦がなくて実に気持ちがよかった。それに、なかなかの飲みっぷりだ」
「俺の自慢の相棒だ」
「そうか! そうか!」
男は豪快に笑うと、俺の背中を容赦なく叩く。どこかキングスリー殿を彷彿とさせる男だ。
「俺はこの街で、レンガ職人をやってる。ここは俺たちみたいな連中の数少ない憩いの場なんだ。だからあの破落戸を追い出してくれて、みんな感謝してるのさ」
レンガ職人だという男はこの街に着いたばかりだと言った俺に、鍛冶屋や道具屋の話を聞かせてくれた。ありがたい情報に耳を傾けていれば、件の男に勧められるままサフィラスが4杯目のジョッキを手にしていた。
サフィラスは酒が好きだが、あまり強くない。万が一のことがあってはならないので、普段から俺がいない場所では飲まないようにと言い含めている。今は俺がすぐ側にいることもあるのだろうが、周囲の雰囲気に煽られて少しペースが速い。
おそらくあの男はサフィラスを酔わせて店から連れ出すつもりなのだろう。俺の目の前で、随分と大胆なことをしようとしている。
「なぁ、兄ちゃん。気をつけろよ。あの野郎は間違いなく、兄ちゃんの相棒を狙ってるぞ」
レンガ職人も男の様子を見ていたのだろう。
「ああ、忠告感謝する」
俺は席を立つと、サフィラスの元へと向かう。
「サフィラス、それ以上はもう駄目だ」
男がサフィラスの肩に手を回そうとしたタイミングで声をかけ、エールのジョッキを取り上げた。何かを言いたそうな男を一瞥すれば、バツが悪そうに慌てて手を引っ込める。そう簡単にサフィラスに触れられると思うな。
「え? まだ大丈夫だよ。全然酔ってないって」
サフィラスが唇を尖らせる。そんな顔も愛おしいが、下心を隠すことすらしない男と並んで座るサフィラスを、黙って見ていられるほど俺は心の広い男ではない。
「酔っ払いほどそう言うものだ」
「う……」
「なんだ、あんたら。もう帰るのか?」
だいぶ出来上がっているのだろう。常連客の一人から声をかけられた。
「ああ、盛り上がっているところを悪いな。今日ここに着いたばかりで彼も疲れている。早めに宿で休ませたい。立てるか、サフィラス?」
飲食代金をテーブルに置いて、サフィラスを促す。
「もちろん立てるとも。俺は本当に酔ってないぞ!」
勢いよく立ち上がったサフィラスは、数歩歩いただけでふらりと体を傾がせた。どうやら思った以上に酒精が効いている。足元が覚束ないサフィラスを横抱きに抱え上げれば、ようやく酔いを自覚したのだろう。素直に身を委ねてくれた。
「やっぱり酔ったかも……」
「そうだな」
大人しくなったサフイラスを大事に抱え店を出ると、酒場の娘に呼び止められた。
「あ、あの! マントありがとうございます」
「サフィラス、」
差し出されたマントを受け取るように声を掛ければ、半ば眠りかけていたサフィラスが手を伸ばしマントを受け取る。
「……またあいつらが来た時のために番犬を置いてゆくから」
「番犬ですか?」
酒場の娘が首を傾げる。サフィラスの言う通り、あいつらは懲りずにやって来て店や客に嫌がらせをするかも知れない。下らない自尊心ばかり高そうな連中だった。
「クー・シー……」
すっかり暗くなった通りに魔法陣の光が青白く浮かび上がると、仔牛ほどの大きな緑色の犬が現れた。
「きゃ……!」
「クー・シー、この店を守って……」
突然現れた大きな犬に娘は驚いているけれど、サフィラスはもう限界なのかクー・シーに一言告げるとそのまま眠ってしまった。
「あ、あの……こ、この大きな犬は?」
「心配しなくていい。サフィラスの召喚獣だ。体は大きいが、気の優しい犬なので恐れることはない。当分は彼が店を守ってくれるから、あの破落戸供が店に近づくことはできない」
「……これが召喚獣……私、初めて見ました」
「また寄らせてもらう」
「は、はい! お待ちしています!」
サフィラスはこの店を気に入ったようだから、滞在中は何度か足を運ぶことになるだろう。
宿についてサフィラスを寝台に降ろしたが、目を冷ます様子はない。
遺跡から街へ降りるまでの道のりはそれなりに険しく、マテオの足でも数日かかった。サフィラスは街についても変わらず元気な様子だったが、本人の自覚がなかっただけでやはり疲れていたのだろう。
本当は入浴をしてから、寛いで貰いたかったが仕方がない。
遺跡を巡る旅は一度街を離れると野営が続く。だから、宿が取れる時は少しでも体が休めるように、浴室のついている部屋を取る。冒険者風情にはかなり贅沢な部屋ではあるが、高難度の依頼をこなせる俺たちが路銀に困ることはない。
「着替えはしたほうがいいだろうな……」
このままでは寝苦しいだろうと旅の装備を解いて服を脱がすけれど、熟睡しているサフィラスはされるがままだ。相手が俺だから安心しているのだろうが、これだけ無防備になってしまうと、やはり酔わせるのは心配だ。
お湯で湿らせた布で体を拭き、冷えないうちに夜着を着せる。それから自分も服を脱ぎ手早く汗を拭くと、サフィラスの隣に横になった。
サフィラスの体を抱き寄せれば、酔っているせいで少し体温が高い。こうしてサフィラスを腕に収めて眠りにつくのは、今では当たり前となった。
蝋燭一本程度の薄闇の中、気持ち良さそうに眠るサフィラスの瞼に唇を寄せる。鼻先、そして頬へと唇を滑らせていれば、正直な体が兆すのを感じた。
「ん……パーシヴァル?」
薄く開いた唇に触れようとしたところで、腕の中で小さく身じろいだサフィラスが眠そうな声で俺の名を呼ぶ。どうやら起こしてしまったようだが、構わずに口付けを繰り返す。
「する……?」
「……いいや、しない」
俺の体の反応に気がついたサフィラスがそう言ってくれたが。
サフィラスの狭くて熱い柔らかなところへ入りたい気持ちはある。けれど、今日はやめておく。サフィラスが酔っていることもあるが、今夜は昂りを抑えられる自信がない。万が一にも、サフィラスを傷つけるようなことはできない。
「しないの?」
「ああ……今日はこうしているだけでいい」
「そっか……」
俺の胸元に顔を押し付けたサフィラスは、すぐに微かな寝息を立て始めた。力の抜け切った体を抱きしめ直して、俺も目を閉じるが眠気はやってこない。
二人だけの時間が少し長かったせいもあるのだろう。久しぶりに人のいる場所に降りてきて、妙に神経が逆立っている。
欲に満ちた眼差しでサフィラスを見ていた男の姿が、脳裏にチラついて仕方がない。サフィラスはあんな男など歯牙にもかけないのだから、俺が気にする必要はないのだが。それでも言いようのない不快感が湧き上がってくる。
それは嫉妬の一言で片付けられるような、単純なものではない。
まさか自分の中にこれほど理解の難しい感情があるとは知らなかった。自分自身の心を持て余し、ひっそりとため息をつく。これは一体どうしたものか。
「パーシヴァル……眠れないの?」
眠っているはずのサフィラスが、ぼんやりとした眼差しで俺を見ていた。
「いや……そうだな。どうやら眠れないようだ」
余計な心配をさせたくなくて否定しようとしたが、適当に誤魔化したところでサフィラスは納得しないだろう。無駄な押し問答を避けて、正直に眠れない事を認める。
「そっか……疲れすぎているのかな?」
サフィラスが緩慢な動きで俺の背に腕を回すと、まるで子供をあやすように優しく叩き始めた。
「眠くなる……眠くなる、パーシヴァルは眠くなる……」
眠気に抗いながらも、サフィラスが俺を寝かしつけようとしてくれている。サフィラスの優しさがなんともくすぐったくて、無意識に張っていたんだろう気持ちが緩んだ。
あんな輩はこれからいくらでも現れるだろう。あの程度のことで心が乱されるようでは、サフィラスの伴侶として隣に立つことはできない。
サフィラスは俺を信じて、全てを委ねてくれたのだ。だから俺は何事にも揺らぐことなく、サフィラスの隣に立てばいい。ただそれだけのことだ。
サフィラスの呪文が効き始めたのか、次第に心地の良い眠りが降りてきた。
どうやら今夜はよく眠れそうだ……
「え?……えっと、何?」
「見た目によらず、やるなにーちゃん!」
「ああ! スカッとしたぜ!」
サフィラスは客たちに背中を押され、あっという間に店の中の席まで連れて行かれてしまった。
「娘を助けてくださってありがとうございます!」
「あの人たち、街を救った英雄だなんて言いながら連日お金を払わないで食事をするし、その上他のお客さんに暴力まで振るうから、本当に困っていたんです」
腹に据えかねるものがあっても、ただ黙って耐えるしかなかった彼らにとって、男達を容赦なく追い出したサフィラスはまさに英雄だろう。
「俺はお礼を言われるようなことはしてないけど」
「謙遜するなって、魔法使いのにーちゃん! あんたはすげえよ、乾杯しようぜ!」
客の一人がジョッキを掲げれば、周囲の客たちもそれに倣う。最初こそ戸惑っていたサフィラスだったが、破落戸から助けた娘にジョッキを渡されて相好を崩した。
客たちと変わるがわるジョッキをぶつけ合うサフィラスは、すっかり今夜の主役だ。賑やかで愉快なことを好むサフィラスにとって、こうして居合わせた人々と交流をするのも旅の楽しみの一つだろう。
常連客達と楽しげに会話を交わす様子を離れた席から見守っていれば、1人の若い男がサフィラスに近づき声をかけた。
「君は冒険者?」
「ああ、そうさ。彼とパーティを組んで、主に遺跡を巡ってる」
サフィラスがこちらに視線を向けたのでそれに頷いて応えれば、男はわずかな視線を俺に向けただけだった。どうやら俺には興味がないようだ。
「へぇ、遺跡巡りか。だけど、二人パーティじゃ心許無くないか?」
「いいや、全く。パーシヴァルはすごく頼りになるからね」
「ふーん、そう」
男はさりげなさを装い狭い場所に椅子を動かすと、強引にサフィラスの隣に腰を下ろす。自分も冒険者だと言いながら、無害そうな笑顔を浮かべサフィラスと話を合わせているが、下心がまるで隠しきれていない。
しかし、当のサフィラスはあからさまな下心に全く気がついていないのだから、困ったものだ。
昔から整った容姿をしていたサフィラスだが、成長するに従ってその美しさはいっそう輝きを増した。学生の頃から宵闇の精霊に例えられることもあったが、それでもまだ少年期のあどけなさがあった。だが、今はどうだ?
透き通るような白い肌と、光の加減で色の深さを変える青い瞳。さらには、夜を思わせる黒髪が彼の神秘性をいっそう際立たせ、黙って立っていればまさに精霊そのものだ。
だというのに、当の本人に人目を惹く容姿をしている自覚がなく、警戒心がほとんどない。そんな危機感が薄いサフィラスが冒険者になることを、公爵閣下や王太子殿下は随分と心配したものだ。
しかし、麗しい精霊にはたくましい冒険者の魂が宿っていた。サフィラスには度胸があり、己の魔法をよすがに、時に無鉄砲とも思える行動を取る。しかも、儚げな顔をして、破落戸もかくやと言わんばかりの乱暴な言葉が飛び出すこともあるのだから、見た目と中身の齟齬に戸惑う者も少なくない。
俺を含め、昔からサフィラスを知るアウローラ嬢やヴァンダーウォールの面々はすっかり慣れているので今更驚くこともないが、彼に夢を見た連中が素のサフィラスを知って涙を流す姿を何度も見てきた。
そんなサフィラスだが、心根は優しく懐深い。一度でも彼に関われば大抵の者は好意を抱く。旅の途中に立ち寄る街や村で、サフィラスの友人が増えるのはいいことだ。しかし、中にはあの男のように如何わしい下心を抱いて近づく者も少なからずいる。
「よぉ、兄ちゃん。あんたがあの魔法使いの相棒か?」
冒険者を装う男を窺っていれば、髭を蓄えた壮齢の男が話しかけてきた。
「ああ、そうだ」
「あんたの相棒はすごいな。あんな綺麗な顔をしているのに、容赦がなくて実に気持ちがよかった。それに、なかなかの飲みっぷりだ」
「俺の自慢の相棒だ」
「そうか! そうか!」
男は豪快に笑うと、俺の背中を容赦なく叩く。どこかキングスリー殿を彷彿とさせる男だ。
「俺はこの街で、レンガ職人をやってる。ここは俺たちみたいな連中の数少ない憩いの場なんだ。だからあの破落戸を追い出してくれて、みんな感謝してるのさ」
レンガ職人だという男はこの街に着いたばかりだと言った俺に、鍛冶屋や道具屋の話を聞かせてくれた。ありがたい情報に耳を傾けていれば、件の男に勧められるままサフィラスが4杯目のジョッキを手にしていた。
サフィラスは酒が好きだが、あまり強くない。万が一のことがあってはならないので、普段から俺がいない場所では飲まないようにと言い含めている。今は俺がすぐ側にいることもあるのだろうが、周囲の雰囲気に煽られて少しペースが速い。
おそらくあの男はサフィラスを酔わせて店から連れ出すつもりなのだろう。俺の目の前で、随分と大胆なことをしようとしている。
「なぁ、兄ちゃん。気をつけろよ。あの野郎は間違いなく、兄ちゃんの相棒を狙ってるぞ」
レンガ職人も男の様子を見ていたのだろう。
「ああ、忠告感謝する」
俺は席を立つと、サフィラスの元へと向かう。
「サフィラス、それ以上はもう駄目だ」
男がサフィラスの肩に手を回そうとしたタイミングで声をかけ、エールのジョッキを取り上げた。何かを言いたそうな男を一瞥すれば、バツが悪そうに慌てて手を引っ込める。そう簡単にサフィラスに触れられると思うな。
「え? まだ大丈夫だよ。全然酔ってないって」
サフィラスが唇を尖らせる。そんな顔も愛おしいが、下心を隠すことすらしない男と並んで座るサフィラスを、黙って見ていられるほど俺は心の広い男ではない。
「酔っ払いほどそう言うものだ」
「う……」
「なんだ、あんたら。もう帰るのか?」
だいぶ出来上がっているのだろう。常連客の一人から声をかけられた。
「ああ、盛り上がっているところを悪いな。今日ここに着いたばかりで彼も疲れている。早めに宿で休ませたい。立てるか、サフィラス?」
飲食代金をテーブルに置いて、サフィラスを促す。
「もちろん立てるとも。俺は本当に酔ってないぞ!」
勢いよく立ち上がったサフィラスは、数歩歩いただけでふらりと体を傾がせた。どうやら思った以上に酒精が効いている。足元が覚束ないサフィラスを横抱きに抱え上げれば、ようやく酔いを自覚したのだろう。素直に身を委ねてくれた。
「やっぱり酔ったかも……」
「そうだな」
大人しくなったサフイラスを大事に抱え店を出ると、酒場の娘に呼び止められた。
「あ、あの! マントありがとうございます」
「サフィラス、」
差し出されたマントを受け取るように声を掛ければ、半ば眠りかけていたサフィラスが手を伸ばしマントを受け取る。
「……またあいつらが来た時のために番犬を置いてゆくから」
「番犬ですか?」
酒場の娘が首を傾げる。サフィラスの言う通り、あいつらは懲りずにやって来て店や客に嫌がらせをするかも知れない。下らない自尊心ばかり高そうな連中だった。
「クー・シー……」
すっかり暗くなった通りに魔法陣の光が青白く浮かび上がると、仔牛ほどの大きな緑色の犬が現れた。
「きゃ……!」
「クー・シー、この店を守って……」
突然現れた大きな犬に娘は驚いているけれど、サフィラスはもう限界なのかクー・シーに一言告げるとそのまま眠ってしまった。
「あ、あの……こ、この大きな犬は?」
「心配しなくていい。サフィラスの召喚獣だ。体は大きいが、気の優しい犬なので恐れることはない。当分は彼が店を守ってくれるから、あの破落戸供が店に近づくことはできない」
「……これが召喚獣……私、初めて見ました」
「また寄らせてもらう」
「は、はい! お待ちしています!」
サフィラスはこの店を気に入ったようだから、滞在中は何度か足を運ぶことになるだろう。
宿についてサフィラスを寝台に降ろしたが、目を冷ます様子はない。
遺跡から街へ降りるまでの道のりはそれなりに険しく、マテオの足でも数日かかった。サフィラスは街についても変わらず元気な様子だったが、本人の自覚がなかっただけでやはり疲れていたのだろう。
本当は入浴をしてから、寛いで貰いたかったが仕方がない。
遺跡を巡る旅は一度街を離れると野営が続く。だから、宿が取れる時は少しでも体が休めるように、浴室のついている部屋を取る。冒険者風情にはかなり贅沢な部屋ではあるが、高難度の依頼をこなせる俺たちが路銀に困ることはない。
「着替えはしたほうがいいだろうな……」
このままでは寝苦しいだろうと旅の装備を解いて服を脱がすけれど、熟睡しているサフィラスはされるがままだ。相手が俺だから安心しているのだろうが、これだけ無防備になってしまうと、やはり酔わせるのは心配だ。
お湯で湿らせた布で体を拭き、冷えないうちに夜着を着せる。それから自分も服を脱ぎ手早く汗を拭くと、サフィラスの隣に横になった。
サフィラスの体を抱き寄せれば、酔っているせいで少し体温が高い。こうしてサフィラスを腕に収めて眠りにつくのは、今では当たり前となった。
蝋燭一本程度の薄闇の中、気持ち良さそうに眠るサフィラスの瞼に唇を寄せる。鼻先、そして頬へと唇を滑らせていれば、正直な体が兆すのを感じた。
「ん……パーシヴァル?」
薄く開いた唇に触れようとしたところで、腕の中で小さく身じろいだサフィラスが眠そうな声で俺の名を呼ぶ。どうやら起こしてしまったようだが、構わずに口付けを繰り返す。
「する……?」
「……いいや、しない」
俺の体の反応に気がついたサフィラスがそう言ってくれたが。
サフィラスの狭くて熱い柔らかなところへ入りたい気持ちはある。けれど、今日はやめておく。サフィラスが酔っていることもあるが、今夜は昂りを抑えられる自信がない。万が一にも、サフィラスを傷つけるようなことはできない。
「しないの?」
「ああ……今日はこうしているだけでいい」
「そっか……」
俺の胸元に顔を押し付けたサフィラスは、すぐに微かな寝息を立て始めた。力の抜け切った体を抱きしめ直して、俺も目を閉じるが眠気はやってこない。
二人だけの時間が少し長かったせいもあるのだろう。久しぶりに人のいる場所に降りてきて、妙に神経が逆立っている。
欲に満ちた眼差しでサフィラスを見ていた男の姿が、脳裏にチラついて仕方がない。サフィラスはあんな男など歯牙にもかけないのだから、俺が気にする必要はないのだが。それでも言いようのない不快感が湧き上がってくる。
それは嫉妬の一言で片付けられるような、単純なものではない。
まさか自分の中にこれほど理解の難しい感情があるとは知らなかった。自分自身の心を持て余し、ひっそりとため息をつく。これは一体どうしたものか。
「パーシヴァル……眠れないの?」
眠っているはずのサフィラスが、ぼんやりとした眼差しで俺を見ていた。
「いや……そうだな。どうやら眠れないようだ」
余計な心配をさせたくなくて否定しようとしたが、適当に誤魔化したところでサフィラスは納得しないだろう。無駄な押し問答を避けて、正直に眠れない事を認める。
「そっか……疲れすぎているのかな?」
サフィラスが緩慢な動きで俺の背に腕を回すと、まるで子供をあやすように優しく叩き始めた。
「眠くなる……眠くなる、パーシヴァルは眠くなる……」
眠気に抗いながらも、サフィラスが俺を寝かしつけようとしてくれている。サフィラスの優しさがなんともくすぐったくて、無意識に張っていたんだろう気持ちが緩んだ。
あんな輩はこれからいくらでも現れるだろう。あの程度のことで心が乱されるようでは、サフィラスの伴侶として隣に立つことはできない。
サフィラスは俺を信じて、全てを委ねてくれたのだ。だから俺は何事にも揺らぐことなく、サフィラスの隣に立てばいい。ただそれだけのことだ。
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