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2巻
2-1
しおりを挟むプロローグ
「……え、ギリアムは死んだんですか?」
元婚約者の意外な結末に、おもわず間抜けな声を出してしまった。
公爵家にお呼ばれして、誘拐事件の結末として聞かされたのは、元婚約者の死だった。
嫌悪の感情しか抱いていない男だったから、死んだと聞いても特に思うことはない。
はっきり言うなら、あ、そ。ってとこだ。
なにしろギリアムは、俺を誘拐して奴隷商人に売り飛ばそうとした、度し難い屑野郎だ。
このギリアムという男は俺が十二歳の時に、元父親のオルドリッジ伯爵が決めた婚約者だった。
俺、というか、サフィラスは魔法伯爵家の次男に生まれながらも、五歳の魔力鑑定で魔力なしとされてから、父である伯爵から家族と認められず、相当酷い目に遭わされていたんだ。
庭の隅の粗末な離れで、まるでさっさと死ねとばかりに放置され、このまま一人で一生を終えるのかと思っていた。
そんなサフィラスにとって婚約者という存在は、いつか伯爵家から自分を連れ出してくれる救世主のように思えたが、残念なことにギリアムは伯爵に負けず劣らずの屑だったのだ。魔力なしで家族に冷遇されているサフィラスを、まるで玩具かのように扱い、甚振った。
おおかた伯爵が好きなようにしていいとでも言ったんだろう。死ぬまでこんな惨めな日々が続くのかと絶望したサフィラスは、齢十二にしてすっかり人生を諦めてしまった。
本当に酷い境遇だったよね。
ところが、そんなお先真っ暗闇な人生を歩んでいたサフィラスに転機が訪れた。
貴族子息令嬢の義務として入学した王立クレアーレ高等学院でのこと。学院寮で婚約者だったギリアムに手籠めにされそうになり、サフィラスは決死の覚悟で二階の窓から飛び出した。
しかし、それがサフィラスの運命を変えた。落下して頭を打ったショックで、大魔法使いだった前世を思い出したのだ。
かつての俺は無詠唱であらゆる魔法を使いまくり、仲間と共に世界を滅ぼすと言われた厄災の黒炎竜インサニアメトゥスを倒したことで英雄の一人になったのだが、討伐を祝う席で泥酔し、通りがかった馬車を引く馬に抱きつこうとしてはねられ、あっさり命を落としてしまった。
人の命はなんとも儚いものだな。
そして魂のみの存在となった俺は、運命の女神フォルティーナと出会い、人生やり直しのチャンスをいただいたのだ。
どうせ生まれ変わったのなら、今まで虐げられてきたサフィラスの分も人生を謳歌してみせる。
幸いにも、偶然俺の落下地点を歩いていたヴァンダーウォール辺境伯家子息のパーシヴァルに受け止めてもらったおかげで大した怪我はなかった。さらにこの落下が原因で屑のギリアムとの婚約が白紙になった結果、役立たずと罵られてめでたく伯爵家から廃籍され、碌でもない家族とも縁を切ることができた。
全方位いいことだらけだったのだが、貴族でなくなった俺は学院に通う資格を失うことになる。
となると、家を追い出されて行く場所がない俺は、雨風を凌げる寝床と日々の食事の心配をしなければならない。
それなら、得意の魔法で前世と同じ冒険者になって食い扶持を稼ごうと思ったら、なんとこの時代、十六歳にならなければ冒険者登録ができないときた。
さてどうするかと思っていた俺に救いの手を差しのべてくれたのが、ブルームフィールド公爵家のご令嬢、アウローラだ。彼女のおかげで公爵家の後ろ盾を得た俺は、これまでと変わらず学院で学んでいる。
学院ではとにかく色々なことがあった。
野外演習では巨大な魔蛇が現れたし、公爵家で行われたお茶会では予定になかった召喚合戦をやった。王太子殿下主催の夜会ではアウローラの婚約者だった第二王子をギャフンと言わせたり、そして元婚約者のギリアムに誘拐されちゃったりと……
前世を思い出してからというもの、息をつく間もないほど波乱ずくめの学院生活を送っている。
色々あったあれこれも俺の中ではすっかり終わったことなので、その後ギリアムがどうなったかなんて正直興味はない。
あいつの顎が硬いばっかりに痛めた、拳の恨みは忘れていないけどな!
「スペンサー侯爵家は今回の事件の責任をとって、家督を長男に譲ることになった。それから、御令嬢の婚約も白紙に戻されたそうだよ」
「そうですか……」
まぁ、そうだろうな。スペンサー侯爵令嬢が悪いわけじゃないけど、少しでも瑕疵のある家とのご縁は遠慮したいと思うのが普通だ。ご令嬢からしてみれば、飛んだとばっちりだけど。
「それで、そのことに夫人が憤激されてね、次男を遠縁の親類の元に送った。ところがその道中、次男はキャビンの中に紛れ込んでいた魔蠍に刺されたというわけだ」
キャビンに魔蠍、ねぇ……長距離の移動は荒野や山野で馬車泊もあるから、そういったものがキャビンに入り込む事故は稀にある。
そうだとしても、俺は事故の裏に何者かの意思を感じてしまった。
その意思が誰のものかまでは推し測ることはできないけれど、身内の中には相当恨みを持っている人物もいるだろうな。
……例えば、侯爵夫人とか。
なにしろ、自分の血が流れていない子の傍若無人な振る舞いの結果、娘の結婚が台無しになったのだ。そこには夫に対する恨み辛みもあったかもしれない。
ともあれ、全ては終わったこと。下手な勘繰りはするまい。
なんとも微妙な空気のお茶会がお開きになり、帰り際に公爵閣下から、お土産のお菓子と共に「期待しているよ」と激励の言葉をいただいて、俺は自分の立場を思い出した。
……期待とは、試験の結果のことだ。
学院では間も無く、学習の到達度を確認するための試験が行われるが、奨学生である俺にはある程度の成績を求められる。だから、どうでもいい男のことを考えている時間なんかないのだ。
試験の科目は語学、算術、魔法、大陸史、芸術。ただし剣術などの選択科目は含まれない。この試験の結果如何によっては進級できず留年となるので、周囲の雰囲気がなんとなくピリピリとしていて、自習室や図書館に通う学院生が増えた。
それにしても試験だなんて、前世では経験したことがない学生らしい行事だ。だけど、俺は案外楽勝ではないかと思っている。
ただ、ある一教科を除いて。
冒険者は職業柄、粗野で乱暴者が多いせいで学がないと思われがちだ。確かに学校に通っていたって言う奴は稀だし、事実学はないのだが、語学と算術だけはほとんどの冒険者が得意としている。何しろ金勘定ができなければ、報酬を誤魔化されてしまうし、言葉が不自由だったら他国で仕事を請け負えない。だから国を渡り歩いて仕事をするような冒険者は、数カ国語を話せて当たり前だったりする。ただし、外国語ができるといっても、訛っていたり、汚いスラングを使って会話したりしているわけだけど、そこは通じればいいので全く問題ない。
と、いうわけで、俺もその例に漏れないわけ。会話形式の試験なら眉を顰められるだろうが、読んだり書いたりなら訛りなんて関係ないしね。
算術に関しても、もと商家の三男だからそれなりに得意だ。
大陸史も一定の時代に限定されるものの、実際に経験したり見たりしてきたこともあるのでなんとかなる。
魔法は言わずもがな、これに関しては全くといっていいほど問題はない。
じゃあ何が駄目なのかというと、芸術なのである。
貴族の嗜みとして、芸術に関してなにかしら深い造詣を持っておけ、ということらしいのだけど、こればかりは前世の記憶では太刀打ちできない。絵なんて全くわからないし、音楽だって似たようなものだ。
音楽を聴くのは好きだけど作曲家がどうのとか、楽器の音色を聞いて誰それの演奏だとか、そんなことは正直全くわからない。そもそもわかる必要があるのかって話だ。
音楽なんて気持ちよく聴ければいいだろ。絵だって自分が好きならその価値なんてどうでもいいじゃないかって思うけど、貴族はそうもいかないらしい。
そもそも、サフィラスは芸術的情緒を育てられるような環境にいなかったしなぁ……
☆ ☆ ☆
「これがティティチェーリの女神の誕生、こっちがトルティロワの運命を導くフォルティーナ」
放課後のカフェテリアで、図書室から借りてきた図録を前にパーシヴァルの説明を聞きながら、絵画の特徴を頭に叩き込む。
これらの絵画の作者を覚えることが、俺の人生において果たしてなんの利があるというのか。
ただ作者の名前を覚えるだけならまだいいが、さらに絵には主義というものがあるらしいのだ。
主義とはなんぞや?
「では、この絵の作家とその主義は?」
「……う、」
わからん。全くわからん。
これは完全に詰んでいる。そんなの誰の絵だっていいじゃないか。
何ちゃら主義? それって生きて行くのに大事なことなのか? うるせー! そんなの知らん! とテーブルに並べられた図録を払い落としたくなる衝動をグッと抑える。絵ですらこんな感じなのに、来年からは音楽も試験の対象になるとか。
こんなんで、俺は無事に学院を卒業できるのだろうか……不安しかない。
「どうやら苦労しているようだな、サフィラス」
「クラウィス、リベラ……」
俺が頭を抱えていると、クラウィスとリベラがやってきた。あの夜会以降、学院内でクラウィスたちと交流を持つことが増えた。最近は四人でランチをすることもある。
気が付けば、一人ぼっちだった俺に友人ができていた。百人には程遠いけど、彼らは信頼できる、得難き友だ。
一人でも値百人。つまり、今の俺はアウローラを入れて、友人が四百人いることになる。
これは強い。もうパルウム山に登って、サンドウィッチを食べてもいいだろう。
「サフィラスはなんでもできると思っていたが、苦手なものもあるのだな」
「まぁ、ね」
俺は魔法が得意なだけで、万能なわけじゃない。
テーブルに突っ伏して、深い深いため息を吐く。
芸術とは、こうも容易く人を絶望へと追い落とすものなのだ。俺は深く学んだぞ。
「少し、休憩するか」
「しよう!」
パーシヴァルの提案に両手を上げて賛成する。甘いものを食べて、頭に栄養補給だ。ささっとテーブルの上の図録を片付けて、お茶とお菓子の注文に向かう。
今日の日替わりスイーツは卵をふんだんに使ったカスタードのタルトとドライフルーツのケーキだ。
両方とも俺の大好物なので、どちらを選ぶべきかものすごく迷う。
「あー、迷うな。どっちも食べたい」
「それならば、両方頼んで俺とシェアしよう」
「え! いいの?」
「ああ、もちろん」
「やった!」
パーシヴァルのありがたい申し出に、俺は遠慮なく乗らせてもらう。
お菓子と香り高いお茶をトレイに載せてもらって上機嫌でテーブルに戻ろうとすれば、何かに足を引っ掛けて前につんのめった。
すわ、これは大惨事! と思ったけれど、俺の持っていたトレイはひっくり返る前にクラウィスがさっと取り上げ、転びかけた俺をパーシヴァルが支えてくれてなんとか惨事は免れた。
「あ、ありがとう。二人とも、助かったよ」
「……ちっ」
危ないところを二人に助けられ安堵していると、すぐ近くから舌打ちが聞こえた。
おや、と周囲を見回せば、側のテーブルで明らかに不自然な視線の逸らし方をしている学院生がいる。
一見おとなしそうな風貌ながら、なかなかいい根性をしているじゃないか。
最近、こういった下らない嫌がらせを受けることがしばしばある。帳面を破られたりとか、見知らぬ学院生に突き飛ばされたりとかね。
一応、嫌がらせとはいったけれど、俺としては嫌がらせとすら思っていない。せいぜい、野営をしていたら虫に刺されたな、その程度の感覚だ。
ただ、帳面は公爵家からいただいたお金で買っているので、さすがに放置したままでは良くないなと思っていたのだが……なるほどなるほど、さてはお前の仕業だったのか?
なんで彼が俺に嫌がらせをしたいのかはわからないが、たかが虫でも頻繁に刺されれば鬱陶しい。まぁ、次やったらその足を容赦なくへし折るがな。
帳面の件は、現行犯でないと冤罪になっちゃう可能性があるから、とりあえずは保留。
命拾いした今のうちに行動を改めろよ、少年。
「……サフィラス、いい顔になっているぞ」
「え?」
おっと、またしてもパーシヴァルがいうところの悪役顔をしていたらしい。
悪役というのも魅力的ではあるけれど、そもそも俺に悪役は向いていない。悪役に必要な美学っていうものが欠けているからな。
悪党と悪役は全くの別物だ。悪党は美学も信念も何もないただの屑だが、悪役というのは時に正義のために、あるいは己の崇高な信念のためにあえて茨の道をゆく者だ。
今でこそ、随分と御大層な魔法使いとして語られているフォルティスだけど、実際中身は適当なお調子者だったから、しばしばウルラに阿呆使いだと言われていた。
阿呆とはあんまりな言われようだが、その集大成が自分から馬車に突っ込んで死んだことなので、強く否定はできない。そんな俺に、美学も信念もあったもんじゃないよ。
「大陸随一の大国ソルモンターナ王国の貴族学院だというのに、足癖の悪い学院生もいるのだな、リベラ?」
「ええ、そのようですね。クラウィス様」
おっと、わかりやすい嫌味が二人から飛び出した。
言われた奴は羞恥と怒りで顔を赤くしている。でも、相手は他国の留学生だもんな。
言い返さないところを見ると、虫刺され程度の嫌がらせはするけれど、他国の客人に対しての無礼は行わない分別はあるらしい。
それともただの小心者か?
「まぁまぁ、長すぎる足を持て余してのことだろ。それより、みんなありがとう。おかげで大惨事にならずに済んだよ。お茶が冷める前に早く行こう」
俺は三人を促して、さっきのテーブルに戻る。
今の俺に、虫に構っている時間はないのだ。休憩の後は、再び立ちはだかる絵画の堅固な壁を相手に戦わなければならない。
魔法が通じない相手には、さすがの俺でも勝てる気がしないけど。
時には負けるかもしれないと思っても、立ち向かわなければならない敵もいるのだということを、人生二度目にして学んだ。
そんなことがあったその日の夜、俺は古典主義だとか印象主義だとか訳のわからない絵画に追いかけまわされる悪夢を見て、全く寝た気がしなかった。
地味な嫌がらせよりも、俺にはこっちの方がよっぽど応えたよ。
☆ ☆ ☆
芸術に散々悩まされながらも、それから間も無く始まった三日間の試験期間をなんとか乗り切った。ほとんどの教科は概ね問題ない程度の点をとれたと思うけれど、芸術だけはわからない。
これで到達度が不可だったら、本当に公爵閣下ごめんなさいと頭を下げるしかないだろう。
とはいえ、である。試験は終わったのだ。
俺は解放された! もう、絵画の悪夢は見なくて済む! と浮かれた気分で足取りも軽く歩いていると、見知らぬご令嬢方に呼び止められた。
「突然のお声かけ失礼いたします、サフィラス様。少々お時間をいただいてよろしいかしら?」
「申し訳ありませんが、わたくし達にお付き合いいただきたいのです」
「はぁ……」
彼女たちが纏うピリついた気配から察するに、これはアレだな。呼び出しというやつだ。
呼び出される覚えはないけど、別に急ぎの用事があるわけでもないので素直についていく。
実のところ、このご令嬢方に一体何をされるのかちょっと興味がある。
冒険者の間でも、たまにこんなことがあるのだ。
そこそこ冒険歴が長いからと何か勘違いしている奴が中にはいて、駆け出しの冒険者を呼び出してはくだらない嫌がらせをする。
大魔法使いなんて呼ばれていた俺も冒険者になったばかりの頃はソロだったから、何度か酒場の裏に呼び出されたもんだ。当然返り討ちにしたけどね。
ちょっとワクワクしながら二人のご令嬢についていけば、なんと高位貴族の子女しか使えないサロンなる場所に案内されてしまった。
学舎裏の人目につかないところにでも連れていかれるのかと思っていたので、予想外のことにサロンの入り口でポカンと立ち尽くす。
えっと、まさかここで詰られたりするのかな? 限られた学院生しか利用できない場所だから、確かに邪魔は入らないだろうけど。
「サフィラス様、こちらへどうぞ」
促されるままサロンへ入ると、三人のご令嬢が待っていた。明るく綺麗なサロンのテーブルにはさまざまなお菓子が並び、使用人がお茶の準備をしている。
どう見ても嫌がらせをされるような雰囲気じゃない。
はてさて、これは一体どういうことか? まさか熱いお茶をかけられたり、お菓子で制服を汚されたりするのかな?
「サフィラス様、わたくし達のお茶会へようこそいらっしゃいました」
身構えていると、ご令嬢の方々が揃って綺麗な挨拶を披露してくれた。
「え?」
「突然お誘いしてしまって、申し訳ございません。さぞ驚かれたことと思います。サフィラス様はいつも太陽の騎士様といらっしゃいますでしょう? なかなかお声がけできなかったのですが、試験も終わりましたし、思い切ってサフィラス様をわたくし達のお茶会にご招待させていただきましたの」
「さあ、サフィラス様、どうぞこちらにお座りくださいませ」
ご令嬢の一人が俺を主賓の席へと案内してくれる。
えーっと、もしかしてこれは呼び出しではなく、お茶会のご招待?
「わたくし達、こうしてゆっくりとサフィラス様とお話ししたかったのですわ!」
「アウローラ様からサフィラス様は甘いものがお好きとお聞きしまして、とっておきのお菓子を持ち寄りましたの」
ご令嬢の一人が控えていた使用人に視線を向けると、心得たとばかりにお茶が運ばれてくる。目の前に並ぶ皿には、見たこともない色とりどりの菓子。
「えーっと、皆さんは……?」
「あら、まぁ! これは大変失礼いたしました。わたくし達の自己紹介がまだでしたわね」
五人のご令嬢たちは一人一人丁寧に自己紹介をしてくれた。みんなクラスは違うけれど、以前から俺に声をかけたいと思っていたらしい。
「何しろ、宵闇の精霊様と呼ばれるほどのお方ですもの、気安くお声かけをして、皆様に抜け駆けだと思われるのもよろしくないでしょう」
「ですが、折角同じ学舎で学ぶ学院生同士、あまり遠慮をして交流を持たないのももったいないと思いまして、今回はこのようにお茶会の場をご用意いたしましたの」
「さあ、サフィラス様。ご遠慮なさらずにお菓子をお召し上がりくださいませ。今が旬のペシェのタルトがお勧めですわ」
「チーズとベリージャムのクッキーも美味しいですよ」
ご令嬢たちが次から次へと、珍しいお菓子を勧めてくれる。これは嬉しい困惑だ。
「えっと、では、遠慮なくいただきます」
俺は早速、勧められたお菓子に手をつける。
どれもこれも珍しいものばかりだ。きっと今王都で流行っているお菓子なんだろう。女性は流行に敏感だからね。
「そういえば、先日行われた王太子殿下主催の夜会は、クラスでも大層話題になっておりましたわ」
「ええ、ええ、サフィラス様を筆頭に、麗しい三騎士様がアウローラ様をお守りする姿は本当に、胸がときめく光景でしたもの」
「わたくし、胸がドキドキしてあの夜は眠れませんでしたのよ」
話題が夜会の話になると、ご令嬢方は瞳をキラキラと輝かせた。
どうやらみんな、あの場にいたらしい。
「サフィラス様は、アウローラ様が聖女様だとご存じでしたの?」
「えーと、聖魔法使いであることは知ってたかな」
「クラウィス様がワーズティターズの王太子殿下だということもですの?」
「いや、それは本当に知らなかった」
ご令嬢たちから、次から次へと質問が飛んでくる。
「それにしても、アウローラ様は素晴らしくお美しかったですわね」
「ええ! 本当に奇跡の瞬間でしたわ……」
「それに比べて……」
「ええ、本当に」
「あの方々には、がっかりでしたわね」
ご令嬢たちがそれぞれ目配せをして頷きあう。
「不貞を働いているにもかかわらず、あのような夜会の場で堂々と婚約破棄を叫ばれるだなんて。非常識にも程があります」
「お相手の方も少々勘違いをなさっていらっしゃいましたし……」
「もともと、あまりいい噂のある方ではございませんでしたでしょう?」
不敬になるので名前こそ出てこないが、がっかりされているのは第二王子で、勘違いしていたとされているのはスティアード嬢のことだろう。
件の夜会の騒動は、ここだけじゃなくてどこのお茶会でもいいお茶請けの話題になっているに違いない。
あの場で動じることなく堂々と振る舞い、その上聖女であることが知られたアウローラの評判はこれまで以上のものになったけど、第二王子とスティアード嬢の評判はもう下がりようがないほど下がり切っている。そもそもあったかどうかはわからないが、彼らが名誉を挽回するのは相当に大変そうだ。
夜会の話が一段落すると、今度は魔法の話で盛り上がった。
俺はここで当然、杖の素晴らしさを滔々と語る。みんな真剣に俺の話に耳を傾けてくれたので、熱を入れて語ってしまい、お茶を三杯もお代わりした。お菓子はどれもこれも美味しいし最高だ。
そんな和やかなお茶会は、一刻ほどでお開きとなった。
「ご馳走様でした。お菓子、どれもとても美味しかったです」
「ぜひまた、わたくし達のお茶会にご参加くださいませ」
「宵闇の精霊様とお茶をご一緒したと知ったら、皆様きっと羨ましがりますわね」
恥ずかしい二つ名も、こう何度も呼ばれるといい加減慣れてくるな。
ちょっとばかり苦い笑いを浮かべながら、俺はサロンを後にした。
あんな呼び出しだったらいつでも大歓迎だよ。
彼女たちには後で、お菓子のお礼に花でも贈った方がいいかな。その辺はパーシヴァルに相談すれば、いい助言を貰えるかもしれない。
足取り軽く寮に戻る途中、剣の稽古を終えたらしいパーシヴァルとばったり会った。
「サフィラス」
「あ、パーシヴァル。剣の稽古は終わったの?」
「ああ。サフィラスは何をしていたんだ?」
「ご令嬢方のお茶会にお呼ばれしてたんだ」
「お茶会?」
パーシヴァルが怪訝な顔をしたので、ご令嬢方のお茶会に呼ばれて、初めてサロンに入ったことや珍しいお菓子をご馳走になったことを話す。
「それはよかったな」
「それでさ、彼女たちに何かお礼をしたいんだけど、俺はそういう作法に疎いから教えてもらえるとありがたいんだけど……パーシヴァル?」
微笑みながら話を聞いてくれていたパーシヴァルが俺の後ろに視線を向けた途端、たちまちその表情を険しくした。
「サフィラス!」
なんだ? と思った時には腕を強く引かれ、ぐっと抱き込まれた。
何事!? と混乱しながらも、咄嗟に防壁魔法を張って周囲の守りを固めると、どん! と何かが防壁に強く当たった衝撃と女性の甲高い悲鳴が上がった。
え? なに、なに? 一体なんなの!? パーシヴァルにすっぽりと抱えられてしまった俺には、体格差のせいで周囲の様子が見えない。
なんとか首を伸ばしてパーシヴァルの肩越しに何が起きたのかを確認すると、少し離れたところで一人のご婦人が地面にひっくり返っていた。どうやらあのご婦人が突進してきたらしい。
余程勢い込んで突っ込んできたんだろう。
防壁に弾き返され倒れた拍子にドレスが捲れ、すっかり御御足が見えてしまっている。
え? これ、どうしたらいいの? 手を貸すべきなの? それとも見なかったことにすべき?
なんとなく気まずくてスッと視線を逸らすと、先の折れた短剣がご婦人の側に落ちているのを見つけた。
なるほど、あれで俺を刺そうとしていたのか。いくらなんでも、あんなので刺されたら死ぬ。下手したら、俺を庇ったパーシヴァルが危ないところだった。
そんなの冗談じゃない! なんでこんな見ず知らずのご婦人に命を狙われなきゃならないんだよ?
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