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閑話 真夏の夜に見た夢

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 やけに寝苦しくて目が覚めた。
 昼間の影響が残っているのか、ひどく蒸し暑い夜だ。
 今日は昼を過ぎた頃、にわかに空がかき曇り雷を伴う激しい雨が降った。雨は半刻ほどで止んだけれど、雨が上がると嘘のように晴れ渡ったのだ。
 太陽が濡れた大地を照らすと息苦しいほど蒸し暑くなり、あまり体力のないサフィラスは、あっという間に弱り切っていた。水を多く飲ませ、日陰でしばらく休ませたら元気を取り戻したが、夕食はほとんど食べなかった。それでも、食べなければ体力が落ちる自覚があるサフィラスは、果汁の多い果物を黙々と食べていた。肉への執着が強いサフィラスが肉を食べないのだから、これはかなりの重症だ。
 地形のせいかここはこの季節の気温が高い。本格的な夏を迎えれば連日この暑さが続く。今日のサフィラスの様子を見れば、この先が少々心配だ。
 それにしても、どんな環境でも眠れるようにと幼い頃から鍛えられてきた俺は、多少の暑さ寒さで眠れなくなるようなことはないはずだが、珍しいこともあるものだ。
 この状況にも慣れたと思っていたが、もしかしたらまだどこかで緊張しているのかもしれない。
 この国にきてからサフィラスと同室で過ごし、同じ寝台で眠っている。サフィラスは当たり前のように一緒に寝るつもりでいたようだが、俺はそうは思っていなかった。婚約しているとはいえ、まだ正式に伴侶になったわけではない。間違いがあってはならないのに、同じ寝台に入るなどあり得ないと思っていたのだが。野営で同じ天幕の中で眠るのと何が違うのかと言われて仕舞えば、返す言葉もない。サフィラスは俺とこうしていても、間違いなどあり得ないと信じきっている。そこまで信用してもらえるのは光栄だが、反面複雑でもある。そんな思いで、緊張の原因を作っている相手に視線を向けてギョッとする。
 窓から差し込む青白い月の光の中で、なぜか下履き一枚の姿になっているサフィラスが手足を投げ出して眠っていた。暑さに耐えかねて、無意識のうちに夜着を脱ぎ捨てたのだろう。なんとも器用なことだ。
 唯一身につけている下履きも、かろうじて腰に引っかかってなんとか下腹部を隠しているが、もしかしたら下履きすらも脱ごうとしていたのかもしれない。
 この暑さだ。よもや風邪を引くことはないだろうが、せめて腹を冷やさないようコットンケットを掛けようとして、思わず手が止まった。
 宵闇の精霊は月光より生まれいずるという。
 月に照らされるサフィラスの肌はまるで透き通るようで、今まさに月光より生まれた精霊のようだ。触れれば消えてしまうのではないかと思わせる儚い美しさがある。
 精霊も俺と同じ体を持っているのだろうか……
 うっかりその心許ない布の下に意識が向かいそうになって、慌てて視線を逸らす。
 サフィラスに如何わしい妄想を押し付ける輩は少なくない。黙っていれば綺麗でおとなしそうな少年に見えるからだろう。サフィラスはそんな奴らを歯牙にもかけないが、下卑た言葉で彼の尊厳を傷つけようとし、悍ましい欲望を滾らせた目を向ける輩の全てを、俺は斬り捨ててやりたいと思っている。
 決してサフィラスを神聖視しているつもりはない。サフィラスは俺の伴侶となる人だ。守るべき大切な人をそのような目で見られて黙っているほど、腑抜けではないつもりだ。
 とはいえ、サフィラスに俺の伴侶になるという自覚がどこまであるのかは甚だ疑問だが。
 伴侶だからと言って、必ずしも体を繋げるわけではない。特に子を成せない俺たちは無理にそうする必要はないのだ。今のサフィラスの様子から察するに、生涯俺と共に歩むつもりはあるけれど、それ以上のことは全く考えていないといったところだろう。サフィラスは妙に老成しているところがある一方で、既知の事柄に疎い面もある。
 だからこうして、一つの寝台で共に寝ようなどと簡単に言えるのだ。
「はぁ……」
 手のひらで額の汗を拭うと、深いため息をつく。サフィラスから寄せられる全幅の信頼が些か重い。俺も所詮は普通の男だ。人並みの欲はある。俺がその白い肌に触れたいと思っているなんてことを、サフィラスは想像すらしないのだろうな。
 穏やかに眠るサフィラスの淡い色の唇が、まるで誘うようにわずかに開いている。汗で首筋に張り付く黒髪が言いようのない色香を放つ。
 そうしたのは、全くの無意識だった。
「……ん、」
 唇が触れ合う直前、小さく漏れたサフィラスの声にはっと我に返る。いつの間にかサフィラスの唇に触れようとしていた。すでに幾度か唇を重ねているとはいえ、寝ている時に触れるのはいくら婚約者だからといっても礼儀に反する。
「……少し頭を冷やすか」
 寝台を出て浴室に向かうと、逆上せた頭を冷ますために頭から水を被る。
 この暑さで、俺もどうかしたのかもしれない。

 四半刻も水を浴びていれば、さすがに頭も冷える。
 寝台に戻れば、サフィラスは変わらず深く眠っていた。剥き出しのままの腹にコットンケットを掛けてから、その隣に横になる。余計なことを考えずにさっさと寝るに限る。
 ところがサフィラスはそれを許してはくれなかった。寝ているはずのサフィラスが俺に抱きついたのだ。
「サフィラス……?」
「……冷たくて、きもち……」
 足を絡めるように身を寄せてきたサフィラスに、頭を抱えたくなった。水を浴びて冷えた俺に涼を求めるのはわかる。
 わかるが、これは……
 絡みつくサフィラスの体温に、腹の奥がずくりと疼きそうになる。引き離すこともできるが、それをできない自分がいた。微かな寝息をすぐそばに感じながら、キングスリー殿の指導を思い返す。
 常に己を見失うな。窮地の時こそ冷静であれ……
「今がまさに窮地の時だな」
 自ら招いている窮地に、俺はため息をつくと目を閉じた。



「パーシヴァル……パーシヴァル、」
 耳に心地よい声で名を呼ばれて、意識が浮上した。いつの間にか起きたのだろうか、サフィラスが俺を見下ろしていた。深い青の瞳が、月光のもとで不思議な色に揺れている。相変わらず綺麗な瞳だ。
「どうした、サフィラス?」
 サフィラスは問いかけに答えることなく、蠱惑的な笑みを浮かべると一糸纏わぬ体で倒れ込んできた。
「サフィラス?」
 サフィラスは頬を胸元にすり寄せ、時々柔らかい唇を押し付けてくる。湿った温い吐息を感じて、急激に体温が上がった。これ以上はまずいと、サフィラスを引き剥がそうとすれば、なぜか体が動かない。まるでサフィラスの魔力を体に流された時のようだ。けれど、あれは杖がなければできないはず。
 内心で焦る俺をよそに、サフィラスは足を絡め、滑らかでしっとりとした肌をいっそう密着させた。なのに、一息に俺を昂めるようなことはせず、どこまでも焦らすように肌に触れるのだ。
 一体俺は何をされているんだ? そう思えど、好いた相手にこんなふうに触れられて仕舞えば、体は俺の意思に反して勝手に反応をする。熱を帯びたそこを、サフィラスに触れさせないようただただ必死になっていた。

「……っ」
 じりじりと追い詰められ、あわや忍耐力が焼き切れるかというところで目が覚めた。
 心の臓が忙しなく胸を打っている。せっかく水を浴びたというのに、汗がじとりと体を湿らせる。
「夢か……」
 いつの間に眠っていたのか。深く息をついて夢であったことに安堵すれば、胸元に熱を帯びた重みがあることに気がついた。
 夢の原因はこれか……
 サフィラスが俺の胸を枕にして眠っていた。俺があんな淫らな夢を見ていたというのに、サフィラスは実に清らかな寝顔をしている。ほっとしつつ、罪悪感をも抱く。夢とはいえ、サフィラスとあんなことを……
 サフィラスに如何わしい欲望を向ける輩を憎んでおきながら、これでは俺も奴らと変わらないじゃないか。苦い思いが込み上げるが、まずは現状をなんとかしないとならない。今の俺は少々まずいことになっていて、これをサフィラスに気取られたくはない。
 幸いにもサフィラスの眠りは深い。寝つきも良く、一度眠ると滅多なことでは朝まで目を覚さない。もしかしたら、俺よりもよほどどんな環境でも眠れるのかもしれない。
 俺もまだまだ鍛錬が必要なようだ。サフィラスが関わると簡単に心を乱してしまう。こんなことでは、いざという時にサフィラスを守れなくなってしまう。
 ともかく一度サフィラスから離れようとすれば、あろうことかサフィラスはいっそう強くしがみついてきた。その様子は親から引き離されまいと必死に縋る子供のようで、振り解くこともできない俺はますます困り果てる。
 とにかく、一刻も早く昂りかけている下半身を宥めなければならない。サフィラスから意識を逸らすべく思考を回す。
 ……そうだ、明日の朝食はサフィラスに力がつくものを食べさせなければ。朝ならばまだ食欲もあるはずだ。それからもう少し涼しい夜着を用意して、夜を過ごしやすくする……寝不足は体力を奪う。できるだけ体の負担が少なくなるよう、これからは気をつけなければ。
 はたと気がつけば、結局サフィラスのことを考えていた。
「寝ても覚めてもとはまさにこのことだな……」
 込み上げる愛おしさのままに、しがみつく無防備なサフィラスの細い体をそっと抱き返す。
 しかし、それが失敗だったことにすぐ気がついたけれど、触れてしまった後ではもう遅い。
 結局俺は窓の外が白々としてくるまで、これまで討伐した魔獣の数を数える羽目になったのだった。


 
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