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パーシヴァルの大切な人
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オリエンスの街は色とりどりのランタンで明るく照らされていた。
すっかり日が暮れているというのに、たくさんの人達が行き交ってとても賑やかだ。中には親に手を引かれた小さな子供達の姿もある。こんな時間の出歩きも、祭りならではの光景なのだろうな。
「賑やかだな!」
「ああ、この時期は多くの人がここに集まるが、それだけ胡乱げな奴らも入ってくる。サフィラスなら大丈夫だとは思うが、逸れないようにしてくれ」
「わかってる。王都でも迷子になったしね。絶対に手は離さないよ」
俺はパーシヴァルと繋いだ手に、ぎゅっと力を入れる。
さぁ、思う存分お祭りを楽しむぞ。まずは、屋台飯だよね!
「まずは腹ごしらえしようよ。何かおすすめはある? できれば肉がいいな!」
「ならば、山賊焼きでも食べてみるか?」
「え? 何、其の物騒な名前の食べ物」
「山鳥の肉に香辛料をたっぷりとまぶして焼いたものだ。恐らく、山鳥を使っているから山賊焼と言っているのだと思うが……」
山賊でもなんでも、それは是非食べるべき肉だろう。
早速パーシヴァルに連れて行ってもらった山賊焼の屋台で、山鳥の肉が焼けるのを待つ。山鳥は自身の脂で皮が香ばしくパリッと焼けていて、脂を滴らせながら早く食べてくれと言わんばかりに俺を誘っている。
「はいよ、山賊焼2本! お待たせ!」
「待ってました!」
待ちに待った山賊焼をようやく受け取る。
うーん! 香辛料と焼けた鶏肉の食欲を誘う良い匂い!
串に釘付けになっている俺を、パーシヴァルが人の流れから外れた場所に誘導してくれた。近くにある飲み屋がテーブルと椅子を外に並べていて、そこで酒を飲んでいる人たちや食事をしている人達がいる。其のおかげもあって、今立っている所は人の流れが緩やかだ。俺は脂が滴る肉に早速かぶりつく。
たっぷりかけられた香辛料がかなりピリっとするけど、それがいい。鳥の皮は思った通りパリッとしていて、柔らかい肉からはじゅわっと肉汁が口いっぱいに広がった。
「……! ぅ、うまーいっ!」
こんなの何本だって食べられちゃうだろ! 山賊焼恐るべし!
無心で食べた山賊焼きは、あっという間に俺の腹の中に収まった。
「……サフィラス、香辛料がついている」
パーシヴァルはさっとハンカチーフを出すと、俺の口元を拭ってくれた。うっかり、がっつきすぎた。小さい子供じゃあるまいし、ちょっと恥ずかしいな。
「あ、ありがとう」
へへっと笑って恥ずかしさを誤魔化していれば、10歳くらいの女の子がパーシヴァルの袖を遠慮がちにくいくいと引いた。
「騎士さま、ヨールの冠はいりませんか?」
女の子が腕に下げている籠には、柊で作られたヨールの冠がいくつか入っていた。魔除けの効果がある柊で作られた冠は、ヨールによく飾られる。
「騎士さまの大切な人に、おひとついかが? 贈られた人が幸せになるように、祈りを込めて作った冠なのよ」
女の子はこてりと首を傾げ愛らしい笑みを浮かべたけれど、外套は何箇所も継がしてあって随分と草臥れている上に、小さな手は傷だらけだ。きっと柊の冠はこの女の子が作ったんだろう。拙い作りだけれど、色とりどりの木の実や白い鳥の羽で飾ってあって意匠が凝らしてある。
ヨールのお祭りの期間だからといって、誰もが浮かれているわけじゃない。1日の麺麭を得るために、僅かでも稼がなければならない人たちもいる。お祭りの期間は稼ぎどきで、楽しむものじゃない。それは、こんな小さな子でも例外ではないんだ。
「……一つ頂こう。いくらだ?」
パーシヴァルが膝をついて、女の子と視線を合わせる。
「小さな白銅貨一枚よ」
「では、これで」
パーシヴァルは銅貨を一枚渡す。掌に乗せられたそれに、女の子は心底困ったような顔をした。
「……ごめんなさい、お釣りがないの」
それはそうだろう。この貧しい身なりの女の子が、釣り銭を用意するのは容易なことではない。冠の材料も、森に行って自分で集めてきたものだろう。
「釣りはいらない」
「でも、こんなにもらえないわ」
「其の冠には君の祈りが込められているのだろう?」
「ええ、勿論よ! 心を込めて作ったの!」
少女が胸を張って答える。貧しくても、自らの力でしっかりと足をつけて生きて行くと決めている眼差しだ。この子は強いな。
「ならば、俺の大切な人に送るに相応しい価値のある冠だ」
パーシヴァルが微笑むと、女の子は頬を染めた。こんな小さな子まで虜にするなんて、太陽の騎士の微笑みは強い。せっかくだから、俺もお土産に冠を買おうかなと思っていたら、少女から冠を受け取ったパーシヴァルが立ち上がって俺をじっと見つめた。相変わらず凛々しくて綺麗な顔をしている。こんな顔で見つめられたら、大抵の人はうっかり恋心を抱くんじゃないか? それなのに、浮いた話の一つもないなんて。
……あ、いや。かなり強烈なご令嬢に執着されているんだった。太陽の騎士の微笑みは強いが、諸刃の剣だ。
それで、その冠は誰にあげるんだろう? アデライン夫人かな? 夫人は真心を無碍にするお人じゃないから、女の子の作ったこの冠を喜んで受け取るだろう。それとも、他にあげたい人がいたりするのかな?
「サフィラスに祝福と女神の加護を」
パーシヴァルがヨールの冠を恭しく俺の頭に乗せる。
「……え? 俺?」
騎士から冠を戴いたのは、まさかの俺だった。女の子が素敵と呟く。
「やっぱり、雪の精霊さまが騎士さまの大切な人だったのね!」
「ああ、そうだ」
「うふふ。ひとめ見て、きっとそうだと思ったの。冠を買ってくれてありがとう! お二人に幸運が訪れますように!」
女の子はそう言って手を振ると、柊の冠を売るために通りを行く人の流れに紛れていった。随分とませた女の子だなぁ。それに雪の精霊ってまた大袈裟な呼び名がついたぞ。だけど、パーシヴァルの大切な人って……
「パーシヴァルの大切な人って、俺だったの?」
「そうだ。サフィラスは……仲間だろう?」
其の通りだけど。でも面と向かって言われると、背中がこそばゆいな。パーシヴァルは真面目で、滅多に軽口を叩かない。だから、冗談でもなんでもなく、本当に俺を大切だと思ってくれているんだろう。だったら俺も、パーシヴァルの誠実さに応えなきゃな!
「うん。なら、俺の大切な人はパーシヴァルだね」
俺がそう言えば、何故かパーシヴァルは少し驚いたような顔をした後、珍しく視線を彷徨わせた。なんだか顔が赤いけどだいじょうぶか?
「顔が赤いけど、大丈夫?」
「あ、ああ、大丈夫だ……そろそろ他の店も覗いてみないか」
「そうだね!」
よく分からないけど、大丈夫そうなパーシヴァルが差し出した手を取った時だ。
何かを倒したようなけたたましい音と共に怒声が響く。何事? と周囲を見回せば、外のテーブルで飲んでいた酔っ払いが喧嘩を始めたところだった。体の大きな冒険者らしき男4人が、激しく言い争っている。酔っ払いの喧嘩の原因なんて、大抵は下らない事だ。俺なら放っておくけど、パーシヴァルは街の警邏も兼ねているから、そうはいかないだろう。
「サフィラス、少しここで待っていてくれ」
「わかった」
あの程度の輩なら俺が出る幕でもないだろうが、そうこうしている間に男たちの殴り合いが始まった。2対2になった彼らは周囲の迷惑も顧みずに取っ組み合いを始める。周りに座っていた客たちは、巻き込まれては敵わないと、エールのジョッキと料理の皿を持って避難する。慣れたもんだ。
だけど、通りを行く人達は慣れた者たちばかりじゃない。子供連れや年寄りもいるし、荒事とは無関係の人たちだっている。体の大きな男どもが暴れているのだから、恐ろしいと思うだろう。多くの人間が一度に動く事態は危険だ。騒ぎの原因がわかっている人達は良いが、何が起きているのかわからない人達は、とにかく危険から離れようとする。そうなってしまうと、制御できない人の流れがさらに混乱をまねくことになる。
「……あ、」
酔っ払いたちと距離を取る通行人の中に、さっきの女の子を見つけた。通行人たちは小さな女の子に気がついていないのだろう。乱闘に巻き込まれないよう逃げようとする人と、何も知らず先に進もうとする人たちの間で間で揉みくちゃにされ、とうとうペシャリと地面に倒れ込んだ。女の子は転んだ拍子に手放してしまった籠を拾おうと、懸命に手を伸ばしている。それに気がついたパーシヴァルが人の流れの中に飛び込み、女の子が踏まれる前に抱き上げた。そんなことにも気が付かず、掴み合い殴り合う男たちは飲み屋の店先から通りにまで飛び出して来ると、女の子の籠を蹴り飛ばし、冠を無惨にも踏み潰した。女の子の目の前で、心を込めて作られた柊の冠がばらばらになってゆく。
あれは少しでも家の助けになるようにと、小さな手で懸命に編まれた冠だ。しかも冠を手にした人が幸せになるようにと、祈りだって込められている。それを踏みつけるだなんて!
殴り飛ばされた大男が屋台の一つに突っ込んでゆく。簡易作りの店はあっという間に壊れ、食材が地面に散らばった。あの食材だって、この稼ぎ時のために店主が方々走り回って調達してきたんだろう。
男たちの争いはますます激しくなり、人の波に押されたパーシヴァルが必死に女の子を守っている姿が見えた。このままじゃ、パーシヴァルだって危ない。
盛り上がるのはいい。酒を飲むのも大いに結構。だけどヨールはみんなが楽しむものだ!
「……おい! こら! そこの酔っ払い共! いい加減にしやがれっ!」
殴り合っていた男の1人の背後に転移すると、其の後頭部を杖で思い切り殴り飛ばす。
勿論魔力を込めた殴打だ。確実に決まったそれに、男の巨体がひっくり返る。続け様に、もう1人の男の鳩尾を狙って杖を突き込む。当然手加減などしない。この男も一瞬にして意識を失うと、泡を吹いてバタンと倒れた。
騒然としていた周囲がしんと静まり返り、掴み合った男たちの動きが止まる。
「……まだ暴れるつもりなら俺が相手になるけど? ただし手加減は一切しない。やるなら覚悟しろよ」
まだ立っている2人に杖をビシッと突きつける。俺の感情に反応しているのか、杖から溢れる魔力がいつもより多い。きらきら、きらきらとちょっと緊張感を欠いている。俺は怒っているんだから、黒い霧とかの方が迫力があるんだけどな。
「あ、いや……その、」
仲間が倒された様子を見て、漸く酔いが覚めたらしい。青褪めた顔をした男2人は、すっかり暴れる気力を削がれたようだ。こうしてすぐに大人しくなったところを見ると、根っからの乱暴者ではないのだろう。
「ヨールの祭りだ。盛り上がるのは大いに結構。だけど、いい大人が人に迷惑をかけるな」
すっかり日が暮れているというのに、たくさんの人達が行き交ってとても賑やかだ。中には親に手を引かれた小さな子供達の姿もある。こんな時間の出歩きも、祭りならではの光景なのだろうな。
「賑やかだな!」
「ああ、この時期は多くの人がここに集まるが、それだけ胡乱げな奴らも入ってくる。サフィラスなら大丈夫だとは思うが、逸れないようにしてくれ」
「わかってる。王都でも迷子になったしね。絶対に手は離さないよ」
俺はパーシヴァルと繋いだ手に、ぎゅっと力を入れる。
さぁ、思う存分お祭りを楽しむぞ。まずは、屋台飯だよね!
「まずは腹ごしらえしようよ。何かおすすめはある? できれば肉がいいな!」
「ならば、山賊焼きでも食べてみるか?」
「え? 何、其の物騒な名前の食べ物」
「山鳥の肉に香辛料をたっぷりとまぶして焼いたものだ。恐らく、山鳥を使っているから山賊焼と言っているのだと思うが……」
山賊でもなんでも、それは是非食べるべき肉だろう。
早速パーシヴァルに連れて行ってもらった山賊焼の屋台で、山鳥の肉が焼けるのを待つ。山鳥は自身の脂で皮が香ばしくパリッと焼けていて、脂を滴らせながら早く食べてくれと言わんばかりに俺を誘っている。
「はいよ、山賊焼2本! お待たせ!」
「待ってました!」
待ちに待った山賊焼をようやく受け取る。
うーん! 香辛料と焼けた鶏肉の食欲を誘う良い匂い!
串に釘付けになっている俺を、パーシヴァルが人の流れから外れた場所に誘導してくれた。近くにある飲み屋がテーブルと椅子を外に並べていて、そこで酒を飲んでいる人たちや食事をしている人達がいる。其のおかげもあって、今立っている所は人の流れが緩やかだ。俺は脂が滴る肉に早速かぶりつく。
たっぷりかけられた香辛料がかなりピリっとするけど、それがいい。鳥の皮は思った通りパリッとしていて、柔らかい肉からはじゅわっと肉汁が口いっぱいに広がった。
「……! ぅ、うまーいっ!」
こんなの何本だって食べられちゃうだろ! 山賊焼恐るべし!
無心で食べた山賊焼きは、あっという間に俺の腹の中に収まった。
「……サフィラス、香辛料がついている」
パーシヴァルはさっとハンカチーフを出すと、俺の口元を拭ってくれた。うっかり、がっつきすぎた。小さい子供じゃあるまいし、ちょっと恥ずかしいな。
「あ、ありがとう」
へへっと笑って恥ずかしさを誤魔化していれば、10歳くらいの女の子がパーシヴァルの袖を遠慮がちにくいくいと引いた。
「騎士さま、ヨールの冠はいりませんか?」
女の子が腕に下げている籠には、柊で作られたヨールの冠がいくつか入っていた。魔除けの効果がある柊で作られた冠は、ヨールによく飾られる。
「騎士さまの大切な人に、おひとついかが? 贈られた人が幸せになるように、祈りを込めて作った冠なのよ」
女の子はこてりと首を傾げ愛らしい笑みを浮かべたけれど、外套は何箇所も継がしてあって随分と草臥れている上に、小さな手は傷だらけだ。きっと柊の冠はこの女の子が作ったんだろう。拙い作りだけれど、色とりどりの木の実や白い鳥の羽で飾ってあって意匠が凝らしてある。
ヨールのお祭りの期間だからといって、誰もが浮かれているわけじゃない。1日の麺麭を得るために、僅かでも稼がなければならない人たちもいる。お祭りの期間は稼ぎどきで、楽しむものじゃない。それは、こんな小さな子でも例外ではないんだ。
「……一つ頂こう。いくらだ?」
パーシヴァルが膝をついて、女の子と視線を合わせる。
「小さな白銅貨一枚よ」
「では、これで」
パーシヴァルは銅貨を一枚渡す。掌に乗せられたそれに、女の子は心底困ったような顔をした。
「……ごめんなさい、お釣りがないの」
それはそうだろう。この貧しい身なりの女の子が、釣り銭を用意するのは容易なことではない。冠の材料も、森に行って自分で集めてきたものだろう。
「釣りはいらない」
「でも、こんなにもらえないわ」
「其の冠には君の祈りが込められているのだろう?」
「ええ、勿論よ! 心を込めて作ったの!」
少女が胸を張って答える。貧しくても、自らの力でしっかりと足をつけて生きて行くと決めている眼差しだ。この子は強いな。
「ならば、俺の大切な人に送るに相応しい価値のある冠だ」
パーシヴァルが微笑むと、女の子は頬を染めた。こんな小さな子まで虜にするなんて、太陽の騎士の微笑みは強い。せっかくだから、俺もお土産に冠を買おうかなと思っていたら、少女から冠を受け取ったパーシヴァルが立ち上がって俺をじっと見つめた。相変わらず凛々しくて綺麗な顔をしている。こんな顔で見つめられたら、大抵の人はうっかり恋心を抱くんじゃないか? それなのに、浮いた話の一つもないなんて。
……あ、いや。かなり強烈なご令嬢に執着されているんだった。太陽の騎士の微笑みは強いが、諸刃の剣だ。
それで、その冠は誰にあげるんだろう? アデライン夫人かな? 夫人は真心を無碍にするお人じゃないから、女の子の作ったこの冠を喜んで受け取るだろう。それとも、他にあげたい人がいたりするのかな?
「サフィラスに祝福と女神の加護を」
パーシヴァルがヨールの冠を恭しく俺の頭に乗せる。
「……え? 俺?」
騎士から冠を戴いたのは、まさかの俺だった。女の子が素敵と呟く。
「やっぱり、雪の精霊さまが騎士さまの大切な人だったのね!」
「ああ、そうだ」
「うふふ。ひとめ見て、きっとそうだと思ったの。冠を買ってくれてありがとう! お二人に幸運が訪れますように!」
女の子はそう言って手を振ると、柊の冠を売るために通りを行く人の流れに紛れていった。随分とませた女の子だなぁ。それに雪の精霊ってまた大袈裟な呼び名がついたぞ。だけど、パーシヴァルの大切な人って……
「パーシヴァルの大切な人って、俺だったの?」
「そうだ。サフィラスは……仲間だろう?」
其の通りだけど。でも面と向かって言われると、背中がこそばゆいな。パーシヴァルは真面目で、滅多に軽口を叩かない。だから、冗談でもなんでもなく、本当に俺を大切だと思ってくれているんだろう。だったら俺も、パーシヴァルの誠実さに応えなきゃな!
「うん。なら、俺の大切な人はパーシヴァルだね」
俺がそう言えば、何故かパーシヴァルは少し驚いたような顔をした後、珍しく視線を彷徨わせた。なんだか顔が赤いけどだいじょうぶか?
「顔が赤いけど、大丈夫?」
「あ、ああ、大丈夫だ……そろそろ他の店も覗いてみないか」
「そうだね!」
よく分からないけど、大丈夫そうなパーシヴァルが差し出した手を取った時だ。
何かを倒したようなけたたましい音と共に怒声が響く。何事? と周囲を見回せば、外のテーブルで飲んでいた酔っ払いが喧嘩を始めたところだった。体の大きな冒険者らしき男4人が、激しく言い争っている。酔っ払いの喧嘩の原因なんて、大抵は下らない事だ。俺なら放っておくけど、パーシヴァルは街の警邏も兼ねているから、そうはいかないだろう。
「サフィラス、少しここで待っていてくれ」
「わかった」
あの程度の輩なら俺が出る幕でもないだろうが、そうこうしている間に男たちの殴り合いが始まった。2対2になった彼らは周囲の迷惑も顧みずに取っ組み合いを始める。周りに座っていた客たちは、巻き込まれては敵わないと、エールのジョッキと料理の皿を持って避難する。慣れたもんだ。
だけど、通りを行く人達は慣れた者たちばかりじゃない。子供連れや年寄りもいるし、荒事とは無関係の人たちだっている。体の大きな男どもが暴れているのだから、恐ろしいと思うだろう。多くの人間が一度に動く事態は危険だ。騒ぎの原因がわかっている人達は良いが、何が起きているのかわからない人達は、とにかく危険から離れようとする。そうなってしまうと、制御できない人の流れがさらに混乱をまねくことになる。
「……あ、」
酔っ払いたちと距離を取る通行人の中に、さっきの女の子を見つけた。通行人たちは小さな女の子に気がついていないのだろう。乱闘に巻き込まれないよう逃げようとする人と、何も知らず先に進もうとする人たちの間で間で揉みくちゃにされ、とうとうペシャリと地面に倒れ込んだ。女の子は転んだ拍子に手放してしまった籠を拾おうと、懸命に手を伸ばしている。それに気がついたパーシヴァルが人の流れの中に飛び込み、女の子が踏まれる前に抱き上げた。そんなことにも気が付かず、掴み合い殴り合う男たちは飲み屋の店先から通りにまで飛び出して来ると、女の子の籠を蹴り飛ばし、冠を無惨にも踏み潰した。女の子の目の前で、心を込めて作られた柊の冠がばらばらになってゆく。
あれは少しでも家の助けになるようにと、小さな手で懸命に編まれた冠だ。しかも冠を手にした人が幸せになるようにと、祈りだって込められている。それを踏みつけるだなんて!
殴り飛ばされた大男が屋台の一つに突っ込んでゆく。簡易作りの店はあっという間に壊れ、食材が地面に散らばった。あの食材だって、この稼ぎ時のために店主が方々走り回って調達してきたんだろう。
男たちの争いはますます激しくなり、人の波に押されたパーシヴァルが必死に女の子を守っている姿が見えた。このままじゃ、パーシヴァルだって危ない。
盛り上がるのはいい。酒を飲むのも大いに結構。だけどヨールはみんなが楽しむものだ!
「……おい! こら! そこの酔っ払い共! いい加減にしやがれっ!」
殴り合っていた男の1人の背後に転移すると、其の後頭部を杖で思い切り殴り飛ばす。
勿論魔力を込めた殴打だ。確実に決まったそれに、男の巨体がひっくり返る。続け様に、もう1人の男の鳩尾を狙って杖を突き込む。当然手加減などしない。この男も一瞬にして意識を失うと、泡を吹いてバタンと倒れた。
騒然としていた周囲がしんと静まり返り、掴み合った男たちの動きが止まる。
「……まだ暴れるつもりなら俺が相手になるけど? ただし手加減は一切しない。やるなら覚悟しろよ」
まだ立っている2人に杖をビシッと突きつける。俺の感情に反応しているのか、杖から溢れる魔力がいつもより多い。きらきら、きらきらとちょっと緊張感を欠いている。俺は怒っているんだから、黒い霧とかの方が迫力があるんだけどな。
「あ、いや……その、」
仲間が倒された様子を見て、漸く酔いが覚めたらしい。青褪めた顔をした男2人は、すっかり暴れる気力を削がれたようだ。こうしてすぐに大人しくなったところを見ると、根っからの乱暴者ではないのだろう。
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