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ワイバーンの肉は硬くて不味いので、残らず焼き尽くす方向で

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 太古の昔。
 俺たちが住んでいるこの世界には、女神の子供達が暮らしていた。
 女神に等しい豊かな魔力と魔法で、高度な文化を持ち高等な魔法具を作り、争いなど知らず平和に暮らしていた女神の子供達は、しかし、緩やかに世界からその姿を消した。
 穏やかで豊かな暮らしを営み、繁栄を約束されていたはずの彼らは、満たされ過ぎたが故に、自分達が滅びてゆくことすらなんとも思わなかったのかも知れない。そして、女神も自分の子供たちが消えてゆく様子を、ただ眺めていただけだったんだろう。
 女神は娯楽を求めこそすれ、そこに介入はしない。代わりに、俺のような奴を世界に放り込んで、そこに起こる小さな波紋を楽しんでいる。ただ眺めているだけなんて、それの一体何が楽しいのかわからないが、そもそも神の考えることが人如きに理解できるわけがない。
 今、大陸の彼方此方に残されている遺跡は、その女神の子供達が遺したものだ。俺たちには作れない魔法具や難解な仕掛けが施された遺跡は、女神の叡智なくしては造れない。多くの冒険者はその女神の恩恵を手に入れようと遺跡に潜る訳だけど、こいつを攻略するのは至難の業だ。何しろ、遺跡は人智を超えたもの。生ける死者のような、俺たちの常識では考えられない怪物がそこかしこに潜んでいるし、迷ったら二度と出られないような迷宮があったりと、兎に角ありとあらゆる困難が詰まっているのが遺跡なのだ。そこがまた冒険者の心を魅了してやまないんだけど。
 それで、あの黒炎の厄災竜インサニアメトゥスは、そんな遺跡から出てきたものではないかと俺は考えている。そんな厄介なものが偶然か、あるいは意図的にか、遺跡の外に出てきてしまった。どんな形で遺跡の中で眠っていたのかはわからない。だけど、そんなとんでもないものがまだまだ遺跡には秘されている。
 恐らく女神の理の柵がなかっただろう彼女の子供達は、魂があろうが無かろうが、あらゆるものを思うがままに創り出せる力があった。そんな彼らが赴くままに作った生き物が、遺跡に蠢くアレらだ。いずれにせよ、女神に近い者たちが作り上げたものなのだから、俺たちなんかの手に負える訳がない。
 そうとわかってはいても、まだ誰も知らないようなものが色々と隠されているんじゃないかと考えると、ゾクゾクする。早く冒険者になって、遺跡を巡る旅をしたい。
 ともかく、今回見つかったインサニアメトゥスの鱗は、多分俺が倒したものだと思う。漆黒だった鱗は半分色が抜けていた。あれは経年によるものだろう。150年経ってもなお、鱗だけで魔獣を異常に発生させるだけの力が残っているんだからとんでもない代物だ。
 それをあの不審者が持っていて、なんらかの意図を持って深淵に放り込んだ。
 ……これは誰が考えたって、裏に何かあるって考えるだろう。

 「サフィラス、何か良からぬことを考えていないか?」

 俺の分までお茶を取りに行ってくれていたパーシヴァルは、席に着くなり開口一番そう言った。

 「嫌だなぁ、よからぬ事なんて考えていないよ」

 今回のあれこれには誰かの思惑的な何かがあるんじゃないかな? って思ってたけど。

 「そうか? ならいいんだが。気になる気持ちはわかるが、竜の鱗の件は魔法師団や騎士団に任せた方がいい」

 「大丈夫だって。一介の学院生がおいそれと関わっていいことじゃないって事ぐらい分かってるって」

 俺は図書館から持ってきた神話の本をパタンと閉じると、お茶に口をつける。
 今の俺は無詠唱の大魔法使いフォルティスじゃなくて、ただのサフィラスだからね。俺が関わらなくて済むなら、それに越したことはない。

 「今後は穏やかな学院生活を送るって決めてるんだ。もうすぐ到達度試験もあるし」

 「そうだな。それに、サフィラスは芸術をもう少し頑張った方がいい」

 「んぐっ……!」

 思わずお茶を吹き出しそうになったけど、すんでのところで飲み込んだ。
 最近色々あったから例の図録は部屋の机の上で埃を被っている。正直、今更覚えようとしても無理なので完全に無いものとして、意識的に視界に入れないようにしていた。

 「……ちなみにさ、芸術の点が取れなかったりしたら、やっぱり追試だよね」

 「ああ、及第点が取れるまでは追試だろう。もしそんな事になったら、図録を贈ってくれたブルームフィールド公爵が残念に思うだろうな」

 「ああ~、そうだよなぁ……」

 思わずテーブルに伏せる。公爵閣下をガッカリさせるのは不本意だけど、今回は全く自信がないんだよ。他の教科で頑張るから、芸術は免除して貰えないかな。
 
 「でもさ、絵なんて自分が良いと思えば、それが誰がいつの時代に描いたものかなんて関係ないと思わないか……?」

 「そうだな、サフィラスの言う通りだ」

 あっさりと同意を得られたので視線を上げれば、まるで幼い子供を見るような慈愛に満ちた笑みを浮かべているパーシヴァルと目が合った。聞き分けの無い子に言い聞かせる時の母親の顔だ。
 ええぇ……これでも俺の中身はいい大人なんだぞ……
 だけど、背中がむずむずはするけれど、悪い気はしないんだよな。これが赤髪だったら、間違いなくその顔面に拳を沈めてる。

 「だが、追試を受けずに済むなら、それに越したことはないだろう? 試験の後は長期休暇だ。いつまでも追試を受けていたら、なかなか休暇に入れない」

 「……うん、まぁ。そうだよね」

 穏やかに諭すパーシヴァルの笑みに芸術を忘れ、ほわんとした心持ちになって和んでいれば、緩んだ空気を霧散させる甲高い叫び声が突如として響いた。
 
 「なんだ?」

 俺は慌てて体を起こす。カフェテリアにいた学院生達も、何事かと一斉に視線を外に向けていた。
 窓の外を何か赤黒い大きな影が横切ると同時に、怒鳴り声と悲鳴が湧き上がる。
 窓に駆け寄り外を見れば、十数匹のワイバーンが、獲物を狙うように上空でぐるぐると旋回していた。その下には、午後の時間を外で寛いでいた学院生が何人もいる。

 「なんで、あんなものがここにいるんだ?」

 本来ワイバーンはパルウム山の頂辺りに生息していて、こんな低地に降りてはこない。

 「サフィラス、それは後だ! みんな! 窓から離れて奥へ!」」

 パーシヴァルはカフェテリアに居た学院生に避難の指示を出すと、窓から外へと飛び出してゆく。俺もすかさず後に続いた。
 学院に常駐している騎士が、外にいる学院生を建物の中に避難するよう誘導しているが、ワイバーンを見たことのない者達は、恐怖で混乱状態になってしまって避難の指示が聞こえていない。
 慌てて逃げようとしていたご令嬢が学舎とは反対方向に走り出し、足を縺れさせて派手に転んだ。誰もが逃げ惑っていて、ご令嬢を助け起こす者がいない。

 「まずいな」

 獲物が少ない山頂に住んでいるワイバーンは、確実に捕らえられる食糧を逃さない。案の定、転んだ令嬢を獲物と定めたのか、ワイバーンが急降下した。気が付いた騎士が、令嬢に駆け寄ろうとしているけれどあれでは間に合わない。

 「た、助けてっ!」

 俺は杖を抜くと、火球をワイバーンにぶつける。青白い高温の炎は、ワイバーンを一瞬で焼き消した。燃やし尽くして仕舞えば、後片付けが楽だろうからね。
 魔獣ではないワイバーンは食べられるけれど、身が硬くて美味しくないのだ。飢えているならともかく、毎日美味しい肉が食べられるのにわざわざワイバーンの肉を残す必要はない。

 「ここは俺たちに任せて、皆さんは学院生の避難をお願いします!」

 「すまない!」

 騎士はご令嬢を抱きかかえると、素早く校舎に走った。
 騒ぎを聞いて駆けつけてきたらしい高学年の学院生が、ワイバーンを迎え撃っている。怯む様子も無い彼らは、将来、騎士団や魔法師団を目指す学院生達だろう。そこそこの実力があれば相手はできるから、加勢は必要ないと判断する。
 そういえば、パーシヴァルは丸腰で飛び出して行ったけれど大丈夫かな?
 さっと周囲を見渡せば、掃除用の箒でワイバーンを牽制し、魔法で攻撃しているパーシヴァルがいた。恐怖で動けなくなった学院生を庇っているせいか、思うように動けていない。俺はすぐさまパーシヴァルの元に転移して、防壁魔法で周囲を固める。

 「助かった、サフィラス、」

 「どういたしまして。数はそれほどでもないから、一気に焼くよ」

 上空を飛んでいるワイバーンに狙いを定めドカンドカンと火球を当ててゆく。飛び回るから厄介というだけで、奴らはそれほど強力な竜じゃない。この程度ならお茶を淹れている間に一掃できる。多少の燃え滓は落ちて来るけれど、大きな死体が残るよりはましだろう。

 上空を飛び回るワイバーンが全て煤となり、最後の一頭になったワイバーンの首を、学院生の1人がスパッと切り落とした。迷いのない、見事な剣筋。
 わっと周囲から歓声が上がる。剣に着いた血を払いながら振り向いたその人物は、よく見知った人だった。

 「ディランさん!」

 「やぁサフィラスにパーシヴァル、お疲れさん。それにしても、話には聞いていたが、ワイバーンを一瞬で焼き消すなんてサフィラスの魔法は凄まじいな」

 「ディランさんこそ! 見事な剣の腕前じゃないですか!」

 パーシヴァルの親戚だし、毎年剣術大会で優勝しているからそれなりの腕だとは思っていたけれど。ディランさんなら、今すぐに騎士団に入団したとしても即戦力になる事請け合いだ。

 「麗しの魔法使い殿にお褒めいただけるとは光栄だな! ……しかし、なんでこんな所にワイバーンが出たんだ?」

 俺はパーシヴァルと顔を見合わせ、首を横に振る。
 なんだかおかしなことが色々と起きているけど、どれもこれも裏で繋がっているような気がするんだよな。だけど、間も無く到達度試験もあるし、一学院生である俺は、断じて首を突っ込まないと決めたのだった。
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