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人の噂に75日も付き合える奴は暇人 その1.0
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「サフィラス様、実はハーヴァード様がサフィラス様に謝罪したいとおっしゃっていますの」
アウローラがこそりと俺に告げた。
「ハーヴァード? それ何者?」
聞いた覚えがあるような、無いような?
「まぁ、サフィラス様ったら、お名前もご存知なかったのですね。今サフィラス様を煩わせているきっかけを作ってしまったお方ですわ」
「……ああ! 赤髪のことか! 謝罪って……別に俺は謝って欲しいとは思ってないけど」
当然、許すつもりがないからな! 俺の被った甚大な被害を鑑みれば、許してやる義理なんて爪の先ほども無い。
「実はワグナー侯爵家、つまりハーヴァード様のお父様より、サフィラス様に謝罪をしたいと我が公爵家に正式な申し入れがありましたの」
「え?」
当事者を通り越して、随分大事になっているじゃないか。
「この様な状況ですので、ハーヴァード様にお会いしたく無いというサフィラス様のお気持ちも理解できます。勿論、お許しにならなくても構いませんわ。ですが、謝罪だけは聞いて上げてくださいませ」
「そういう事なら、別に構わないけど。サロンを予約したのはその謝罪のため?」
「ええ。衆目の中で謝罪されても困りますでしょう? おかしな憶測で、新たな噂が立ちかねません」
「それに関しては、本当に申し訳ない、」
「いいえ、サフィラス様の所為ではございませんから。お気になさりませんよう」
アウローラはそう言って微笑んでくれたけど、恩人の足を引っ張ることは俺としても本意ではないんだよな。
サロンに行けば、パーシヴァルと神妙な顔をした赤髪がいた。俺の顔を見るなり、赤髪はがばりと頭を下げる。あまりの勢いに思わず身を引いてしまった。
おい、おい、そんなに頭を下げたら床につくんじゃないか?
「本当にすまない! 俺が短慮だったばかりに、サフィラスには迷惑をかけた! ベリサリオに言われて、俺は漸く自分の愚かさに気がついたんだ……俺は思い込みで突っ走るばかりで、相手の心を慮ることができていなかった。その結果がこれだ……本当に申し訳なかった」
んんん? これは予想外の展開だ。どうやら赤髪は本気で反省しているらしい。パーシヴァルが何か言って聞かせてくれた様だけど。
それに公爵家に正式に謝罪の申し入れをしたと言うことは、自分のやらかしを父親に告白しなければならなかっただろうから、家でそれなりにこってりと絞られただろう。正直、許すつもりはなかったけど、真剣に反省しているのに許さないと突っぱねるのはあまりにも狭量だ。それに、妙な噂を流したのは赤髪ではないだろうしな。ここは寛大なところを見せてやるべきだろう。その方が公爵家の顔を立てる事になるだろうし。
「……わかった。謝罪は受け取る。二度とあんな事をするなよ」
「ああ、勿論だ! 女神に誓おう!」
がばりと頭をあげた赤髪は力いっぱいに宣言したが、そういう調子のよさそうなところは不安だよ。
「件の噂に関して、少し調べさせていただきました。最初に噂を流したのは、ボスワーズ様でしたわ。その後は、彼の方の周囲の方々が噂を広めたようですの。実際はお相手がいないわけですからサフィラス様のお名前しか出せませんし、主に噂を流していたのは伯爵家以下の家格の方達でしたので、図書館での事を知っていらしたとしても、侯爵家のハーヴァード様のお名前は出せなかったのですわ。ただ、ボスワーズ様もここまで噂が大きくなるとは思っていなかった様です」
なるほど、だからのあの顔か。自分で流した噂が一人歩きを始めて、完全に制御を失った。噂を巧みに利用するのは貴族の手腕の一つだが、ナイジェルにはそれだけの技量がなかったと言うことだな。
「その件に関しては、本当にすまない。ボスワーズの所為にするわけではないが、図書館に行けばサフィラスが居るので、そこでなら誰にも邪魔をされずに口説けると言われて……少し考えれば、そんな事をしてはならないとわかるはずなのに、あの時の俺は焦っていて自分の事しか考えられなかった」
口説くのにあの強引な流れは必要だったのかと問いたいが、まぁ、反省しているのだから蒸し返すまい。
「……俺だから良かったものの、力の弱いご令嬢相手だったらどえらいことになっていたからな。そこは猛省しろよ」
「肝に銘じる」
赤髪も冷静な状態なら、まともな判断ができるんだな。もう少し平常心を保てるように、パーシヴァルを見習ってほしいものだ。
「ボスワーズ様にはサフィラス様の名誉を著しく傷つけたとして、公爵家から抗議することも考えております」
「あいつの為にも、その方がいいかもね」
どうも家で甘やかされている節があるあるから、一度しっかりと叱られた方がいい。まともな家なら、しっかりと言って聞かせるだろう。
「それはそうとさ、あんな悪い噂が立ってしまった俺が、この学院で公爵家の後援を受け続けるのも良くないと思う。王太子妃候補であるアウローラ嬢の足を引っ張りたい奴らのいい餌になりかねないし。なので、俺は学院を辞めて傭兵になろうと思う」
「……は?」
俺を除く全員が、ぽかんとした顔をした。流石に、アウローラとリリアナは声こそ出さなかったけれど。
実は傭兵になることは、長期休暇明けから頭の隅にあった。その時は、普通に学院を卒業するつもりだったから、いざとなればそんな道もあるよなって程度だったけど。
改めて思うが、俺は貴族社会には心底向いていない。折角新たな人生を歩むのだから、前世では経験しなかったことをやってみるのも悪くないと思ったけど、大前提として煩わしいことや面倒なことは避けて通りたい。だけど貴族と関わっている限り、それらを避ける事が難しいと身をもって学んだ俺は、そのいざが今ではないかと判断したのだ。
「冒険者登録できるようになるまでに、最短で1年半だろ? それまでは傭兵で食い扶持を稼ぐ。市井には俺の年齢で働いてる奴なんていくらでもいるしさ。閣下に支援してもらった半年分の支援金は傭兵で稼いだ給金で返すよ。幸い、月々の支援金もほとんど手付かずで残っているから、それも含めればそう時間は掛からないで返せると思う。閣下には色々お世話になったから、何かあればすぐに飛んでくよ。できるだけ早いうちに、離れた相手に声を伝える魔法を編み出すから。成功したら、真っ先に公爵家に知らせる」
「お、お待ちになって。それは、本気で仰っていますの?」
珍しくアウローラが焦った様子を見せた。扇子で口元隠すことすら忘れている。
そうして感情を隠さないでいる姿は、年相応の可愛らしいお嬢様だ。
「うん。自分で言うのもなんだけど、俺は一騎当千だと思うよ。絶対に戦力になる。それに、傭兵になるための最強のコネクションが俺にはあるしね」
俺はパーシヴァルに視線を向けた。
そう、ヴァンダーウォールの傭兵としてベリサリオ家に雇って貰えばいい。あそこは兵士の待遇がとっても良かった。最前線でバリバリ働くし、なんなら魔物の森の第三層の深部だって即日向える! だから、是非とも雇って頂きたい。力仕事は苦手だけど、召喚獣がいるから多分なんとかなる。
「パーシヴァル、頼む! 図々しいお願いだとは思うけど、ヴァンダーウォールなら安心だし! 辺境伯に雇って貰える様お願いしてもらえないか?」
俺は手を合わせて頭を下げた。パーシヴァルが口利きをしてくれれば、きっと辺境伯も俺を雇ってくれるだろう。実力の程は、長期休暇の時に知って貰っているし。
「サフィラス……」
「わたくしは、サフィラス様に学院を卒業して頂きたいと思っております」
大きくはないけれど、しっかりとしたアウローラの声がサロンに響く。
「アウローラ嬢?」
「今、王太子殿下は学院の改革を進めようとしております。現在の学院は貴族の為の学びの場となっておりますが、ゆくゆくは人材育成の学舎にと考えておられるのです。そして、その人材は民草の中にこそあるのではないかと」
「……それと、俺の卒業がなんの関係が?」
「サフィラス様は元貴族でしたが、今は平民です。それだけでも、この学院では異例なこと。平民のサフィラス様がこの学院を卒業したという、その前例を残すことができれば次に繋げることができます。わたくしは、サフィラス様にその礎を担っていただきたいと思っておりました……ですが、それを強いる事ができないことも重々承知しておりますわ。これ以上、荊の道を歩いてくれとは、友人として言えませんもの」
そう言って、アウローラは複雑な笑みを浮かべた。
「言っちゃなんだけど、今の学院で平民が学ぶのは、魔獣の森で生き延びるようなものだよ。並の奴じゃ、あっという間に心を折られる」
選民意識が強い奴が多いからな。それも貴族なら普通なのかもしれないけど。高位貴族でありながら、広い視点を持って差別意識が無いアウローラやパーシヴァルの様な貴族もいるけど。
「ええ、その点は王太子殿下もご理解しております。なんとか改善できないか試行錯誤しているところですが、急激な体制の変更は各所に軋轢を引き起こします。特に力のある古い貴族ほど、新しい風を鬱陶しく思うものです。ですから、時間をかけて少しずつ理解者を増やして行くしかないのですわ。それに、サフィラス様の存在が、少なからず学院に変化を齎しておりますのよ」
「え? 俺?」
何か変わったことがあったかな? 学院内の警備体制は良くなったと思うけど。
「ふふふ、お分かりになりませんか? サフィラス様のCクラスは随分と変わったと思いますけれど? お茶会でお菓子をご一緒に楽しまれている方達もそうですわね。他にも、お心当たりがおありになる方がいらっしゃるのではありませんか?」
確かに、あれだけ悪意ある噂が流れている中でも、Cクラスのみんなは全く態度を変えないどころか、寧ろ俺を気遣ってくれていた。お茶会のご令嬢達もそうだったな。
「そんな方達が少しずつでも増えてくだされば、学院の雰囲気は変わってゆくでしょう。そして、その方達が成人した時に、自分も誰かを支援しようと思ってくださるかもしれません。けれど、それは一朝一夕でできるものではありませんわ。もしかしたら、わたくしたちの代では成し得ないことかもしれません。それでも、最初の石を投じなければ波紋は起こせないのです」
なるほどね。公爵家が平民になるとわかっている俺を支援したのには、そう言う思惑があったのか。だけど、人材は民草の中にこそあるって考えはなかなか気に入った。とはいえ、平民を重用するようになれば、少なからず貴族の反発を買うだろう。それに、問題はそれだけには留まらない。
「今までの体制で、大陸一の領土を誇るこの国を貴族だけで支え続けることができるのかと、王太子殿下はお考えなのです」
「……でも、その考えは危険かもしれないよ。平民が力を持てば、王政を廃そうとする動きが出てくるかもしれない」
「そうですわね。でも、今のままではこの国のこれ以上の発展は望めませんわ」
「アウローラは……公爵閣下はその考え方に同意してるの?」
「ええ、概ね。水も澱めば腐ります。古い貴族の中には、貴族としての権利ばかりを主張し、義務を果たさない家もございます。腐った水を流し出すために、新しい水を呼び込むことも必要だと考えておりますわ」
うわ、腐った水ってまんまオルドリッジ伯爵家じゃないないか。
まぁ、必ず王政を廃そうとする動きが出ると決まってるわけじゃないし、国が衰弱してゆけば王政も何もあったもんじゃない。停滞よりも変化を望むという王太子の心意気は悪くない。
そして、俺は赤髪にチラリと視線を向ける。
「……ところで、そんな大事な話、こいつのいる前でしちゃって良かったの?」
「はい、ワグナー侯爵家は王太子殿下のお考えを理解しております。卿は大変公正明大で、王家にも民にもよく尽くしてくださっておりますわ」
「そうとも! 我がハーヴァード家は誇り高い一族なんだ!」
「……へぇ」
王家の覚えもめでたい侯爵家の名前を、お前がぶち壊しかけたんだけどな。得意気な赤髪をジトリと睨む。
「うっ……そんな目で見るな。ちゃんと反省している」
「それならいいんだけどさ。とにかく、王太子殿下の考えと公爵家の意向は解った。そう言うことなら俺も協力させてもらう。だけど、奨学生のことはもっと周知徹底した方がいいと思うよ。優秀な民の足を引っ張るような事は厳に謹んで貰わないと」
「はい。その点におきましては、しっかりと心に刻ませて頂きます。サフィラス様、本当にありがとうございます。ご理解下さいまして、心より御礼申し上げますわ」
アウローラとリリアナが深々と頭を下げた。謝罪の姿さえ優雅なアウローラだけど、そんな大袈裟な事じゃない。
「やだな、頭なんか下げないでよ! 頭を下げるのは赤髪だけで十分だ! 俺だって面白そうだなって思ったから、話に乗っただけなんだから!」
「サフィラス、俺にはギデオンという名前がある。できれば、名で呼んでくれないか?」
「悪いがそれはお断りだ。Gで始まる名前の奴との相性は最悪なんだ」
かつての婚約者と同じイニシャルだからな。
「なんだそれは?」
赤髪は頻りに首を傾げたが、パーシヴァルとアウローラは納得したと言わんばかりの表情を浮かべた。
ともあれ。学院を辞めるのはいつでもできるので、俺は王太子殿下の計画に乗る事にした。だけど、傭兵の方もいつでもなれるように、パーシヴァルに改めてお願いしておこう。
アウローラがこそりと俺に告げた。
「ハーヴァード? それ何者?」
聞いた覚えがあるような、無いような?
「まぁ、サフィラス様ったら、お名前もご存知なかったのですね。今サフィラス様を煩わせているきっかけを作ってしまったお方ですわ」
「……ああ! 赤髪のことか! 謝罪って……別に俺は謝って欲しいとは思ってないけど」
当然、許すつもりがないからな! 俺の被った甚大な被害を鑑みれば、許してやる義理なんて爪の先ほども無い。
「実はワグナー侯爵家、つまりハーヴァード様のお父様より、サフィラス様に謝罪をしたいと我が公爵家に正式な申し入れがありましたの」
「え?」
当事者を通り越して、随分大事になっているじゃないか。
「この様な状況ですので、ハーヴァード様にお会いしたく無いというサフィラス様のお気持ちも理解できます。勿論、お許しにならなくても構いませんわ。ですが、謝罪だけは聞いて上げてくださいませ」
「そういう事なら、別に構わないけど。サロンを予約したのはその謝罪のため?」
「ええ。衆目の中で謝罪されても困りますでしょう? おかしな憶測で、新たな噂が立ちかねません」
「それに関しては、本当に申し訳ない、」
「いいえ、サフィラス様の所為ではございませんから。お気になさりませんよう」
アウローラはそう言って微笑んでくれたけど、恩人の足を引っ張ることは俺としても本意ではないんだよな。
サロンに行けば、パーシヴァルと神妙な顔をした赤髪がいた。俺の顔を見るなり、赤髪はがばりと頭を下げる。あまりの勢いに思わず身を引いてしまった。
おい、おい、そんなに頭を下げたら床につくんじゃないか?
「本当にすまない! 俺が短慮だったばかりに、サフィラスには迷惑をかけた! ベリサリオに言われて、俺は漸く自分の愚かさに気がついたんだ……俺は思い込みで突っ走るばかりで、相手の心を慮ることができていなかった。その結果がこれだ……本当に申し訳なかった」
んんん? これは予想外の展開だ。どうやら赤髪は本気で反省しているらしい。パーシヴァルが何か言って聞かせてくれた様だけど。
それに公爵家に正式に謝罪の申し入れをしたと言うことは、自分のやらかしを父親に告白しなければならなかっただろうから、家でそれなりにこってりと絞られただろう。正直、許すつもりはなかったけど、真剣に反省しているのに許さないと突っぱねるのはあまりにも狭量だ。それに、妙な噂を流したのは赤髪ではないだろうしな。ここは寛大なところを見せてやるべきだろう。その方が公爵家の顔を立てる事になるだろうし。
「……わかった。謝罪は受け取る。二度とあんな事をするなよ」
「ああ、勿論だ! 女神に誓おう!」
がばりと頭をあげた赤髪は力いっぱいに宣言したが、そういう調子のよさそうなところは不安だよ。
「件の噂に関して、少し調べさせていただきました。最初に噂を流したのは、ボスワーズ様でしたわ。その後は、彼の方の周囲の方々が噂を広めたようですの。実際はお相手がいないわけですからサフィラス様のお名前しか出せませんし、主に噂を流していたのは伯爵家以下の家格の方達でしたので、図書館での事を知っていらしたとしても、侯爵家のハーヴァード様のお名前は出せなかったのですわ。ただ、ボスワーズ様もここまで噂が大きくなるとは思っていなかった様です」
なるほど、だからのあの顔か。自分で流した噂が一人歩きを始めて、完全に制御を失った。噂を巧みに利用するのは貴族の手腕の一つだが、ナイジェルにはそれだけの技量がなかったと言うことだな。
「その件に関しては、本当にすまない。ボスワーズの所為にするわけではないが、図書館に行けばサフィラスが居るので、そこでなら誰にも邪魔をされずに口説けると言われて……少し考えれば、そんな事をしてはならないとわかるはずなのに、あの時の俺は焦っていて自分の事しか考えられなかった」
口説くのにあの強引な流れは必要だったのかと問いたいが、まぁ、反省しているのだから蒸し返すまい。
「……俺だから良かったものの、力の弱いご令嬢相手だったらどえらいことになっていたからな。そこは猛省しろよ」
「肝に銘じる」
赤髪も冷静な状態なら、まともな判断ができるんだな。もう少し平常心を保てるように、パーシヴァルを見習ってほしいものだ。
「ボスワーズ様にはサフィラス様の名誉を著しく傷つけたとして、公爵家から抗議することも考えております」
「あいつの為にも、その方がいいかもね」
どうも家で甘やかされている節があるあるから、一度しっかりと叱られた方がいい。まともな家なら、しっかりと言って聞かせるだろう。
「それはそうとさ、あんな悪い噂が立ってしまった俺が、この学院で公爵家の後援を受け続けるのも良くないと思う。王太子妃候補であるアウローラ嬢の足を引っ張りたい奴らのいい餌になりかねないし。なので、俺は学院を辞めて傭兵になろうと思う」
「……は?」
俺を除く全員が、ぽかんとした顔をした。流石に、アウローラとリリアナは声こそ出さなかったけれど。
実は傭兵になることは、長期休暇明けから頭の隅にあった。その時は、普通に学院を卒業するつもりだったから、いざとなればそんな道もあるよなって程度だったけど。
改めて思うが、俺は貴族社会には心底向いていない。折角新たな人生を歩むのだから、前世では経験しなかったことをやってみるのも悪くないと思ったけど、大前提として煩わしいことや面倒なことは避けて通りたい。だけど貴族と関わっている限り、それらを避ける事が難しいと身をもって学んだ俺は、そのいざが今ではないかと判断したのだ。
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「お、お待ちになって。それは、本気で仰っていますの?」
珍しくアウローラが焦った様子を見せた。扇子で口元隠すことすら忘れている。
そうして感情を隠さないでいる姿は、年相応の可愛らしいお嬢様だ。
「うん。自分で言うのもなんだけど、俺は一騎当千だと思うよ。絶対に戦力になる。それに、傭兵になるための最強のコネクションが俺にはあるしね」
俺はパーシヴァルに視線を向けた。
そう、ヴァンダーウォールの傭兵としてベリサリオ家に雇って貰えばいい。あそこは兵士の待遇がとっても良かった。最前線でバリバリ働くし、なんなら魔物の森の第三層の深部だって即日向える! だから、是非とも雇って頂きたい。力仕事は苦手だけど、召喚獣がいるから多分なんとかなる。
「パーシヴァル、頼む! 図々しいお願いだとは思うけど、ヴァンダーウォールなら安心だし! 辺境伯に雇って貰える様お願いしてもらえないか?」
俺は手を合わせて頭を下げた。パーシヴァルが口利きをしてくれれば、きっと辺境伯も俺を雇ってくれるだろう。実力の程は、長期休暇の時に知って貰っているし。
「サフィラス……」
「わたくしは、サフィラス様に学院を卒業して頂きたいと思っております」
大きくはないけれど、しっかりとしたアウローラの声がサロンに響く。
「アウローラ嬢?」
「今、王太子殿下は学院の改革を進めようとしております。現在の学院は貴族の為の学びの場となっておりますが、ゆくゆくは人材育成の学舎にと考えておられるのです。そして、その人材は民草の中にこそあるのではないかと」
「……それと、俺の卒業がなんの関係が?」
「サフィラス様は元貴族でしたが、今は平民です。それだけでも、この学院では異例なこと。平民のサフィラス様がこの学院を卒業したという、その前例を残すことができれば次に繋げることができます。わたくしは、サフィラス様にその礎を担っていただきたいと思っておりました……ですが、それを強いる事ができないことも重々承知しておりますわ。これ以上、荊の道を歩いてくれとは、友人として言えませんもの」
そう言って、アウローラは複雑な笑みを浮かべた。
「言っちゃなんだけど、今の学院で平民が学ぶのは、魔獣の森で生き延びるようなものだよ。並の奴じゃ、あっという間に心を折られる」
選民意識が強い奴が多いからな。それも貴族なら普通なのかもしれないけど。高位貴族でありながら、広い視点を持って差別意識が無いアウローラやパーシヴァルの様な貴族もいるけど。
「ええ、その点は王太子殿下もご理解しております。なんとか改善できないか試行錯誤しているところですが、急激な体制の変更は各所に軋轢を引き起こします。特に力のある古い貴族ほど、新しい風を鬱陶しく思うものです。ですから、時間をかけて少しずつ理解者を増やして行くしかないのですわ。それに、サフィラス様の存在が、少なからず学院に変化を齎しておりますのよ」
「え? 俺?」
何か変わったことがあったかな? 学院内の警備体制は良くなったと思うけど。
「ふふふ、お分かりになりませんか? サフィラス様のCクラスは随分と変わったと思いますけれど? お茶会でお菓子をご一緒に楽しまれている方達もそうですわね。他にも、お心当たりがおありになる方がいらっしゃるのではありませんか?」
確かに、あれだけ悪意ある噂が流れている中でも、Cクラスのみんなは全く態度を変えないどころか、寧ろ俺を気遣ってくれていた。お茶会のご令嬢達もそうだったな。
「そんな方達が少しずつでも増えてくだされば、学院の雰囲気は変わってゆくでしょう。そして、その方達が成人した時に、自分も誰かを支援しようと思ってくださるかもしれません。けれど、それは一朝一夕でできるものではありませんわ。もしかしたら、わたくしたちの代では成し得ないことかもしれません。それでも、最初の石を投じなければ波紋は起こせないのです」
なるほどね。公爵家が平民になるとわかっている俺を支援したのには、そう言う思惑があったのか。だけど、人材は民草の中にこそあるって考えはなかなか気に入った。とはいえ、平民を重用するようになれば、少なからず貴族の反発を買うだろう。それに、問題はそれだけには留まらない。
「今までの体制で、大陸一の領土を誇るこの国を貴族だけで支え続けることができるのかと、王太子殿下はお考えなのです」
「……でも、その考えは危険かもしれないよ。平民が力を持てば、王政を廃そうとする動きが出てくるかもしれない」
「そうですわね。でも、今のままではこの国のこれ以上の発展は望めませんわ」
「アウローラは……公爵閣下はその考え方に同意してるの?」
「ええ、概ね。水も澱めば腐ります。古い貴族の中には、貴族としての権利ばかりを主張し、義務を果たさない家もございます。腐った水を流し出すために、新しい水を呼び込むことも必要だと考えておりますわ」
うわ、腐った水ってまんまオルドリッジ伯爵家じゃないないか。
まぁ、必ず王政を廃そうとする動きが出ると決まってるわけじゃないし、国が衰弱してゆけば王政も何もあったもんじゃない。停滞よりも変化を望むという王太子の心意気は悪くない。
そして、俺は赤髪にチラリと視線を向ける。
「……ところで、そんな大事な話、こいつのいる前でしちゃって良かったの?」
「はい、ワグナー侯爵家は王太子殿下のお考えを理解しております。卿は大変公正明大で、王家にも民にもよく尽くしてくださっておりますわ」
「そうとも! 我がハーヴァード家は誇り高い一族なんだ!」
「……へぇ」
王家の覚えもめでたい侯爵家の名前を、お前がぶち壊しかけたんだけどな。得意気な赤髪をジトリと睨む。
「うっ……そんな目で見るな。ちゃんと反省している」
「それならいいんだけどさ。とにかく、王太子殿下の考えと公爵家の意向は解った。そう言うことなら俺も協力させてもらう。だけど、奨学生のことはもっと周知徹底した方がいいと思うよ。優秀な民の足を引っ張るような事は厳に謹んで貰わないと」
「はい。その点におきましては、しっかりと心に刻ませて頂きます。サフィラス様、本当にありがとうございます。ご理解下さいまして、心より御礼申し上げますわ」
アウローラとリリアナが深々と頭を下げた。謝罪の姿さえ優雅なアウローラだけど、そんな大袈裟な事じゃない。
「やだな、頭なんか下げないでよ! 頭を下げるのは赤髪だけで十分だ! 俺だって面白そうだなって思ったから、話に乗っただけなんだから!」
「サフィラス、俺にはギデオンという名前がある。できれば、名で呼んでくれないか?」
「悪いがそれはお断りだ。Gで始まる名前の奴との相性は最悪なんだ」
かつての婚約者と同じイニシャルだからな。
「なんだそれは?」
赤髪は頻りに首を傾げたが、パーシヴァルとアウローラは納得したと言わんばかりの表情を浮かべた。
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「そのようだね。あれが問題の彼女?アシュリーの方が綺麗なのにな」
私は夜会の会場で、間違うことなく自身の婚約者が、栗毛の令嬢を愛しそうな瞳で見つめながら腰を抱き寄せて、それはそれは親しそうに見つめ合ってダンスをする姿を視線の先にとらえていた。
エスコートを申し出てくれた令息は私の横に立って、そんな冗談を口にしながら二人に視線を向けていた。
ここはベイモント侯爵家の夜会の会場。
私はとある方から国境の騎士団に所属している婚約者が『もう二か月前に帰ってきてる』という話を聞いて、ちょっとは驚いたけど「やっぱりか」と思った。
あれだけ出し続けた手紙の返事がないんだもん。そう思っても仕方ないよでしょ?
まあ、帰ってきているのはいいけど、女も一緒?
誰?
あれ?
せめて婚約者の私に『もうすぐ戻れる』とか、『もう帰ってきた』の一言ぐらいあってもいいんじゃない?
もうあなたなんてポイよポイッ。
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