Cry Baby

犬丸まお

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朝日と溥 4

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 溥さんに別れを告げてから、何事も無く数日が過ぎて行った。
 頭の良い彼の事。オレの残したメッセージなんかすぐに解ったはずだ。
 もう、これ以上は会わない。
 となれば、一日でも早く煌を煌の元へ返してあげなければ。
 こうは最近何を考えているのか解らないおかしな態度を取っている。どこかよそよそしさを感じることもある。
 オレに背を向ける様に雑誌なんか読んでいるけれど、オレがわざわざ言うまでも無く、こっちもどうやら潮時の気配がしてる。
 小さく溜め息をついて、心を決めた。

 「朝陽」

 「煌」

 お互い口を開いたのは同時だった。

 「何?」

 「そっちこそなんだよ」

 雰囲気で、お互いの話が決して軽いものではないのを感じているのか。振り向いた煌はオレを伺うような眼差しをして、なかなか口を開こうとしない。

 「煌から話せよ」

 できるだけ穏やかに、先に話すよう煌を促す。
 オレの話を先にしてしまったら、きっと煌の話を聞く事なく、それで終わりになってしまう。そんな気がした。
 煌のことだ、溥さんが此処に来た事を知れば、いっぱいいっぱいになるのは目に見えてる。
 煌はオレに向き直ると、何かを誤摩化すように煙草をくわえた。
 一体何を言おうとしているのか判らないけど、よほど言いにくい話なのか、無駄にすり切れた畳の目なんか眺めて煙を吐き出す。オレがいい加減痺れを切らしたところで、煌がようやく口を開いた。

 「朝陽おまえさぁ……体売ってんの?」

 「ぇえ……?」

 予想外の問いに、思わず間抜けな声を上げてしまった。
 なんとも拍子抜け。もっと重大な何かを言い出すのかと、構えてしまった。
 とはいえ、痛いところを突いて来たのも確か。
 そんなオレは苦笑いを浮かべるしかなかった。煌には知られたくなかったという気持ちと、いまさら気が付いたのかという複雑な心境。
 だけど、この期に及んで隠し立てしても仕方ない。しっかりバレてることを苦しく言い訳するのもバカバカしい。

 「まぁ……ね。手っ取り早く稼げるし?」

 オレの返答に僅かに煌が顔を歪めたのが解った。
 例え洗濯物を溜めてたって、汗だらけでも気にせず寝てしまったりしても、煌は正真正銘綺麗な体なんだろう。体を売るなんて普通の人だったら不快感を抱く。借金背負わされる前のオレだったら、お金の為に体を売るなんて、ちょっと信じられないなってきっと思った。売るのは勝手だけど、オレ自身が買ったり売ったりする事なんか大凡考えもしなかった。だけど、現実を目の前にしたらオレのモラルなんて案外あっけなく崩れ去った。煌はオレを潔癖症だとよく言っていたけれど、相手構わず脚を開くオレなんて似非潔癖性だ。

 「いつから……?」

 「昨日今日始めた事じゃないよ。煌と暮らすずっと前から」
 
 「なぁ……なんで朝陽はそんなに金が必要なの?」

 「えー? なんでって、借金があるから?」

 「借金?」

 「そ。うっかり友人の連帯保証人になっちゃってさ。気軽に判おしたら、そいつ借金残してドロンしちゃったの。借金してるって言ってもたいした額じゃないだろうって思ってたら、それが真面目に働いてたら返せる額じゃなかったんだよ。まぁ、自己責任だし? 首くくるって言ってもそれなりに覚悟がいるしね。仕方ないっていうか?」
 
 「……そうか……」

 騙されたのは俺といっしょだな、なんて。煌はぼそぼそと言った。

 「……仕方ねぇのかもしんないけど……あんま、無理、すんなよ……なんか、こんな事しか言えなくて、情けねぇけど……」
 
 眉間に皺を寄せた煌の口から飛び出した言葉に、再び拍子抜け。
 てっきり売色してる事に、なにか非難めいた事を言われると思ったけど。
 やっぱり、煌は溥さんの弟だ。煌はずっと家族に大事にされて来たんだろう。単純で、不器用バカだけど。

 「なぁ、煌。もうそろそろこんな生活やめろよ。おまえはオレと違って、返せないような借金あるわけじゃないんだし。それに……心配してくれてる人がいんだしさ」

 「……え?」

 「実はさ、オレ、ここんとこずっと、溥さんと会ってたんだよ」

 「兄貴と?」

 「うん。大分前に溥さんの方から、此処尋ねてきて。煌の事、すごい心配してたよ。煌に言うなって言われてたから黙ってたけどさ。優しくていい兄貴じゃん。あんま心配かけんなよ」

 驚いたような表情を浮かべていた煌が、ゆっくりと溜息をつく。
 それから煌は、どっか緊張が解けたような安堵したようなそんな顔をした。なんだか、急に煌が幼く見えた。

 「……いまさら兄貴にあわせる顔なんかねぇよ。」

 「何言ってんだ。つまんない意地はってんなよ。こんな生活、一生続けるつもりかよ? もうそろそろ目覚ませば?」

 煌自身、もう気が付いているはず。ただ、そのきっかけを掴めずに居ただけで。
 やる気さえあれば、煌はまだ幾らでもやり直せる。店を持つことだって不可能じゃない。なにより、溥さんに会いたいだろうに。

 「……俺がここを出てったら、朝陽はどうすんの?」


 「どうするも何も、オレは煌が来る前からこの生活してるんだから。お前居なくなったところで何にも変わんないよ。寧ろ、部屋が広くなるぐらいだし。ま、気が向いたら遊びくれば? ただし、手ブラでくるなよな」

 「……朝陽」

 煌はうなだれると、そのまま黙り込んでしまった。
 2人して極貧生活エンジョイしてたけど。此処から離脱する事に遠慮なんていらないんだ。オレの人生と煌の人生は違うんだから。なにも、オレに気を使う事はない。気持ちに踏ん切りが付いたなら、さっさと出て行けばいいんだ。
 オレは煌のおかげで溥さんを知って、短い間だけど幸せを味わった。もう、そんなものとは無縁だと思ってたから。今まで苦労した分、ここに来てご褒美を貰った気がした。情けは人の為ならず、なんていうけど。煌を拾ったおかげで、オレは少しいい想いをした。
 それだけで残りの人生やってける。だから煌、今度はお前が。

「もいっかい、頑張ってこいよ。」






 オレがバイトから戻ると煌は居なくなっていた。わずかにあった煌の荷物が無くなって、代わりにメモが一枚。そこには一言。

 『お世話になりました』

 「『なりました』だって、全く柄じゃない。しかも汚い字だなぁ」

 ついに出て行ったか。これで、臭い洗濯物に悩まされる事もなくなった。きたないまま布団に潜り込む煌にイライラする事も無い。布団だって2枚使えるから、もう夜寒さに震えて寝ることもない。
 それにしても、この部屋結構広かったんだな。
 そんな事を感じたら、ほんの少しだけ寂しい気分になった。なんだかんだと、楽しかった。一人じゃないって。
 だけど、すぐに慣れる。煌と居た時間よりも、一人で暮らしてきた時間の方が長いんだ。

 「まぁでも……お世話になりました、朝陽様って、言わせるべきだったな……」






 それから2週間。
 煌の不在にもすっかり慣れた。
 あいつが居なくなっても、オレの日常は変わらない。相変わらずだ。バイトの掛け持ちや例の仕事で朝から晩まで働いて。あとは何も考えずに眠る。
 少しくらい煌の夢や溥さんの夢を見るかと思ったけど、これっぽっちも夢なんか見なかった。
 オレって案外薄情なのかもしれないな。
 そんなオレがクタクタになりながら今朝方漸く帰宅して、安らかな眠りに浸っているというのに、其れを邪魔するノックの音。
 大分明るくなっているから、もう昼頃だろうか? それにしても、オレにしてみればまだ寝たばかりの時間。
 まさか、煌が出戻ってきたか。ぼんやりとそんな事を思いながら、布団から這い出た。
 もし煌だったら、ボディブロウかまして追い返してやる。
 煌だと決めつけて拳を固めながら乱暴にドアをあけると、そこには似て非なる人が立っていた。

 「……あ、溥、さん……?」

 「久しぶりだな、朝日。寝てるとこ悪いけど、上がってもいいか?」

 「う、うん……」

 なんで溥さんが此処に? 煌が戻った今、もう、オレにはなんの用もないはずなのに。溥さんは困惑するオレをよそに、相変わらずの調子で部屋に上がり込んで来た。
 固めた拳が行く先を失う。

 「元気か?」

 「うん。まぁ、おかげさまで……煌は元気にしてる?」

 「ああ、今は知り合いの店で店長候補として働いてる」

 「そっか、なら良かった。まだ若いんだし。いくらでもチャンスはあるよね」

 良かったじゃん、煌。再び夢に向かって歩き出した煌を、オレは心から応援する。

 いつか。

 本当に、いつか、オレもこの生活を終える事ができたとき、煌の店に行ってやる。いっそオレ1人の貸し切りにしてさ。それを目標にオレは頑張るかな。いつになるかは解らないけど。

 「……朝陽。ここを引き払って、俺のところに来い」

 「……え?」

 オレが未来のヴィジョンに思いを馳せていると、思わぬ事を煌が言い出した。あまりにも意外な言葉に、我が耳を疑った。

 「いつでもお前が来れるようにしてある」

 まさか、溥さんがそんな事を言うなんて、絶対あり得ない。大体、借金を抱えているオレにそんな資格は無い。
 それは溥さんも十分判っているはず。

 「や、やだなぁ……溥さん、冗談きついって……知ってるだろ? 借金だけじゃない。オレ、売色だってしてるし、ろくなオプションないんだよ? 迷惑しかかけないんだから止めておいた方がいいって、絶対後悔するよ」

 「人に歴史あり、だろ? そんな事は気にしない。後悔するような理由にはならない」

 「もしかして、煌の事でオレに気を使ってるんなら、それは気にする事無いって。。煌が居る間は、それなりに楽しかったし。それに煌が頑張ってるんだなって思えば、オレもそれが励みになるし……」

 お人好しな煌の兄貴である事考えれば、オレに義理立てして放っておく事ができないんだろう。

 「勘違いするなよ……俺が朝日を側に置いておきたいんだ。朝日の背負ってる物を、全て引き受けてやる事はできない。だけど、一緒に負う事ぐらいはできるだろ? それとも、俺が側にいるのは嫌か?」

 まっすぐに、オレを見つめている溥さんの眼差しに、思わずうつむく。

 「……嫌だなんてこと……あるわけないじゃん……」

 好きなんだから。溥さんの事を、本当に好きになっちゃったんだから嫌なわけがない。
 だけど本当にいいのかな? 
 オレに、この差し出された手を取る資格が本当にあるの?
 それに、簡単に溥さんを信じて、またあの時のように裏切られたらどうする?
 これ以上のどん底を味合うなんて真っ平ごめんだ。
 そんな色々な想いがオレの中で交差して、素直にうなずく事はできなかった。
 
 「迷うなよ。俺は絶対朝日を裏切らない……それとも、無理矢理奪われたい?」

 そういった溥さんの手がオレの頤を捕えて、俯いていた顔を強引にあげた。間近に迫る溥さんの顔。
 オレを見ている眼差しは、どこまでも優しい色をしていた。

 「溥さん、」
 
 この人には抗えない。どんなにオレが悩んだって、きっとそんなものは無駄なんだ。
 オレは応える代わりに、溥さんの唇に自分のそれを重ねていた。
 もし、未来にこの人に裏切られたとしても。甘んじて受け入れよう。
 溥さんに、心底惚れてしまったんだから。
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