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溥と朝日
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「……まさかとは思いますが、金銭的な事でご迷惑をかけたりはしていませんか?」
「や、そんな事は全然。ちゃんと、家賃も光熱費も、払ってくれてるんで」
「そうですか……」
その言葉に胸を撫で下ろす。どうやら必要以上の迷惑はかけていないようだ。
煌を探している間耳にした噂は、ろくなもんじゃなかった。酒に女。そしてギャンブル。
だから、もしかしたら今もそんな生活をしてるんじゃないかと思っていたが、どうやらそれは杞憂のようだった。
だらだらと、金にまでだらしなくなっていたとしたら、ぶん殴ってでも連れて帰らなければいけないところだった。
キーボードを走らせていた指を止めて立ち上がり、窓際に移動するとブラインドを上げてひとまず一服する。
深呼吸代わりに吸い込んだ煙を、思い切り吐き出す。
遥祐が懸命に集めてくれた情報を辿り、散々歩き回って、ようやく煌の居場所を突き止めてみれば、なんと近くに居た事か。全く灯台下暗しとはよく言ったものだ。
まさか、自分が毎日通っているオフィスからそう遠くない、まさに足下とも言えるところで生活してたとは。
煌らしき人物が居るという場所を半信半疑で訪ねてみれば、そこは時代に取り残されたとしか言いようの無い、今にも崩れそうなオンボロのアパート。そのたった四畳半の狭い部屋に、煌は朝陽という男と暮らしていた。怪我をした煌を拾った朝陽は、それからずっと一緒に暮らしているという。
こんな処に暮らしているなんて一体どんな奴なんだと思ったが、話してみれば朝陽という男は真面目で悪い印象はなかった。
兎に角、元気で居る事さえ判れば、そう心配する必要もない。煌も子供じゃない。どうすればいいのか、いずれ自分で判断するだろう。少なくともここに居るうちは大丈夫だ。そんな安心感のようなものを感じた。
全くの見ず知らずの他人に、煌を任せるのは詮無い事だが、今は其れも致し方ない。俺の思いがどうあろうと、煌に俺を頼る気がなければどうする事も出来ないのだ。
おそらく、煌は今、自分を再構築しようとしている段階なんだろう。騙されて全財産を失い、怒りや絶望といった感情に散々翻弄された煌は、自制を失い荒んだ生活に身を投じ落ちるところまで落ちた。どん底にたどり着いてしまえば、それ以上行くところはない。
そして今は諦念し無気力な状態にある。自分に起きた出来事をどう処理し消化するべきなのか。それらに決着がつくまで、煌は動けないだろう。
だから、無理に連れて帰る事はせずに、暫くは様子を見ようと決めた。自分に決着が付けられないまま連れ帰っても、再び姿をくらましかねない。そうなればまた振り出しに戻ってしまう。
窓の外に視線を送り、眼下に広がる光の海を眺める。あの中に、煌は確かに居るのだ。
失踪してから1年。煌は変わっているだろうか? それとも、俺の記憶の中のままなのか。
「全く……心配かけさせやがって……」
まだ、其の姿を確認していないとはいえ、煌の居所が知れたおかげで、幾分気持ちは軽くなった。
煌の身を案じて、行方を追っていた1日1日は長かったが、1年という月はあっという間だ。
時間が経てばそれだけ見つけにくくなる。そんな思いに、カレンダーが新しく捲られるたび酷い焦りを感じていた。探している間は、ただ無事なのかどうか心配ばかりしていたが。居場所がはっきりした今は、どれだけ人を心配させれば済むんだと、半ば腹立たしさすら覚えるんだから随分と余裕が出てきたものだ。まだ全てが解決した訳じゃないが、散々世話になった一樹と遥祐には何らかの形で礼をしなければならない。
携帯灰皿に煙草を放り込み、ふと、朝日の部屋を思い出した。
昼間なのに随分と薄暗く狭い部屋だった。必要最低限のものすらないような其の部屋は、それでも整理されていて、決していい加減に暮らしているようでは無かった。多分朝陽は煌とそれほど年齢は変わらないだろう。男臭さのない中性的な綺麗な青年だった。どこか不健康そうな様子だったのは、あんな住環境が祟っているからなのか。あのような生活にも、何かしら事情があるのだろう。
煌の姿を見ていないにも関わらず、一緒に暮らしているという朝陽の言葉を俺は信じた。こんなに簡単に、見ず知らずの奴の言葉を信じる俺はどうかしてるかもしれないが。煌の事を語る朝陽の言葉に、いい加減な嘘は感じなかった。朝陽の話を裏付けるように、部屋には確かに朝陽以外の誰かの生活の気配もあった。
時折見え隠れする俺に向ける警戒の気配。そして、煌をつれて帰らないと言った時の、幾分穏やかになった表情。朝陽は間違いなく、煌の味方だ。
ふと、時計に目を落とすと、いつの間に結構な時間になっていた。
仕事以外に向いてしまった思考をストップすると、ブラインドを下げ視界を閉じた。
「あー、あれ? もしかして、煌のお兄さん?」
すれ違い様、誰かがあげた声。帰宅を急いでいた俺は聞き流して通り過ぎようとしたが、其の声には何処か聞き覚えがあった。足を止め振り向くと、そこにはやはり覚えのある顔。
「……君は……」
なんと言う偶然か。
声をかけてきたのは朝陽だった。ついさっき、この男の事を考えていた。噂をすれば……ではないが、こんな事もあるのか。
「一度くらいは連絡しようと思ったんですけど。お恥ずかしながら、家電も携帯も無いんで……」
苦笑いを浮かべながら朝陽はそう言った。
彼とはもっと話をしたいと本当のところは思っていた。だから、このタイミングで会えたのは好都合だ。特に急いでいないという朝陽を、行きつけの小さなバーに連れて行った。
静かなこの店は、落ち着いて話をするにはいい店だ。困惑するような表情を浮かべた朝陽の心情を察し、俺が話を聞きたいのだから財布の方の心配はしなくていいと暗に仄めかすと、ようやく腰を落ち着けた。
いつものカウンター席に陣取ると、ギムレットに、この後に深夜シフトで仕事があるという朝日には軽めのカクテルをオーダーして、間を取り繕うかのように煙草に火をつける。
朝日が物珍しそうにマスターの背後に並ぶ酒を眺めている間に、オーダーした酒が前に置かれた。
「わぁ、綺麗なオレンジ色……いただきます」
朝日は恐る恐ると言った体でグラスに口をつける。舐めるように口に含むとすぐに表情を輝かせた。
「美味しい……オレ、カクテルなんて居酒屋でしか飲んだことなくて。そっかぁ、これが本物の味なんだ……うん、居酒屋のあれはカクテルじゃないな」
暫くカクテルに夢中になっていた朝日だったが、ふっとその口元に自嘲気味な笑みを浮かべる。
「……お兄さん、この間うちに来た時、あんまりボロなんでびっくりしたんじゃないですか?」
「ああぁ……まぁ、正直。よくあんな狭いところに、男二人生活出来てるな、とは」
そんなことはないと言ったところで、却って気を気を遣わせることになる。それだけ、取り繕い用のない古いアパートだった。
「ふふ、お兄さん正直ですね。でも、あんなとこでも煌はしっかり暮らしてますよ。根が真面目なんだと思うんですけど、仕事もちゃんと行ってます」
実の兄である俺に多少の気を使っているのかもしれないが、朝陽の口から語られる煌は少なくとも失踪する前の煌の姿と変わりはないようで安堵する。きっと、今の煌には朝陽の処は居心地が良いんだろう。たとえ、其の生活が不便で多少窮屈であっても。
今となっては、俺よりも朝陽の方が煌の事を好く判っているだろう。情けない話だが、今は朝陽に煌を任せるしか無いのだと改めて思う。
「……いろいろと迷惑をかけて申し訳ない……いずれ改めて礼を……」
「や、そんな事いいですって……オレも煌がいて、結構助かったりしてるし……それなりに、楽しいので」
そう言って笑った朝陽に、俺は本当に感謝した。
煌はまだ運に見放されていない。こうして朝陽と話して、確かにそう思った。まず、何より朝陽に拾われなければ、今頃どうなっていたか知れない。
「あー、ただ。煌はよく洗濯物溜め込むんです。それだけがちょっと……オレ的にアレなんです……部屋狭いのに、溜められるとまず邪魔になるし、それに臭うしで」
元々煌は身の回りの整理整頓はそれほど得意とはしていなかったが。生活が不便になった所為なのか、その辺がすっかり怠惰になってしまったらしい。
「……あまり酷いようなら、捨てて構わないんで」
「捨てたら煌が困るじゃないですか」
「自業自得でしょう。本当に、構いませんので。どうぞ」
「お兄さん、もしや結構鬼?」
声を上げて笑う朝陽につられて、俺も口元が緩んだ。不健康そうに見える朝陽だが、笑うと随分と印象が変わる。あんな薄暗い部屋よりも、もっと明るいところが合うだろうに。一体、何故あんなところで暮らしているのか、気になると言えば気になる事だが、朝陽のプライべートと煌の事は何の関係もないので聞くには憚られた。
ひとしきり笑った朝陽が急に真顔になる。
「……ほんとに……煌、つれて帰らなくていいんですか?」
やはり迷惑だったかと視線を朝陽に向けると、俺が口を開くのを遮るように慌てて言葉を継いだ。
「あ、別に迷惑とかそんなことじゃなくて……、オレがどうとかじゃなくて……お兄さん、ほんとは、すぐにでも煌に会いたいんじゃないですか?」
最後の方は、まるで遠慮するような口調でぼそぼそとしたつぶやきだった。朝陽にしてみれば、俺と煌の間に挟まれて複雑な心境でもあるんだろう。
そう思いながらも、俺は困惑する朝陽よりも煌の気持ちを優先してしまうエゴイストだ。
「……まぁ、正直なところ、会いたいって気持ちがないわけじゃないんで。そう言われれば頷くしかないですが。だけどあいつも、色々考えてる事も有ると思うんで、俺が兎や角口をだす筋合いでもないでしょう。ご迷惑でなければ、煌と一緒に居てやってください」
「……お兄さんがそういうのなら……」
「よろしく願いします」
頭を下げようとした俺を、朝陽が慌てたように止めた。
「もう、そういうの止めてください。オレだってそんなお人好しじゃないんで。迷惑だったら、とっとと叩き出してますから。お兄さんにそんなに恐縮されちゃうと、参っちゃうな……」
さっきから朝陽が俺の事を『お兄さん』と呼んでいるが、あまりにも慣れない響きで、自分の事じゃないような気がして、思わず苦笑いが浮かんだ。。
「お兄さん……か」
呟いた俺に、朝陽が怪訝そうな顔をした。
「何か?」
「や、俺の事は、溥でいいですよ。」
「溥さん、
「呼び捨てで結構ですよ」
「いえ、流石に年上の方を呼び捨てには……それより、オレに敬語はやめてください。あんまり丁寧に話されると、なんか肩が凝っちゃって……」
笑顔の朝陽の顔を見ながら、不健康そうなこの男は、実は良く笑うのだと知った。
朝陽は間もなく、仕事の時間だと言って席を立った。聞きたい事はまだ有ったが、仕事に向かう朝陽をこれ以上引き止めておく事も出来ない。
「どうもごちそうさまでした、」
たったグラス一杯の酒に朝陽は深々と頭を下げた。
「申し訳ない、仕事前に引き止めたりして」
「いえ、全然。それでは、失礼します」
店を出てゆく朝陽のひょろりとした後ろ姿を見送ると、ギムレットを追加して独り煙草に火をつけた。
「や、そんな事は全然。ちゃんと、家賃も光熱費も、払ってくれてるんで」
「そうですか……」
その言葉に胸を撫で下ろす。どうやら必要以上の迷惑はかけていないようだ。
煌を探している間耳にした噂は、ろくなもんじゃなかった。酒に女。そしてギャンブル。
だから、もしかしたら今もそんな生活をしてるんじゃないかと思っていたが、どうやらそれは杞憂のようだった。
だらだらと、金にまでだらしなくなっていたとしたら、ぶん殴ってでも連れて帰らなければいけないところだった。
キーボードを走らせていた指を止めて立ち上がり、窓際に移動するとブラインドを上げてひとまず一服する。
深呼吸代わりに吸い込んだ煙を、思い切り吐き出す。
遥祐が懸命に集めてくれた情報を辿り、散々歩き回って、ようやく煌の居場所を突き止めてみれば、なんと近くに居た事か。全く灯台下暗しとはよく言ったものだ。
まさか、自分が毎日通っているオフィスからそう遠くない、まさに足下とも言えるところで生活してたとは。
煌らしき人物が居るという場所を半信半疑で訪ねてみれば、そこは時代に取り残されたとしか言いようの無い、今にも崩れそうなオンボロのアパート。そのたった四畳半の狭い部屋に、煌は朝陽という男と暮らしていた。怪我をした煌を拾った朝陽は、それからずっと一緒に暮らしているという。
こんな処に暮らしているなんて一体どんな奴なんだと思ったが、話してみれば朝陽という男は真面目で悪い印象はなかった。
兎に角、元気で居る事さえ判れば、そう心配する必要もない。煌も子供じゃない。どうすればいいのか、いずれ自分で判断するだろう。少なくともここに居るうちは大丈夫だ。そんな安心感のようなものを感じた。
全くの見ず知らずの他人に、煌を任せるのは詮無い事だが、今は其れも致し方ない。俺の思いがどうあろうと、煌に俺を頼る気がなければどうする事も出来ないのだ。
おそらく、煌は今、自分を再構築しようとしている段階なんだろう。騙されて全財産を失い、怒りや絶望といった感情に散々翻弄された煌は、自制を失い荒んだ生活に身を投じ落ちるところまで落ちた。どん底にたどり着いてしまえば、それ以上行くところはない。
そして今は諦念し無気力な状態にある。自分に起きた出来事をどう処理し消化するべきなのか。それらに決着がつくまで、煌は動けないだろう。
だから、無理に連れて帰る事はせずに、暫くは様子を見ようと決めた。自分に決着が付けられないまま連れ帰っても、再び姿をくらましかねない。そうなればまた振り出しに戻ってしまう。
窓の外に視線を送り、眼下に広がる光の海を眺める。あの中に、煌は確かに居るのだ。
失踪してから1年。煌は変わっているだろうか? それとも、俺の記憶の中のままなのか。
「全く……心配かけさせやがって……」
まだ、其の姿を確認していないとはいえ、煌の居所が知れたおかげで、幾分気持ちは軽くなった。
煌の身を案じて、行方を追っていた1日1日は長かったが、1年という月はあっという間だ。
時間が経てばそれだけ見つけにくくなる。そんな思いに、カレンダーが新しく捲られるたび酷い焦りを感じていた。探している間は、ただ無事なのかどうか心配ばかりしていたが。居場所がはっきりした今は、どれだけ人を心配させれば済むんだと、半ば腹立たしさすら覚えるんだから随分と余裕が出てきたものだ。まだ全てが解決した訳じゃないが、散々世話になった一樹と遥祐には何らかの形で礼をしなければならない。
携帯灰皿に煙草を放り込み、ふと、朝日の部屋を思い出した。
昼間なのに随分と薄暗く狭い部屋だった。必要最低限のものすらないような其の部屋は、それでも整理されていて、決していい加減に暮らしているようでは無かった。多分朝陽は煌とそれほど年齢は変わらないだろう。男臭さのない中性的な綺麗な青年だった。どこか不健康そうな様子だったのは、あんな住環境が祟っているからなのか。あのような生活にも、何かしら事情があるのだろう。
煌の姿を見ていないにも関わらず、一緒に暮らしているという朝陽の言葉を俺は信じた。こんなに簡単に、見ず知らずの奴の言葉を信じる俺はどうかしてるかもしれないが。煌の事を語る朝陽の言葉に、いい加減な嘘は感じなかった。朝陽の話を裏付けるように、部屋には確かに朝陽以外の誰かの生活の気配もあった。
時折見え隠れする俺に向ける警戒の気配。そして、煌をつれて帰らないと言った時の、幾分穏やかになった表情。朝陽は間違いなく、煌の味方だ。
ふと、時計に目を落とすと、いつの間に結構な時間になっていた。
仕事以外に向いてしまった思考をストップすると、ブラインドを下げ視界を閉じた。
「あー、あれ? もしかして、煌のお兄さん?」
すれ違い様、誰かがあげた声。帰宅を急いでいた俺は聞き流して通り過ぎようとしたが、其の声には何処か聞き覚えがあった。足を止め振り向くと、そこにはやはり覚えのある顔。
「……君は……」
なんと言う偶然か。
声をかけてきたのは朝陽だった。ついさっき、この男の事を考えていた。噂をすれば……ではないが、こんな事もあるのか。
「一度くらいは連絡しようと思ったんですけど。お恥ずかしながら、家電も携帯も無いんで……」
苦笑いを浮かべながら朝陽はそう言った。
彼とはもっと話をしたいと本当のところは思っていた。だから、このタイミングで会えたのは好都合だ。特に急いでいないという朝陽を、行きつけの小さなバーに連れて行った。
静かなこの店は、落ち着いて話をするにはいい店だ。困惑するような表情を浮かべた朝陽の心情を察し、俺が話を聞きたいのだから財布の方の心配はしなくていいと暗に仄めかすと、ようやく腰を落ち着けた。
いつものカウンター席に陣取ると、ギムレットに、この後に深夜シフトで仕事があるという朝日には軽めのカクテルをオーダーして、間を取り繕うかのように煙草に火をつける。
朝日が物珍しそうにマスターの背後に並ぶ酒を眺めている間に、オーダーした酒が前に置かれた。
「わぁ、綺麗なオレンジ色……いただきます」
朝日は恐る恐ると言った体でグラスに口をつける。舐めるように口に含むとすぐに表情を輝かせた。
「美味しい……オレ、カクテルなんて居酒屋でしか飲んだことなくて。そっかぁ、これが本物の味なんだ……うん、居酒屋のあれはカクテルじゃないな」
暫くカクテルに夢中になっていた朝日だったが、ふっとその口元に自嘲気味な笑みを浮かべる。
「……お兄さん、この間うちに来た時、あんまりボロなんでびっくりしたんじゃないですか?」
「ああぁ……まぁ、正直。よくあんな狭いところに、男二人生活出来てるな、とは」
そんなことはないと言ったところで、却って気を気を遣わせることになる。それだけ、取り繕い用のない古いアパートだった。
「ふふ、お兄さん正直ですね。でも、あんなとこでも煌はしっかり暮らしてますよ。根が真面目なんだと思うんですけど、仕事もちゃんと行ってます」
実の兄である俺に多少の気を使っているのかもしれないが、朝陽の口から語られる煌は少なくとも失踪する前の煌の姿と変わりはないようで安堵する。きっと、今の煌には朝陽の処は居心地が良いんだろう。たとえ、其の生活が不便で多少窮屈であっても。
今となっては、俺よりも朝陽の方が煌の事を好く判っているだろう。情けない話だが、今は朝陽に煌を任せるしか無いのだと改めて思う。
「……いろいろと迷惑をかけて申し訳ない……いずれ改めて礼を……」
「や、そんな事いいですって……オレも煌がいて、結構助かったりしてるし……それなりに、楽しいので」
そう言って笑った朝陽に、俺は本当に感謝した。
煌はまだ運に見放されていない。こうして朝陽と話して、確かにそう思った。まず、何より朝陽に拾われなければ、今頃どうなっていたか知れない。
「あー、ただ。煌はよく洗濯物溜め込むんです。それだけがちょっと……オレ的にアレなんです……部屋狭いのに、溜められるとまず邪魔になるし、それに臭うしで」
元々煌は身の回りの整理整頓はそれほど得意とはしていなかったが。生活が不便になった所為なのか、その辺がすっかり怠惰になってしまったらしい。
「……あまり酷いようなら、捨てて構わないんで」
「捨てたら煌が困るじゃないですか」
「自業自得でしょう。本当に、構いませんので。どうぞ」
「お兄さん、もしや結構鬼?」
声を上げて笑う朝陽につられて、俺も口元が緩んだ。不健康そうに見える朝陽だが、笑うと随分と印象が変わる。あんな薄暗い部屋よりも、もっと明るいところが合うだろうに。一体、何故あんなところで暮らしているのか、気になると言えば気になる事だが、朝陽のプライべートと煌の事は何の関係もないので聞くには憚られた。
ひとしきり笑った朝陽が急に真顔になる。
「……ほんとに……煌、つれて帰らなくていいんですか?」
やはり迷惑だったかと視線を朝陽に向けると、俺が口を開くのを遮るように慌てて言葉を継いだ。
「あ、別に迷惑とかそんなことじゃなくて……、オレがどうとかじゃなくて……お兄さん、ほんとは、すぐにでも煌に会いたいんじゃないですか?」
最後の方は、まるで遠慮するような口調でぼそぼそとしたつぶやきだった。朝陽にしてみれば、俺と煌の間に挟まれて複雑な心境でもあるんだろう。
そう思いながらも、俺は困惑する朝陽よりも煌の気持ちを優先してしまうエゴイストだ。
「……まぁ、正直なところ、会いたいって気持ちがないわけじゃないんで。そう言われれば頷くしかないですが。だけどあいつも、色々考えてる事も有ると思うんで、俺が兎や角口をだす筋合いでもないでしょう。ご迷惑でなければ、煌と一緒に居てやってください」
「……お兄さんがそういうのなら……」
「よろしく願いします」
頭を下げようとした俺を、朝陽が慌てたように止めた。
「もう、そういうの止めてください。オレだってそんなお人好しじゃないんで。迷惑だったら、とっとと叩き出してますから。お兄さんにそんなに恐縮されちゃうと、参っちゃうな……」
さっきから朝陽が俺の事を『お兄さん』と呼んでいるが、あまりにも慣れない響きで、自分の事じゃないような気がして、思わず苦笑いが浮かんだ。。
「お兄さん……か」
呟いた俺に、朝陽が怪訝そうな顔をした。
「何か?」
「や、俺の事は、溥でいいですよ。」
「溥さん、
「呼び捨てで結構ですよ」
「いえ、流石に年上の方を呼び捨てには……それより、オレに敬語はやめてください。あんまり丁寧に話されると、なんか肩が凝っちゃって……」
笑顔の朝陽の顔を見ながら、不健康そうなこの男は、実は良く笑うのだと知った。
朝陽は間もなく、仕事の時間だと言って席を立った。聞きたい事はまだ有ったが、仕事に向かう朝陽をこれ以上引き止めておく事も出来ない。
「どうもごちそうさまでした、」
たったグラス一杯の酒に朝陽は深々と頭を下げた。
「申し訳ない、仕事前に引き止めたりして」
「いえ、全然。それでは、失礼します」
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